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Episode 0 ―The EARTH―
第三話
しおりを挟むプシュー、プシューと、ガスが抜けるような音が薄暗い室内に木霊する。
十メートル四方の部屋の中に、楕円型の半透明なカプセルが所狭しと並んでいた。
音が鳴りやむと同時にそれらの上蓋が一斉に開く。
カプセルの一つに仰向けに横たわっているのは十代の少年だ。
先ほどまでMMORPGにログインしていた柊明人だ。
少年はゆっくりと瞼をあけたかと思うと、眉間に皺を寄せた。
「畜生、勝手にログアウトさせやがって」
上半身を起こして左右を見回す。
同種のカプセルから同じように身を起こし、外へと降り立つ面々。
性別や年齢層は様々だったが、誰も彼も共通なのは不機嫌な顔付きだということだ。
ここにいても仕方ない。
明人は一つ息を吐き、立ち上がると部屋の外へと出た。
ホールは人だかりだった。
「どうやら、他のも似たり寄ったりの状況ということか」
店内には先ほどの広さの部屋がいくつもあり、それぞれでゲームを分けているのだ。
どの部屋の扉からもぞろぞろと人が出てきていた。
政府の勧告に従い、どのゲームもログアウトさせたのだろう。
「おいいきなりどういうことだ! 金返せよ!」
出入口側に据えつけられているカウンターの前で、若い青年が店員に詰め寄っていた。
「申し訳ありませんが、当センターでは機器の不具合が生じていない限り、払い戻しはいたしておりません」
「ああん!? ゲームができなくなっていることに変わりねーだろ!」
「システムダウンは保障外です。クレームがあるなら、運営に直接言ってください」
もっともである。店側には何の落ち度もないのだ。
責めるならば運営、いやそもそもテロの犯人にこそいうべきなのだろう。
明人は文句を言うだけ無駄だと思い、人を掻き分け屋外へと出た。
「うっ、眩しい……。真昼間に霊峰さんを拝むのも久しぶりだな」
手で庇をつくり、光を遮りながら明人は呟く。
徹夜明けには正午過ぎの陽光はいささかきつかった。
快晴の空を見上げると春だというのに山頂部に雪化粧を纏った山々が見える。
「さと、どうしよう。今日は土曜日でバイトも休みだし、何をしたらいいんだよ」
目的を見失った明人は繁華街でふと立ち尽くす。
別にこの街は娯楽の少ない田舎というわけではない。
むしろ日本でも大きな都市に入る。
歩行者天国は活気に溢れており、煌びやかな服が舞っていた。
単に明人が廃人に過ぎないのだ。
学生であるため、上位プレイヤーにまでは食い込めていないが、それでもミドルには位置していた。
上位は基本的に重課金者の集まりだ。
彼らは月に最低でも数十万円は注ぎ込んでいるらしい。
トップは一流企業の独身者だろうか?
いや、彼らでさえ上の下ランクなのだ。
トッププレイヤーは土地や不動産持ち、いわゆる金も時間も持て余している資産家であったりする。
五感全てを認識できる近代のMMORPGはもはやゲームとリアルの境目がないといえる。
中世を舞台にした仮想現実で英雄になる。
それは金持ちの自尊心を満たすのに十分であったのだ。
そんな資産家を別として、もし学生の部があれば、明人も文句なしの上位プレイヤーだった。
費やしている時間も莫大であるし、月に十万のバイト代を全て注ぎ込んでいるのだから。
「そうだ、折角だから髪切りにでもいってくるか。随分と伸びちゃったしな」
前髪は目元を隠し、後ろ髪は僅かに肩に触れていた。
自身がまともな格好でないことに気づいているだけの分別はあるようだ。
「髪が多いと脳波の伝達速度が僅かに落ちるとかいうからな。いっそ床屋で剃ってもらおうか」
そうでもなかった……。
彼のいきつけの床屋は隣駅の駅ビルに入っている。
ワンコインという格安でカットできることを売りにしていた。
しかも家と学校の間にあるため電車の定期が使用できる。
ゲーム以外の浪費をとことん切り詰めている明人にはうってつけだった。
明人は電車に乗るために駅へと向かう。
「あれ、周りがもやってる? いや煙ってる?」
駅に近づくにつれ、黒い靄のようなものが濃くなっていく。
「え? あそこから煙が出てるのか?」
駅前に大きな池があった。よくある人工的な物ではなく、天然の湧水池だ。
北に聳える山々が水源となり、街のいたる所で湧き水が出ているのだ。
有史以来、どのような干ばつに襲われても、この辺りは水に困ったことはないそうだ。
水の都と呼ばれる所以でもある。
水道も、この湧水を簡易ろ過して消毒しているだけだ。
国の美味しい水道十選にも選ばれている。
そして、街のなかで最も湧水量の大きいのが駅前の噴水池であった。
むしろこの湧水池を中心として、街が形成され、後付けで駅ができたのだ。
街の名所ということもあり、待ち合わせ場所の定番にもなっている。
いまも、多くの男女がそこで誰かを待っているようだ。
「みんな、なんで気にならないんだ。しかも水から煙とか意味わからないし」
黒煙が立ち昇っているのはどうやら池のようだ。
不審に思った明人は改札には向かわずに池へと近づく。
池縁は重油を燃やした時のような黒い煙が充満していて、相当に視界が悪かった。
不思議なのはこれだけの煙なのに、目は痛くないし、呼吸も問題ない。
「うお、やっぱ湧水は冷てーな」
なぜだかわからないが、明人は靴を履いたまま池の中へと入ってしまう。
ふらふらと中央に設置されている噴水へと引き寄せられた。
「なあ、あんたそこで何してんの」
噴水の中央では黄色のレインコートを着た人が背中を向けて何やら作業をしていた。
「え? 見てわかりませんか? 清掃ですけど」
明人に声をかけられた清掃員らしき人が振り向く。
「ひえっ!?」
「どうしたんですか?」
声は男性のものだったが、顔がなかった。
というよりも顔面から黒煙を吐き出していたのだ。
「いや、あんたからダークサイドが漏れ出ているんだけど」
「くっ!? まさかお前! 解き放つ者か!?」
「え? それって……。どっかで聞いたようなフレーズ――。あぐっ!?」
明人が何かを思い出そうとしていると、乾いた音とともに右太腿部に刺すような痛みが襲った。
「おい……。嘘だろ」
清掃員が拳銃をこちらに構えていた。
「ちっ、なんて貧弱な武器だ」
「お前、その格好――」
いつのまにかレインコートを脱いでいた。
全身黒づくめの姿には見覚えがあった。
明人は目の前にいるのがテログループだと悟った。
「あともう少しなんだ! 邪魔するな!」
「お前はいったい何を……」
痛む太腿を押さえながら、明人が呻く。
「ふふふ、これが見えるか」
テロ犯が右手を頭上に掲げる。
「それは……」
男の手の平に直径三センチほどのタブレットが乗っていた。
「致死性の猛毒だ。この程度であれば持ってこれるからな」
「なっ――。そ、そんな物をどうするつもりだ!」
「空気感染もさせれるが、それだとスピードが遅いからな。飲ませるのが一番さ。これは何十万倍に希釈されようが、人体に吸収されるまで効果は消えないからな。これ一つで百万人は屠れるぞ」
顔は見えないが、男がにやけたような気がした。
明人の背筋に悪寒が走る。
「なんでそんなことを……」
「バランスをとるためさ。増えすぎたお前らが悪い」
「なにを訳のわからないことを」
「ん? なんだお前。奴らではないのか。なぜ俺のことがわかったのかは知らんが、まあいい。邪魔者は先に死んどけ!」
男は銃口を明人の胸元に向け、そして躊躇せずに引き金をひいた。
立て続けに乾いた音がした。
ああ、僕の命もこれまでか。
こんなことなら、定期貯金も切り崩して先月課金しておけば良かったな……。
目を瞑り、ゲームについて思いを馳せていたが、いつまでたっても痛みが襲ってこなかった。
「やっと見つけたわよ!」
最近どこかで聞いたような声だった。
明人がゆっくりと瞼を開くと、自分と男の間に若い女性が立っていた。
知らない女子高生だった。
ただ、見覚えのある物がその手に握られていた。
白銀に光り輝く剣だ。
「大丈夫ですか。動かないでくださいね」
気づくと、明人の前で老人が屈んでいた。
老人が明人の右足の傷口に手をあてると、淡い光が漏れだした。
「ああ、これは……」
この温もりはには覚えがあった。
「貴様らぁぁあああ!? 邪魔するなぁああああ!」
男が闇を振りまきながら、女子高生に向かって駆けだす。
どこから取り出したのか、その手に巨大な鎌を持っていた。
「あれは、死神の――」
「往生しな」
そういって女性は剣を振った。
白銀の剣戟が池の水を割り、男へと襲いかかる。
「うがぁぁあああ!」
断末魔をあげ、男はあっけなく両断された。
「今度は本物だったようね」
「なんだよあれ」
男が消えると同時に、半透明の白い球状の物体が現れ天へと昇る。
「喰われた魂ですよ。これで輪廻に戻れますね」
『ぐふふふふ。我は消滅したが、目的は達成された』
どこからとなく、そんな声が聞こえた。
明人はハッとして、男の立っていた場所へと駆け寄った。
「ああ、ま、まずい……」
水底にタブレットが沈んでいた。
この湧水池は水道用途に取水している河川の最上流にあるのだ。
このままでは水を飲んだ市民が毒で死んでしまう。
「はっ、そうだ!」
明人は池に手を入れ、タブレットを掴む。
「ぐぅっ!?」
低温の湧水中にあるにも関わらず、手の平が火傷をするように熱かった。
明人は痛みに耐え、池からタブレットを取り出す。
「ちょっ!? あなた何をしてるの!」
「このまま放っておいても、皆が死ぬだけだ」
体に吸収されるて人を殺すまで無毒化されない。
先ほどの男の言葉を思い出す。
それなら――。
「あっ! 駄目ですっ!?」
老人が明人を見て叫んだが、すでに遅かった。
あろうことか明人はタブレットを嚥下したのだ。
「ぐがぁあああああ!」
「ちょっとルイス! 何とかできないの!」
焦った表情の女子高生が老人に駆け寄り、肩を揺らす。
「ざ、残念ですが……。毒が強すぎて回復することができません」
池のなかでのたうちまわる明人。
胃が燃えるように熱かった。そしてその熱さが全身へと広がっていく。
朦朧とした意識で明人は思う。
なんでこんなことをしたのだろう。
僕は成人君主でもないし、自己犠牲なんて糞くらえだと常々考えていた。
この場から早急に立ち去り、水を飲まなければ良かったじゃないかと。
ああ……。痛みが治まっていく。
どうやら、もう苦しまなくていいようだ。
もう、世界の音も色も感じない。
死ぬってこういうことなんだ。
明人は静かに目を瞑ってその時が来るのを待った。
こうして柊明人は、十七年という短い生涯を終えたのだった。
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