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煉獄の闇
見えずの手
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晴満の式神を追って、緑覆う青木ヶ原を進み、富岳風穴へと辿り着く。
闇へと続くぽっかりと開いた入口を見て、客人と瞳鬼は立ち止まった。
「剣戟の音と、叫び声だ!」
その奥から、風に乗って聞こえて来る音を捉えた瞳鬼が客人に伝えた。
「やはり何か起こっておるようだな。急ごう」
「待て、灯りを用意する」
瞳鬼は、携帯用の龕燈に火口箱を使って火を灯した。
風穴の闇はどこまでも続いているように思える。
そして聞こえてくる音は、ますます大きくなる。金属が鳴る音、叫び声、大勢が足並みを乱す音だ。
「まるで戦をしているような……」
人が争っているに間違いない気配に、瞳鬼はそう言った。
足早に進むと、やはりその懸念は当たっていた。
洞穴の中に、斬り死にして倒れている者が何人もある。
「仲間割れのようだな」
倒れた者らは、富士行者に変装していたのと同じ紅毛人たちもある。
奇蹟の聖痕を宿した千鶴を巡って、何ががあった、客人はそう見立てた。
「奥にも骸がある……」
洞穴の中で反響する瞳鬼の声が届いたとき、客人は危機を察知した。
死体には、怪異の痕跡が残されていたのだ。
「離れろ、血吸いの鬼に噛まれておる――!」
「何……!?」
「キシャアアアアアアアアア!」
この世のものとは思えぬ叫び声を上げ、瞳鬼に襲いかかる骸を客人は斬り伏せた。
美鈴と同じように、首筋に噛まれた跡があったのだ。
一体、また一体と骸が次々に起き上がる。文字通りの、屍鬼の群れ。
「瞳鬼、下がれ!」
短く指示を出し、襲い来る屍鬼に刃を振るう。
死体となってからも、なおも動く。
洞窟にかけられた松明の薄ら灯りに照らされたその光景は、地獄そのもの――。
磔から降ろされたイエス・キリストを抱くマリアをかたどったピエタの像、またキリシタンが信仰上で追慕する聖人の像の数々が並び、無機質な光に浮かび上がっている。
「……むっ!」
途端、映った影が一斉に揺らぐ。
客人は、すぐに御世継ぎ殺し村正を顔の横にとる上段霞の構えをとって備えた。
轟っ――と何かが迫り、刀に当たって甲高い音と火花が闇に散る。
刀身から伝わってくる手応えは、確かにあった。
だが、何が飛んできたのかはわからぬ。
「新手か!」
「そのようだな」
遅れて苦無を構えた瞳鬼、そして客人がその奥に視線を移す。
「あれを防ぐとは、さすがよな」
五間(約九メートル)ほど先に、痩身長駆の男がいる。
黒装束に、平笠という出で立ちだ。その平笠が、男の面長な顔をさらに際立たせている。
片掌を開き、こちらに向けて、にいっと笑っていた。
「名を聞こうか」
「逆卍党四天王、持国天の隅井麻羽――」
その男、隅井麻羽は問われるままに名乗った。
逆卍党四天王のうち、三人目。これまで稲妻使いの普嶺民部、重力を操ると見せた一石仙人が現れた。それと同等の力を持っていると見ていい。
では、先ほど客人が刀で防いだものも、この隅井麻羽の技であろうか。
客人は、正眼に構えを変えて備える。
まだ敵の手の内はしれないが、間合い五間から攻撃を仕掛けることができる相手だ。まったく油断はできない。
「その様子だと、一石仙人を破ったか。大したものよな」
「おぬしこそ、その技得体が知れぬ。……何を飛ばした?」
「空よ――」
「空、だと」
「いかにも。この掌から発せられる空によって、うぬのその顔は吹っ飛んでいたはず」
そう言って、麻羽は突き出した掌を弓なりに引く。
いや、もう一方も引いた。
何かが来ると感づいた客人は、防御の構えを取った。
「今度はふたついく。しのげると思うな!」
麻羽は引き絞った両の掌を、一気に突き出した。
ぼっと大気を破る音がして、突風が吹いたがごとく松明が揺らいだ。
その場から飛び退いて、二尺三寸の村正を横に構える。
まずは、客人が飛び退く前の場所の地面がえぐれ飛び、続いて刃に重い手応えがあった。
「これは……!?」
「まさか、しのいだとは」
隅井麻羽は、驚愕に目を見開いた。
おのれの忍法には、絶対の自信があった。それを天性の勘で防いだのだ。
「空気を押し出した……?」
仕組みがわからぬが、瞳鬼にはそう見えた。
引いた両の掌を凄まじい速さで突き出し、これを客人に飛ばした、そのようにしか見えなかった。
「忍法“神掌破"……二度まで防がれるとは思わなんだわ。さすがよな、夢見客人」
防いだが、破る手立てはない。
その仕組みは、やはり衝撃波である。
隅井麻羽は、音速を超えて掌を繰り出してこれを対象へと飛ばすという驚天動地の忍法を体得しているのだ。
音速で針を吹くという針一貫の忍法”針剣嵐"をご記憶であろう。
結果となる仕組みは同じだが、これを掌によって発するというのは驚くべき技だ。
人間が生身で音速を超えることが可能であるか? 常識的には不可能であろう。
しかし、世に達人として名を残す武術家うち、音の壁を破っているとしか思えぬような逸話はいつくかある。
拳を繰り出せば大気が震えたというこれが比喩や比喩でなければ、衝撃破の発生を物語っているのではないか? 超音速という概念がない時代のことゆえ、検証の術はない。
ともかく――。
夢見客人がこの富岳風穴で相対しているのは、斯様な化け物なのである。
間合いにして五間、これを詰めなければならない。
一石仙人に使った飛龍剣は、不意をついたればこその技。隅井麻羽には通用しまい。
その掌を引き絞って放つまでには、確かに隙があるかもしれない。
しかし、神掌破が放たれたが最後、見えない衝撃波が五体を砕くであろう。
(やれるか……)
破る算段は唯一あるが、それは神の域に辿り着かねばならぬ。
しかし、夢見客人は覚悟を決めた。到達せねばどのみち敗れるのだ。
刃を寝かせ、横にして腰を低く落とす、腰だめの構えだ。
「……ハッ! そんな構えでどうしようというのか」
「どうなるかは、こちらも未だわからぬがな」
「なら、その美しげな顔を柘榴のごとく弾け飛ばしてくれよう!」
引き絞った両掌を、音速の域で繰り出した。”神掌破”である。
同時に、その腰だめのまま客人は一気に間合いを詰める。
轟音が響き、圧縮された大気が世にも稀なる美貌を吹き飛ばすかに思えたそのとき――
もう一方、音速の域を破ったものがある。
腰だめに払われた、御世継ぎ殺し村正の一閃であった。
鮮やか、あまりにも鮮やかなその銀の刃が、人知を超えた疾さで瞬く。
"神掌破”による衝撃波が、刃によって発生した衝撃破とぶつかり、相殺した。
ぱあん! と甲高い音が谺し、隅井麻羽は思わずよろめいた。
「なんと……!?」
驚愕に目を見開いた麻羽が見たのは、天も羨むほどの美しき剣客の相貌であった。
間合いを詰められれば、衝撃波を生んだほどの疾さの刃を躱せる道理はない。
そのまま、面長の顔半分――両眼のあたりを村正の切っ先がなぞったのである。
揺らめく炎が噴き上がる赤い血を映し、暗がりを彩ったのちに隅井麻羽は倒れた。
「ふうっ……」
大きく息を吐くと、客人は村正を払って血振りした。
音速とは、もはや達人でも辿り着けるかどうかの神の域である。
この一度のみの機会で、精神と肉体、そして技のすべてを注ぎ込んで到達しえたかもわからぬ瀬戸際の賭けであったのだ。
「み、見事だ……」
もはや光を失った麻羽が声を振り絞って唸った。
敵対したものの、おのれと同等の境地……いや、それを超えた技を見せた夢見客人には驚嘆し、讃えずにはおれぬ。
忍法“神掌破”を編み出し、絶対の自信を持つがゆえであった。
「一か八かだ、一歩違っておれば拙者が倒れていたであろう」
それは、客人とて同じ。
見えざる手となって、寸前までその身を脅かした忍法には一種の畏敬を抱いた。
「それほどの技を極めながら……世に出られる生まれ、我らの側であったはずを……」
「世に浮かばれずとも、こうして暇を楽しめるのでな」
「暇人、か……」
御世継ぎ殺しの切っ先は、両眼を切り裂いて麻羽の脳に達していた。
最後に「馬鹿な」と口の形を変えていたが、声にはならなかった。
「この騒ぎだと、姫の身もどうなっておるかわからぬぞ」
「そうだな、無事でいてくれるとよいが」
暇人長屋に押しかけ女房同然で駆け込んできた千鶴の振る舞いには驚かされた客人であるが、今にして思えば、その健気さと身分にとらわれぬところは、得難い心根だと思う。
何が起ころうとしているのかもわからぬこの富岳風穴、客人は瞳鬼とともに奥へと進んでいった。
闇へと続くぽっかりと開いた入口を見て、客人と瞳鬼は立ち止まった。
「剣戟の音と、叫び声だ!」
その奥から、風に乗って聞こえて来る音を捉えた瞳鬼が客人に伝えた。
「やはり何か起こっておるようだな。急ごう」
「待て、灯りを用意する」
瞳鬼は、携帯用の龕燈に火口箱を使って火を灯した。
風穴の闇はどこまでも続いているように思える。
そして聞こえてくる音は、ますます大きくなる。金属が鳴る音、叫び声、大勢が足並みを乱す音だ。
「まるで戦をしているような……」
人が争っているに間違いない気配に、瞳鬼はそう言った。
足早に進むと、やはりその懸念は当たっていた。
洞穴の中に、斬り死にして倒れている者が何人もある。
「仲間割れのようだな」
倒れた者らは、富士行者に変装していたのと同じ紅毛人たちもある。
奇蹟の聖痕を宿した千鶴を巡って、何ががあった、客人はそう見立てた。
「奥にも骸がある……」
洞穴の中で反響する瞳鬼の声が届いたとき、客人は危機を察知した。
死体には、怪異の痕跡が残されていたのだ。
「離れろ、血吸いの鬼に噛まれておる――!」
「何……!?」
「キシャアアアアアアアアア!」
この世のものとは思えぬ叫び声を上げ、瞳鬼に襲いかかる骸を客人は斬り伏せた。
美鈴と同じように、首筋に噛まれた跡があったのだ。
一体、また一体と骸が次々に起き上がる。文字通りの、屍鬼の群れ。
「瞳鬼、下がれ!」
短く指示を出し、襲い来る屍鬼に刃を振るう。
死体となってからも、なおも動く。
洞窟にかけられた松明の薄ら灯りに照らされたその光景は、地獄そのもの――。
磔から降ろされたイエス・キリストを抱くマリアをかたどったピエタの像、またキリシタンが信仰上で追慕する聖人の像の数々が並び、無機質な光に浮かび上がっている。
「……むっ!」
途端、映った影が一斉に揺らぐ。
客人は、すぐに御世継ぎ殺し村正を顔の横にとる上段霞の構えをとって備えた。
轟っ――と何かが迫り、刀に当たって甲高い音と火花が闇に散る。
刀身から伝わってくる手応えは、確かにあった。
だが、何が飛んできたのかはわからぬ。
「新手か!」
「そのようだな」
遅れて苦無を構えた瞳鬼、そして客人がその奥に視線を移す。
「あれを防ぐとは、さすがよな」
五間(約九メートル)ほど先に、痩身長駆の男がいる。
黒装束に、平笠という出で立ちだ。その平笠が、男の面長な顔をさらに際立たせている。
片掌を開き、こちらに向けて、にいっと笑っていた。
「名を聞こうか」
「逆卍党四天王、持国天の隅井麻羽――」
その男、隅井麻羽は問われるままに名乗った。
逆卍党四天王のうち、三人目。これまで稲妻使いの普嶺民部、重力を操ると見せた一石仙人が現れた。それと同等の力を持っていると見ていい。
では、先ほど客人が刀で防いだものも、この隅井麻羽の技であろうか。
客人は、正眼に構えを変えて備える。
まだ敵の手の内はしれないが、間合い五間から攻撃を仕掛けることができる相手だ。まったく油断はできない。
「その様子だと、一石仙人を破ったか。大したものよな」
「おぬしこそ、その技得体が知れぬ。……何を飛ばした?」
「空よ――」
「空、だと」
「いかにも。この掌から発せられる空によって、うぬのその顔は吹っ飛んでいたはず」
そう言って、麻羽は突き出した掌を弓なりに引く。
いや、もう一方も引いた。
何かが来ると感づいた客人は、防御の構えを取った。
「今度はふたついく。しのげると思うな!」
麻羽は引き絞った両の掌を、一気に突き出した。
ぼっと大気を破る音がして、突風が吹いたがごとく松明が揺らいだ。
その場から飛び退いて、二尺三寸の村正を横に構える。
まずは、客人が飛び退く前の場所の地面がえぐれ飛び、続いて刃に重い手応えがあった。
「これは……!?」
「まさか、しのいだとは」
隅井麻羽は、驚愕に目を見開いた。
おのれの忍法には、絶対の自信があった。それを天性の勘で防いだのだ。
「空気を押し出した……?」
仕組みがわからぬが、瞳鬼にはそう見えた。
引いた両の掌を凄まじい速さで突き出し、これを客人に飛ばした、そのようにしか見えなかった。
「忍法“神掌破"……二度まで防がれるとは思わなんだわ。さすがよな、夢見客人」
防いだが、破る手立てはない。
その仕組みは、やはり衝撃波である。
隅井麻羽は、音速を超えて掌を繰り出してこれを対象へと飛ばすという驚天動地の忍法を体得しているのだ。
音速で針を吹くという針一貫の忍法”針剣嵐"をご記憶であろう。
結果となる仕組みは同じだが、これを掌によって発するというのは驚くべき技だ。
人間が生身で音速を超えることが可能であるか? 常識的には不可能であろう。
しかし、世に達人として名を残す武術家うち、音の壁を破っているとしか思えぬような逸話はいつくかある。
拳を繰り出せば大気が震えたというこれが比喩や比喩でなければ、衝撃破の発生を物語っているのではないか? 超音速という概念がない時代のことゆえ、検証の術はない。
ともかく――。
夢見客人がこの富岳風穴で相対しているのは、斯様な化け物なのである。
間合いにして五間、これを詰めなければならない。
一石仙人に使った飛龍剣は、不意をついたればこその技。隅井麻羽には通用しまい。
その掌を引き絞って放つまでには、確かに隙があるかもしれない。
しかし、神掌破が放たれたが最後、見えない衝撃波が五体を砕くであろう。
(やれるか……)
破る算段は唯一あるが、それは神の域に辿り着かねばならぬ。
しかし、夢見客人は覚悟を決めた。到達せねばどのみち敗れるのだ。
刃を寝かせ、横にして腰を低く落とす、腰だめの構えだ。
「……ハッ! そんな構えでどうしようというのか」
「どうなるかは、こちらも未だわからぬがな」
「なら、その美しげな顔を柘榴のごとく弾け飛ばしてくれよう!」
引き絞った両掌を、音速の域で繰り出した。”神掌破”である。
同時に、その腰だめのまま客人は一気に間合いを詰める。
轟音が響き、圧縮された大気が世にも稀なる美貌を吹き飛ばすかに思えたそのとき――
もう一方、音速の域を破ったものがある。
腰だめに払われた、御世継ぎ殺し村正の一閃であった。
鮮やか、あまりにも鮮やかなその銀の刃が、人知を超えた疾さで瞬く。
"神掌破”による衝撃波が、刃によって発生した衝撃破とぶつかり、相殺した。
ぱあん! と甲高い音が谺し、隅井麻羽は思わずよろめいた。
「なんと……!?」
驚愕に目を見開いた麻羽が見たのは、天も羨むほどの美しき剣客の相貌であった。
間合いを詰められれば、衝撃波を生んだほどの疾さの刃を躱せる道理はない。
そのまま、面長の顔半分――両眼のあたりを村正の切っ先がなぞったのである。
揺らめく炎が噴き上がる赤い血を映し、暗がりを彩ったのちに隅井麻羽は倒れた。
「ふうっ……」
大きく息を吐くと、客人は村正を払って血振りした。
音速とは、もはや達人でも辿り着けるかどうかの神の域である。
この一度のみの機会で、精神と肉体、そして技のすべてを注ぎ込んで到達しえたかもわからぬ瀬戸際の賭けであったのだ。
「み、見事だ……」
もはや光を失った麻羽が声を振り絞って唸った。
敵対したものの、おのれと同等の境地……いや、それを超えた技を見せた夢見客人には驚嘆し、讃えずにはおれぬ。
忍法“神掌破”を編み出し、絶対の自信を持つがゆえであった。
「一か八かだ、一歩違っておれば拙者が倒れていたであろう」
それは、客人とて同じ。
見えざる手となって、寸前までその身を脅かした忍法には一種の畏敬を抱いた。
「それほどの技を極めながら……世に出られる生まれ、我らの側であったはずを……」
「世に浮かばれずとも、こうして暇を楽しめるのでな」
「暇人、か……」
御世継ぎ殺しの切っ先は、両眼を切り裂いて麻羽の脳に達していた。
最後に「馬鹿な」と口の形を変えていたが、声にはならなかった。
「この騒ぎだと、姫の身もどうなっておるかわからぬぞ」
「そうだな、無事でいてくれるとよいが」
暇人長屋に押しかけ女房同然で駆け込んできた千鶴の振る舞いには驚かされた客人であるが、今にして思えば、その健気さと身分にとらわれぬところは、得難い心根だと思う。
何が起ころうとしているのかもわからぬこの富岳風穴、客人は瞳鬼とともに奥へと進んでいった。
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