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2章:王の胎動
3話:踊り子
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▼ルーカス
翌朝、聖ローレンス砦を馬車が出たことを、密偵はすぐさま報告に走った。その先はウィズリーの町から一キロ程離れた森の中だった。そこで、黒衣の青年は静かに話しを聞いて頷いた。
「王太子が動いたか」
報告の兵を下がらせ、ルーカスは真剣な瞳を向ける。そこには十五人ほどの扮装した兵がいて、それぞれが緊張した表情を見せた。
「町に潜伏させている者に伝えろ。王太子が動いた。だが、まだ動くな。奴らの後をつけ、どこへ向かうかを確かめてからだ」
「了解しました」
ルーカスの言葉を受けた兵士が一人、町へと向かっていく。それを見送り、ルーカスは木の幹に背を預けた。
「お疲れですか、陛下」
同行の兵が尋ねるのに、ルーカスは軽く笑って首を横に振った。
野宿も三日目だが、大して疲れてはいない。今は季節的にも恵まれ、夜でも焚き火で十分温かく、日中もそう日差しは強くない。森の中は風が涼しく吹き込んでくる。何よりルーカス個人、こうした野宿には慣れている。
「美しい森だと思ってな。こんな状況でなければ、もう少し見て回りたいくらいだ」
穏やかに言ったルーカスに苦笑し、兵は一礼して下がる。それを見送り、ルーカスは涼しい風に吹かれながら瞳を閉じた。
◆◇◆
▼密偵
ウィズリーは旅の者が多く留まる賑やかな町だ。規模もそれなりにある。前の町を出て夜がくる前に宿泊するなら、位置的にもおあつらえむきだ。
王太子一行が泊まる予定の宿は、町一番の高級宿の三階。王侯貴族や豪商しか泊まれないクラスの宿だ。
ルルエの密偵は身分を偽って三階に一室を取った。そこにユリエルらしい一団が入ってきたのを確認し、密偵はそれとなく動向を見ていた。
すると三十分ほどたって突然、扉が内側から激しい音を立てて開いた。
「まったく、なんだって言うんだい! 呼ばれてきてみれば気に入らないなんて、いいご身分だこと。あんな男、こっちが願い下げだよ!」
「殿下に向かってなんて口をきく!」
あまりに激しい声に、隠れていた密偵は飛び上がり、そして勢いよくまくし立てる女を見て思わず見惚れた。
白い肌に、燃える様な赤毛が似合う絶世の美女だった。凛とした顔立ちに、ジェードの瞳は気が強そうで、薄いが形のいい唇には薄い紅が塗られている。首の隠れる薄手の赤いドレスから大胆に足が覗いている。形のいい胸はつつましく隠れているが、はっきりと体のラインが分かった。
「旅芸人だからって見下すなんて、最低だね!」
「いいから行け!」
中にいるらしい兵士が僅かばかりの銀貨と、女の物とおぼしき外套を投げて扉を閉める。女はそれを拾うと外套を纏い、不機嫌な様子で階段を下りていった。
一部始終を見ていた密偵は急いで階段を下りたが、女は宿を出て行くところだった。そこからこっそりとついて行くと、町一番の安宿へと姿を消した。
密偵はすぐに町に潜伏している仲間を見つけ、声をかけた。
「おい、お前あの宿に泊まってるな?」
「え? あぁ」
「そこに、旅芸人は泊まっているか?」
「あぁ、いるぜ。五人程度の、陽気で気のいい奴等だ。確か、赤毛の男がいる」
「そこに、同じ赤毛の女はいるか?」
「いや、見てないな。あぁ、でも座長は女で、訳あって遅れてると言っていた」
仲間の答えに、密偵は「そいつが気になる。見ていてくれ」と頼んで、ついでに他の仲間にユリエル一行の監視を頼み、自身は急ぎルーカスの元へと向かったのだった。
◆◇◆
▼ユリエル
一方宿の大部屋に入った赤毛の女は、そこで待っていた赤毛の青年を見ると鋭い笑みを浮かべた。
「似合ってますよ、姐さん」
「当然です」
傍に寄ったレヴィンは、その手を取って口づける。それを冷ややかな笑みを浮かべて見下ろした女は、手を引いてこれ見よがしに外套で拭った。
「あ、酷いな殿下」
「次にそれで呼んだら後悔しますよ。座長と呼びなさい」
「了解、ユーナ姐さん」
悪戯っぽく笑ったレヴィンに、女装したユリエルは満足げな顔をして、同じく驚いている四人の部下の輪に入っていった。
「それにしても、まさか女装とは思わなかったよ。言い出した時には正気かと思ったけれど、こうしてみるとそそるね」
しげしげと見つめるレヴィンが揶揄い半分に言う。大部屋といえど、まだ日が高い。ここにいるのは彼等だけだ。
「その胸、詰め物?」
「当然です。どこぞの国では男を女のようにする医術があるそうですが、生憎そうした予定はありませんから」
「どっちでも違和感ないのが凄いよね、ユーナ姐さん」
軽口をたたくレヴィンを見る他の四人は、面白いくらいに顔色がなくオロオロしている。まぁ、女装した上司を冷やかす同僚なんて、いつ爆発するか怖くて見ていられないだろう。
「さて、先程までは追っかけがいたようですが、この宿には?」
「いるよ。話した感じ、悪い人じゃないんだよね。あーいうのは、あんまり相手したくないんだよね。ないはずの良心が痛むから」
そんな事を言いながらも、レヴィンの瞳はギラリと光る。見ているユリエルは苦笑しながら頷いた。
「さて、ここからは旅芸人ですからね。稼ぎに行きますか」
「姐さんも何かするわけ?」
驚いたようにレヴィンが問うのに、ユリエルは人の悪い笑みを浮かべる。
今回は旅芸人ということで、彼らはここ数日あちこちで芸を披露していた。レヴィンはジャグリングでもなんでも得意だし、他の面々も歌や踊りや一芸やと、器用だ。今回の同行者はレヴィン以外、芸が出来る者を選んだ。
だが、ここにユリエルが入るというのは驚きだ。だが、当人は当然のように外套を脱ぎ、セクシーな体を惜しげもなく晒す。
「踊りでも歌でも楽器でも。何ならお前が私の相手をするかい?」
「遠慮しとくよ。妖艶すぎて毒に当たりそうだ」
そうは言うが、滅多に見られない姿をマジマジと見つつ、レヴィンは立ち上がる。そして一同は意気揚々と、町の広場で芸を披露し、拍手喝采と相成ったのであります。
◆◇◆
▼ルーカス
一方その頃、密偵から直接話を聞いたルーカスは難しい顔をした。
「旅芸人の女か」
何とも判断がつきづらい事だが、ルーカスにはどうも違和感を覚えた。
旅先で王族や貴族が現地の女性を部屋に呼ぶことはよくある。ウィズリーくらい大きな町なら、それを生業とする女性もいるだろう。時には美しいと評判の娘が呼ばれる事だってある。話を聞けばその旅芸人の女は絶世の美女。噂に上れば呼ばれるのも頷ける。
だが、ルーカスが抱くユリエルという人物像には、合わない行為だ。彼は旅先、しかも執務中に女性を買うような人物だろうか? 勿論これは、他の者の話などを聞いたかぎりの印象でしかないが。
「いかがなさいましょう?」
「今町に潜伏している五人は、そのまま王太子を追ってくれ。お前はすまないが、その旅芸人を追ってくれ。だが、深追いはするな。俺は明日もこの町に留まる。明日の夕刻には戻ってきて、報告しろ」
「かしこまりました」
確認した密偵は、再び町へと戻っていく。
おそらくユリエルも、こちらが密偵を放っている事は分かっているだろう。普通なら早急に見つけ出し、捕えるのがいい。だが、あえて堂々と振る舞うのには何か狙いがある。砦に行くのが本当に目的なのか? 他に狙いはないか?
地面に地図を広げ、ルーカスは周辺を睨む。だがこのウィズリーという町はどこへ向かうにも丁度いい場所と距離。行ける場所は無数にある。明らかに、情報が足りない。
「今の段階では、奴らの狙いが何かを絞り込むことは難しいか」
唸ったルーカスは地図から視線を上げる。そして、その場にいる一人に声をかけた。
「すまないが、町に行って情報を集めてもらいたい。どんな小さなものでもいい、知らせてくれ。王太子に関わるものでなくていい」
「と、申しますと?」
「分からない。だが、王太子一行にばかり踊らされている気がする。奴らの話が出回りすぎている。周囲で起こっている事件や変事を集めてくれ」
「畏まりました」
言われたままに町へと向かった兵の背を見送り、ルーカスは疲れたように溜息をついた。
その夜、ルーカスは眠れぬ夜を過ごしていた。ぼんやりと空を見れば、輝く月が見える。自然と笑みを浮かべると、それを見た老兵が手に持った温かな飲み物を差し出してくれた。
「何か、月夜に良い思い出でもおありですか、陛下」
「あぁ、少しな」
飲み物を受け取って、ルーカスは老兵を労うように笑みを向ける。彼はルーカスと長い付き合いで、幼少期には指南もしてくれた相手だった。
老兵は許しを得て隣に腰を下ろす。そして、同じように月を見上げた。
「良い月が出ておりますなぁ」
「あぁ」
「誰を思って、そのように幸せそうに微笑まれるのですかな?」
詮索されて、ルーカスは困った顔で笑う。けれど、何故か悪い気持ちはしないものだ。
「タニス王都で、人に会ったんだ。月の綺麗な夜だった。俺は、月よりの使者かと思ったよ」
「それはそれは」
老兵は嬉しそうに笑う。その笑みが以前のジョシュと同じに思えて、ルーカスは苦笑した。
「お迎えに上がらないのですか?」
「お前も俺の結婚を気にしているのか?」
「それは勿論でございます。ジョシュ将軍も常々、貴方様のお相手はどのような女性が良いのかと頭を悩ませておいでですよ」
「あれもまだ若いのに、年寄りのような」
「それだけ案じておいでなのですよ。二六ともなれば子の一人くらい居てもおかしくはない年齢でございます」
「俺はそんなのまだいいよ」
溜息まじりに言うと、老兵は穏やかに笑う。この老人の穏やかな空気は居心地がいい。父にあまり甘えて過ごした記憶がないからか、この老人に理想の父像を見てしまうのかもしれない。
「して、どのような女性なのですか?」
「女性ではなく男だよ。とても清廉で美しく、清らかな人だ」
「なんと! それは残念な事ですね」
老兵は心より残念そうな顔をする。それが少し申し訳なく、ルーカスは苦笑した。
「ですが、そのような相手に巡り合えたことは良きことですよ、陛下。気になるのでしたら、男性でも傍に置いてはいかがですか?」
「彼は詩人だ、縛る事はできないさ」
「詩人、ですか。それはまた、悲しい過去をお持ちなのでしょうね」
老兵の言葉に、ルーカスは初めてそれを思い眉根を寄せた。考えていなかったのだ、世を捨てて生きるほどの苦しい過去があることを。
「私の知人にも旅人がおりましてな。あれは良家に生まれましたが、家の争いに巻き込まれてすっかり人が嫌いになったのです。そのような思いをしなければ、縁を絶って生きようなどと思わないもの。その詩人もまた、苦しい過去がおありなのでしょうな」
それを考えると、胸が苦しくなる。美しいリューヌは、あの時ルーカスを拒みはしなかった。だがその心中はどうだったのだろう。故郷の危機を知って、居ても立ってもいられずに舞い戻り、そこで何を思ったのだろう。
「また会いたいなどと浮かれたのは、俺だけだったかもしれないな」
ぽつりと呟くと、老人は笑みを深くする。そして、しみじみと付け加えた。
「それでも私の知人は言うのです。やはり、全てを捨てきれるものではないと。時に懐かしく思い、人を訪ねると。誰かを恋しく思うものだと。その詩人もまた、陛下にそのような思いを寄せたのかもしれませんね」
老人は目尻を下げて言う。そしてルーカスもまた、その言葉に頷いた。
「次に会えたら聞いてみるとしよう。彼の心をいうものを」
「それがよろしゅうございますな」
老兵は立ち上がり、傍を離れていく。
ルーカスは自然と心が落ち着いて、瞳を閉じた。そうしていつの間にか、穏やかな眠りが落ちてきたのだった。
翌朝、聖ローレンス砦を馬車が出たことを、密偵はすぐさま報告に走った。その先はウィズリーの町から一キロ程離れた森の中だった。そこで、黒衣の青年は静かに話しを聞いて頷いた。
「王太子が動いたか」
報告の兵を下がらせ、ルーカスは真剣な瞳を向ける。そこには十五人ほどの扮装した兵がいて、それぞれが緊張した表情を見せた。
「町に潜伏させている者に伝えろ。王太子が動いた。だが、まだ動くな。奴らの後をつけ、どこへ向かうかを確かめてからだ」
「了解しました」
ルーカスの言葉を受けた兵士が一人、町へと向かっていく。それを見送り、ルーカスは木の幹に背を預けた。
「お疲れですか、陛下」
同行の兵が尋ねるのに、ルーカスは軽く笑って首を横に振った。
野宿も三日目だが、大して疲れてはいない。今は季節的にも恵まれ、夜でも焚き火で十分温かく、日中もそう日差しは強くない。森の中は風が涼しく吹き込んでくる。何よりルーカス個人、こうした野宿には慣れている。
「美しい森だと思ってな。こんな状況でなければ、もう少し見て回りたいくらいだ」
穏やかに言ったルーカスに苦笑し、兵は一礼して下がる。それを見送り、ルーカスは涼しい風に吹かれながら瞳を閉じた。
◆◇◆
▼密偵
ウィズリーは旅の者が多く留まる賑やかな町だ。規模もそれなりにある。前の町を出て夜がくる前に宿泊するなら、位置的にもおあつらえむきだ。
王太子一行が泊まる予定の宿は、町一番の高級宿の三階。王侯貴族や豪商しか泊まれないクラスの宿だ。
ルルエの密偵は身分を偽って三階に一室を取った。そこにユリエルらしい一団が入ってきたのを確認し、密偵はそれとなく動向を見ていた。
すると三十分ほどたって突然、扉が内側から激しい音を立てて開いた。
「まったく、なんだって言うんだい! 呼ばれてきてみれば気に入らないなんて、いいご身分だこと。あんな男、こっちが願い下げだよ!」
「殿下に向かってなんて口をきく!」
あまりに激しい声に、隠れていた密偵は飛び上がり、そして勢いよくまくし立てる女を見て思わず見惚れた。
白い肌に、燃える様な赤毛が似合う絶世の美女だった。凛とした顔立ちに、ジェードの瞳は気が強そうで、薄いが形のいい唇には薄い紅が塗られている。首の隠れる薄手の赤いドレスから大胆に足が覗いている。形のいい胸はつつましく隠れているが、はっきりと体のラインが分かった。
「旅芸人だからって見下すなんて、最低だね!」
「いいから行け!」
中にいるらしい兵士が僅かばかりの銀貨と、女の物とおぼしき外套を投げて扉を閉める。女はそれを拾うと外套を纏い、不機嫌な様子で階段を下りていった。
一部始終を見ていた密偵は急いで階段を下りたが、女は宿を出て行くところだった。そこからこっそりとついて行くと、町一番の安宿へと姿を消した。
密偵はすぐに町に潜伏している仲間を見つけ、声をかけた。
「おい、お前あの宿に泊まってるな?」
「え? あぁ」
「そこに、旅芸人は泊まっているか?」
「あぁ、いるぜ。五人程度の、陽気で気のいい奴等だ。確か、赤毛の男がいる」
「そこに、同じ赤毛の女はいるか?」
「いや、見てないな。あぁ、でも座長は女で、訳あって遅れてると言っていた」
仲間の答えに、密偵は「そいつが気になる。見ていてくれ」と頼んで、ついでに他の仲間にユリエル一行の監視を頼み、自身は急ぎルーカスの元へと向かったのだった。
◆◇◆
▼ユリエル
一方宿の大部屋に入った赤毛の女は、そこで待っていた赤毛の青年を見ると鋭い笑みを浮かべた。
「似合ってますよ、姐さん」
「当然です」
傍に寄ったレヴィンは、その手を取って口づける。それを冷ややかな笑みを浮かべて見下ろした女は、手を引いてこれ見よがしに外套で拭った。
「あ、酷いな殿下」
「次にそれで呼んだら後悔しますよ。座長と呼びなさい」
「了解、ユーナ姐さん」
悪戯っぽく笑ったレヴィンに、女装したユリエルは満足げな顔をして、同じく驚いている四人の部下の輪に入っていった。
「それにしても、まさか女装とは思わなかったよ。言い出した時には正気かと思ったけれど、こうしてみるとそそるね」
しげしげと見つめるレヴィンが揶揄い半分に言う。大部屋といえど、まだ日が高い。ここにいるのは彼等だけだ。
「その胸、詰め物?」
「当然です。どこぞの国では男を女のようにする医術があるそうですが、生憎そうした予定はありませんから」
「どっちでも違和感ないのが凄いよね、ユーナ姐さん」
軽口をたたくレヴィンを見る他の四人は、面白いくらいに顔色がなくオロオロしている。まぁ、女装した上司を冷やかす同僚なんて、いつ爆発するか怖くて見ていられないだろう。
「さて、先程までは追っかけがいたようですが、この宿には?」
「いるよ。話した感じ、悪い人じゃないんだよね。あーいうのは、あんまり相手したくないんだよね。ないはずの良心が痛むから」
そんな事を言いながらも、レヴィンの瞳はギラリと光る。見ているユリエルは苦笑しながら頷いた。
「さて、ここからは旅芸人ですからね。稼ぎに行きますか」
「姐さんも何かするわけ?」
驚いたようにレヴィンが問うのに、ユリエルは人の悪い笑みを浮かべる。
今回は旅芸人ということで、彼らはここ数日あちこちで芸を披露していた。レヴィンはジャグリングでもなんでも得意だし、他の面々も歌や踊りや一芸やと、器用だ。今回の同行者はレヴィン以外、芸が出来る者を選んだ。
だが、ここにユリエルが入るというのは驚きだ。だが、当人は当然のように外套を脱ぎ、セクシーな体を惜しげもなく晒す。
「踊りでも歌でも楽器でも。何ならお前が私の相手をするかい?」
「遠慮しとくよ。妖艶すぎて毒に当たりそうだ」
そうは言うが、滅多に見られない姿をマジマジと見つつ、レヴィンは立ち上がる。そして一同は意気揚々と、町の広場で芸を披露し、拍手喝采と相成ったのであります。
◆◇◆
▼ルーカス
一方その頃、密偵から直接話を聞いたルーカスは難しい顔をした。
「旅芸人の女か」
何とも判断がつきづらい事だが、ルーカスにはどうも違和感を覚えた。
旅先で王族や貴族が現地の女性を部屋に呼ぶことはよくある。ウィズリーくらい大きな町なら、それを生業とする女性もいるだろう。時には美しいと評判の娘が呼ばれる事だってある。話を聞けばその旅芸人の女は絶世の美女。噂に上れば呼ばれるのも頷ける。
だが、ルーカスが抱くユリエルという人物像には、合わない行為だ。彼は旅先、しかも執務中に女性を買うような人物だろうか? 勿論これは、他の者の話などを聞いたかぎりの印象でしかないが。
「いかがなさいましょう?」
「今町に潜伏している五人は、そのまま王太子を追ってくれ。お前はすまないが、その旅芸人を追ってくれ。だが、深追いはするな。俺は明日もこの町に留まる。明日の夕刻には戻ってきて、報告しろ」
「かしこまりました」
確認した密偵は、再び町へと戻っていく。
おそらくユリエルも、こちらが密偵を放っている事は分かっているだろう。普通なら早急に見つけ出し、捕えるのがいい。だが、あえて堂々と振る舞うのには何か狙いがある。砦に行くのが本当に目的なのか? 他に狙いはないか?
地面に地図を広げ、ルーカスは周辺を睨む。だがこのウィズリーという町はどこへ向かうにも丁度いい場所と距離。行ける場所は無数にある。明らかに、情報が足りない。
「今の段階では、奴らの狙いが何かを絞り込むことは難しいか」
唸ったルーカスは地図から視線を上げる。そして、その場にいる一人に声をかけた。
「すまないが、町に行って情報を集めてもらいたい。どんな小さなものでもいい、知らせてくれ。王太子に関わるものでなくていい」
「と、申しますと?」
「分からない。だが、王太子一行にばかり踊らされている気がする。奴らの話が出回りすぎている。周囲で起こっている事件や変事を集めてくれ」
「畏まりました」
言われたままに町へと向かった兵の背を見送り、ルーカスは疲れたように溜息をついた。
その夜、ルーカスは眠れぬ夜を過ごしていた。ぼんやりと空を見れば、輝く月が見える。自然と笑みを浮かべると、それを見た老兵が手に持った温かな飲み物を差し出してくれた。
「何か、月夜に良い思い出でもおありですか、陛下」
「あぁ、少しな」
飲み物を受け取って、ルーカスは老兵を労うように笑みを向ける。彼はルーカスと長い付き合いで、幼少期には指南もしてくれた相手だった。
老兵は許しを得て隣に腰を下ろす。そして、同じように月を見上げた。
「良い月が出ておりますなぁ」
「あぁ」
「誰を思って、そのように幸せそうに微笑まれるのですかな?」
詮索されて、ルーカスは困った顔で笑う。けれど、何故か悪い気持ちはしないものだ。
「タニス王都で、人に会ったんだ。月の綺麗な夜だった。俺は、月よりの使者かと思ったよ」
「それはそれは」
老兵は嬉しそうに笑う。その笑みが以前のジョシュと同じに思えて、ルーカスは苦笑した。
「お迎えに上がらないのですか?」
「お前も俺の結婚を気にしているのか?」
「それは勿論でございます。ジョシュ将軍も常々、貴方様のお相手はどのような女性が良いのかと頭を悩ませておいでですよ」
「あれもまだ若いのに、年寄りのような」
「それだけ案じておいでなのですよ。二六ともなれば子の一人くらい居てもおかしくはない年齢でございます」
「俺はそんなのまだいいよ」
溜息まじりに言うと、老兵は穏やかに笑う。この老人の穏やかな空気は居心地がいい。父にあまり甘えて過ごした記憶がないからか、この老人に理想の父像を見てしまうのかもしれない。
「して、どのような女性なのですか?」
「女性ではなく男だよ。とても清廉で美しく、清らかな人だ」
「なんと! それは残念な事ですね」
老兵は心より残念そうな顔をする。それが少し申し訳なく、ルーカスは苦笑した。
「ですが、そのような相手に巡り合えたことは良きことですよ、陛下。気になるのでしたら、男性でも傍に置いてはいかがですか?」
「彼は詩人だ、縛る事はできないさ」
「詩人、ですか。それはまた、悲しい過去をお持ちなのでしょうね」
老兵の言葉に、ルーカスは初めてそれを思い眉根を寄せた。考えていなかったのだ、世を捨てて生きるほどの苦しい過去があることを。
「私の知人にも旅人がおりましてな。あれは良家に生まれましたが、家の争いに巻き込まれてすっかり人が嫌いになったのです。そのような思いをしなければ、縁を絶って生きようなどと思わないもの。その詩人もまた、苦しい過去がおありなのでしょうな」
それを考えると、胸が苦しくなる。美しいリューヌは、あの時ルーカスを拒みはしなかった。だがその心中はどうだったのだろう。故郷の危機を知って、居ても立ってもいられずに舞い戻り、そこで何を思ったのだろう。
「また会いたいなどと浮かれたのは、俺だけだったかもしれないな」
ぽつりと呟くと、老人は笑みを深くする。そして、しみじみと付け加えた。
「それでも私の知人は言うのです。やはり、全てを捨てきれるものではないと。時に懐かしく思い、人を訪ねると。誰かを恋しく思うものだと。その詩人もまた、陛下にそのような思いを寄せたのかもしれませんね」
老人は目尻を下げて言う。そしてルーカスもまた、その言葉に頷いた。
「次に会えたら聞いてみるとしよう。彼の心をいうものを」
「それがよろしゅうございますな」
老兵は立ち上がり、傍を離れていく。
ルーカスは自然と心が落ち着いて、瞳を閉じた。そうしていつの間にか、穏やかな眠りが落ちてきたのだった。
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