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3章:雲外蒼天
12話:共犯者
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▼シリル
その夜、ユリエルはこっそりと自室を出た。シリルはレヴィンの部屋でそれを確認し、足音が微かに聞こえる程度まで距離を置いてレヴィンと一緒についていった。
「こんな夜更けに、どこに行くのでしょう?」
とても小さな声で呟くのは戸惑うからだ。ユリエルの足音を聞き分けて進むレヴィンは真っ直ぐに地下の食糧庫へと向かっている。十分な距離を保ったから、二人が食糧庫につく頃にはユリエルの姿はなかった。けれどレヴィンは足音を聞きのがしていないのか、しきりに足元を気にしている。
「これか?」
レヴィンの足元には同じような石造りの床がある。けれどよく見ると、そこには不自然な切り込みがある。
僅かに手を掛けられる部分を見つけて、レヴィンがそれを引き上げた。引き上げ式の扉は軽く開く。石にしか見えなかったその扉は本当は木製で、表面に薄く石造りに見えるよう石を張り付けて作っていた。
扉の下には長い階段がある。薄暗いそこはぽっかりと黒い口を開けているようで怖かった。
「この先にいるよ。どうする? ここで待つ?」
優しく聞いてくれるレヴィンの気持ちは嬉しい。けれど余計に不安が増した今、ここで大人しく待っているなんて事は出来そうもない。
シリルはランプに火を入れる。そして、傍に立つレヴィンを見て無言で頷いた。
階段はかなり下まで続いている。寒くて暗くて、足元も見えない。一つ先を行くレヴィンが転ばないように先導してくれるが、滑りやすいから何度か転びそうになった。
「それにしても、兄上はどうやってこんなのを見つけたのでしょう?」
一見は分からない。クレメンスも砦は調べたと思う。けれど、ここは分からなかった。
「扉の上に荷物が置いてあったんじゃないかな? 周辺に埃とかなかったし、傍に木箱が置いてあった。見た感じ不用品置き場みたいだし、あの部屋だけ地下なのに松明を置く場所も無かった」
「では、どうして」
「誰かがこの場所を知らせた、というのが一番納得できるけれどね」
レヴィンの言葉に胸が痛くなる。不安が、そうさせている。一番考えちゃいけない可能性が見えた気がしたのだ。
やがて二人は谷底についた。木戸を開けると月光が青く地表を照らす、岩の多い景色が広がっている。
「けっこう深いな」
「兄上はどこでしょう?」
辺りを見回してもユリエルの姿はない。
シリルは足音に気を付けながら岩に隠れるようにレヴィンの後に続いた。そうして少し進むと、衣擦れの音が聞こえた気がした。慎重に岩陰に隠れて、ソッと音のしたほうへと視線を向ける。そしてそのまま、シリルは思考を止めた。
薄青い月明かりに、銀の髪が反射する。ユリエルは愛しそうに目の前の人に寄り添い、見つめている。ユリエルを見下ろすのは雄々しい黒い人。整った凛々しい顔に愛しさを込めて見つめ合い、やがてどちらともなくキスをする。
「ルーカス」
小さく優しく、ユリエルが呼ぶ。シリルはもう、その光景を見ている事ができなかった。恐ろしくて、悔しくて、胸が張り裂けそうだった。こんなことが他に知れたら、兄はどうなってしまうのか。
「何も……何も見なかったことにしてください。お願いです、レヴィンさん」
「それでいいのかい?」
「いいえ、見ていない事にされては困ります」
突然とかけられた冷たく刺さる声に、シリルは言い知れぬ恐怖を感じて動けなくなった。隣のレヴィンもまた、冷や汗を流して固まっている。この、少しでも動けば殺されてしまうのではと思う恐怖はなんなのだろう。
「二人とも、そこから一歩でも引けば容赦はしません」
ゆっくりと近づいてくるユリエルがシリルの前に立つ。レヴィンは咄嗟にシリルを背に庇うように前に出て、剣の柄に手を掛けた。それを見て、シリルは背が冷たくなった。
「とんだ裏切りだね、陛下。それで? 俺達の事も斬るの?」
「そう思いますか?」
月を背にしたユリエルの表情はよく分からない。けれど、どこか悲しそうに笑った気がした。
「シリル、俺が時間を作る。その間に逃げろ」
「でも!」
「俺でもこの人を相手に長くは時間を稼げない。考えずに走れ」
そんな事、出来るはずがない。大切な人を残して逃げるなんて事したくない。そんな事をしてしまったら空っぽになってしまう。誰かを恨んで、憎んで、でも結局いない事に打ちのめされてしまう。
一歩レヴィンが前に出る。そして、剣を抜いた。それを見てユリエルもまた溜息をつき、剣の柄に手をかけた。
弾けるような気配の後に、レヴィンは前に出る。その剣を、ユリエルは受け止めていた。
逃げるの?
言われた事を実行するのが、多分レヴィンの願い。けれどそれをする事はできない。シリルは成す術もなくその場にへたり込んで、涙を流していた。
「やめて……止めてください! お願いです兄上! レヴィンさん!」
喉から血が出そうなほど強く叫んでも声は届いていない。目の前で二人は激しい戦いをしている。味方のはずなのに、まるで憎み合うように剣を交えている。こんなのは見たくない。こんなのは望んでいない。
「やめてぇぇぇ!」
その時、ふわりと頭を撫でる大きく温かい手があった。驚いて見上げると、敵のはずの人が傍にいて困ったように笑っている。
「困った兄だな、あれは。本来はもっと器用なはずなのに、妙なところで不器用だ。こんなことをしなくても丸く収める方法はいくらでもあるというのにな」
「あ……」
不思議と、怖いという感情が浮かばない。穏やかで、優しい感じがする。
「だが、不器用な時こそあいつが伝えたい強い想いがある。君は、それを受け止めるだけの覚悟はあるか?」
「覚悟?」
分からなくて問い返すと、静かに頷かれる。金色の瞳が優しく包むような光を宿してシリルを見ている。
「国を、変えようとしている。俺達は今の世界をひっくり返す。その為には君の力が必要なのだそうだ。ただ命じる事もできるが、命がけの使命を与えるのだからこちらも誠意を見せなければと彼は言ったんだ」
「兄上が、僕の力を必要としている?」
信じられない気持ちだが、目の前の人が頷く。とても、嘘を言うような人には見えない。だからシリルは強い瞳で見返して、頷いた。
「良い目だな、さすが兄弟だ。では、止めてこよう」
「止めるって……」
明らかに激しい戦いの中に割って入るのだろうか。そんなの、危険なのに。
だが、ルーカスは進み出ていく。そして片手に剣を、片手に鞘を持って走り込んでいった。
◆◇◆
▼レヴィン
やっぱりこの人を相手にするのは得策じゃない。
レヴィンは激しい剣の交わりの中で思う。ファルハード、ヴィオとの戦いの中で思ったのだ。この人の剣は苦手だと。
鋭い突きが頬を掠めて僅かに痛む。だがそれを気にする余裕はない。かわした事で空いた腕を狙って剣を振るうが、当然のようにかわされた。
鋭くて、正確で、なのにかわす時には流れるような動き。ゆったりと動くくせに、攻撃となれば苛烈になる。掴めないし、苦手な相手だ。
それでもレヴィンには守る者がある。こうして盾となって、破滅しか見えなくても譲る事の出来ない相手が。
「さぞ、愉快だろうな……」
思わず気持ちが口をつく。こんな事、昔はなかった。腹の内など見せなかった。けれど最近、たぶん周囲の人間が警戒心を削ぐような人が多いから、ふとした時に溢れるようになった。
「俺やシリルを騙して、多くの仲間を裏切っての逢瀬は、楽しかったかい?」
近づいたから相手の表情も分かる。とても傷ついた、苦しそうな顔。それを見ると妙な人間臭さを感じて笑えた。この人も人間で、傷ついたり苦しんだりするんだって。そんなの、分かりきっているのに。
「らしくないだろ、陛下? 頭のいいあんたが、どうしてあの人なんだよ」
決して報われない相手。同性というばかりではない。それよりもずっと、国同士が抱える問題が大きい。それとも意外と身を焦がし国が傾くような恋を好むのか。
「分かっていますよ。ただ、分かった時には遅すぎた」
縮んだ距離でだけ聞こえる呟きだった。絞り出すような声と、泣きそうな笑み。だから分かる。この人だって、この関係がいかに無謀か知っている。そして、知ってなお止められないのだと。
剣が強く弾かれた。胴が空いてしまい、レヴィンは咄嗟にワイヤーに手をかけた。これを外したことは今までない。だから、剣を失っても戦えると睨み付けるようにユリエルを見た。
レヴィンがワイヤーを放つ。ユリエルの剣がレヴィンへと振り下ろされる。どちらも無傷ではいられない。
その間に、黒い風が吹いた。レヴィンの放ったワイヤーを剣が受け、振り下ろされたユリエルの剣を鞘で受けた彼は、厳しい視線をユリエルに向けレヴィンを背に庇っていた。
「止まれ! ユリエル、これ以上は駄目だ。お前の大切な者を失うぞ」
強く鋭い言葉でユリエルの手が止まった。恐れたような表情は初めて見た。そしてまじまじと、目の前の背を見上げた。
強くて、大きな背だ。この王なら民も部下もついて行くだろうと納得できるものだ。
金の瞳がレヴィンを見て、柔らかく緩められる。そして差し出された手を、どうしたらいいか分からずに見つめた。
「君も、一度剣を引いてもらいたい。俺達は戦う為に君達をここに招いたわけではない。話をしたかっただけなんだ」
「話?」
何の話がある。何を話そうという。この状況で、話し合う事なんてあるのか?
気持ちがまた剣を持ち始める。その心を折ったのは、不意に抱きついた少年だった。
「話を聞きましょう、レヴィンさん」
「シリル?」
「兄上達にだって、何か事情があるのです。こんな事になったいきさつもあるのです。まずはそれを聞きましょう」
縋るようにしがみつく体は震えている。困惑や恐怖を含む新緑の瞳は、それでも勇気を失っていない。優しさを失っていない。
「……わかった」
頭をかいて剣を納めると、意外なほど簡単にユリエルも剣を納めてくれる。そしてルーカスに案内されるまま、谷の奥へと入っていった。
◆◇◆
谷の奥には一軒の家があった。入ってすぐにリビングダイニング。他に部屋が二部屋という簡素な家だった。
「暖房はないから、これを」
そう言ってルーカスが出してきたのは綺麗な毛布だ。それにくるまると夜の寒さも和らいだ。
「離れてはいるが、煙が出ればさすがに見つかる。隠れ家にならないからな」
確かに納得した。
木造りのジョッキに度数の高い酒が振る舞われる。どうやらここでの暖房は、毛布と酒らしい。
「まずは改めて名乗ろう。ルーカス・ラドクリフだ」
「シリル・ハーディングです」
「レヴィン・ミレット」
「驚かせてすまない、シリル、レヴィン」
申し訳なさそうに苦笑するルーカスを見ると悪人には見えない。むしろ誠実で温かく、優しい空気を持っている。ユリエルよりもよほど穏やかだ。
「さて」
一通りの挨拶が終わったのを確認して、ユリエルが話し出す。自然と視線がそちらへと集まる。レヴィンは未だに全てを飲みこめていなかった。冷静になった今でも。
「まずは話しましょうか。私達がどうして、こんなことになったのか」
酒を一口飲んで口を軽くした様子のユリエルは、それでもどこか重く、勇気を振り絞るような表情で話しだした。
話しを聞き終えてもにわかには信じられなかった。王都を奪われた直後に偶然に知り合い、好印象と運命的なものを感じ、マリアンヌ港で想いを伝え、王都奪還後に別れと、それでも離れられない気持ちを互いに感じていた。そしてラインバールで互いの正体を知り、絶望し、そして同じ目的を持って手を取り合った。
こんな話、そう易々と信じてたまるものか。だが、隣り合って座る二人の表情や空気を見るとそこに偽りはないと感じてしまう。
「本当に、お互い知らなかったのか?」
「僅かな違和感は感じていたが、追及しなかった。精々が元軍人か傭兵なのだろうと思っていたんだ」
「私も同じようなものです。旅人なんてものは辛い経験をしたかよほどの物好きがなるもの。そうした人の過去を詮索するのは気が引けた」
「二人とも鋭いはずの人なんだから、確認しようよぉ」
がっくりと肩が落ちて溜息が出る。そのレヴィンの背を、シリルが気づかわしげに撫でていた。
「それで? 俺達をここに誘い込んでわざわざ仲睦まじい姿を見せたってことは、何か狙いがあるんでしょ? しかも、簡単にはNoと言えないようなお願いごとが」
冷静になれば頭が回る。考えてみればそうだろう。ユリエルはシリルを使ってレヴィンを釣った。そして示し合わせたタイミングでいちゃついて、明確に関係を見せつけた。こんなものを見て冷静でいられるはずもないし、知ったからには殺されるか、さもなければ抱き込まれるか。
本当に手の中で踊った気分で睨み付けると、ユリエルはニッと悪い笑みを浮かべた。
「二人にお願いがあります。私はこれから、国内の掃除をしたい」
「あぁ、うん。まぁ、タイミング的にはいいよね」
頃は収穫が終わり、税が納められ始める時期。新たな不正を行う役人や領主の手元に証拠が残っている可能性がある。しかも、収穫祭が王都で行われるのに合わせて国王、もしくは王に準ずる者が赴くのが通例だ。この時期にしかるべき人間が各領地を回っても不自然ではない。
そこでレヴィンははたと気づいてユリエルを睨む。隣のシリルも何かを察したのか、真剣な表情でユリエルを見ていた。
「もしかして、シリルに掃除させるつもり?」
「シリルを国王代理として収穫祭に出席させます。そのついでに、道中各領地へと赴いてもらいます」
「まった! 危険なの分かってるよね? 各領地の領主だってシリルを王に据えたいと思ってる。抱き込みたいと思ってるんだ。そこに放り込むつもりかよ」
「国王代理として、王に準ずる権限も与えます」
「鴨葱だぞ!」
「食いついてもらわないと意味がありませんから。美味しそうに飾り付けます」
開いた口がふさがらない。これが実の兄がやることか。レヴィンは怒りを込めて睨み付けたが、こういう時はガンとしてユリエルも譲りはしない。
けれど意外な場所から、決意の声があがった。
「分かりました、兄上。僕にできることなら何でもします」
「シリル!」
隣の少年は実に真面目な、意志の強い瞳でユリエルを見据えている。その横顔は凛として美しいくらいだ。
「兄上が出来る事なら僕に頼みはしない。兄上にできないからこそ、僕にお願いするのですよね?」
「えぇ。私が各領地を回っても、警戒されて尻尾を出しません。貴方が相手なら奴らは不用意に近づきボロを出しやすい。何より、奴らは貴方の成長を知りません」
心を明かすように言ったユリエルに、シリルは嬉しそうに笑う。力を認められた事が嬉しい様子だった。
「分かりました、お受けします」
「シリル!」
「ですが、問題があります。僕は囮になれても、自衛ができません。捕えられでもしたら本当に奴らの思うつぼです」
「レヴィンがいれば、十分に貴方の身は守られますよ」
やんわりと笑うユリエルの瞳が、不意にレヴィンを見た。それにドキッとしてしまう。なるほど、このためにまとめて謀ったのか。
「レヴィンをシリルの護衛隊長としてつけます。二人で各地に赴き、諸問題を解決してください」
「簡単に言うね」
「簡単ではありませんよ」
そう言って苦笑するユリエルを睨んだが、結局それ以上は何も出てこなかった。
詳しくは後日、という事になった。シリルが受けるというのだからレヴィンが断るはずもない。他の人間に任せるくらいなら一緒に行ったほうが安心だ。
「苦労するな、互いに」
場が少し開けて、シリルはユリエルの傍であれこれと話している。とてもそこに参加する気にはなれなくて離れていると、意外な人に声をかけられた。
「あの兄弟、なんだかんだで似てるんだね。振り回されてるでしょ?」
「そうだな。だが、悪くはないのが困る」
なるほど、重症だ。こんなに振り回されてそれでも笑っていられるんだから。
ルーカスは断りを入れてから隣に座る。敵の大将だっていうのに居心地悪くないから困る。
「悪いな、巻き込んで」
「え?」
見れば、困った笑みを浮かべるルーカスがいる。それに、レヴィンも困ったように目尻を下げた。
「だが、これがあいつなりの誠意なのだそうだ」
「厄介な人だね」
そう、本当に厄介だ。こんな信頼、受けたことがない。こんなに懐深くまで晒してくるなんて予想してない。簡単に人を騙すし、残忍にもなれる人なのに、内に入れば深い愛情をかけてくれる。
「人たらしだ」
「確かにそうだな。あれは厄介だ」
苦笑したルーカスを見て、レヴィンもまた深く頷いた。
◆◇◆
▼ユリエル
シリルとレヴィンに秘密を明かした翌日、夜も遅くなってからシリルとレヴィンを寝室に呼んだ。シリルは何度か来たことがあるが、レヴィンはいまいち落ち着かない様子でいる。笑ってお茶を出し、ユリエルは対面に座った。
「詳しい話、ですよね?」
緊張した面持ちでシリルが問う。それに、ユリエルは頷いた。
「昨夜話した通り、国内は今収穫と納税の時期です。鬼の居ぬ間に不正をしたい領主などはせっせと着服しているでしょう。だからこそ、今視察を行えば不正を隠す事が難しい。私が行けば見つかる事を恐れるでしょうが、シリルならば油断するでしょう」
「なんだか、それも腹立たしい気がします」
新緑の瞳に不快感を見せ、可愛らしい眉を寄せる姿は最近さまになってきた。だが、本来はあまりこのような顔をして欲しくないのだ。
「いくつかの領地で不正が顕著だと報告を貰っています。それらをまわり、不正を暴きつつ王都を目指してもらいたいのです」
「それはいいけれどさ。不正って、どうやって見つけるつもり?」
「それは」
「僕がやります」
レヴィンが嫌な顔をして言ったのは、おそらく自分が動くつもりだったからだろう。だが、ユリエルはこれ以上彼に汚れ仕事をさせるつもりはなかった。それを言う前に、シリルは強い言葉で割って入った。
「兄上がこれまで僕に教えてきた内政の仕事は、こうした事に役立つはずです。帳面を調べれば必ず矛盾がでます。元々、矛盾した事を書いているのですから」
シリルは聡い。それは分かっていたことだが、予想よりもずっと察しがいい。ユリエルは満足に笑みを浮かべて頷いた。
「シリルに国王代理として一時的に権限を与えます。貴方の求めは王の求め。おかしいと思えば調べてください。そして、必要ならば領主や役人を捕らえて私の所に送ってください。後は私がやりましょう」
「はい、兄上」
満足そうに笑うシリルを見るレヴィンが、とても気遣わしい顔をする。そして次にはユリエルを見て、求めを口にした。
「俺に軍を動かす権限を貰いたい」
「レヴィンさん?」
淀も無い言葉は真剣そのものだ。シリルを守る、その為に一人で背負う覚悟のある目だった。
「役人や領主を捕らえて引っ張るなら、お付の兵や俺だけじゃ足りない。シリルの判断に従うが、最悪軍を動かせる権限がないとやり遂げる事ができない」
「お前が背負ってくれますか?」
「そのつもりだよ」
逃げない紫の瞳を見つめて、ユリエルは静かに頷く。そして、予め用意しておいたものを机の中から出して彼の前に置いた。
「これ」
それは、剣に付ける飾りのようなもの。鞘につけておくものだ。大きく翼を広げた双頭の鷹は冠を戴き、その足には剣と杖を持ち、胴には天秤を背負う。それは、王家の紋章だった。
「お前に、軍を動かす権限を与えます。同時にシリルの護衛を命じます。シリルの身に危険があると判断できた場合には相手を拘束し、止む負えない場合には殺す事を許します」
レヴィンは瞬きもせずに、目の前に出されたエンブレムを指で触れる。そして、ユリエルをジッと見た。
「これを、俺が悪用するとは思わないかな?」
「しませんよ、お前は。シリルがいる限り国に弓は引かない」
レヴィンは嫌な顔をしながらも否定しなかった。
「これを渡すのは正式に皆の前で発表する時です。ですが、先に知らせてはおこうと思いましてね。これでいいですか、シリル?」
「はい、兄上。お気遣いいただいて有難うございます」
ペコリと頭を下げたシリルは本当に嬉しそうな顔をしていた。
「それで? 本当の目的は何だい陛下? あの人と仲良くやりたいならこの戦争を止める事が優先でしょ? それなのに内部ってことは、何かあるのかな?」
鋭く笑う彼らしい表情を見せて、レヴィンが言う。気の緩んだ顔をしていたシリルも居住まいを正した。そんな彼らを見回して、ユリエルは頷いて紙面を前に出した。
「ルルエからの使者は二人いた。そして、最初の一人がタニス国内で行方不明になっています。同様に、こちらが送った最初の使者は彼の元に届いていない」
「……なるほどね」
難しく、かつ嫌悪を見せる表情でレヴィンは目の前に出された紙面を指でコンコンと叩く。そしてシリルもまた、複雑な表情をした。
紙面にはアルクースが調べてくれた事が写してある。
『使者はリジン領シュトラーゼにて消息を絶つ』
「現宰相閣下が絡んでいるとなると、俺らが通る道は海沿いかな」
「伯父上がそんな事を……」
睨み付けるようなレヴィンに対し、シリルは沈んが顔をする。それも頷けた。現宰相ロムレット・ファルハンはシリルの伯父にあたり、何かと可愛がっていたのだから。
それでもシリルは前を向く。その時にはもう、迷いなど無い目をしていた。
「信じられませんか、シリル?」
「……長く目を瞑って生活をしていました。僕には何も見えていなかった。でも今は、見えてきた気がします。僕は僕の目で見て、全てを学び判断します。例え相手が伯父上でも、罪を犯しているのならば暴きます」
「強くなりましたね、シリル」
宣言するように言ったシリルを見るユリエルの目はとても温かい。巻き込む事を躊躇ったが、今はその気持ちはない。大丈夫だと心から思えた。
「じゃ、決まり。俺達は怪しげな領地を巡って毒抜きしつつ、使者の痕跡を探してくる。欲しいのは最初の親書?」
「そこまでは期待していません。おそらくもう処分しているでしょう。ですが、使者がどこで、誰の思惑で消えたのか。その痕跡と裏付けが出来れば裁ける。他国の使者を王命もなく殺し、親書を破棄する行為は明らかな謀反ですから」
「了解。で、使者がいた痕跡で間違いないっていうものはあるの?」
「身に着けていた衣服の隠しにも、つけていたお守りにもルルエ王家のエンブレムが入っています。王冠を戴く二頭の獅子がね」
ルーカスから直接聞いた情報だ、間違いない。使者はそれと分からない所にルルエ王家のエンブレムのついたものを身に着けていた。何かあった時に己の身分と目的を示すために。
「親書が残っていなくても、それらの遺留品をロムレットの周囲で見つければ疑惑を追及して更に調べる事ができる。んでもって、その過程で更に何か出れば逮捕。そうなれば刑裁官が担当になる、か」
「でも、それで戦争は止まるのですか?」
腕を組んで仕組みを理解したレヴィン。その隣でシリルが疑問を口にする。それにも、ユリエルは静かに頷いた。
「ルルエに和平の気持ちがあった事が公に示される事。そして現宰相という立場の者がそれを隠蔽し、戦争へと繋がった事。これらを公にし、国内の戦熱を下げます。同時に現在の家臣団の力も宰相を失えば大幅に弱まります。奴らに代わり、私はオールドブラッドに近い人物を据えるつもりでいますから」
「戦争をしたい奴らの力を大幅に削って、平和的に事を納めたい旧臣に力を渡すのか。確かにそれなら戦争は止まる。けれど、旧臣は大抵保守的だよ。二人の関係を知ったら陛下の立場が危うくならない?」
レヴィンの言う事はもっともだ。だが、それこそユリエルは望むところだった。
「大きな国益を奴らは拒まない。両国が歩み寄れば大きな国益になります。そうして交わりを徐々に深めてゆきます。そして最終的には、国を一つにする」
壮大な夢。だが、ルーカスと話して分かった二人の夢だ。大陸に二国しかない、その二国の王が望む夢が実現不可能なんてこと、あってたまるか。
挑むようなユリエルの瞳には迫力と凄味がある。それを前に、レヴィンは頷いた。
「じゃあ、その夢物語に賭けてみようか。我らが陛下は泡と消えるような夢を、そんな目で語りはしないからね」
「僕も頑張ります。僕は、兄上に幸せになってもらいたい」
にっこりと微笑むシリルが胸の前で手を組む。その瞳は柔らかく、強く、そして少し悲しげだった。
「今まで守ってもらいました。知らない事をいいことに、無力でした。だからこそ、今僕の力が求められている事が嬉しいです。その先に、兄上の幸せがある事が嬉しいです」
「シリル」
力強い輝く笑みを浮かべるシリルを見てユリエルは立ち上がり、そして抱き寄せた。嬉しくてたまらなかった。こんなにも思って貰えて、無理難題を突き付けているのに揺らぎもしないで。
「貴方は私の宝です、シリル」
「僕も、兄上はかけがえのない人です」
抱き返す手が触れてくる。それを感じて、ユリエルは嬉しく笑みを浮かべた。
その夜、ユリエルはこっそりと自室を出た。シリルはレヴィンの部屋でそれを確認し、足音が微かに聞こえる程度まで距離を置いてレヴィンと一緒についていった。
「こんな夜更けに、どこに行くのでしょう?」
とても小さな声で呟くのは戸惑うからだ。ユリエルの足音を聞き分けて進むレヴィンは真っ直ぐに地下の食糧庫へと向かっている。十分な距離を保ったから、二人が食糧庫につく頃にはユリエルの姿はなかった。けれどレヴィンは足音を聞きのがしていないのか、しきりに足元を気にしている。
「これか?」
レヴィンの足元には同じような石造りの床がある。けれどよく見ると、そこには不自然な切り込みがある。
僅かに手を掛けられる部分を見つけて、レヴィンがそれを引き上げた。引き上げ式の扉は軽く開く。石にしか見えなかったその扉は本当は木製で、表面に薄く石造りに見えるよう石を張り付けて作っていた。
扉の下には長い階段がある。薄暗いそこはぽっかりと黒い口を開けているようで怖かった。
「この先にいるよ。どうする? ここで待つ?」
優しく聞いてくれるレヴィンの気持ちは嬉しい。けれど余計に不安が増した今、ここで大人しく待っているなんて事は出来そうもない。
シリルはランプに火を入れる。そして、傍に立つレヴィンを見て無言で頷いた。
階段はかなり下まで続いている。寒くて暗くて、足元も見えない。一つ先を行くレヴィンが転ばないように先導してくれるが、滑りやすいから何度か転びそうになった。
「それにしても、兄上はどうやってこんなのを見つけたのでしょう?」
一見は分からない。クレメンスも砦は調べたと思う。けれど、ここは分からなかった。
「扉の上に荷物が置いてあったんじゃないかな? 周辺に埃とかなかったし、傍に木箱が置いてあった。見た感じ不用品置き場みたいだし、あの部屋だけ地下なのに松明を置く場所も無かった」
「では、どうして」
「誰かがこの場所を知らせた、というのが一番納得できるけれどね」
レヴィンの言葉に胸が痛くなる。不安が、そうさせている。一番考えちゃいけない可能性が見えた気がしたのだ。
やがて二人は谷底についた。木戸を開けると月光が青く地表を照らす、岩の多い景色が広がっている。
「けっこう深いな」
「兄上はどこでしょう?」
辺りを見回してもユリエルの姿はない。
シリルは足音に気を付けながら岩に隠れるようにレヴィンの後に続いた。そうして少し進むと、衣擦れの音が聞こえた気がした。慎重に岩陰に隠れて、ソッと音のしたほうへと視線を向ける。そしてそのまま、シリルは思考を止めた。
薄青い月明かりに、銀の髪が反射する。ユリエルは愛しそうに目の前の人に寄り添い、見つめている。ユリエルを見下ろすのは雄々しい黒い人。整った凛々しい顔に愛しさを込めて見つめ合い、やがてどちらともなくキスをする。
「ルーカス」
小さく優しく、ユリエルが呼ぶ。シリルはもう、その光景を見ている事ができなかった。恐ろしくて、悔しくて、胸が張り裂けそうだった。こんなことが他に知れたら、兄はどうなってしまうのか。
「何も……何も見なかったことにしてください。お願いです、レヴィンさん」
「それでいいのかい?」
「いいえ、見ていない事にされては困ります」
突然とかけられた冷たく刺さる声に、シリルは言い知れぬ恐怖を感じて動けなくなった。隣のレヴィンもまた、冷や汗を流して固まっている。この、少しでも動けば殺されてしまうのではと思う恐怖はなんなのだろう。
「二人とも、そこから一歩でも引けば容赦はしません」
ゆっくりと近づいてくるユリエルがシリルの前に立つ。レヴィンは咄嗟にシリルを背に庇うように前に出て、剣の柄に手を掛けた。それを見て、シリルは背が冷たくなった。
「とんだ裏切りだね、陛下。それで? 俺達の事も斬るの?」
「そう思いますか?」
月を背にしたユリエルの表情はよく分からない。けれど、どこか悲しそうに笑った気がした。
「シリル、俺が時間を作る。その間に逃げろ」
「でも!」
「俺でもこの人を相手に長くは時間を稼げない。考えずに走れ」
そんな事、出来るはずがない。大切な人を残して逃げるなんて事したくない。そんな事をしてしまったら空っぽになってしまう。誰かを恨んで、憎んで、でも結局いない事に打ちのめされてしまう。
一歩レヴィンが前に出る。そして、剣を抜いた。それを見てユリエルもまた溜息をつき、剣の柄に手をかけた。
弾けるような気配の後に、レヴィンは前に出る。その剣を、ユリエルは受け止めていた。
逃げるの?
言われた事を実行するのが、多分レヴィンの願い。けれどそれをする事はできない。シリルは成す術もなくその場にへたり込んで、涙を流していた。
「やめて……止めてください! お願いです兄上! レヴィンさん!」
喉から血が出そうなほど強く叫んでも声は届いていない。目の前で二人は激しい戦いをしている。味方のはずなのに、まるで憎み合うように剣を交えている。こんなのは見たくない。こんなのは望んでいない。
「やめてぇぇぇ!」
その時、ふわりと頭を撫でる大きく温かい手があった。驚いて見上げると、敵のはずの人が傍にいて困ったように笑っている。
「困った兄だな、あれは。本来はもっと器用なはずなのに、妙なところで不器用だ。こんなことをしなくても丸く収める方法はいくらでもあるというのにな」
「あ……」
不思議と、怖いという感情が浮かばない。穏やかで、優しい感じがする。
「だが、不器用な時こそあいつが伝えたい強い想いがある。君は、それを受け止めるだけの覚悟はあるか?」
「覚悟?」
分からなくて問い返すと、静かに頷かれる。金色の瞳が優しく包むような光を宿してシリルを見ている。
「国を、変えようとしている。俺達は今の世界をひっくり返す。その為には君の力が必要なのだそうだ。ただ命じる事もできるが、命がけの使命を与えるのだからこちらも誠意を見せなければと彼は言ったんだ」
「兄上が、僕の力を必要としている?」
信じられない気持ちだが、目の前の人が頷く。とても、嘘を言うような人には見えない。だからシリルは強い瞳で見返して、頷いた。
「良い目だな、さすが兄弟だ。では、止めてこよう」
「止めるって……」
明らかに激しい戦いの中に割って入るのだろうか。そんなの、危険なのに。
だが、ルーカスは進み出ていく。そして片手に剣を、片手に鞘を持って走り込んでいった。
◆◇◆
▼レヴィン
やっぱりこの人を相手にするのは得策じゃない。
レヴィンは激しい剣の交わりの中で思う。ファルハード、ヴィオとの戦いの中で思ったのだ。この人の剣は苦手だと。
鋭い突きが頬を掠めて僅かに痛む。だがそれを気にする余裕はない。かわした事で空いた腕を狙って剣を振るうが、当然のようにかわされた。
鋭くて、正確で、なのにかわす時には流れるような動き。ゆったりと動くくせに、攻撃となれば苛烈になる。掴めないし、苦手な相手だ。
それでもレヴィンには守る者がある。こうして盾となって、破滅しか見えなくても譲る事の出来ない相手が。
「さぞ、愉快だろうな……」
思わず気持ちが口をつく。こんな事、昔はなかった。腹の内など見せなかった。けれど最近、たぶん周囲の人間が警戒心を削ぐような人が多いから、ふとした時に溢れるようになった。
「俺やシリルを騙して、多くの仲間を裏切っての逢瀬は、楽しかったかい?」
近づいたから相手の表情も分かる。とても傷ついた、苦しそうな顔。それを見ると妙な人間臭さを感じて笑えた。この人も人間で、傷ついたり苦しんだりするんだって。そんなの、分かりきっているのに。
「らしくないだろ、陛下? 頭のいいあんたが、どうしてあの人なんだよ」
決して報われない相手。同性というばかりではない。それよりもずっと、国同士が抱える問題が大きい。それとも意外と身を焦がし国が傾くような恋を好むのか。
「分かっていますよ。ただ、分かった時には遅すぎた」
縮んだ距離でだけ聞こえる呟きだった。絞り出すような声と、泣きそうな笑み。だから分かる。この人だって、この関係がいかに無謀か知っている。そして、知ってなお止められないのだと。
剣が強く弾かれた。胴が空いてしまい、レヴィンは咄嗟にワイヤーに手をかけた。これを外したことは今までない。だから、剣を失っても戦えると睨み付けるようにユリエルを見た。
レヴィンがワイヤーを放つ。ユリエルの剣がレヴィンへと振り下ろされる。どちらも無傷ではいられない。
その間に、黒い風が吹いた。レヴィンの放ったワイヤーを剣が受け、振り下ろされたユリエルの剣を鞘で受けた彼は、厳しい視線をユリエルに向けレヴィンを背に庇っていた。
「止まれ! ユリエル、これ以上は駄目だ。お前の大切な者を失うぞ」
強く鋭い言葉でユリエルの手が止まった。恐れたような表情は初めて見た。そしてまじまじと、目の前の背を見上げた。
強くて、大きな背だ。この王なら民も部下もついて行くだろうと納得できるものだ。
金の瞳がレヴィンを見て、柔らかく緩められる。そして差し出された手を、どうしたらいいか分からずに見つめた。
「君も、一度剣を引いてもらいたい。俺達は戦う為に君達をここに招いたわけではない。話をしたかっただけなんだ」
「話?」
何の話がある。何を話そうという。この状況で、話し合う事なんてあるのか?
気持ちがまた剣を持ち始める。その心を折ったのは、不意に抱きついた少年だった。
「話を聞きましょう、レヴィンさん」
「シリル?」
「兄上達にだって、何か事情があるのです。こんな事になったいきさつもあるのです。まずはそれを聞きましょう」
縋るようにしがみつく体は震えている。困惑や恐怖を含む新緑の瞳は、それでも勇気を失っていない。優しさを失っていない。
「……わかった」
頭をかいて剣を納めると、意外なほど簡単にユリエルも剣を納めてくれる。そしてルーカスに案内されるまま、谷の奥へと入っていった。
◆◇◆
谷の奥には一軒の家があった。入ってすぐにリビングダイニング。他に部屋が二部屋という簡素な家だった。
「暖房はないから、これを」
そう言ってルーカスが出してきたのは綺麗な毛布だ。それにくるまると夜の寒さも和らいだ。
「離れてはいるが、煙が出ればさすがに見つかる。隠れ家にならないからな」
確かに納得した。
木造りのジョッキに度数の高い酒が振る舞われる。どうやらここでの暖房は、毛布と酒らしい。
「まずは改めて名乗ろう。ルーカス・ラドクリフだ」
「シリル・ハーディングです」
「レヴィン・ミレット」
「驚かせてすまない、シリル、レヴィン」
申し訳なさそうに苦笑するルーカスを見ると悪人には見えない。むしろ誠実で温かく、優しい空気を持っている。ユリエルよりもよほど穏やかだ。
「さて」
一通りの挨拶が終わったのを確認して、ユリエルが話し出す。自然と視線がそちらへと集まる。レヴィンは未だに全てを飲みこめていなかった。冷静になった今でも。
「まずは話しましょうか。私達がどうして、こんなことになったのか」
酒を一口飲んで口を軽くした様子のユリエルは、それでもどこか重く、勇気を振り絞るような表情で話しだした。
話しを聞き終えてもにわかには信じられなかった。王都を奪われた直後に偶然に知り合い、好印象と運命的なものを感じ、マリアンヌ港で想いを伝え、王都奪還後に別れと、それでも離れられない気持ちを互いに感じていた。そしてラインバールで互いの正体を知り、絶望し、そして同じ目的を持って手を取り合った。
こんな話、そう易々と信じてたまるものか。だが、隣り合って座る二人の表情や空気を見るとそこに偽りはないと感じてしまう。
「本当に、お互い知らなかったのか?」
「僅かな違和感は感じていたが、追及しなかった。精々が元軍人か傭兵なのだろうと思っていたんだ」
「私も同じようなものです。旅人なんてものは辛い経験をしたかよほどの物好きがなるもの。そうした人の過去を詮索するのは気が引けた」
「二人とも鋭いはずの人なんだから、確認しようよぉ」
がっくりと肩が落ちて溜息が出る。そのレヴィンの背を、シリルが気づかわしげに撫でていた。
「それで? 俺達をここに誘い込んでわざわざ仲睦まじい姿を見せたってことは、何か狙いがあるんでしょ? しかも、簡単にはNoと言えないようなお願いごとが」
冷静になれば頭が回る。考えてみればそうだろう。ユリエルはシリルを使ってレヴィンを釣った。そして示し合わせたタイミングでいちゃついて、明確に関係を見せつけた。こんなものを見て冷静でいられるはずもないし、知ったからには殺されるか、さもなければ抱き込まれるか。
本当に手の中で踊った気分で睨み付けると、ユリエルはニッと悪い笑みを浮かべた。
「二人にお願いがあります。私はこれから、国内の掃除をしたい」
「あぁ、うん。まぁ、タイミング的にはいいよね」
頃は収穫が終わり、税が納められ始める時期。新たな不正を行う役人や領主の手元に証拠が残っている可能性がある。しかも、収穫祭が王都で行われるのに合わせて国王、もしくは王に準ずる者が赴くのが通例だ。この時期にしかるべき人間が各領地を回っても不自然ではない。
そこでレヴィンははたと気づいてユリエルを睨む。隣のシリルも何かを察したのか、真剣な表情でユリエルを見ていた。
「もしかして、シリルに掃除させるつもり?」
「シリルを国王代理として収穫祭に出席させます。そのついでに、道中各領地へと赴いてもらいます」
「まった! 危険なの分かってるよね? 各領地の領主だってシリルを王に据えたいと思ってる。抱き込みたいと思ってるんだ。そこに放り込むつもりかよ」
「国王代理として、王に準ずる権限も与えます」
「鴨葱だぞ!」
「食いついてもらわないと意味がありませんから。美味しそうに飾り付けます」
開いた口がふさがらない。これが実の兄がやることか。レヴィンは怒りを込めて睨み付けたが、こういう時はガンとしてユリエルも譲りはしない。
けれど意外な場所から、決意の声があがった。
「分かりました、兄上。僕にできることなら何でもします」
「シリル!」
隣の少年は実に真面目な、意志の強い瞳でユリエルを見据えている。その横顔は凛として美しいくらいだ。
「兄上が出来る事なら僕に頼みはしない。兄上にできないからこそ、僕にお願いするのですよね?」
「えぇ。私が各領地を回っても、警戒されて尻尾を出しません。貴方が相手なら奴らは不用意に近づきボロを出しやすい。何より、奴らは貴方の成長を知りません」
心を明かすように言ったユリエルに、シリルは嬉しそうに笑う。力を認められた事が嬉しい様子だった。
「分かりました、お受けします」
「シリル!」
「ですが、問題があります。僕は囮になれても、自衛ができません。捕えられでもしたら本当に奴らの思うつぼです」
「レヴィンがいれば、十分に貴方の身は守られますよ」
やんわりと笑うユリエルの瞳が、不意にレヴィンを見た。それにドキッとしてしまう。なるほど、このためにまとめて謀ったのか。
「レヴィンをシリルの護衛隊長としてつけます。二人で各地に赴き、諸問題を解決してください」
「簡単に言うね」
「簡単ではありませんよ」
そう言って苦笑するユリエルを睨んだが、結局それ以上は何も出てこなかった。
詳しくは後日、という事になった。シリルが受けるというのだからレヴィンが断るはずもない。他の人間に任せるくらいなら一緒に行ったほうが安心だ。
「苦労するな、互いに」
場が少し開けて、シリルはユリエルの傍であれこれと話している。とてもそこに参加する気にはなれなくて離れていると、意外な人に声をかけられた。
「あの兄弟、なんだかんだで似てるんだね。振り回されてるでしょ?」
「そうだな。だが、悪くはないのが困る」
なるほど、重症だ。こんなに振り回されてそれでも笑っていられるんだから。
ルーカスは断りを入れてから隣に座る。敵の大将だっていうのに居心地悪くないから困る。
「悪いな、巻き込んで」
「え?」
見れば、困った笑みを浮かべるルーカスがいる。それに、レヴィンも困ったように目尻を下げた。
「だが、これがあいつなりの誠意なのだそうだ」
「厄介な人だね」
そう、本当に厄介だ。こんな信頼、受けたことがない。こんなに懐深くまで晒してくるなんて予想してない。簡単に人を騙すし、残忍にもなれる人なのに、内に入れば深い愛情をかけてくれる。
「人たらしだ」
「確かにそうだな。あれは厄介だ」
苦笑したルーカスを見て、レヴィンもまた深く頷いた。
◆◇◆
▼ユリエル
シリルとレヴィンに秘密を明かした翌日、夜も遅くなってからシリルとレヴィンを寝室に呼んだ。シリルは何度か来たことがあるが、レヴィンはいまいち落ち着かない様子でいる。笑ってお茶を出し、ユリエルは対面に座った。
「詳しい話、ですよね?」
緊張した面持ちでシリルが問う。それに、ユリエルは頷いた。
「昨夜話した通り、国内は今収穫と納税の時期です。鬼の居ぬ間に不正をしたい領主などはせっせと着服しているでしょう。だからこそ、今視察を行えば不正を隠す事が難しい。私が行けば見つかる事を恐れるでしょうが、シリルならば油断するでしょう」
「なんだか、それも腹立たしい気がします」
新緑の瞳に不快感を見せ、可愛らしい眉を寄せる姿は最近さまになってきた。だが、本来はあまりこのような顔をして欲しくないのだ。
「いくつかの領地で不正が顕著だと報告を貰っています。それらをまわり、不正を暴きつつ王都を目指してもらいたいのです」
「それはいいけれどさ。不正って、どうやって見つけるつもり?」
「それは」
「僕がやります」
レヴィンが嫌な顔をして言ったのは、おそらく自分が動くつもりだったからだろう。だが、ユリエルはこれ以上彼に汚れ仕事をさせるつもりはなかった。それを言う前に、シリルは強い言葉で割って入った。
「兄上がこれまで僕に教えてきた内政の仕事は、こうした事に役立つはずです。帳面を調べれば必ず矛盾がでます。元々、矛盾した事を書いているのですから」
シリルは聡い。それは分かっていたことだが、予想よりもずっと察しがいい。ユリエルは満足に笑みを浮かべて頷いた。
「シリルに国王代理として一時的に権限を与えます。貴方の求めは王の求め。おかしいと思えば調べてください。そして、必要ならば領主や役人を捕らえて私の所に送ってください。後は私がやりましょう」
「はい、兄上」
満足そうに笑うシリルを見るレヴィンが、とても気遣わしい顔をする。そして次にはユリエルを見て、求めを口にした。
「俺に軍を動かす権限を貰いたい」
「レヴィンさん?」
淀も無い言葉は真剣そのものだ。シリルを守る、その為に一人で背負う覚悟のある目だった。
「役人や領主を捕らえて引っ張るなら、お付の兵や俺だけじゃ足りない。シリルの判断に従うが、最悪軍を動かせる権限がないとやり遂げる事ができない」
「お前が背負ってくれますか?」
「そのつもりだよ」
逃げない紫の瞳を見つめて、ユリエルは静かに頷く。そして、予め用意しておいたものを机の中から出して彼の前に置いた。
「これ」
それは、剣に付ける飾りのようなもの。鞘につけておくものだ。大きく翼を広げた双頭の鷹は冠を戴き、その足には剣と杖を持ち、胴には天秤を背負う。それは、王家の紋章だった。
「お前に、軍を動かす権限を与えます。同時にシリルの護衛を命じます。シリルの身に危険があると判断できた場合には相手を拘束し、止む負えない場合には殺す事を許します」
レヴィンは瞬きもせずに、目の前に出されたエンブレムを指で触れる。そして、ユリエルをジッと見た。
「これを、俺が悪用するとは思わないかな?」
「しませんよ、お前は。シリルがいる限り国に弓は引かない」
レヴィンは嫌な顔をしながらも否定しなかった。
「これを渡すのは正式に皆の前で発表する時です。ですが、先に知らせてはおこうと思いましてね。これでいいですか、シリル?」
「はい、兄上。お気遣いいただいて有難うございます」
ペコリと頭を下げたシリルは本当に嬉しそうな顔をしていた。
「それで? 本当の目的は何だい陛下? あの人と仲良くやりたいならこの戦争を止める事が優先でしょ? それなのに内部ってことは、何かあるのかな?」
鋭く笑う彼らしい表情を見せて、レヴィンが言う。気の緩んだ顔をしていたシリルも居住まいを正した。そんな彼らを見回して、ユリエルは頷いて紙面を前に出した。
「ルルエからの使者は二人いた。そして、最初の一人がタニス国内で行方不明になっています。同様に、こちらが送った最初の使者は彼の元に届いていない」
「……なるほどね」
難しく、かつ嫌悪を見せる表情でレヴィンは目の前に出された紙面を指でコンコンと叩く。そしてシリルもまた、複雑な表情をした。
紙面にはアルクースが調べてくれた事が写してある。
『使者はリジン領シュトラーゼにて消息を絶つ』
「現宰相閣下が絡んでいるとなると、俺らが通る道は海沿いかな」
「伯父上がそんな事を……」
睨み付けるようなレヴィンに対し、シリルは沈んが顔をする。それも頷けた。現宰相ロムレット・ファルハンはシリルの伯父にあたり、何かと可愛がっていたのだから。
それでもシリルは前を向く。その時にはもう、迷いなど無い目をしていた。
「信じられませんか、シリル?」
「……長く目を瞑って生活をしていました。僕には何も見えていなかった。でも今は、見えてきた気がします。僕は僕の目で見て、全てを学び判断します。例え相手が伯父上でも、罪を犯しているのならば暴きます」
「強くなりましたね、シリル」
宣言するように言ったシリルを見るユリエルの目はとても温かい。巻き込む事を躊躇ったが、今はその気持ちはない。大丈夫だと心から思えた。
「じゃ、決まり。俺達は怪しげな領地を巡って毒抜きしつつ、使者の痕跡を探してくる。欲しいのは最初の親書?」
「そこまでは期待していません。おそらくもう処分しているでしょう。ですが、使者がどこで、誰の思惑で消えたのか。その痕跡と裏付けが出来れば裁ける。他国の使者を王命もなく殺し、親書を破棄する行為は明らかな謀反ですから」
「了解。で、使者がいた痕跡で間違いないっていうものはあるの?」
「身に着けていた衣服の隠しにも、つけていたお守りにもルルエ王家のエンブレムが入っています。王冠を戴く二頭の獅子がね」
ルーカスから直接聞いた情報だ、間違いない。使者はそれと分からない所にルルエ王家のエンブレムのついたものを身に着けていた。何かあった時に己の身分と目的を示すために。
「親書が残っていなくても、それらの遺留品をロムレットの周囲で見つければ疑惑を追及して更に調べる事ができる。んでもって、その過程で更に何か出れば逮捕。そうなれば刑裁官が担当になる、か」
「でも、それで戦争は止まるのですか?」
腕を組んで仕組みを理解したレヴィン。その隣でシリルが疑問を口にする。それにも、ユリエルは静かに頷いた。
「ルルエに和平の気持ちがあった事が公に示される事。そして現宰相という立場の者がそれを隠蔽し、戦争へと繋がった事。これらを公にし、国内の戦熱を下げます。同時に現在の家臣団の力も宰相を失えば大幅に弱まります。奴らに代わり、私はオールドブラッドに近い人物を据えるつもりでいますから」
「戦争をしたい奴らの力を大幅に削って、平和的に事を納めたい旧臣に力を渡すのか。確かにそれなら戦争は止まる。けれど、旧臣は大抵保守的だよ。二人の関係を知ったら陛下の立場が危うくならない?」
レヴィンの言う事はもっともだ。だが、それこそユリエルは望むところだった。
「大きな国益を奴らは拒まない。両国が歩み寄れば大きな国益になります。そうして交わりを徐々に深めてゆきます。そして最終的には、国を一つにする」
壮大な夢。だが、ルーカスと話して分かった二人の夢だ。大陸に二国しかない、その二国の王が望む夢が実現不可能なんてこと、あってたまるか。
挑むようなユリエルの瞳には迫力と凄味がある。それを前に、レヴィンは頷いた。
「じゃあ、その夢物語に賭けてみようか。我らが陛下は泡と消えるような夢を、そんな目で語りはしないからね」
「僕も頑張ります。僕は、兄上に幸せになってもらいたい」
にっこりと微笑むシリルが胸の前で手を組む。その瞳は柔らかく、強く、そして少し悲しげだった。
「今まで守ってもらいました。知らない事をいいことに、無力でした。だからこそ、今僕の力が求められている事が嬉しいです。その先に、兄上の幸せがある事が嬉しいです」
「シリル」
力強い輝く笑みを浮かべるシリルを見てユリエルは立ち上がり、そして抱き寄せた。嬉しくてたまらなかった。こんなにも思って貰えて、無理難題を突き付けているのに揺らぎもしないで。
「貴方は私の宝です、シリル」
「僕も、兄上はかけがえのない人です」
抱き返す手が触れてくる。それを感じて、ユリエルは嬉しく笑みを浮かべた。
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