夢見客人飛翔剣

解田明

文字の大きさ
上 下
55 / 59
破邪の暁

魔人の最期

しおりを挟む
 一刀流の極意剣に、妙剣、絶妙剣、真剣、独妙剣、払捨刀ほっしゃとう、夢想剣このほか金翅鳥王剣がある。
 金翅鳥王とは、仏教にいう迦楼羅天かるらてんすなわちインド神話における神鳥ガルーダに由来する。
 金翅鳥片羽九万八千里、海上に出でて竜を食う――。
 ガルーダは、毒蛇を食う猛禽類を神聖視したもので、仏教に取りれられては衆生の煩悩の象徴である悪龍……毒蛇を啄むものとして信仰された。
 金翅鳥王剣は五点之次第として、上段からの五つの技からなる。
 伊東一刀斎の師である鐘巻自斎かねまき じさいが授けた奥義奥伝である。
 神鳥ガルーダが、天空から獲物を狙うがごとく刀を振り上げ、嘴で啄むがごとくその身を守り、丸呑みするがごとく一刀のもとに裂帛の気魄によって倒す。
 この極意の剣を、下段を狙う世槃の剣に対し、客人は飛翔して放った。
 生きる場もなしと補陀落渡海によって伊豆大島に流れ着き、鬼夜叉と名乗った師から天禀を認められて授かった流儀を轟天流とし、榊世槃のシャーナック戦法を破るため新たな剣として鷺の飛翔によって開眼体得したのである。

「ぐっ、お……」

 天からの一刀は、交差させた刃を両断し、魔人世槃の脳髄に達していた。
 ふわりと屋根瓦の上に降り立った客人は、世槃の長身を飛び越えていた。
 振り向くと、世槃はふらふらとニ、三歩ほど力なく歩み、膝から崩れて天を仰いだ。

「お、のれ……。この世に、我が胸の、地獄を……」

 その脳裏に、走馬灯が浮かぶ。
 魔女狩り戦争が生み出した光景。
 死と、死と、限りない死と、憎悪と怨嗟の地獄の世界。
 その地獄の只中にあって、すがった母は魔女として目の前でこの世のものとも思えぬ悲鳴を上げ、悪魔と交わったという罪を自白させられて火炙りとなった。
 一片の肉塊すら残さず浄化するという、正義の名のもとに。
 そしてまた悪魔の子と烙印を背負わされ、蔑まれ、弄ばれ、苛まれ続けた。
 この世は、地獄と変わらぬ。
 死した後に、救済があろうとは信じはしない。
 どれだけ苦しい思いをしたのかを、思い知らせてやりたかった。
 神が救いを与えず、手を差し伸べることなど存在であることをわからせ、嘲笑ってやりたかった。そしてその地獄を生き抜けるのは自分のみと、誇りたかった。
 そう、誰も救いはしない――

「何故、だ……」

 誰も救いはしない、そのはずだ。
 なら、この手に触れる温もりはなんだというのか?
 これから死ぬる身に、溢れるものは涙の雫。

「あなたを救います、諦めたりはしません……」

 千鶴の声であるのは、世槃にはわかっていた。
 だが、涙を流して手に触れるはずがない、そう思っていた。

「悪魔の子を、奇蹟の姫が、救う、か……」
「悪魔の子でも救うから、奇蹟ではないのですか!」

 叫ぶ千鶴の声であった。
 キリシタンから転ばすために、責め苦を味合わせようとした悪魔の申し子を救うという。
 どれだけ深い闇に堕ちたのか、知らずにそういう。
 だが、そんな奇蹟を信じてもいいと思わせた。
 神は、いまだ信じることなどできぬ。
 しかし、聖痕を刻まれた奇蹟の姫の慈悲ならば。

「俺を……闇から救っても、なんの善行にも、ならぬ……」
「いいえ、わたくしはあなたを救います。わたくしが救いを信じることができたのも、夢見様のおかげだから……」

 あの晩、夢見客人が来てくれなければどうなっていたか?
 きっと世槃の手に落ち、棄教して同じく闇を見ていただろう。
 だから、誰かを救うことの意味を知る。
 信じることを信じる、その尊さを。

「夢見、客人よ。俺の、負けだ……」
「紙一重であった。おぬしの剣が怨念に曇った妖剣ではなく、正道をいくものであれば、あるいは」

 剣の奥義は夢想の境地。
 一刀流極意夢想剣とは、夢現ゆめうつつのうちに無心にて敵を倒すもの。
 憎しみに囚われ、邪念がこもればわずかにも鈍る。
 客人を斬ろうと心がはやり、返しの技である飛翔剣に破れたのだ。

「フッ……。奇蹟の姫に……これほど、無垢純真な魂に、恋い焦がれられるとは……妬ましき、かな。夢見客人……」
「世槃」

 流麗な美貌に陰りが浮かぶ。
 世槃が魔に落ちたのも人の弱さゆえかと客人は思う。
 その憎しみは、やはり救いを求めても届かなかった絶望に違いない。
 だが、今はたったひとりだとしても手は差し伸べられた。

「妬みは、大罪だ……。神の国など、御免こうむる。地獄こそ……我が楽園パラディーソ……」

 がくりと、首が力なく傾いた。稀代の魔人、榊世槃の最期であった。
 キリスト教七つの大罪のうち、嫉妬の罪によってみずから地獄に堕ちると嘯いたその死に顔は、何故だか母の傍らで眠る幼子のように安らかであった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~

水葉
歴史・時代
 江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく  三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中 「ほんま相変わらず真面目やなぁ」 「そういう与平、お前は怠けすぎだ」 (やれやれ、また始まったよ……)  また二人と一匹の日常が始まる

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

風と夕陽と子守唄 ――異聞水戸黄門――

北浦寒山
歴史・時代
孤高の渡世人・文十と謎の遊び人・小八郎。ひょんなことから赤ん坊抱え、佐倉へ運ぶ二人旅。 一方、宿命に流される女・お文と水戸藩士・佐々木は別の事情で佐倉へ向かう。 小八郎を狙うは法目の仁兵衛。包囲網が二人を追う。 迫る追手は名うての人斬り・黒野木兄弟は邪剣使い。 謀略渦まく街道過ぎて、何が起こるか城下町。 寒山時代劇アワー・水戸黄門外伝。短編です。 ※他サイトでも掲載。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

焔の牡丹

水城真以
歴史・時代
「思い出乞ひわずらい」の続きです。先にそちらをお読みになってから閲覧よろしくお願いします。 織田信長の嫡男として、正室・帰蝶の養子となっている奇妙丸。ある日、かねてより伏せていた実母・吉乃が病により世を去ったとの報せが届く。当然嫡男として実母の喪主を務められると思っていた奇妙丸だったが、信長から「喪主は弟の茶筅丸に任せる」との決定を告げられ……。

黄金の檻の高貴な囚人

せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。 ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。 仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。 ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。 ※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 ※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html ※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です

処理中です...