月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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2章:王の胎動

11話:海の覇者・後編

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 フィノーラ達を見送ったユリエルの傍に青い顔をしたレヴィンが近づく。そして、具合悪そうにしながらも彼らの背を睨んだ。

「あのフィノーラって女性が、頭目なのかい?」
「おそらくそうでしょうね」
「おおよそ、そんな感じの無い人なのにね。見目は麗しいし、品もある。なにより賢い女性が海賊だなんてね」
「人にはなっただけの理由と過去があるものですよ。このような決断をしたのだから、それ相応の思いがね」

 ユリエルは見逃さなかった。ドレスで隠した足を、僅かに引きずっていた。歩き方もほんの少しぎこちなかった。その理由も、おそらくグリオンだろう。

「俺には少し分かるよ。確かに、なっただけの理由はあるんだ」

 アルクースが同意するように頷く。そして、困った顔でユリエルを見た。

「北の地が平穏なら俺は預言者になっていたし、お頭は族長になってた。誰だって好きで盗賊なんてしないよ。あの人達だって、同じじゃないかな」

 その言葉に、ユリエルは苦笑するしかない。加害者と被害者が奇妙な関係で協力している状態でこうした話題になると、加害者の方はなんともリアクションがしづらかった。


 一時間ほど待って、ようやくフィノーラとヴィオ、そして数人の海賊が船に戻ってくる。ユリエルは立ち上がり、彼らへと一歩近づいた。

「話はつきましたか?」
「えぇ。皆の気持ちとしては、条件に異議はないとのことですわ」

 静かに言ったフィノーラだったが、ユリエルはそれだけではないと分かっていた。何故なら隣のヴィオがとても冷たい、感情のない目でユリエルを睨み付けていたからだ。

「他の条件がありそうですね」
「えぇ、その通りですわ。私達は貴方の実力と、覚悟が知りたいのです。海賊なんてものは所詮実力がなければ認められない世界。何よりも力が物をいいますわ」
「つまり、私が戦って貴方達に勝てばよいのですね?」

 ユリエルはニッと口の端を上げる。その鋭い眼光は、いっそ獣のようだった。ユリエルは無用な戦いを好む性質ではない。だが、強い者と戦うことに血は騒ぐのだ。

「それでは、相手はヴィオですか?」
「えぇ。この子はこの海賊団の中で一番の実力者。この子が負けたとなれば、皆は貴方の力を認めましょう」
「構いませんよ」

 ユリエルが数歩進み出る。それに合わせて、ヴィオも数歩前へ出る。周囲の者は彼らを囲むように後退し、場を空けた。

「先に言っておく。死んでも知らないからな」
「構いませんよ。私に何かあっても、貴方にも、貴方の仲間にも責は負わせません。私にも、それなりの自負があります」

 互いを睨み、ユリエルは剣の柄に手を伸ばした。
 足場はユリエルにとって、あまりよくはない。波で揺れる。だが、それを負けの理由にするつもりはない。
 大きな波が船に当たり砕けた。それを合図に、ユリエルは前へと出た。だが、何かが光ったのを見てその足を止め、飛んできた光を避けた。
 銀の光はユリエルの頬を掠めるように飛び、対象を見失っても大きく弧を描いて背後から襲い来る。その音を頼りに、ユリエルは持ち前の柔軟さで瞬時に避ける事ができた。
 ただ、それは運よく光を捕え、反射的に体が動いたからに他ならない。ユリエルはヴィオを睨み付ける。そしてその手に戻ってきた、見慣れない武器を認識した。
 それは円型の武器だった。持ち手の部分には布が巻いてあるが、それ以外は円の外側全てが刃になっている。直径は三十センチほど。彼はこれを手足のように操っていた。

「チャクラムの変形ですか」
「よく、知ってるね。指だけで回転させて投げるチャクラムは、威力がない。けれどこっちは、腕の力で投げられる。殺す事も、できる」

 言うのと同時に、ヴィオは再びユリエルめがけて投げた。チャクラムは決まった軌道を描き、回転しながらユリエルを狙う。それをかわしても弧を描いで戻ってきて、背を脅かす。

 ユリエル自身はこの武器の事は知っていた。だが、これほど自在に操る使い手と出会ったのは初めてだ。
 だが、変則的な動きをしないぶん読むことは可能だ。一度かわした後は暫く隙ができる。ユリエルは一撃を避け、そのまま俊敏に走り寄る。おそらく短剣などは持っているだろうが、応戦していればチャクラムに対応するのが難しくなり、武器を取り落とす可能性が出てくる。そうなれば、ユリエルに勝機がある。

 だが、そうして忍び寄ったユリエルの頬を、鋭い痛みが走った。血が一筋伝い落ちる。銀のそれは、二つヴィオの手にあったのだ。
 血の匂いが、妙な興奮を呼び起こす。それは暫く感じていない高揚感だ。
 後方へと退いたユリウスの口元にはニヤリとした笑みが浮かんだ。闘気の中に殺気がどうしても混じる。そのまま、ゆらりと立ち上がった。
 ユリエルの目が、ギラギラと光る。伝い落ちる血を指ですくい、更にその指で唇に触れた。口の中に広がる血の味は、臭いは、確かにユリエルを興奮させた。そして、より笑みを深くした。
 更に一歩間合いを取ったヴィオを追うように、ユリエルは軽く進む。その跳躍力の高さに、ヴィオは目を見開いた。
 慌ててチャクラムをユリエルめがけて投げる。それにも、ユリエルは一切怯む様子はない。

「な!」

 迫るスピードを落とすどころか更に加速してみせるユリエルは、チャクラムを避ける気などなかった。腕を掠り、チャクラムはそれでも止まらずに僅かに軌道を逸れて飛んでゆく。もう一つが更に迫るが、これもユリエルは加速しながら避けた。目が徐々に、この武器の速度に慣れてきた。
 ヴィオは短剣を抜いて構えるが、それよりも前にユリエルの剣が短剣を弾き飛ばした。チャクラムは弧を描き戻ってくる。ユリエルの首を狙うかの如く背後から迫ってくる。
 だがユリエルは何の恐れもなく、それに手を伸ばした。

「!」

 戻りの方が多少回転数が落ちる。ユリエルの瞳は確かにそれを捉えていた。そして、伸ばした手を僅かに切るだけで武器を奪い取った。濃くなった血の匂いと、ボタボタと落ちる赤い滴。
 それに目を丸くして戸惑ったのは、ヴィオの方だった。
 だが、そんな時間はヴィオには与えられていなかった。武器を奪ったユリエルは、そのままヴィオを突き飛ばし、尻もちをついたところへ剣を突きつけた。

「殿下、危ない!」

 その声に、ユリエルは視線を向ける。後に放たれたチャクラムが戻ってくる。それを、ユリエルは剣の鞘で絡めとった。勢いをなくしたチャクラムはそのまま静かに、ユリエルの手へと落ちた。

「負け、ですわね」

 フィノーラの静かな声に、ヴィオは悔しそうな顔をする。目には薄らと涙を浮かべ、負けを認められないような顔で睨み付けてくる。だが、フィノーラはとてもスッキリとした顔でユリエルへと頭を下げた。

「どのようにでもなさいませ。私兵でも、奴隷でも」
「姉上、大丈夫だよ! まだ負けたりなんて」
「いけないわ、ヴィオ。お前は武器を失った。それに、これ以上抵抗すれば状況は悪化するばかり。温情をかけてもらえそうなうちに降伏するのが賢い方法ですのよ」

 そう言って跪こうとするフィノーラの手を、ユリエルは傷ついていない方の手で捕まえ、立たせた。その表情にはもうあの不気味な冷たさは残っておらず、天使が如くと言われた穏やかな笑みが戻っていた。

「私は奴隷など求めていません。ただ、協力者が欲しいだけです。そのように膝を折る必要はありません」

 この言葉に驚いたのは、むしろフィノーラの方だった。負ければ捕虜となる事を覚悟していたからだ。

「本当に、対等に取引をなさるおつもり? 一国の王太子たる御身が、ただの海賊を相手に」
「こちらは困って協力を求めるのです。服従させるつもりなどありません。それに、そのようなマイナスの関係はいつか破綻を呼ぶ。内側から腐り落ちるなど私は御免です」

 さっぱりとした顔で言うと、ユリエルは手にしていたチャクラムをヴィオへと返してしまう。これにはヴィオも驚き、どうしていいか分からずにフィノーラを見るばかりだった。

「貴方ほどのチャクラムの使い手には会った事がありません。楽しい試合でしたよ」

 言葉通り楽しげな笑みを浮かべたユリエルを見て、周囲の者も呆気に取られたようだった。その中で、フィノーラは堪らない様子で声を大きく笑いだした。

「変わった方。でも、そうね……嫌いではないわ」

 そう言うと、フィノーラはユリエルに背を向ける。そして、自身の船へ向かって声を張り上げた。

「勝負は決した! 我ら『バルカロール』は、これよりユリエル殿下個人へ忠誠を誓う! 我らが恨み成就するその時まで、我らは殿下のお味方となるぞ!」

 これまでの彼女からは想像もつかない大きくドスの利いた声に、ユリエルも他の面々も驚く。だが、振り向いた彼女はとても優雅に一礼し、艶やかな笑みを浮かべた。

「これでも海賊の頭目。部下を従える声は持っていますのよ」
「勇ましい姿ですね」
「嬉しいような、そうではないような複雑な心境ですわね。ですが、今は褒め言葉と受け取りましょう」

 ヴィオも立ち上がり、葛藤しながらも頭をちょこんと下げる。そして、ユリエルを見た。

「姉上に、酷い事しない?」
「そんな気はまったくありませんよ」
「……それなら、いい。僕は姉上に従う。今から、味方になる」

 どこか頼りなく、拙さの戻ってきたヴィオに驚きながらも、ユリエルは穏やかに笑い手を差し伸べる。互いに握手して、それで全ては丸く収まる……はずはない。

「話が纏まったならさっさと治療するなりなんなりしなよ、殿下。いい加減、貧血起こしそうだよ。こっちは船酔いでしんどいんだから、早く血止めてね」

 ぐったりした様子のレヴィンが言って、傷ついた手を引っ張り上げる。その意外な強さと怒ったような冷たい瞳を見て、ユリエルは苦笑した。

「青い顔してよく言いますね」
「俺はいいんだよ? 帰ってグリフィス将軍にこってりと怒られてもさ」

 容易に想像のつく光景に、ユリエルも困った顔をする。そして、フィノーラ達へと振り向いた。

「貴方達の船は三隻あると聞いていますが、今は二隻ですね。一つはアジトですか?」
「えぇ、そうですわ」
「では、本船だけ私を乗せてマリアンヌ港へと来てください。一隻はアジトに戻り、この事を伝えてください。正式な話と、今後の事についてはマリアンヌ港にある私の邸宅で」
「私たちの船に乗り込むおつもりなの?」

 目を丸くして問うフィノーラに、ユリエルは平然と頷く。溜息をつくのは背後のレヴィン。そして苦笑するのは近づいてきたアルクースだった。

「変わったお人だけれど、悪い人ではないんだ。少なくとも、俺達にとってはね。悪いけれど、この船がルルエの密偵なんかに見とがめられていると良くないから、君達の船に乗りたいんだよ」
「そういうこと。いいわ、乗ってちょうだい」

 接舷した船へと先に渡るフィノーラの後に続き、ユリエル、レヴィン、アルクースが乗り込む。最後にヴィオが乗り込むと、鎖が外され船は別れた。

◆◇◆

 ユリエル達が最初に乗っていた船はそのまま数日周辺を巡り、マリアンヌ港へ戻ってくる予定だ。そしてユリエルが乗り込んだバルカロールの船は一路、マリアンヌ港の端にある船着き場を目指している。
 レヴィンは青い顔のまま、ユリエルの傷を甲板に腰を下ろして診ていた。幸いどれも傷は浅い。出血は派手にしていたが、今は止まっている。

「そんなに心配はありませんよ。よく見ていれば派手に出血はしても深い傷にはなりません」
「一つずつは浅くたって、数が多ければそれだけ出血が多くなって体力削られるでしょうが。まったく、王族がこんなに無茶で無謀だとは思わなかったよ」

 恨み言を並べながらもレヴィンの治療はとても的確だった。綺麗な水で傷を洗い、少し度数の高い酒で消毒する。そこに膏薬を塗りこみ、綺麗な布を当ててから包帯で巻いた。その手際があまりに良かったので、ユリエルは感心して見ていた。

「さぁ、これでいい。まったく、グリフィス将軍になんて言うんだい? さすがに帰り着くまでに傷跡が消えたりはしないよ」
「多少は怒られますよ。そもそも、こんな強行軍を行った時点であれの怒りは覚悟済みです。一時間程度は我慢して聞くことにします」

 苦笑したユリエルは礼を言って立ち上がる。ちょうど、フィノーラとヴィオの二人が近づいてきていた。

「治療は済みまして?」
「えぇ」
「では、私たちの部屋へ案内いたしますわ。少し、話がありますので」
「俺はここから動けないからアルクース連れていきなよ、殿下」

 再び船酔いが襲ったのか、レヴィンは甲板の涼しい場所へと移動していく。その背を見送ったフィノーラは、おかしそうに笑った。

「苦しみますわね、あの方」
「僕も、苦しかった。胃が出るんじゃないかってくらい吐いて、慣れるしかない」
「殿下ともうお一方は強いのね。慣れぬ白鯨戦であれだけ動けるなんて、恐ろしい方ですわ」

 褒められているのだろうがあまり嬉しくはない。曖昧に笑ってごまかして、ユリエルはアルクースを連れて船内にある一室へと入った。
 小奇麗にされた部屋は居心地がいい。そこに腰を下ろしたユリエルをフィノーラは見つめる。そして、物悲しい顔をした。

「私の名は、フィノーラ・マコーリー。噂くらいはお聞きになっているのではないかしら」
「えぇ、聞いています。ですが、一家はみな」

 そこで言葉を切った。あまりに二人が痛そうな顔をしたから、続く言葉を飲みこまざるをえなかった。

「五年と少し前の深夜、私の両親はグリオンによって殺されました。そして、それを知った使用人たちも。グリオンは収益を着服し、それを父に咎められ、解雇される寸前だったのです」

 フィノーラが語る事件の真相は、予想よりも酷いものだった。

「あの男は事前に両親を殺し、使用人たちを捕え、財貨を運び出しました。私とヴィオは異変に気付いて隠れましたが、家に火を放たれ、必死に屋敷を脱出したのです」

 そういうと、フィノーラはおもむろに自身のドレスの裾を持ち上げる。白いスラリとした足がユリエル達の前に晒される。だがその右足には、消える事のない酷い火傷の痕が今も痛々しく残っていた。

「私は足を悪くし、ヴィオに担がれるように逃げました。ですがグリオンに見つかり、捕えられ、奴隷船に乗せられたのです」
「奴隷はわが国では違法です。取引など」
「表向きはそうですが、腐敗が進んでいたのです。十代の子供を攫うか買うかして船に乗せ、他国へと売りさばく。そうした闇の商人は存在いたします」

 ユリエルは頭が痛くなるほどに奥歯を噛みしめる。手を強く握ったものだから、先の傷が開いて再び血が滲み出た。

「私達の乗った船はたまたま、船長が怠惰で部下の扱いが悪かった。それに、十代の子供ばかりなのを良いことに管理が甘かったわ。なので、部下の中でも一番不遇な人を見つけて、船長が寝た後でこっそりと鍵を開けてもらったのよ。そうして船長を殺して、武器庫も抑えて、私達は難を逃れた。この船は、その時に奪い取った船ですわ」

 アルクースは思わず立ち上がり、床面を見た。そして端の床板が僅かに黒ずんでいるのを見て顔色を悪くした。

「全ての奴隷船に、グリオンが関わっているのですか?」
「全てではないわ。でも、そういう人も多いのは事実よ。だからこそ、私達の目的はただ一つ。あの男を殺し、長年の恨みを晴らすことよ」

 ユリエルは黙り込む。事実の大きさに打ちのめされたわけではない。違法な商人を野放しにしていた事、それを易々とやっていた人間の存在に怒りを覚えたのだ。

「ユリエル殿下、これが終わらねば私達は次へ進むことができません。どうか、あの男を捕えた暁には私達へお引渡しくださいませ」
「えぇ、構いません。その話を聞いて、私も心置きなくあの男を売り渡す決心がつきました。公的に裁ける材料があってよかった」

 ニヤリと笑ったユリエルの冴え冴えとした笑みに、フィノーラとヴィオは顔を見合わせ体を震わせた。

「私は約束を守ります。多少時間はかかるかもしれませんが、確実に果たします。ですので、どうか力を貸してください。まずはこの手に、国を取り戻す必要があります」

 二人は顔を見合わせる。そして、困った顔で笑って頷いた。
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