夢見客人飛翔剣

解田明

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光の彼方

魔狼の叫び

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 このまま夜が明ければ、有廉邪々丸は滅びるであろう。
 銀の弾丸は、不死の吸血種たる邪々丸の眉間に穴を開け、致命傷を与えた。
 しかし、いかなるを受けたとしても、不死の吸血鬼は回復する。だが、日光による浄化は、不死身のその身体を塵になるまで焼いてしまう。
 榊世槃に使役されてこの地にやってきたのも、吸血鬼を滅ぼすための知識が伝承されておらず、キリスト教が禁教であり祓魔師エクソシストに怯える必要がないからだ。
 この東の果ての島国で存分に血を啜る……その望みを満たせるはずだった。
 祈りの力を込められた銀の弾丸は、まだ前頭葉のあたりに埋まったまま。
 そこから爛れていく苦痛と、無縁であった死の恐怖に苛まれる。

「ひっ、ぐっ……」

 喘ぎながら、穿たれた穴を爪によって抉り、弾丸をほじり出す。
 ことり――、と銀の塊が石畳の上に転がり落ちる。
 血が足りない――。
 人間の血さえあれば、強靭な不死イモータルの力が甦るのだ。
 有廉邪々丸が吸血鬼として目覚めたのは、二百年ほど前である。
 実の親は知らぬが、化け物としてのはフランス貴族であったジル・ド・モンモランシ=ラヴァル元帥、領地の名を取って呼べばジル・ド・レ男爵である。
 百年戦争の英雄であったが、少年への残虐な荒淫と黒魔術に溺れた人物であった。
 オルレアンの乙女ジャンヌ・ダルクの死によって精神に変調をきたしたというが、元帥の眼鏡にかなう美少年であった邪々丸……ジャン=ジャック・アルカードが召し出された頃には、すでに血に飢えた吸血鬼であった。
 好みの少年たちに救国の聖女ラ・ピュセルの面影を求めたジル・ド・レは、オルレアン解放のくだりを劇として演じさせると、夜はしとねに呼び出し、陵辱の果てに惨殺し、その血を啜っていた。
 大抵が嬲りものにされて殺されたが、邪々丸は寵愛を受けて血の接吻を賜った。
 人間としての将来は、先が見えていた。
 農奴の子など、どこまでいっても家畜よりまし程度な扱いしかされない。
 しかし、人の血を啜れば、貪られる側から貪る側になれる。
 フランソワ・プレラーティとかいう道化師とともに、男爵に捧げる次なる獲物を捜すことに何の戸惑いもなかった。
 人間より、化け物となったほうがいくらもましに生きられたし、おこぼれとして賜った血の味は、何物にも代えがたいものだった。
 宗教裁判によって親であったジル・ド・レが処刑されると、ジャン=ジャック・アルカードは逃亡を続けた。その後も人間社会に潜み、血を吸うことで生き続け、やがて教会の異端審問官からの追跡を受けた。
 邪々丸が世槃と出会ったのも、そのときだ。
 教会の人間は信用ならなかったが、その異なる瞳に親のジルと同じものを見た。
 あれは、血と殺戮を求めるものだ。
 各地の植民地で獲物を漁り、やがて世槃の母の国だという日本に至る。
 世槃が逆卍党を組織し、勢力を拡大するためには邪々丸の力は都合がよかった。
 幕府転覆を目論む十字架公方らの懐に潜り込み、邪々丸が血を吸うことで何人かを下僕に変えた。そうして安逸なる日々を貪ってきた。
 しかし、それも終わろうとしている。

「血を、血を……!」

 生き血さえあれば、この傷と消耗も回復する。
 ふたたび闇を跳梁でききる。
 邪々丸は、崩れゆく意識の中で血を求めた。
 あの命の源たる甘露さえあれば、と。

 見つけた――。

 今にも消えようとしているが、血を流しながらもまだわずかに息がある。
 だが、滔々と流れ出る血が枯れる前に吸い尽くせば、まだ間に合う。
 這いずりながら、その身体まで辿り着く。
 夢見客人の剣によって破れ、無様な有様を晒している、柳生の刺客だ。
 よほど口惜しいのか、目からは涙が溢れ、筋を引いていた。
 その執念ゆえか、まだ生きている。

「く、くふ……」

 邪々丸は思わず笑みを漏らした。
 これぞ天の配剤である。
 どうせ死にゆく身だ、血を吸ってその無念を我が身に取り込んでくれよう。
 温かい首筋に食らいつけば、風前の灯の運命も有効に使うことができる。
 牙を剥き出し、噛みつこうとした途端であった。

「ぐ、がああああああああっ!!」
「なっ……!?」

 丈之介が獣の咆吼に猛り、状態を起こした。
 そのまま、邪々丸の細く白い首を食い破る。
 丈之介の瞳は、すでに正気を宿していない。
 爛々らんらんと殺意に滾り、夜闇の中で見開かれていた。
 生命を費やさぬためという、肉食獣の本能であったろう。
 生きる、生きて、夢見客人を殺す、必ず殺す――。
 一度ならず、二度も敗北を与えた相手を殺さずして地獄へ行けようか。
 ただその一心の殺意が、胸筋が断裂したはずの肉体を突き動かしたのだ。

「ひいいい! は、放せ……!? このっ、死にぞこないぃぃぃぃっ!!」

 邪々丸は、おぞましい化け物に恐怖した。
 自分がそうであることなど、ここに及んではもはやどうでもよい。
 おのれより、ずっと恐ろしいものに出会ってしまったのだから。
 血を啜り上げようとした者が、逆にその首筋を食い破られる。
 尋常の有様ではないが、丈之介は流れ出た吸血鬼の血を貪っていく。

「あ、ああ……」

 失血は、意識を遠のかせる。
 温かみを失い、人外の理に生きる少年吸血鬼であってもそうであった。
 立場は逆転し、丈之介は獲物に止めをくれる獅子のごとく、邪々丸の首筋にその歯を抉り立てていく。
 吸血鬼の血が、丈之介の体内に取り込まれ、巡っていく。
 すると、胸の傷も見る間に塞がっていくのだ。
 丈之介が力を取り戻した変わりに、邪々丸が壊れた人形のように動かなくなる。

「ぐううう、おおぉぉぉぉ……」

 首を振るって、血を吸い尽くした邪々丸を用なしとばかりに投げ捨てる。
 獣のように喉を鳴らし、湯気の立った息を吐いた。
 もはや、人とは呼べぬ人外の化性けしょうであるだろう。
 こうして――。
 死の淵に瀕していた柳生の刺客、斎藤丈之介は甦った。
 胸には一切の喜びはなく、全身からどす黒い憎しみが溢れ出すかのようであった。

「殺す、殺す! 殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す……! 必ず、殺してくれるぞ! 夢見客人おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……――!!」

 まさに、血に飢えた狼のごとし。
 殺意と憎しみの咆吼が、伝通院境内に響き渡るのだった。 
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