月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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2章:王の胎動

5話:誇り高き血族・後編

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 その時、一陣の風が突如吹き込んだ。それと同時に複数の気配を感じる。あちらこちらにある岩陰からこちらを見ている視線と気配。それらを感じて、レヴィンは静かにユリエルを見た。

「どうやらお客様のようですよ、姐さん」
「そのようです。歓迎せねばなりませんね」

 ユリエルは笑い、レヴィンは傍についてサポートするような体勢を取る。他の面々も表情を引き締め、周囲を睨むように立ちあがった。

「座長、馬車に……」
「動きの取れない狭い場所に逃げ込むことは得策ではありません。このままここで迎え撃ちます」

 雲が流れ、一時月を隠して辺りが暗くなる。そして雲が行きすぎて再び光が戻ると、そこには盗賊の一団がユリエル達を囲むように現れた。

「よう、旅人さん。ここは俺らの縄張りだ。通るなら通行料、泊まるなら宿泊料がいるぜ」

 先頭に立ち、大きな片刃の刀を持った男が言う。
 ざんばらな緋色の髪を白い鉢巻きで邪魔にならないように止め、赤く大きな鋭い目で見つめる。顔のパーツはどれもはっきりと大きくて、明るく野性的な、どこか子供っぽさも感じるワイルドな男だった。
 ただ、身長や体格はグリフィスのそれに匹敵する。長身で、前を開け放った服から見える胸板や腹筋は鍛え上げられて発達している。そこらの兵ではきっと太刀打ちできないだろう。

「さぁ、金目の物を出しな」

 緋色の髪の男が声のトーンを一つ落として凄んでみせる。それにユリエルは笑みを浮かべて一歩前に出て、とても優雅に一礼した。

「初めまして、盗賊のお頭さん。私がここの座長をしております、ユーナと申します」
「え? おっ、おう。ファルハードだ」

 何故かこの状況で突然自己紹介状態になる二人。これに、ユリエル側の兵達はキョトンとしている。まぁ、さすがに握手はしなかった。

「ファルハードさん、見ての通り私たちは貧乏芸人。差し上げられる物など持ち合わせてはおりません」
「嘘を言え! お前のしているその首飾りはなんだ!」

 外野から起こった声に、ユリエルは胸元を飾る首飾りを手にする。それは、旅人のお守りだった。旅の無事を祈願し、もしもの時は迷わず神の身元へ行けるようにと祈ったもの。純度の低い翡翠が炎の明かりに照らされている。

「これは旅人のお守りです。大した価値もございませんし、渡すわけにはまいりません」
「そんな事知ったことか!」

 勢いよく啖呵を切った下っ端は、だがファルハードの拳骨を頭に食らって沈み込んだ。

「馬鹿、お守りは大事だろ! なんかあった時に神さんの所に行けなかったらどうすんだ!」
「へっ、へい! すいやせん!」

 とっ、まるでコントのような事が目の前で繰り広げられる。緊張感などなくなって、ユリエルは思わず笑った。
 どうやら、根っからの悪人ではないようだ。ユリエルは微笑み、そしてふと思いついた案を実行に移そうかと口元に艶やかな笑みを浮かべた。

「ファルハードさん、ただで見逃してもらおうとは思いません。どうでしょう、私と一つ戦ってみませんか?」
「戦う?」

 この言葉に、ファルハードは流石に眉を上げた。口元には引きつった笑みが浮かんでいる。

「おいおい、お嬢さん。あんまり男を見下すもんじゃないぜ。これでも俺はここいらの盗賊の中じゃ一番だ。怪我じゃすまないぜ。何より俺は、女と子供と老人には手を上げない主義だ」
「そうなのですか? 随分と腰抜けですね」

 挑戦的な言葉にファルハードは明らかに苛立った様子を見せる。どうやら気が短く、プライドが高いらしい。

「これでも長旅をする身。それなりの護身術は心得ていますし、切り抜けてきました。どうでしょう? 貴方が勝てば私の身を自由にして構いません。そのかわり、私が勝てば貴方の身柄を好きにする」
「ユーナ姐さん」

 これには流石にレヴィンが諌めるような声で名を呼ぶ。視線も厳しいものだ。おそらく案じているのだろう。意外と忠義者だ。
 だがユリエルは有無を言わせなかった。文句を言いたげなレヴィンを制し、馬車の荷台から自分の剣を持ってくる。女性物のドレスに剣帯というなんとも妙な恰好だが、それに剣がかかると様になった。

「本気かよ」
「えぇ、当然」
「……分かった! あんたみたいな度胸のある女、俺は結構好きだ。俺が負けたら俺の身柄は好きにしていい。その代り、あんたが負けたら俺の女だ」
「お頭!」

 これには盗賊の方がどよめいた。案外人望のある頭らしく、仲間はみな不安そうな顔をしている。
 だが、当人たちは既にやる気。もう外野が何を言っても止まる気配がなかった。

 ゆっくりと、気配や気迫が濃密になっていく。緊張感が満ちて、僅かな音や動きもわかるようだ。ユリエルも、ファルハードも互いから目を離さない。
 再び雲が月を隠した。

「!」

 ユリエルは一瞬、彼が消えたように見えた。気配だけを頼りに胸の前に剣を立てると、重い斬撃がぶつかって高い音がした。ファルハードが低い姿勢から切り上げたのだ。その動きはまるで野性の獣のように俊敏で強い。

「へぇ、受け止められるとはな」

 ニッと野性的な笑みを浮かべるファルハードを押し返し、ユリエルもまた笑った。
 これは少々、本気にならなくてはいけない。予想以上に彼は強い。大事の前に怪我などすれば今後に関わる。
 ユリエルは剣を軽く前に構えた。そこに無駄な力など入っていない。一度間合いを開けたファルハードは再び、強い斬撃をみまった。
 一合、二合と剣が合わさる。月明かりの下、二人は決して引けを取らない戦いをした。
 ユリエルの剣はまるで川を流れる木の葉のようだった。ひらりひらりと斬撃をかわす。
 それに対するファルハードの剣は力とスピードがある。ある意味力技だ。彼の持つ刀も、重みを乗せて斬るタイプのもの。だが、恵まれた体躯とスピードには似合いの武器だった。

「畜生!」

 動きを捉えられない焦りにファルハードは徐々に懐深くへと踏み込んでくる。それでも、ユリエルは右へ左へと身をかわし、逆にファルハードの懐を危うくした。

「くっ!」

 ファルハードは深く踏み込み、ユリエルの首を狙った。だがそれも緩やかな動きでかわす。表情に焦りが出て、肌に汗が浮かぶ。動きが激しく武器が重いぶんだけ、ファルハードの方が体力の消耗は激しい。
 ユリエルは待っていた。やりづらい相手との戦いでファルハードが消耗し、間合いを詰めるのを。深く踏み込んでくるのを。
 再度ファルハードが深く踏み込む。ユリエルはファルハードの刀の背を滑るように一回転し、ふわりと彼の背後に立つ。流れ過ぎる木の葉のように。そしてピタリと、その首筋に剣を突きつけた。

「……参った」

 ファルハードは素直に刀を落とし、両手を上げた。素直な降伏の姿勢にユリエルもホッとする。これで抵抗されれば、さすがに傷つけることになるからだ。

「私の勝ちです。約束、忘れてはいませんね?」

 ファルハードの視線が、一瞬仲間達に向く。まるで葬式のような顔をした仲間達を見て、その後はフッと力の抜けた笑みを浮かべる。

「男に二言はない。俺の身柄、好きにしろ。どうせこんなこと、長くは続けられないとは思ってた。罪の清算ってやつ? そういうの、ばっくれるわけにはいかないでしょ」
「意外ですね。ちょっと見直しました」

 素直にそう述べたユリエルは満足に笑みを浮かべた。予想外の出来事だが、案外いいものを見つけたのかもしれない。思わぬ宝を見つけた気分だ。
 ユリエルは剣を一旦ファルハードから引く。そして、この様子を黙って見ていたレヴィンに視線を向け、手招いた。

「レヴィン、手伝いなさい」

 突然の指名に驚いた様子で自分を指さすレヴィンに、ユリエルは頷く。のんびりと近づいたレヴィンに向かい、ユリエルは自分の背中を向けた。

「下ろしてくれませんか?」
「え?」
「な!」

 一瞬何を言われたのか、レヴィンすら分からない様子だった。そして、それを聞いたファルハードは驚いてこちらを見る。そんな二人の男を前に、ユリエルは呆れたように溜息をつく。

「レヴィン」
「あぁ、はいはい。この格好だと本当に一瞬躊躇うよ」
「お前が躊躇ってどうするのです」

 男である事を失念していたようなレヴィンの言いようにユリエルは溜息をつく。まったく、何をバカなことを言っているのか。

「お、俺はみないぞ!」

 もう一人のアホが叫ぶように言う。でかい図体で「俺の女に」なんて言っていたというのに、随分と初心な事を言う。真っ赤になって何を恥じらっているのやら。
 背中を締め付ける感じがなくなった。まったく、女性というのはよくもこんな窮屈な恰好ができるものだ。胸が詰まりそうだ。
 服の上半身を脱ぐと、それを見ていた他の盗賊たちがざわめく。まぁ、予想できる反応だ。だが肝心のファルハードだけは頑なに拒み、手で目を覆っている。
 ユリエルは溜息をつき、剣の先でほんの少し服の端を引っ掛けた。

「んぎゃあ! 切れた!」

 剣の切っ先がファルハードの衣服を僅かに切る。それに思わず叫び手をどけたファルハードの目がユリエルを捕え、同時にその体を見て、目を丸くし、口をパクパクとし、次には目を白黒させた。

「え? おと、こ……だ? ……はぁぁ?!」

 ファルハードの絶叫が夜闇に木霊する。彼の目の前にあるのは紛れもなく男の体だ。それでも顔を見ると美女にみえるのだろう。ない頭がパニックになっているようだ。

「うわぁ、詐欺だ!」
「誰が詐欺です。いい加減にしないとその舌引っこ抜きますよ」

 もうすっかり呆れかえったユリエルは溜息をつく。そして、改めて名乗りを上げた。

「ユリエル・ハーディングです。シャスタ族の族長さん」
「ユリエル……!」

 その名に、ファルハードは途端に殺気立った。それは彼だけに限らない。周囲にいた者もまた、怒気と殺気を持ってユリエルを見ていた。

「お前が、親父を殺したのか」

 押し殺した低い声は、これまでのどの声よりも凄味がきいていた。だがそれに臆するようなユリエルではない。どこまでも不敵な表情のままだった。

「えぇ。仇というならば間違いなく、私ですよ」
「てめぇ!」
「私に手を上げることが何を意味するか、まだ分からないのですか?」

 その言葉に、ファルハードは押し黙った。
 彼は知っているだろう。ユリエルにとってたったこれだけの人間を皆殺しにすることが、いかに簡単かを。過去、そのような光景を目にしたのだから。
 それでも感情は強く反発するのか、強く噛みしめた歯茎から血が出そうなほどだ。睨み付けるその瞳は、復讐にギラギラと光っている。

「さぁ、どうしますか? 私は貴方も、貴方の仲間も殺すつもりはありません。ですが、貴方の身柄は私が預かっている。このまま、私に従ってはくれませんか?」
「何を要求するつもりだ」
「貴方達を、私の傘下に置きたい」
「俺だけじゃなく、仲間まで巻き込もうってのか!」

 ファルハードの声が大きくなり、怒気が更に増す。周囲もざわめく。ただ、ユリエルは譲る気はなかった。

「貴方が抜ければ彼らは支柱を失う。そうなれば、後は散り散りになりますよ。貴方にとっても、それは避けたい事ではありませんか?」
「てめぇ」
「どうします?」

 ファルハードは大いに悩んでいる様子で押し黙る。だが、やがて静かにユリエルを見据えた。とても静かな、覚悟の目だった。

「俺だけなら従う。けれど、仲間はこの賭けに関係ない。俺だけで諦めろ」
「お頭!」

 歯ぎしりするほどの悔しさを殺して、ファルハードは言葉を振り絞った。ユリエルの恐ろしさを知る身としてはこれが最良だっただろう。
 だが仲間はそれに反発するように声を上げる。中には男泣きする者もいた。許されれば駆け寄ってオイオイ泣くだろう。

「うわぁ、俺達物凄く悪者だよ」
「まぁ、実際悪者ですからね」

 言いながら、ユリエルはファルハードに近づく。そして睨み上げる瞳を見下ろした。

「いいのですね?」
「あぁ、いいさ。あんたに負けたのは腹が立つが、これが頭の役目ってもんだ。親父だってそうしただろ」
「えぇ、立派な最後でしたよ」

 柔らかな声で言うと、ファルハードは子供っぽい嬉しそうな笑みを浮かべる。父を自慢する子供のような邪気のない笑みだ。
 だがその時、不意に周囲を囲う盗賊の壁が割れ、そこから一人の青年が前に出てきた。

 綺麗な黒髪に黒い瞳をした、比較的細い見目のいい青年だった。彼らの中では品があり、凛とした表情でユリエルとファルハードを見る。そしてスッと進み出て、丁寧にユリエルの前に膝を折った。

「シャスタ族の参謀をしております、アルクースと申します。ユリエル様、どうか我ら一族を、貴方の傘下に」
「おい、アルクース!」
「お黙りよアホ頭。今の状況分かってるわけ? 俺達はお頭だからついてきたんだ。お頭がいなければ、皆ここまでやれていなかった。それが今更かっこつけて、一人で全部背負い込んだつもり? それでさようならなんて無責任もいいところだよ」

 見た目のわりに子供のような口調でなじるアルクースが、改めてユリエルを見る。その目にはファルハードと同じ憎しみも見える。だがそれ以上に、守るべきものを守ろうという強い意志が見えた。

「殿下もご存じのように、我々シャスタ族は貴方によって故郷を追われました。恨みに思うなという方が無理です。ですが現在、この人を欠いては我々はバラバラになってしまう。この人だけを連れていかれるわけにはいかないのです。召し抱えるというならば一族もろともに、お願いいたします」
「それは私としても願ってもない話です。元より私はここにいる者に害を加えるつもりはありません。ただ、協力してもらいたいのです。この国を、取り戻すために」
「やっぱダメだ、アルクース! 戦争に巻き込もうってんだぞ!」
「だから黙りなよ、交渉ができない。殿下だって、国の為に戦う者に何の温情も与えないような情の無い人ではないさ。そうですよね、殿下?」

 とてもにっこりと、幼げに笑うアルクースはそれ以上に腹黒そうだ。だが、感情で動かず利を求める人間とは交渉ができる。望みの対価で契約が結べるし、協力もしやすい。

「何を望みますか?」
「安住の地が欲しい。俺達は五年前の反乱時に、混乱に紛れてこの国に入り込んだから土地を持てない。逃げてきた老人や女性、子供が安心して住める場所が欲しいんだ」
「今はどうしているのです?」
「森の中に隠れ家を作って、そこで生活している。でも、追手がかかりそうになると移動してるから生活は安定しない。小さくても土地があれば、家畜を飼ったり畑を作ったりできる。そうなれば、俺達だってこんな生活好んでしないよ」

 真っ直ぐに見つめるアルクースの言葉に嘘はないのだろう。それに、さっきまで盛んにしていた怒号が消えている。周囲を囲む者も、俯いて拳を握っていた。

「いいでしょう。私が王となった時に、その約束を必ず守ります」
「では……」
「加えてもう一つ付けましょう。もしも貴方達に何かあった時には、貴方達の里にいる老人や女性、子供たちは私が面倒をみます。必ず」
「それは!」

 アルクースが縋るような目でユリエルを見る。おそらく、願ってもない話なのだろう。彼らには後ろ盾がないのだから、そこにユリエルが立つとなれば心が揺れる。それでも次には冷静な表情をするあたり、このアルクースという青年は賢い。

「確かにそれは有難い事ですが、殿下のメリットは?」
「貴方達を召し抱えることは公にしたくないのです。そうですね……盗賊というとやはり聞こえがよくありませんので、傭兵団として戦える者を抱えます。その対価として、私は貴方達の保護と給金、そして王となった時には土地を与える。これで手を打ちませんか?」
「……お頭」

 アルクースは頼りない目でファルハードを見る。ファルハードもまた困った顔をしていた。だが、声は周囲の仲間達から上がった。

「乗りやしょうよ、お頭!」
「そうだ! これで女房も子供も安心して暮らせる!」
「迷う事なんざねぇや!」

 戸惑うように周囲を見回すファルハードは、それでも踏み切れない様子でユリエルと仲間を見ている。その服の裾を引いたアルクースが、真っ直ぐにファルハードを見て頷いた。

「信じていいよ。この人の魂は高潔で清廉だ。時間はかかるかもしれない。でも、約束を無かったことにするようなことはしない。そんな人ではないよ」
「アルクース……」

 改めてユリエルを見るファルハードの視線を、ユリエルは真っ直ぐに見た。しばしそうした後、ファルハードは一つ頷き、ドンと胸を叩いた。

「分かった! シャスタ族、族長ファルハードはあんたに従う。思う存分使ってくれ!」

 胡坐をかいたまま地に両の拳をつき、ファルハードは頭を下げる。それに習って、周囲の者も地に膝をついた。こうして、ユリエルは新たな戦力を手に入れることに成功したのであった。
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