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煉獄の闇
鏡写し
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「姫を返してもらおう、榊世槃とやら――」
夢見客人の黒曜のごとき瞳と、色違いの宝石を嵌めたかのような世槃の瞳がお互いを映す。
麗美と妖美が相対した。
「こちらが手に入れたものを、そう簡単には返せぬな。嫌だと言ったら?」
「斬る――」
明瞭な声、そして意志。
村正の冴えた刀身が、風穴の篝火を赤く映した。
「さて、できるかな?」
一方、夜槃も鞘からおのれの刀を抜いた。
加護型護拳をはじめ、拵えは西洋風のものとなっているが、刀身は日本刀の曲線の美を描く。
これもまた、澄んだ光を宿した逸品――。
地肌美しく、沸深い。刃紋は大きく、気品すらある。
湾れ、互の目の刃紋は、客人の御世継ぎ殺しと似たものだ。
氷のような冷たい刀身は、その切れ味を十分に想像させるものであった。
「正宗か……」
思わず、その刀身を見た夢見客人が零した。
五郎入道正宗、日本刀を代表する銘である。
村正が妖刀として伝説を残したならば、正宗は伝説的名刀として名を残す。
相州伝と呼ばれる作風を残し、多くの弟子があったが、現存するものは少ない。
また、村正は正宗の弟子であったという俗説もある。
「これほどの刀が我がものとなったのも、神とやらの巡り合わせよ。名づけて、救世正宗――」
「世を救うつもりか。洒落たものだな」
「いかにも。我こそが地獄から来た救世主也」
「娘ひとりをかどわかし、賊徒を率いて救い主を気取るとは笑止千万」
そう言い切って、客人は正眼に構えた。
「いくらほざいたところで、貴様は俺には勝てぬ。千鶴姫、そこで見ておるがいい」
「あっ……!?」
一方、世槃は千鶴を突き飛ばした。
そして空いた左手に懐から干からびた手首を出した。
「姫よ、おぬしはこの夢見客人が助けに来ることを一縷の望みとしていたな。ならば、ここで俺が断ってくれよう。救いは、俺のみが与えるものと知るがいい」
言い終わると、姿と気配を消すという呪物、栄光の手だ。
まるで、風穴の闇に溶けていくかのように、世槃の姿が消えていく。
「や、やつめ、どこに……!?」
まずは瞳鬼が戸惑いの声を上げる。
隠形の術は忍びにもあるが、それとはまた違う。
魔術、妖術の類いとなれば剣の理の埒外にある。
いかな達人といえど、不可思議な力を使われては分が悪い。
(どこだ……?)
空気の流れ、反響する音、におい、第六感、視覚以外の感覚をすべてを研ぎ澄まして榊世槃の気配を探るが、探り当てることはできない。まさに霞のように消えたのだ。
「破れたり、夢見客人――」
姿は見えねど、世槃の声はどこからともなく響く。
妖術によって気配を消した世槃が、救世正宗が剣を振るえば客人は一巻の終わりとなろう。
そう思われたときであった。
「クェェェェェェッ!!」
鋭い鳴き声が反響すると、一羽の鷹が風穴の中を矢のように飛ぶ。
その声と激しい羽音が背の方から聞こえ、客人は振り向きざまに一閃した。
果たせるかな、その一閃の先に世槃の姿があった。
切っ先は、世槃をわずかに掠めたにとどまった。
しかし、見事に栄光の手の蝋燭の部分を斬り落としていた。
「邪魔が入ったか……」
「破れたのは、おぬしの妖術であったな。公家殿の術破り、しかと拝見した」
鷹は、晴満の式神である。
一度は方違えの形代に謀られたが、この甲州街道の旅に式神を同行させ、こうして術破りを果たしたのである。
「いいだろう、うぬには我が剣を見せてやる」
世槃は、救世政宗を右片手に構える。両手ではない。
そしてその一方、左手は腰に下げた短剣を抜いた。
客人が知らぬ形の武器だ。両刃の刀身に、帆のような護拳が付き、十字の形に鍔が伸びている。
これを左手に構える、独特な構えだ。
「二刀流か」
「ゆくぞ――」
ゆらり、世槃が動く。その剣は下段に向けて放たれる。
客人の野袴を斬り裂くかのような斬撃は軽快で鋭い。
繰り出しては引き、また繰り出す。
対して客人はこれを村正の鎬で弾くが、反撃に移れぬほどの連撃であった。
それも、下段、ちょうど太腿のあたりだ。
「むっ!」
防戦一方となった客人であったが、世槃の剣を巻き上げて弾き上げる。
続いて、袈裟に斬ろうと切り下ろす。
だが、世槃はこれを左の短剣で軽々と防いだ。
返す刃でもう一度、二度と斬りつけるも、これもまた短剣が防いで、逆に切っ先を抑え込む。十字の鍔の端は、鈎のような飾りがついており、これが具合よく刀身を絡め取るのだ。
続いて、右の救世政宗が胴を薙ぐ。
たまらず、客人が飛び退いて間合いを取った。
あの独特の短剣の構造は、刃を防ぐために特化したものだと知る。
そしてまた。下段、特に足を徹底して狙ってくる剣術はいまだ客人も知らぬものであった。
「俺とここまで刃を交えて立っていられたのはうぬが初めてだ、夢見客人」
「それが、おぬしの剣か……」
「この国に来る前に、決闘代理人もしていてな。負けなしであった」
ヨーロッパには、決闘裁判の歴史がある。
この頃をフランス、イタリアを中心に盛んに行われ、剣術の達人を代理人に選定して向かわせることがあった。この代理人を専業にする剣士も登場した。
世槃が持つ左手の防御用短剣は、マンゴーシュという。フランス語で「左手」を意味し、レイピアと併用して使われた。戦時の重装ではなく、平時の軽装での一対一による決闘技術は研究され、フェンシングとなっていくが、相手の足を狙う戦法も流行した。使い手の剣士の名を取って、シャーナック戦法とも呼ばれる。
足は、歩行にも使われるが、第二の心臓とも呼ばれ、太腿には大腿動脈を始め、太い血管が通っている急所だ。また、下段はどうしても視覚になる。足さばきを封じ、殺傷も狙える実践的な戦法であり、本朝では幕末時に脛切り剣法として隆盛する柳剛流がある。
恐るべき使い手に対峙したことで、客人の美貌に険しいものが宿り始めている。
魔術を駆使する妖人、榊世槃は恐るべき剣の使い手でもあったのだ。
両者の命のやり取りは、もはや次元の違うものであり、瞳鬼も敵方の邪々丸も、手を出せず見守るしかない。
絶後の剣士二人が、富士風穴において並ぶのは神聖な儀式のようにさえ思えた。
(どうして……)
二人を瞳に映し、千鶴は気がついたのだ。いや、気づかされたと言っていい。
世槃と客人、どちらも息を呑むほど美しいが、顔かたち、姿は違っている。
構えも、その内にあるものも、また違う。天使と悪魔ほど違うというのに。
なのに――。
「……似ている」
思わず、そう漏らしてしまうほどに。
千鶴だけではない、瞳鬼もまた同感であったのだろう。
千鶴の言葉をきかっけに、それに気づき、あっと息を呑む。
「ほう、俺と同じか」
「……………」
世槃自身も、同じだと言った。
無言であるが、客人も世槃の言葉を認めるしかなかった。
自分自身と鏡写しのように似ている、刃を結ぶ中でそう思い知らされたのだ。
夢見客人の黒曜のごとき瞳と、色違いの宝石を嵌めたかのような世槃の瞳がお互いを映す。
麗美と妖美が相対した。
「こちらが手に入れたものを、そう簡単には返せぬな。嫌だと言ったら?」
「斬る――」
明瞭な声、そして意志。
村正の冴えた刀身が、風穴の篝火を赤く映した。
「さて、できるかな?」
一方、夜槃も鞘からおのれの刀を抜いた。
加護型護拳をはじめ、拵えは西洋風のものとなっているが、刀身は日本刀の曲線の美を描く。
これもまた、澄んだ光を宿した逸品――。
地肌美しく、沸深い。刃紋は大きく、気品すらある。
湾れ、互の目の刃紋は、客人の御世継ぎ殺しと似たものだ。
氷のような冷たい刀身は、その切れ味を十分に想像させるものであった。
「正宗か……」
思わず、その刀身を見た夢見客人が零した。
五郎入道正宗、日本刀を代表する銘である。
村正が妖刀として伝説を残したならば、正宗は伝説的名刀として名を残す。
相州伝と呼ばれる作風を残し、多くの弟子があったが、現存するものは少ない。
また、村正は正宗の弟子であったという俗説もある。
「これほどの刀が我がものとなったのも、神とやらの巡り合わせよ。名づけて、救世正宗――」
「世を救うつもりか。洒落たものだな」
「いかにも。我こそが地獄から来た救世主也」
「娘ひとりをかどわかし、賊徒を率いて救い主を気取るとは笑止千万」
そう言い切って、客人は正眼に構えた。
「いくらほざいたところで、貴様は俺には勝てぬ。千鶴姫、そこで見ておるがいい」
「あっ……!?」
一方、世槃は千鶴を突き飛ばした。
そして空いた左手に懐から干からびた手首を出した。
「姫よ、おぬしはこの夢見客人が助けに来ることを一縷の望みとしていたな。ならば、ここで俺が断ってくれよう。救いは、俺のみが与えるものと知るがいい」
言い終わると、姿と気配を消すという呪物、栄光の手だ。
まるで、風穴の闇に溶けていくかのように、世槃の姿が消えていく。
「や、やつめ、どこに……!?」
まずは瞳鬼が戸惑いの声を上げる。
隠形の術は忍びにもあるが、それとはまた違う。
魔術、妖術の類いとなれば剣の理の埒外にある。
いかな達人といえど、不可思議な力を使われては分が悪い。
(どこだ……?)
空気の流れ、反響する音、におい、第六感、視覚以外の感覚をすべてを研ぎ澄まして榊世槃の気配を探るが、探り当てることはできない。まさに霞のように消えたのだ。
「破れたり、夢見客人――」
姿は見えねど、世槃の声はどこからともなく響く。
妖術によって気配を消した世槃が、救世正宗が剣を振るえば客人は一巻の終わりとなろう。
そう思われたときであった。
「クェェェェェェッ!!」
鋭い鳴き声が反響すると、一羽の鷹が風穴の中を矢のように飛ぶ。
その声と激しい羽音が背の方から聞こえ、客人は振り向きざまに一閃した。
果たせるかな、その一閃の先に世槃の姿があった。
切っ先は、世槃をわずかに掠めたにとどまった。
しかし、見事に栄光の手の蝋燭の部分を斬り落としていた。
「邪魔が入ったか……」
「破れたのは、おぬしの妖術であったな。公家殿の術破り、しかと拝見した」
鷹は、晴満の式神である。
一度は方違えの形代に謀られたが、この甲州街道の旅に式神を同行させ、こうして術破りを果たしたのである。
「いいだろう、うぬには我が剣を見せてやる」
世槃は、救世政宗を右片手に構える。両手ではない。
そしてその一方、左手は腰に下げた短剣を抜いた。
客人が知らぬ形の武器だ。両刃の刀身に、帆のような護拳が付き、十字の形に鍔が伸びている。
これを左手に構える、独特な構えだ。
「二刀流か」
「ゆくぞ――」
ゆらり、世槃が動く。その剣は下段に向けて放たれる。
客人の野袴を斬り裂くかのような斬撃は軽快で鋭い。
繰り出しては引き、また繰り出す。
対して客人はこれを村正の鎬で弾くが、反撃に移れぬほどの連撃であった。
それも、下段、ちょうど太腿のあたりだ。
「むっ!」
防戦一方となった客人であったが、世槃の剣を巻き上げて弾き上げる。
続いて、袈裟に斬ろうと切り下ろす。
だが、世槃はこれを左の短剣で軽々と防いだ。
返す刃でもう一度、二度と斬りつけるも、これもまた短剣が防いで、逆に切っ先を抑え込む。十字の鍔の端は、鈎のような飾りがついており、これが具合よく刀身を絡め取るのだ。
続いて、右の救世政宗が胴を薙ぐ。
たまらず、客人が飛び退いて間合いを取った。
あの独特の短剣の構造は、刃を防ぐために特化したものだと知る。
そしてまた。下段、特に足を徹底して狙ってくる剣術はいまだ客人も知らぬものであった。
「俺とここまで刃を交えて立っていられたのはうぬが初めてだ、夢見客人」
「それが、おぬしの剣か……」
「この国に来る前に、決闘代理人もしていてな。負けなしであった」
ヨーロッパには、決闘裁判の歴史がある。
この頃をフランス、イタリアを中心に盛んに行われ、剣術の達人を代理人に選定して向かわせることがあった。この代理人を専業にする剣士も登場した。
世槃が持つ左手の防御用短剣は、マンゴーシュという。フランス語で「左手」を意味し、レイピアと併用して使われた。戦時の重装ではなく、平時の軽装での一対一による決闘技術は研究され、フェンシングとなっていくが、相手の足を狙う戦法も流行した。使い手の剣士の名を取って、シャーナック戦法とも呼ばれる。
足は、歩行にも使われるが、第二の心臓とも呼ばれ、太腿には大腿動脈を始め、太い血管が通っている急所だ。また、下段はどうしても視覚になる。足さばきを封じ、殺傷も狙える実践的な戦法であり、本朝では幕末時に脛切り剣法として隆盛する柳剛流がある。
恐るべき使い手に対峙したことで、客人の美貌に険しいものが宿り始めている。
魔術を駆使する妖人、榊世槃は恐るべき剣の使い手でもあったのだ。
両者の命のやり取りは、もはや次元の違うものであり、瞳鬼も敵方の邪々丸も、手を出せず見守るしかない。
絶後の剣士二人が、富士風穴において並ぶのは神聖な儀式のようにさえ思えた。
(どうして……)
二人を瞳に映し、千鶴は気がついたのだ。いや、気づかされたと言っていい。
世槃と客人、どちらも息を呑むほど美しいが、顔かたち、姿は違っている。
構えも、その内にあるものも、また違う。天使と悪魔ほど違うというのに。
なのに――。
「……似ている」
思わず、そう漏らしてしまうほどに。
千鶴だけではない、瞳鬼もまた同感であったのだろう。
千鶴の言葉をきかっけに、それに気づき、あっと息を呑む。
「ほう、俺と同じか」
「……………」
世槃自身も、同じだと言った。
無言であるが、客人も世槃の言葉を認めるしかなかった。
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