夢見客人飛翔剣

解田明

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現の幻

地獄念仏滅法衆

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「……姐さんよ。夢さんを襲った刺客というのは、こやつらか?」

 天次郎は、目の前の異様な集団から目を離さずに訊いた。

「いえ、違うようですが……」
「では誰の客だ? 俺は坊主にゃ感謝されても、恨まれる筋合いはねえよ」
「ほう、してその心は?」
「ずいぶんと葬式を出して稼がせてやっておるからな」
「ふうむ、すると誰のお客でおじゃろう?」

 天次郎と晴満は軽口を飛ばしているが、その目に鋭いものが宿りはじめている。
 何かが始まる――そんな気配が高まってゆく。

「あの、あれは一体……?」

 千鶴は、不安になって晴満に訊ねた。

「九分九厘、何人かを亡き者にしようとする者でおじゃろう。網代雲水あじろうんすい虚無僧こむそう願人坊主かんじんぼうずに山伏……このあたりは変装の定番でおじゃるよ」

 事もなげに言ってのける晴満。
 晴満だけではない、天次郎も美鈴も、たいして慌てた素振りが見えない。
 一体、彼ら暇人長屋の住人とは何者であろうか?

『――色即是空、空即是空……』

 念仏を唱えながら現れた雲水の群れは、蟻の列のように整然と連なっている。
 彼らは足並みを揃えて、ぴたりと足を止めた。

「そちらの方々にひとつ伺おう。このあたりに、さる大名家の姫君がおられると伺ってきたがのだが?」

 先頭の雲水が口を開く。
 それは間違いなく、千鶴のことを差している。
 青ざめる千鶴の前に、美鈴が庇うように歩み出た。

 ――大丈夫、安心なさい。

 微笑みの表情で、そう言っていた。

「いたらどうだってんだ、坊さん方よ」

 天次郎は不敵な笑みを湛えて答える。
 すると、雲水はすっと三本の指を立てた。

「三〇両出す。それでこちらにお引渡し願いたい」
「ずいぶん出すじゃねえか。余程なことがあるようだな」
「無用な詮索は、寿命を縮めることになる」

 言った雲水は網代笠を深く被っているので表情は窺えない。
 穏やかな物言いだが、それだけに不気味なものを感じさせる。

「しかし、近頃は坊主が人買いの真似までするのか。まったく世も末だな」
「いかにもこの世は末法。これも衆生救済の道と心得よ」
「けっ! 寝言は寝てから言いやがれ。だいたい手前てめえらのような怪しげな連中、誰が信じる? とっとと帰りな! さもないと、坊主が群れなして三途の川を渡ることになるぜ」
「罰当たりな。大人しく従っておればよいものを。つまらん意地を張ると、冥土へゆくことになるぞ!」

 しゃん――と、環杖が鳴った。
 瞬間、凄まじい疾さで雲水たちは散開した。
 四方に散り、地を跳ね、屋根に飛び、存分に人間離れした身軽さを見せつける。
 それぞれ手にした環杖が、さまざまな武器へと変わる。仕込み刀に鎖分銅、手槍に吹き矢、鎖鎌等々……。

「おうおう、始めっからそうしていりゃあいいんだよ。くだらねえ御託並べやがって!」

 天次郎は大剣を鞘から抜き放ち、片手で軽々を振りかざす。
 途方もない重みが大気を掻き回し、鈍い唸りを上げる。
 その構えは、剣というよりも槍の用法に近い。

「フフフフフ……我ら滅法衆を、馬鹿力だけで相手できるとは思わぬことじゃ」
「よもやそなたたち、逆卍党の手の者でおじゃるか?」

 考えを巡らせていた様子だった晴満が、出し抜けに問うた。

「知ったところで詮なきことよ。我ら滅法衆めっぽうしゅうの“曼荼羅結界”によって今生を終える身にはな」

 返ってきたのは諾とも否とも言わぬ返答。しかし、それで十分。

「ふむ。だとしたらずいぶん事を焦っておるの。何故じゃ?」
「…………」

 仮に滅法衆と名乗る怪僧集団が、逆卍党が差し向けた刺客だとしたら、あまりに性急過ぎる。
 江戸屋敷から切り離されている今なら護衛もなく身柄を押さえる機会であるが、日は浅く警戒心は薄れていない。
 それでもあえて行動を起こしたのは、何らかの理由があるからに違いないと晴満は読んだ。

「津神殿、ひとりくらいは生かしておくようにの。ちと聞きたきことあるゆえ」
「ああ、考えとくぜ」

 などと、天次郎はさも面倒そうに答える。
 たまたま生き残ったら、それでいいと思っているようだ

「これから死ぬというのに呑気なやつらよ。この滅法衆を侮ったこと、あの世で悔いるがいい――かかれ!」

 合図とともに、まずは天次郎に一団が襲いかかった。

「けええええっ!」

 怪鳥の叫びを上げて襲いかかる雲水の群れに、天次郎は自ら突っ込んでいった。

「へっ、きたな。――そうらっ!」

 野獣のように吼え、一閃――。
 大太刀が唸り、真横に薙ぎ払われる。わずか一薙ぎ、それが三人も呑み込んだ。
 環杖で受け止めようとした雲水も、途轍もない破壊力が止まるわけもなく、それごと真っ二つになっている。
 豪快、まさにこの二文字がふさわしい。
 その剛力に滅法衆もさぞかし肝を冷やしたかと思えばそうでもない。
 あくまで淡々と陣形を整える。敵もさる者、相当場数を踏んでいるらしい。
 今度は、三人が一列に並んで迫った。
 一矢乱れず同じ動きをしているので、前からはひとりにしか見えない。

「我ら天地人三位一体陣を受けるがいい。天を躱さば地が襲い、地と見せかけて天が撃つ! 躱す術など――」
「しゃらくせえっ!!」

 ブッ――!! 突き込まれた大太刀は、三人を列ごと貫いた。
 天次郎は、三人を串刺しにしたまま血振りした。勢い、死骸がどうと投げ出される。
 続いて、四方から一斉に分銅がかけられたが、天次郎は逆にその鎖を手繰りよせ、力まかせに振り回す。

「ぬうううんっ!!」

 鎖ごと振り回された滅法衆は、軽々と宙を舞って地面に叩きつけられた。
 まさしく力の旋風。一度吹き荒れれば、必ず血の雨が降る――。
 その津神天次郎の剛力にふさわしい得物は、本朝ほんちょうでは見たことのない様式の両刃の大剣だ。

「どうした? それで仕舞いか」
「大男、総身に知恵が廻りかね、とはよく言ったものよ。我らの目的はあくまでも姫をいただくこと。うぬが調子に乗って暴れておるうちに、ほれ――」

 千鶴に群がろうとする滅法衆の一陣があった。滅法衆は見るからに腕っぷしが立ちそうな天次郎を引きつけ、手薄になった千鶴を奪おうというものだった。
 天次郎が桁違いに強いのは計算外だったが、その目論みどおりに事は運んだのだ。

「そいつはかわいそうにな。俺が相手だったら、まだ訳のわかる死に方で往生できたのによ。――おう公家さん、そっちには任せたぜ」

 天次朗は哀れむように言うと、肩越しにちらりと晴満を振り返る。

「む、引き受けたでおじゃるよ」

 軽い調子で言うと、晴満はさっと扇子を開き、なにやら念を込める。

「――バン ウン タラク キリク アク」

 五大虚空蔵菩薩の種子しゅじを唱えて剣印で五芒星を描く。
 そして何を思ったか、襲いくる滅法衆に扇子を放った。
 ひらひらと、まるで蝶のよう。滅法衆も呆気に取られて足を止める。
 扇子が滅法衆の間をかすめ飛んでいった次の瞬間、見えない刃で斬られたかのように、彼らは次から次へと血を吹き出し、倒れていった。

「こやつ、術法使いかっ!?」
「ほっ、気づくのが遅いでおじゃる。麿を甘く見た報いはちと痛いぞよ」

 晴満は悠然と――あるいは雅に微笑む。
 舞い落ちるかと思われた扇子が、今度は飛燕のように跳ね上がり、ひとり、ふたり。
 それは確実に敵を仕留める死の舞いであった。
 晴満は、ただの自称公家崩れではない。事情はのちに語るが、東洋魔術の精髄――陰陽道を使うのである。
 『今昔物語集』に、こんな話がある。
 稀代の陰陽師安倍晴明あべの せいめい寛朝かんちょう僧正の坊であれこれと談合をしていたとき、公達きんだちや僧たちが戯れに「そなたは式神を使うというが、たとえば人を殺すことができるか」と訊ねた。晴明は「まあ、そう簡単には殺すことはできないが。少々力を入れればできぬ事ではありませぬ。小さな虫などはたやすいが、生き返らせる方法を知らぬので無益な殺生になりましょう」と答えた。
 すると、ちょうど蛙が五、六匹ばかり池のほとりを飛び跳ねている。これを見た公達が「では、あれをひとつ殺してみせんか?」と言うと、晴明は「罪なことをさせますな。しかし自分を試すというならば」と、草の葉を摘み取り、呪文を唱えて蛙の方へと投げやった。草の葉が蛙の上に触れるや否や、蛙は潰れて死んでしまったという。

 常人にはおよびもつかないが、晴満の扇子もこれに類する呪いが込められているのだろう。
 これも手強いと見て、女ならばと美鈴に向かった滅法衆だが、目にも止まらぬ居合で胴を薙がれる。

「こ、こやつら一体何者じゃ!? 並の者ではないぞ……」
「なあに、ただの暇人さ」
「あら、私もですか?」
「美鈴姐さんこそ、暇にあかせて諸国行脚の武者修行じゃねえか」

 背後に無数の残骸を背負った天次郎が、太い笑みを浮かべる。
 数で押し切ってしまえば片が付くと思っていた滅法衆だが、逆にあっという間に壊滅させられた。

「さて、いかがする? いかなる目的で千鶴姫を狙うのか明かすなら、見逃してやらぬこともないぞよ」

 残るひとりに、晴満は降伏を勧告した。しかし、そいつは不敵に笑うと言い放つ。

「馬鹿め、拙僧が口を割るとでも思うたか? 口を割ればもっと恐ろしいことになるゆえな。うぬらはその娘に関わったがために、生きたままこの世で地獄を味わうのじゃ。血の池地獄に針山地獄、炎熱地獄に極寒地獄……あらゆる地獄さえまだ生ぬるいと思うような生き地獄をな。さて、拙僧は一足先に逝くでな。カカカカカッ――」
「ぬ? 待ちや」

 晴満が止める間もなく、刃を自らの首に当て、まっすぐに引いた。
 斬り離された首はぽーん飛びあがり、千鶴の足元に落ちた。
 カッと見開かれた目と、ふかのように耳まで裂けた笑い。その表情は、身も凍らんばかりの恐怖だった。

「……ひっ!」

 その光景を目の当たりにした千鶴は、小さな悲鳴をあげ、救いを求める。
 するとどうしたことか――。
 千鶴の両掌から、じわじわと紅い血が滲んだ。掌だけではない。
 額、額や足、そして背中からも、血が滲んでいる。

「ああ、また……」

 ――まただ。また、この奇妙な流血が身を苛む。

「おい、どうしたお姫さん。その血はよ?」

 ただならぬ様子に天次郎は戸惑った。
 千鶴は、この現象を説明してやれない。何故なら、自分でも訳がわからぬから――。
 みずからが流したその血の紅さに、千鶴は気が遠くなってゆくのを感じた。
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