28 / 59
魔宴の響き
死して願いし
しおりを挟む
天次郎が破った門を破って中に乗り込むと、錫杖を構えた行者たちが出迎えた。
さっそくとばかりに、客人と天次郎がそれぞれに斬り倒していく。
「やはり、こやつらただの行者じゃねえな」
「ああ、逆卍党は、この空き屋敷を江戸の根城としていたようだ」
錫杖からは仕込みの刃や鎖分銅が現われ、斬りつけた鈴懸の下からは、着込みの鎖帷子が現れる。
旅の行者ともなれば相応の備えはするものであるが、忍びが使う武具と身のこなしから只者ではないことは明らかだ。
「いや、しかし、こやつらは……」
遅れて屋敷に入ってきた想庵は、斬り倒された富士行者の姿に何か違和感を覚えている。
「想庵先生、後回しに頼むぜ!」
「む、そうであるか」
じっくり検分したいところであるが、いまや敵陣に踏み込んだ最中であればそうもいかない。
屋敷の間取りはなかなかに広く、土蔵も三つほどある。隈なくあらためるとなると、それなりに手間取ることになろう。
「夢さん、手分けして探すか。ここから俺と想庵先生で右を行こう」
「では、拙者は左だ」
「待て夢見客人、私も行く!」
瞳鬼が、慌てて客人に同行を申し出る。
彼女の役目は客人が持つ御世継ぎ殺し村正の監視であるから、目を離すわけにはいかない。
「千鶴姫、おられたらご返事を」
襲い来る者たちを斬り伏せては襖を開け放つ。
無論、怪忍者集団がその根城とした屋敷である。
開いた途端、畳の下から槍衾が突き立ってきた。
すでにその気配を察していた客人は、一旦身を引いて躱し、穂先を斬り払う。
どんでん返しや隠し戸から身を隠していた忍びが現れ、刀隠しの武具を手に取り、立ち向かってくる。
「忍び屋敷に造り変えられていたようだな」
「江戸の外れにこんなものを。油断するなよ? その御世継ぎ殺しを賊どもに渡すわけにはいかんのじゃ」
「心得ている。千鶴姫を取り返し、早々に退散いたすとしよう」
瞳鬼に背を任し、客人は現れた敵を斬る。
正面の二人を正眼からの連撃で倒し、天井から吹き矢で狙う一人には小柄を放って牽制し、瞳鬼に任せた。
「千鶴姫――!」
向かう敵を斬り伏せ、次々に襖を開けて奥座敷まで進むと、顔を伏せた千鶴が置物のように座っていた。
返事はない、怪訝に思った客人は歩を止める。
「…………」
「おい、何を!?」
何を思ったか、客人は御世継ぎ殺し村正を一閃させた。
バサリ――と着物が落ちる。
千鶴ではなかったのだ。
斬られた人形と、一房の髪があるのみ。
「……どういうことじゃ?」
「形代の術だ、公家殿ですら欺かれたのだ」
戸惑う瞳鬼に、客人が答える。
逆卍党は、こちらが式占で探るのも見越したうえで、その形代をこしらえていたのである。
形代とは、呪術でその対象の身代わりとなるもののことをいう。
千鶴姫の髪と人形を使って、あたかもそこに気配があるかのように錯覚させたのである。
「そうよ、まんまと引っかかったというわけよ――」
不気味な声が聞こえた。その途端だった。
「あっ」と瞳鬼が倒れ、奥に引きずられていく。
開け放った襖も、次々に閉まって姿を消した。
わずか一瞬のことであった。
「瞳鬼!」
客人も追った。
罠があるのは、先刻承知だが追わぬわけにはいかぬ。
閉ざされた襖を開け、消えた先を追う。
屋敷の中は意図的に光が行き渡らぬようにしてあるのか、薄暗く陰っている。
「む――!」
「く、来るな!」
まるで、中に磔にされたような姿の瞳鬼がある。
見えない糸に絡め取られているのだ。
「斯様なくのいちでも、大事と見える」
ぼうっと影から現れ瞳鬼の背後に張り付いたのは、およそ人とは思えぬ姿――。
枯れ木のようにやせ細ったひょろ長い手足の怪忍者、糸巻随軒であった。
「おぬしか、吉原の夜に会うたな」
「わしは、その前からおぬしを知っておったがな。夢見客人――」
喉を鳴らして含み笑いをする随軒に、客人も剣を向けた。
「放してやれ。その娘は拙者について来ただけだ」
「いいや、こやつは一度は見逃してやった。ニ度目は邪魔立てに入った。三度目はない」
吉原で、焙烙玉を使って客人を逃したことだ。
柳生の刺客、斉藤丈之介もその場にいたが、まさに瞳鬼が相手を煙に巻くことで急を脱している。
「私に構うな! おぬしが相手をすることはない」
瞳鬼の役目は、御世継ぎ殺し村正が誰かの手に渡らぬよう監視すること。夢見客人に同行したのはそのためであり、自分のために危険に晒したとなっては目的と逆のことになる。
客人の刀には、豊臣の莫大な隠し財宝に繋がる手がかりがある。
柳生と伊賀の隠密も、これを巡って暗闘を始めている。
ましてや、怪しげな賊の手に渡ることがあってはならないのだ。
だが、しかし――。
役目のとは別に、おのれのために夢見客人の身を危険に晒したくはないとの感情も芽生えている。
「ふん、自分に構うなか。そうじゃのう、どうせこやつも公儀の犬じゃ。いくらでも代わりはおる」
随軒に、加虐の喜びが沸いた。
瞳鬼の胸元の装束を、一気に引き裂く。
白い双丘と、薄紅の乳首までが露わになってしまう。
「ああっ――!?」
「ほう、左の目玉が飛び出し醜いが、女としては育っておる。どうせ貰い手もつくまい。わしが存分に可愛がってら殺してくれよう」
瞳鬼の首筋に、随軒の赤い舌が這う。
頬は羞恥に染まり、悪寒と辱めに身が震えた。
忍びとなってから、女はとうに捨てたはず。
だというのに、何故このような情が残っているのか。
無様な様を、見られたくはなかった。この世にただひとり、夢見客人にだけは――。
「ん? こやつ泣いておるか。くくく、未熟者め。化け物の目から涙とは笑わせるわ!」
随軒は、存分に嘲り、笑う。
幕府の手の者である瞳鬼に対して容赦する心などなく、そうした獲物であるからこそ嬲り甲斐がある。
心を苛み弄び、苦しめることこそが、この怪忍者の愉悦であった。
「よせ、そこまでにしろ」
「カカカ、人の心配をしておる場合ではないぞ。すでにおぬしはわしの術中にある――」
随軒は、すっと黒い糸を手繰った。忍法“乱れ髪”である。
すでに部屋中に張り巡らされており、客人が瞳鬼を追ってくるのを待ち受けていたのだ。
「そうであったな、これがおぬしの忍法であった」
「いかにも、わしの乱れ髪じゃ! 砕いたギヤマンの粉を膠に混ぜて塗ってある。おぬしもバラバラにしてくれよう」
アジア圏の喧嘩凧では、凧糸にガラスの粉を接着剤で塗ることがある。これによって相手の糸を切断できるようになる。
客人が振り払おうとしても、容易に斬れるものでない。
もがけばもがくほど、絡みつき、じわじわと食い込んでいく。
「……この髪、誰のものだ?」
「聞きたいか? わしの妻と娘のものじゃ。公儀の手によって無残に殺されたな!」
乱れ髪に使われたのは、髄軒の妻と娘のものである。
それを武器に変え、その恨みを幕府の手の者に向ける。
随軒の恨みの源泉こそ、忍法“乱れ髪”なのだ。
「大坂側についたといって、公儀は残党狩りの名目でわしの妻子を無残に殺しおった。晒しとなった妻と娘の髪は、死んでからも伸びた! わしに仇を取ってくれと訴えてな」
大坂の陣の後、幕府の残党狩りは熾烈を極めた。
連座によって、一族郎党が刑場の梅雨に消えた例は珍しくはなかった。
糸巻随軒は、その追求から逃れたものの、妻と娘を救うことができなかった。
美しい黒髪が自慢の妻であり、娘も妻に似ていた。
髪は、死後も伸びるという。
実際に伸びているわけではなく、肉体が朽ちることによって相対的にそう見えるのだともいわれるが、随軒はこれを妻と娘の訴えだと信じた。
悔恨と嘆きの中で見いだした救いが、この乱れ髪に込められた狂気である。
「そうであったのか」
客人は、刀の切っ先を下げた。
それは、観念して刃向かう気力を失ったかのように思えた。
「観念したか? それがよい。恨みの込められた髪は、うぬがいくらもがこうが切れることはないのじゃ」
「おぬしは、妻と娘がそうまでして仇討ちを望んでおると思っておるのか?」
「無論よ。こうしてわしの手によって恨みを晴らすことこそがせめてもの手向けじゃ!」
随軒は目を剥いて抗いの言葉を吐いた。
妻と娘が敵討ちを望んでいるのは確かなことだ、疑う余地などない。
惨たらしく殺された亡骸から、幾日経っても髪は伸び続けた。
自分たちの恨みは、まだ生きているのだと髄軒に訴えかけるかのように。
「不憫な……」
哀切とともに客人は吐息を漏らした。
その黒瞳から、優美な頬を伝って一粒こぼれるものがある。
涙――。
まさしく、朝露のように乱れ髪に落ちた。
すると、どうしたことか。
「――な、何故じゃ!?」
乱れ髪が、ひとりでに客人から解けていった。
恨みが、晴れていくかのように。
「おぬしの妻子は、おぬしが人の道理から外れ、身も心も化け物となってほしいと願ったわけではあるまい」
「何を言うか! うぬに何がわかる!」
「拙者にはわからぬ。だが、聞こえる。もう恨みのために苦しまないでほしい、との声が――」
「お、おのれ、戯言を!」
「戯言ではない。大事な人に、ただ平穏に生きてほしい。誰もがそう願うのではないか」
随軒は当惑した。
伸びた髪は、本当に恨みが込められていたのか。
おのれが、そう信じたかっただけではないのか。
妻と娘は、そんな声を発していたのか――。
いや、聞こえていたのだ。
おのれの怨念こそ正しいとするために、聞こえていたのに耳を塞いでいた。
あれほど、妻と娘の声を望んでいたというのに。
その声を聞き届けてくれたからこそ、乱れ髪は夢見客人から解れたのではないのか。
「うがあああああああああっ!!」
絶叫とともに、随軒は背負った刀を抜いて客人に斬りかかる。
人の情を捨、獣となった咆吼か、言葉にならない情が押し寄せたのか。
すっと銀光が一閃する。それは慈悲の一刀ではなかったか。
糸巻随軒は、そのまま乱れ髪の中にどさりと倒れた。
さっそくとばかりに、客人と天次郎がそれぞれに斬り倒していく。
「やはり、こやつらただの行者じゃねえな」
「ああ、逆卍党は、この空き屋敷を江戸の根城としていたようだ」
錫杖からは仕込みの刃や鎖分銅が現われ、斬りつけた鈴懸の下からは、着込みの鎖帷子が現れる。
旅の行者ともなれば相応の備えはするものであるが、忍びが使う武具と身のこなしから只者ではないことは明らかだ。
「いや、しかし、こやつらは……」
遅れて屋敷に入ってきた想庵は、斬り倒された富士行者の姿に何か違和感を覚えている。
「想庵先生、後回しに頼むぜ!」
「む、そうであるか」
じっくり検分したいところであるが、いまや敵陣に踏み込んだ最中であればそうもいかない。
屋敷の間取りはなかなかに広く、土蔵も三つほどある。隈なくあらためるとなると、それなりに手間取ることになろう。
「夢さん、手分けして探すか。ここから俺と想庵先生で右を行こう」
「では、拙者は左だ」
「待て夢見客人、私も行く!」
瞳鬼が、慌てて客人に同行を申し出る。
彼女の役目は客人が持つ御世継ぎ殺し村正の監視であるから、目を離すわけにはいかない。
「千鶴姫、おられたらご返事を」
襲い来る者たちを斬り伏せては襖を開け放つ。
無論、怪忍者集団がその根城とした屋敷である。
開いた途端、畳の下から槍衾が突き立ってきた。
すでにその気配を察していた客人は、一旦身を引いて躱し、穂先を斬り払う。
どんでん返しや隠し戸から身を隠していた忍びが現れ、刀隠しの武具を手に取り、立ち向かってくる。
「忍び屋敷に造り変えられていたようだな」
「江戸の外れにこんなものを。油断するなよ? その御世継ぎ殺しを賊どもに渡すわけにはいかんのじゃ」
「心得ている。千鶴姫を取り返し、早々に退散いたすとしよう」
瞳鬼に背を任し、客人は現れた敵を斬る。
正面の二人を正眼からの連撃で倒し、天井から吹き矢で狙う一人には小柄を放って牽制し、瞳鬼に任せた。
「千鶴姫――!」
向かう敵を斬り伏せ、次々に襖を開けて奥座敷まで進むと、顔を伏せた千鶴が置物のように座っていた。
返事はない、怪訝に思った客人は歩を止める。
「…………」
「おい、何を!?」
何を思ったか、客人は御世継ぎ殺し村正を一閃させた。
バサリ――と着物が落ちる。
千鶴ではなかったのだ。
斬られた人形と、一房の髪があるのみ。
「……どういうことじゃ?」
「形代の術だ、公家殿ですら欺かれたのだ」
戸惑う瞳鬼に、客人が答える。
逆卍党は、こちらが式占で探るのも見越したうえで、その形代をこしらえていたのである。
形代とは、呪術でその対象の身代わりとなるもののことをいう。
千鶴姫の髪と人形を使って、あたかもそこに気配があるかのように錯覚させたのである。
「そうよ、まんまと引っかかったというわけよ――」
不気味な声が聞こえた。その途端だった。
「あっ」と瞳鬼が倒れ、奥に引きずられていく。
開け放った襖も、次々に閉まって姿を消した。
わずか一瞬のことであった。
「瞳鬼!」
客人も追った。
罠があるのは、先刻承知だが追わぬわけにはいかぬ。
閉ざされた襖を開け、消えた先を追う。
屋敷の中は意図的に光が行き渡らぬようにしてあるのか、薄暗く陰っている。
「む――!」
「く、来るな!」
まるで、中に磔にされたような姿の瞳鬼がある。
見えない糸に絡め取られているのだ。
「斯様なくのいちでも、大事と見える」
ぼうっと影から現れ瞳鬼の背後に張り付いたのは、およそ人とは思えぬ姿――。
枯れ木のようにやせ細ったひょろ長い手足の怪忍者、糸巻随軒であった。
「おぬしか、吉原の夜に会うたな」
「わしは、その前からおぬしを知っておったがな。夢見客人――」
喉を鳴らして含み笑いをする随軒に、客人も剣を向けた。
「放してやれ。その娘は拙者について来ただけだ」
「いいや、こやつは一度は見逃してやった。ニ度目は邪魔立てに入った。三度目はない」
吉原で、焙烙玉を使って客人を逃したことだ。
柳生の刺客、斉藤丈之介もその場にいたが、まさに瞳鬼が相手を煙に巻くことで急を脱している。
「私に構うな! おぬしが相手をすることはない」
瞳鬼の役目は、御世継ぎ殺し村正が誰かの手に渡らぬよう監視すること。夢見客人に同行したのはそのためであり、自分のために危険に晒したとなっては目的と逆のことになる。
客人の刀には、豊臣の莫大な隠し財宝に繋がる手がかりがある。
柳生と伊賀の隠密も、これを巡って暗闘を始めている。
ましてや、怪しげな賊の手に渡ることがあってはならないのだ。
だが、しかし――。
役目のとは別に、おのれのために夢見客人の身を危険に晒したくはないとの感情も芽生えている。
「ふん、自分に構うなか。そうじゃのう、どうせこやつも公儀の犬じゃ。いくらでも代わりはおる」
随軒に、加虐の喜びが沸いた。
瞳鬼の胸元の装束を、一気に引き裂く。
白い双丘と、薄紅の乳首までが露わになってしまう。
「ああっ――!?」
「ほう、左の目玉が飛び出し醜いが、女としては育っておる。どうせ貰い手もつくまい。わしが存分に可愛がってら殺してくれよう」
瞳鬼の首筋に、随軒の赤い舌が這う。
頬は羞恥に染まり、悪寒と辱めに身が震えた。
忍びとなってから、女はとうに捨てたはず。
だというのに、何故このような情が残っているのか。
無様な様を、見られたくはなかった。この世にただひとり、夢見客人にだけは――。
「ん? こやつ泣いておるか。くくく、未熟者め。化け物の目から涙とは笑わせるわ!」
随軒は、存分に嘲り、笑う。
幕府の手の者である瞳鬼に対して容赦する心などなく、そうした獲物であるからこそ嬲り甲斐がある。
心を苛み弄び、苦しめることこそが、この怪忍者の愉悦であった。
「よせ、そこまでにしろ」
「カカカ、人の心配をしておる場合ではないぞ。すでにおぬしはわしの術中にある――」
随軒は、すっと黒い糸を手繰った。忍法“乱れ髪”である。
すでに部屋中に張り巡らされており、客人が瞳鬼を追ってくるのを待ち受けていたのだ。
「そうであったな、これがおぬしの忍法であった」
「いかにも、わしの乱れ髪じゃ! 砕いたギヤマンの粉を膠に混ぜて塗ってある。おぬしもバラバラにしてくれよう」
アジア圏の喧嘩凧では、凧糸にガラスの粉を接着剤で塗ることがある。これによって相手の糸を切断できるようになる。
客人が振り払おうとしても、容易に斬れるものでない。
もがけばもがくほど、絡みつき、じわじわと食い込んでいく。
「……この髪、誰のものだ?」
「聞きたいか? わしの妻と娘のものじゃ。公儀の手によって無残に殺されたな!」
乱れ髪に使われたのは、髄軒の妻と娘のものである。
それを武器に変え、その恨みを幕府の手の者に向ける。
随軒の恨みの源泉こそ、忍法“乱れ髪”なのだ。
「大坂側についたといって、公儀は残党狩りの名目でわしの妻子を無残に殺しおった。晒しとなった妻と娘の髪は、死んでからも伸びた! わしに仇を取ってくれと訴えてな」
大坂の陣の後、幕府の残党狩りは熾烈を極めた。
連座によって、一族郎党が刑場の梅雨に消えた例は珍しくはなかった。
糸巻随軒は、その追求から逃れたものの、妻と娘を救うことができなかった。
美しい黒髪が自慢の妻であり、娘も妻に似ていた。
髪は、死後も伸びるという。
実際に伸びているわけではなく、肉体が朽ちることによって相対的にそう見えるのだともいわれるが、随軒はこれを妻と娘の訴えだと信じた。
悔恨と嘆きの中で見いだした救いが、この乱れ髪に込められた狂気である。
「そうであったのか」
客人は、刀の切っ先を下げた。
それは、観念して刃向かう気力を失ったかのように思えた。
「観念したか? それがよい。恨みの込められた髪は、うぬがいくらもがこうが切れることはないのじゃ」
「おぬしは、妻と娘がそうまでして仇討ちを望んでおると思っておるのか?」
「無論よ。こうしてわしの手によって恨みを晴らすことこそがせめてもの手向けじゃ!」
随軒は目を剥いて抗いの言葉を吐いた。
妻と娘が敵討ちを望んでいるのは確かなことだ、疑う余地などない。
惨たらしく殺された亡骸から、幾日経っても髪は伸び続けた。
自分たちの恨みは、まだ生きているのだと髄軒に訴えかけるかのように。
「不憫な……」
哀切とともに客人は吐息を漏らした。
その黒瞳から、優美な頬を伝って一粒こぼれるものがある。
涙――。
まさしく、朝露のように乱れ髪に落ちた。
すると、どうしたことか。
「――な、何故じゃ!?」
乱れ髪が、ひとりでに客人から解けていった。
恨みが、晴れていくかのように。
「おぬしの妻子は、おぬしが人の道理から外れ、身も心も化け物となってほしいと願ったわけではあるまい」
「何を言うか! うぬに何がわかる!」
「拙者にはわからぬ。だが、聞こえる。もう恨みのために苦しまないでほしい、との声が――」
「お、おのれ、戯言を!」
「戯言ではない。大事な人に、ただ平穏に生きてほしい。誰もがそう願うのではないか」
随軒は当惑した。
伸びた髪は、本当に恨みが込められていたのか。
おのれが、そう信じたかっただけではないのか。
妻と娘は、そんな声を発していたのか――。
いや、聞こえていたのだ。
おのれの怨念こそ正しいとするために、聞こえていたのに耳を塞いでいた。
あれほど、妻と娘の声を望んでいたというのに。
その声を聞き届けてくれたからこそ、乱れ髪は夢見客人から解れたのではないのか。
「うがあああああああああっ!!」
絶叫とともに、随軒は背負った刀を抜いて客人に斬りかかる。
人の情を捨、獣となった咆吼か、言葉にならない情が押し寄せたのか。
すっと銀光が一閃する。それは慈悲の一刀ではなかったか。
糸巻随軒は、そのまま乱れ髪の中にどさりと倒れた。
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~
水葉
歴史・時代
江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく
三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中
「ほんま相変わらず真面目やなぁ」
「そういう与平、お前は怠けすぎだ」
(やれやれ、また始まったよ……)
また二人と一匹の日常が始まる
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
風と夕陽と子守唄 ――異聞水戸黄門――
北浦寒山
歴史・時代
孤高の渡世人・文十と謎の遊び人・小八郎。ひょんなことから赤ん坊抱え、佐倉へ運ぶ二人旅。
一方、宿命に流される女・お文と水戸藩士・佐々木は別の事情で佐倉へ向かう。
小八郎を狙うは法目の仁兵衛。包囲網が二人を追う。
迫る追手は名うての人斬り・黒野木兄弟は邪剣使い。
謀略渦まく街道過ぎて、何が起こるか城下町。
寒山時代劇アワー・水戸黄門外伝。短編です。
※他サイトでも掲載。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
焔の牡丹
水城真以
歴史・時代
「思い出乞ひわずらい」の続きです。先にそちらをお読みになってから閲覧よろしくお願いします。
織田信長の嫡男として、正室・帰蝶の養子となっている奇妙丸。ある日、かねてより伏せていた実母・吉乃が病により世を去ったとの報せが届く。当然嫡男として実母の喪主を務められると思っていた奇妙丸だったが、信長から「喪主は弟の茶筅丸に任せる」との決定を告げられ……。
黄金の檻の高貴な囚人
せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。
ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。
仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。
ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。
※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129
※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません
https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html
※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる