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第二章 北都

第二十四話 食事情

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 若い女性の洗練されたお辞儀。非の打ち所のない華麗な所作だった。

 ただ、僕もエリカもそれに見惚れることはなかった。驚きが先行したからだ。その若い女性は突然、目の前に現れたのだ。身長は僕の膝丈も無かった。

「わたくし北都のガイド役を務めさせて頂いております、人工知能のアイコと申します」
「あ、ああ。よ、宜しくな」
「じゃあさっきの疑問に答えてもらおうよ。実際に色々と実物を目で見て説明してもらうのが一番理解が早いよ」
 秀人はいつもと変わらずマイペースだった。


     ***

 ここはどこだ? 未だ覚束ない頭で僕は考える。ああそうだ。昼食のために八階に降りて来たんだった。レストランの入口の脇でエリカがこちらを心配そうに見ていた。僕は問題ないと手を左右に振るとすたすたとレストランへと入った。これ以上、情けない姿を見せれない。

「これはまた……凄い人だな」

 食欲をそそる匂いが鼻孔をつく。それは広い室内の中央に置かれた横長の大きなテーブルからのようだ。その周りに大人も子供関係なく群がっていた。

「好きな料理をいくらでもお皿に盛っていいんだよ」

 秀人がアドバイスをしてくれた。

「お、おう」

 口惜しいがお盆を手に間抜けな返ししかできなかった。目の前をゆっくりと通り過ぎていく大皿の数々。百種類はあるんじゃないか。どれも豪勢な料理だ。それが山のように盛られている。

「なんで、この料理、テーブルの周りを、回っているの?」

 嬉々として料理を盛りながらも秀人に訊くエリカ。確かに料理が周る必要はないのでは。

「料理を取る人が動き回らないでいい事もあるんだけど、一番の理由はあれかな」

 テーブルの外周に沿って動くレーン。その上に料理の盛られた大皿が載っている。秀人が指さしたのはテーブルの端の辺りだ。そこでは幾つかの皿が外周レーンから外れていた。テーブルの中央へと向かって行く。そして吸い込まれるようにして消えた。
 ああ、あれも食べたかったのに。僕はがっくり項垂れた。

「おそらく、あそこで選別されているんだよ」
「なにを」
「残り少なくなった皿や冷めてしまった料理だよ。そして、あれを見て」
「おお!」

 中央の別の穴から出て来た料理。つい先程消えたのと同じ料理だ。違うのは山盛りで湯気を立てていることだ。

「あーやって、料理が補充されているんだよ」
「まじかよ」

 新しい皿は選別されていた場所とは、逆端の外周レーンへと進む。空きスペースを見つけると自動で合流した。

「凄いよね。これはね」

 眼鏡のブリッジを持ち上げる、秀人。え、今ここでかよ。

「わかったから。とりあえず料理を取るのが先決だ」
「え、う、うん」
「飯を食いながらでいいだろ」

 初めてのビッフェスタイル。見たこともない料理の数々に心が奪われた。頭の中は何を選ぶかで一杯だ。
 例の不気味な男の事もこの時ばかりは完全に消え去っていた。

「で? さっきの話は?」

 僕らは飯を食いながら先程の話を秀人から聞く。大皿には小さなセンサーが幾つか埋め込まれていた。重量変化や温度変化、経過時間といった情報が計測されているようだ。そしてテーブルの天井部には画像認識センサー。混雑具合や年齢などから料理を変えるタイミングを判断してるとのことだ。
 例えばある料理が設定重量以下になったとする。この時はまだ何人分かの料理が残っている。その信号がオートクッカーへと送られる。皿を下げる頃合には既にホカホカの料理が出来上がっている。
 客を待たせずに作り立ての料理を提供する最高のサービスを提供していた。しかもオートクッカーが作るため、常に一流のクオリティが担保されている。

「どれもこれもマジ旨い!」
「口に物入れて話さない」

 エリカの指摘に僕はオレンジジュースを煽る。食べ物を押し流すことに失敗し逆に咽た。エリカの顔がさらに顰められた。皺が残っても知らねえぞ。

「翔くん、大丈夫? そんな焦らなくても料理は無くならないよ」
「ああ、そうだな」
「それに、クーちゃんも。そんなに食べて大丈夫なの?」

 テーブルの下も戦場だった。自らの体よりも明らかに大きな山。それを必死に貪る小動物がいた。

「いやしかし、凄いな。三食付きで部屋も広いし眺めも最高」
「至れり尽くせりだね」

「でも、どうなっているんだ?」
「え、なにが?」
「ここの食事の種類と量だよ。俺達の街と違いすぎるだろ」

 改めて目の前のテーブルを見やる。四人掛けの比較的大きなテーブルだった。それの隙間が無いほどに埋め尽くされた皿。これでもかと料理が盛られている。秀人は食べ終えてからまた取りにいけばいいと制止した。だが僕とエリカはその忠告を完全に無視した。欲張った結果が今の状態だ。

「エリカ、俺らの街で庶民の食卓に並ぶのは何だ」
「米かパン、味噌汁、スープ、あと野菜」

「それが基本だよな。あとは月に数度、鶏肉料理や卵料理を口にする程度だろ」
「うん。それ以外だと、お祭り騒ぎになる」
「ああ、稀にエゾシカや熊が仕留められた時な」

 これは、翔の街が特別に貧しかった訳ではない。地方の町はどこも似たり寄ったりだ。

「それが、ここではどうだ」

 牛、豚、鳥、羊の肉料理が数十種類はあった。卵もふんだんに使用されている。和洋中の五種類のスープ、米やパンをアレンジした料理。様々な麺料理。それらが全て取り放題なのだ。これまでの暮らしとはあまりにも食料事情がかけ離れていた。

「そして極めつけは、それだ。それは何だ?」

 僕が指差したのは秀人の目の前の皿だ。

「うん。鮪とか、鯛だったかな。海の魚だね」

 五種類の魚の刺身が盛られていた。

「これまで魚といえば川魚がほとんどだぞ」
「秋に、遡上する鮭」
「そうだ。海の魚は鮭しか食べたことがない」
「僕なんて鮭すら食べさせてもらえなかったよ」
「しかも魚は全て焼き魚だ。刺身なんて見たこともない」

 川に遡上した段階で寄生虫が問題となるからだ。刺身なんて言葉も昔の料理として聞いたことがあるだけだ。

「ここは刺身以外にも多くの魚介類の料理が並んでいたね」
「誰だ。避難民をこれ以上受け入れると、食料難になると言った奴は」
「ご、ごめん! それは僕も不思議に思っていたんだよ……」
「明らかに、余ってる」

 気まずい雰囲気が流れる。僕らは黙って食事を続けた。糞っ、この牛肉の細切りもまた格別に美味いな。

「あっ! そうだ!」
「いきなりどうした」
「あとで部屋に戻ったら皆で試したいことがあるんだ。エリカちゃんも僕らの部屋に来てくれる?」

 黙って頷くエリカ。彼女も黙々と肉料理を口に運んでいる。

「おまえ、なんでそれで太らないの」
「体質」

 エリカの前には何枚もの皿が積み上がっている。すでに数人前は食べているはずだ。なのにモデルのようなスラリとした体躯。僕はこの世の理不尽さに納得がいかなかった。
 三十分ほどして皆の腹が十分に満たされた。というか僕らはとうの昔に食事を終えていた。エリカ待ちしていたのだ。ほんとどんだけ食ったんだよこいつ。

「じゃ、僕らの部屋に行こう」
「おう、さすがに食い過ぎたな」
 
 腹をさすりながら重くなった体を引きずる。食堂を出ようとしたところでエリカが足を止める。

「いま、なんか聞こえた」
「あ、ほんとだ」

 引き留めるような小さな鳴き声だ。

「あっ――」

 よく見るとクーが傍にいなかった。食事をしていたテーブルにまで戻る。その下に未だクーがいた。円らな瞳を潤ませて僕を見あげていた。

「おまえな、もう少し限度というものを考えろよ」

 さすがに呆れた。クーの腹ははち切れんばかりに膨らんでいた。腹がつかえて歩けないのだ。仕方なくクーを抱え上げる。

「う、重い」

 いつもの二、三倍はあった。僕はさらに重くなった体をひきずり食堂を後にした。


「えっ」

 部屋に戻る際、僕はまたしても驚かされた。

「翔くん、どうしたの?」
「い、いや、なんでもない」

 だが、驚きを顔に出さないように必死に取り繕ろった。てっきり階段で上に登ると思っていた。だが、カプセル型の小部屋に入ったのだ。

「翔くんがやる?」
「い、いや。秀人でいいんじゃないか」

 動かし方がわからない。

「そう? 部屋番号を念じるだけって教えてあげたのに」

 直ぐにカプセルが動きだした。

「やっぱり、便利。このポット」

 北都の高層ビルには全てこれが備え付けられていた。ポットと呼ばれる自動昇降水平移動装置だ。

「は、はやっ!」

 あっという間にポットが止まりドアが開く。正面に僕らの部屋があった。

「ああ、登りも下りも速度は関係ないからね」
 
 そういう意味ではない。実はこれに乗るのは三回目。しかし前の二回は放心状態だった。だから一切記憶になかった。しかし二人にこれ以上心配をかけたくなかった。

「え、これ、どうなってるの」

 部屋の前に近づくとドアが自動で開いた。さすがにこれはエリカも疑問に思ったようだ。秀人に説明を求めた。正直助かる。何をすでに説明してもらったのかがわからないのだ。なので知りたくても訊けなかった。

「ああ、この仕組みは――」

 まず部屋に近づくとドアから信号が発信される。それがビニックを通して脳へと伝達し、これに対応した脳波がビニックを通してドアへと返される。脳の応答は人によって千差万別だ。同じ信号を送っても、それぞれ返すシグナルが異なる。それを利用した個人認証システムだった。

「よくわからん」
「えーと、簡単に例えるとリンゴを思い浮かべるとするよね」
「ああ」
「同じリンゴを思い浮かべるにしても、それぞれで若干違いがあるということだよ」
「おお、珍しくわかりやすい」
「翔くん、珍しくって何さ!」
「わたしもわかった」
「二人して酷いよ!」

 この個人認証システムは日本の三大都市で普及していた。さらに、これら一連のプロセスは脳の無意識の領域下で行われる。このため人々がこの認証を直接感じることはない。


「じゃ、そこに座って」

 僕とエリカは秀人の指示に従いベッドに並んで腰かける。

「さて、やっと落ち着いて話をする時間が取れたね」
「ああ、ここまでずっとバタバタしていたからな」
「まずは、僕たちがいま被っているこれについて説明するね」

 秀人はビニックの仕組みと機能を一通り説明する。彼なりになるべくわかりやすく簡単に伝えようと努めた。残念なことに、それでも僕の理解の範疇を大きく超えていた。頭が痛くなってこめかみを押さえる。一方、隣のエリカは普段と変わらぬ表情で静かに佇んでいた。

「おい、お前、平気なのか?」
「え、なにが?」
「とてもじゃないけど俺は理解が追いつかないぞ」
「わたしは、始めから、諦めてる。何かあれば、この肉体で対処」

 そう言って力強く拳を握りしめた。聞いた僕が悪かった。後悔する僕に構わず、秀人は容赦なく説明を続ける。


「ということで、北都の詳細を体感しながら学べるんだよ」
「何が、ということなのか一向に理解できない」
「え、こんなに丁寧に説明したのに」
「とりあえずどうすればいいんだ?」

 僕の頭痛は酷くなる一方だ。

「そうだね。今から僕が北都のガイドを依頼するから」
「あ、ああ」
「二人にもガイドの案内が行くから」
「どこからだ」
「頭に響くから大丈夫。それを了承と頭の中で念じてくれればいいよ」

「うわっ! なんだこれ気持ち悪い」
 
 確かに頭の中にアナウンスが流れてきた。女性のような高い声だ。慣れない感覚だった。目を瞑り頭の中で『はい』と念じる。
 目を開けた僕を非の打ち所のない洗練されたお辞儀が出迎えた。それは、とてもとても小さな女性だった。
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