月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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3章:雲外蒼天

8話:不落の城

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 両国の王がこっそりと方針を定めた翌日、ルーカスは早々にリゴット砦へと軍を引いた。それを知りながらも、ユリエルは追わなかった。追撃を願う声もあったが、兵の疲弊と後方支援の充実、敵地での深追いは危険とのもっともらしい理由を言って退けた。

「ですが陛下、リゴット砦は少々厄介です」

 作戦会議という名の暗躍会議はいつも以上に落ち着かなかった。それは、ルルエ軍が立てこもった砦の伝説を大抵の者が知っていたからだった。

「不落の城、か。確かに、いい響きではありません」
「確か、大型軍艦に積むような大砲が前方に四台、側面に一台ずつあるんだったよね。まさに難攻不落」

 レヴィンもこの会議には出席した。傷は完全に癒えてはいないが、既に調整に入っている。ロアール曰く、化け物だそうだ。

「後方は谷になっていて、石橋があるだけだそうです」

 クレメンスの言葉に、皆は難しい顔をする。
 ここにはいつものクレメンス、グリフィス、レヴィン、シリルに加えて、国内の情報を運んでくるアルクース、そして物資輸送で訪れていたヴィオがいた。

「正面から攻撃を仕掛けます」
「正気の沙汰とは思えません。陛下、お言葉ですがそのような無茶は賛成しかねます」

 ピシャリと言うクレメンスは最近だいぶ遠慮がなくなってきた。好ましい傾向だが、こうなると議論となる。

「私が前に出て、一番に砦に乗り込みます」
「危険すぎます!」

 心配性のグリフィスが声を上げる。だが、ユリエルにはこれ以外の方法が思いつかなかった。作戦的に上策なのではなく、いかに関係のない被害を減らせるかという点のみで譲るつもりはなかった。
 ルーカスとの関係は誰にも言う事はできない。だが、彼と共に同じ夢を見るならできるだけ死者を増やしたくはない。それが、ユリエルの覚悟だ。

「ヴィオ、軍艦の最大級大砲の飛距離はどのくらいですか?」
「物に、よる。でも、百メートルは飛ばないと思う」
「本体は大々的に百五十メートル地点に野営します。戦いは夜。狙撃手が狙いを定めづらい」
「それには賛成です。ですが、陛下はその夜陰に紛れて行くと?」

 クレメンスの責めるような声音に、ユリエルは静かに頷いた。

「懐までうまく潜り込めれば大砲の被害を受ける事はありません。後は剣で突破します」
「わぁお、陛下は無茶だね。弓兵の存在とか、考えてる?」
「かいくぐります」
「強気も度が過ぎると無謀って言うんだよ」

 軽い調子で言うレヴィンだったが、その表情は硬い。愉快な事もスリルも好む彼だが、今回のはお気に召さないようだ。

「ヴィオ、貴方はタニス国内に戻ってマリアンヌ港からルルエ沿岸に出てもらえますか?」
「それは、いいけれど。でも、どうして? ルルエに海上戦の兆しはないよ?」
「またいつ国内に入り込むか分かりません。キエフ港は既に固めてありますが、マリアンヌまでは手が届かない。しかも、私達の現在地から一番近い港ですから」
「見張りと、脅し?」
「そうなります」
「分かった」

 静かに頷いたヴィオにユリエルは感謝し、そのまま皆に作戦を伝え始めた。

「レヴィンは今回後方に下がってください。クレメンス、私の代わりに全体の指揮をお願いします。グリフィスは私が懐に入るまで派手に動いてください。できれば、大砲の射程ギリギリを挑発してください。相手に長期戦だと思わせ、油断を誘います。兵糧のテントも大きなものを使い、篝火を多く焚きます」
「変更は、なさらないのですね」
「しない」
「……分かりました、と言うより他にありませんか。陛下、無理をなさいませんよう」

 クレメンスの言葉に、他の面々も諦めたように同意してくれる。そう言ってくれる仲間に感謝し、同時に心苦しくなる。彼らを、騙しているのだから。

◆◇◆

▼ルーカス

 ルーカスはリゴット砦から、前に広がる荒野を見回した。砦は天然の谷のすぐ脇に建っている。橋はこの砦から直接通じているもののみ。ここは関所でもあり、右側は岩場、左側は森が広がっている。森に軍を隠しても深い谷が結局は進路をふさぐし、罠もしっかり仕掛けている。

「ユリエル、どう攻める?」

 本心ではここで止まってもらいたい。互いに後方支援が十分にできるこの場所で止まって、睨みあったまま時間を稼げるのがルーカスの理想だ。だが、そうはならない。何故なら再会の夜に、ユリエルから堂々と「砦を落とす」と宣言されているからだ。
 考えを巡らせていると、不意にノックの音がした。振り向き、声をかける。そうして現れたのは、ヨハンだった。

「話ってなに、陛下?」
「ヨハン、お前に特別な任務をお願いしたい。誰にも知られず、極秘にだ」
「極秘って……」

 ヨハンは困った顔をする。「極秘」という言葉が嫌なのだろう。それでも一つ頷いてくれた。

「いいよ、やる。何をすればいいの?」
「とある人物の足取りを追って、消息を探してもらいたい」
「なに、それ?」

 思った任務とは違ったのだろう。ヨハンが大きく首を傾げる。そんな彼に、ルーカスはメモを渡した。

「髪はブルネット、瞳は青い三十代前半の男。青い牧師姿で、腰に黄色の帯を締め、首からは翡翠のお守りを下げている? この人が、何かしたの?」
「タニスからの親書を運んでいた人物の特徴だ。ラインバールの関所を通り、リゴット砦の関所も通過している事が確認できた。だがその先で行方がわからなくなっている」
「タニスの親書って?」

 首を傾げながらも、ヨハンの顔色は悪くなる。これでも頭の切れる青年だ、何かしら感じたのだろう。

「とある噂をタニスの者から聞いた。タニス王が送った親書は二通ある。一通目は、和平交渉を行いたいという内容の物。これを持ってきたのが、メモにある男らしい」
「和平交渉、って。それって、どういう意味だよ……」

 青ざめたヨハンに震えが走る。それに、ルーカスも息をついた。怒りに猫のような目が光るのが分かる。その気持ちは、嬉しいものだ。

「あちらも、平和的に両国の関係を修復するつもりだったということだ。だが何者かが、それを阻んだ。これも噂だが、俺が送った最初の親書も届いていないらしい」
「じゃあ、なに? お互い最初に送った親書が届いてなくて、今戦ってるって事?」
「そうなる」
「……最悪だ。それって、今の戦い全部がしなくてよかったことになるじゃん! 命張る事もなくて、仲間が死ぬ事もなかったって事だろ!」
「……そうなる」

 ヨハンの怒りは深く激しい。そしてそれは、ルーカスも同じだ。そして、ユリエルも。

「この人物がどこに行き、どこで消息を絶ったのか。それを行った人物が誰で、どこに繋がっているのかを探してくれ」
「そんなの探る必要ないよ。絶対教皇の周辺だ」
「そうだとしても証拠がない。親書か、親書を預かった使者の痕跡が必要なんだ」
「何、するつもり?」
「教皇の不信任を通す。その為には、王命に背き国家を危険に晒した証拠がいる。確かな物的な証拠と裏付けが必要だ」
「!」

 ヨハンが息を呑むのが分かった。それだけ、事は大きな事だった。

◆◇◆

「教皇の不信任?」

 二人で今後の話をした時、ルーカスはユリエルにこの案を話した。それは、ルーカスにとっても命がけの覚悟だった。

「王と教皇の立場は非情に拮抗している。王は教皇と共に国を支える二柱だと位置づけられている。だから、この両名が不仲な場合とある条件を満たせば王は教皇を退位させ、新たな教皇を置く事ができる」

 それは確かな国の法であり、王の権限だ。だが、一度しか使えない諸刃の剣でもあった。

「なぜ、すぐに使わないのです?」

 不思議そうに首を傾げるユリエルに、ルーカスは苦笑する。そしてもう少し詳しく話をした。

「王と国に対し、明らかな損害、謀反となる行いが認められた時に、大臣及び十名の枢機卿の半数以上が不適切だと判断した場合のみ、教皇を決める選挙が行われる。この選挙で王は新たな教皇候補を出し、現教皇とどちらが適任か、国民に問う事となる。王が立てた教皇が選任されればいいが、負ければまずい」
「何がです?」
「逆の事が行われる可能性が大きいからだ」

 ルーカスの言う事を正しく理解したのか、ユリエルのジェードの瞳が大きく見開かれた。

「王が教皇の適性を問う選挙を行い、それでも国民の信頼を得た時には、教皇は王の退位を国民に問う事ができる。条件は先の選挙に勝つ事。そして、王位を継ぐ者がいること」
「貴方に兄弟はいないでしょ? 従兄弟のジョシュ将軍も」

 そこまで言って、ユリエルは口を噤んだ。気にしているのだろうが問題はそこではない。ルーカスは苦笑した。

「ジョシュの息子がいる。今年一歳だ」
「一歳の子を王に据えるつもりなのですか!」

 驚いた顔で言うユリエルだが、ルーカスは容易に想像ができた。幼ければ御し易い。教皇が後ろ盾となって国をいいようにするだろう。そうなれば、この国は最悪な軍事国家となる。

「そうならない為にも、明らかな謀反の証拠が欲しい。親書、もしくは親書を運んだ者の明らかな証拠がいる」
「親書は既に処分されている可能性がありますが、身に着けている物ならまだ残っているかもしれませんね」

 そう言うと、ユリエルはニッと笑った。

「お守りを探してください。翡翠の、旅人のお守りです」
「それは」

 見覚えがある。リューヌと名乗った彼がつけていたのも、確か翡翠のお守りだった。

「私のお守りを渡しました。あのお守りには、留めや装飾にタニス王家の家紋が小さく彫り込まれています。翡翠自体にもありますから間違いがありません。それを持っているのは、王家の命を受けた使者のみです」

 ユリエルの言葉にルーカスは頷き、まずはその使者を探す事から始める事としたのだった。

◆◇◆

 ヨハンは、不安そうな顔をしている。だが、ルーカスはやるつもりだった。困難でも、不可能ではない。そう信じている。

「使者を見つけて、その使者を襲って親書を隠した人物が教皇と結びついている。その証拠を、求めるわけ?」
「そうだ。それに、それを見つけて民に知らせればとりあえずの停戦が可能かもしれない。交渉次第では、タニスとの関係をとりあえず取り持てる」
「そんな都合よくいくの?」
「信じるしかない。だが、同じように和平を望んだ心がタニス王にもあるのなら、願いは同じはずだ」

 ルーカスの言葉に、ヨハンは少し考えて静かに頷く。そして早速、夜の闇に消えていった。

◆◇◆

▼ユリエル

 その頃、ユリエルも動き出していた。一度砦を離れるアルクースを寝室に呼んで、彼に特別なお願いをした。

「あの、もう一度聞いてもいい?」
「このメモに書いた人物の足取りを追ってください。どこで消息を絶ったのか」

 ユリエルもまた、ルーカスに聞いたルルエの使者の特徴を書いたメモをアルクースに渡した。それに、アルクールは不審そうな顔をしている。

「この人物に、何かあるの?」
「あまり詳しく聞けばお前の負うものが大きくなりますよ」

 寝間着姿のまま、ユリエルはアルクースを見る。戸惑った表情をしている。

「それでも、事情を聴きたい。どうして俺にお願いするのか。こういう事は俺よりも、クレメンスさんあたりが得意なのにあえて俺に頼むんだよね? その理由は、なに?」

 強い瞳がこちらを見る。ユリエルは真っ直ぐに見て、一度息を吐いた。こうなる事はどこかで分かっていた。納得させられる理由も用意した。だがそれは、過分に偽りを含んでいる。

「事を大きくしたくはないのです。まだ、実証できない事です。クレメンスにも、今はまだ知られたくはないのです」
「だからその理由は何? こそこそ探るなんて」
「お願いです、アルクース。今はあまり、深く探らないで。私もまだ確信が持てない。ただ、その人物がどこで消え、誰が裏にいるのかがとても重要なのです」
「陛下……」

 アルクースは困った顔をして、ユリエルの傍にくる。そして、手を握った。

「助けてください、アルクース」

 弱く言ったユリエルに、アルクースは俯く。そしてそのまま頷いた。

「弱ってる貴方を見るのは嫌だから。頑張ってるのも、国の事を考えてるのも知ってるから。だから、協力する。でも、お願いだからこの依頼の理由を教えて? それも、話せない事なの?」

 アルクースがこちらを見る。ユリエルも見る。そして、静かに頷いた。

「ルルエのある筋から、情報が入りました。ルルエが送った親書は二通あったと。最初の親書は、和平を願うものだったと」
「それって……」

 アルクースの黒い瞳が、ゆっくりと見開かれる。次には鋭い視線が返ってきた。表情が見る間に怒りを含んでいく。

「こちらの、親書は?」
「一通目が届いていないそうです」
「つまり、互いの親書が正しく届いていればラインバールでの戦いは無かったってこと?」

 ユリエルは静かに頷いた。

「このメモの人が、ルルエの使者だったの?」

 それにも、ユリエルは頷いた。
 アルクールの瞳に静かな炎が宿った。手を強く握っている。ユリエルはその手に触れて、首を横に振った。

「親書か、この使者の所持品が欲しい。彼がどこで消息を絶ち、誰がその裏にいるのかを知りたい」
「そこを探れば、戦争を望んだバカを公然と吊るし首にできるわけだね?」

 ユリエルは静かに頷いた。
 正直に言えば、親書が残っているとは思っていない。だが、使者が持っていた物を見つけ、それを誰が殺したかを見つければ、裏で糸を引く者を処刑できる。できれば大物が釣れてくれるといい。頭を潰せば下は自然と枯れていくはずだ。

「これはまだ、何の確信も得られていない話です。クレメンスに話せば軍が動く。大きな動きは奴等に気付かれてしまう」
「だから、俺に頼むんだね?」
「はい。私はここを離れられない。目も耳も足りません。貴方を信頼して、お願いしたいのです」

 アルクースはずっと考える顔をしている。たっぷりと十分以上そしていた。けれど顔を上げた時には、覚悟は決まったようだった。

「分かった。どこまでやれるか分からないけれど」
「無理のない範囲で構いません。気を付けてください」
「それは陛下の方。あんな無茶を言って、本当に大丈夫だって……」

 言いかけて、アルクースの瞳はまた鋭くなる。明らかに責める色があった。

「もしかして、今回の作戦で陛下が無理をするのは、これがあるから? 犠牲を最低限にって、考えてたりする?」

 さすがに鋭い。ユリエルは苦笑した。そしてこの苦笑が、答えだった。

「……ルルエと、停戦できると思う?」
「してみせます」
「うん。そうだね。願った事が同じなら、出来るって思えるよね。でもその為に陛下が無理して、何かあったらさ、出来るものもできなくなるよ。それは分かってる?」
「分かっています」

 そうは言うけれど、多分信じてくれてはいないだろう。アルクースの複雑な表情が物語っている。それでも、ユリエルはこれを通すつもりだ。譲らない。

「一つだけ。陛下が何を考えているかは俺には分からない。けれどきっと、貴方の信頼する家臣は貴方の真意を知っても、貴方を裏切らないと思う。皆、貴方の事が好きだよ。だからついてくるんだと俺は思うから」
「アルクース……有難う」

 彼らがユリエルを信頼しているのは分かっている。信じているのも知っている。けれどこの裏切りはあまりに大きく、あまりに罪深い。知らせる時は来るだろう。だが今は、隠しておきたい。
 ユリエルの中ではもう、この考えしか思い浮かばなかった。
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