玄鳥来る窓辺には

koronminto

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ことの始まり

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初夏を思わせる、日差しが強い晴天のある日。

「いらっしゃいませ。」


初めて和菓子屋に来店したであろう面持ちの初々しい若い男女が気まずそうにガラス戸を押し開けて入店した事に気づいた彼は、一呼吸置いてから穏やかな口調で話しかけた。

男女は初め否応もなく売り付けられるのではないかと身構えたが、彼がそれ以上は話さず静かに商品の包装を始めると、ほっと安堵して静かに品定めを始める。

(心配せんでも、俺は商人気質なんてもんはないっつーの。客商売ってこれだから…めんどくせぇ…)

彼…燕谷与汰介つばなよたすけは気取られないよう、こっそり溜息をついた。

ちょうどイベント事が落ち着く梅雨時。次に待ち受けるお盆地獄までのぽっかりと空いたこの時期は、暇を持て余す時間が多いと店主が言っていた。

「だからこそ、仕事に慣れてもらうにはもってこいなんですよね。燕谷さん、分からない事があったら何時でも聞いてくださいね」
「分かりました。」
「…では九里くりさん、また夕方に伺いますんで。まだ新米の助手ですが、どうかよろしくお願い致します。」
「ええ!いやいや、急な欠員でバイト募集も間に合わんから困ってたんですよ。めちゃくちゃ助かります…!おうさん、いつもありがとうね。今度飯でも奢らせて下さいよ」
「いいっていいって!じゃ、与汰介君、また後で」
「…はい。了解しました」

そんなやり取りがあったのは、ほんの1時間前。自分の雇い主であるしがない探偵のおっさんは、任務についての説明はほぼせず、すぐにどこかへふらっと行ってしまった。
レジ打ちや挨拶、商品のラインナップ等を丁寧に教えてくれる先輩の女性店員は、倉庫に饅頭用の空箱を取りに行っている。

(初任務が、まさか菓子屋のヘルプとは。探偵ってマジで何でも屋なんだろうか。…まぁ、別に憧れてた訳じゃないし良いけどさ…)

何度か説明を聞きながら練習した包装は、教わった通りに綺麗に包む事が出来た。手先は器用な方だと自負はしているけれど、我ながら天才ではないかと内心ニヤついてしまう。

「あら、上手じゃない!燕谷くんって器用なのね。マジで助かるー!」

戻ってきた女性店員…八習八重子はちならいやえこは大袈裟なほど驚いて、ぱあっと花咲くような笑顔で絶賛する。肌は色白で艶のある黒髪をひとつに束ねた彼女は、奥ゆかしい品のある美人である。大学生なのでシフトはあまり多くはないらしいが、仕事はそつなくこなし、気立てが良くて客からの評判も上々なのだとか。

「ありがとうございます。先輩の教え方が分かりやすいからですよ」

美人に褒められて鼻の下が伸びてしまいそうになったが、すんでのところで自制出来た。
これでも新成人。だらしない顔なんかしてしまったら幻滅されてしまうに違いない。

(……なんか、この感覚久しぶりだな……)

自分が普通の日常を送れる日が来ようとは想像も出来なかった。雇い主の探偵に拾われたのはつい最近の事なのに、もう随分昔の事のように感じてしまう。

❖❖❖❖❖❖❖


時を遡ること、つい半年ほど前。
彼は真冬真っ只中の夕闇の街中を、入院着にぺらぺらの薄い上着を羽織っただけの格好で、息を切らし必死に走っていた。

すれ違う人々は、ふらつきながら走っている与汰介を迷惑そうに見つめたり、心配そうに見つめる者もいた。あとほとんどは無関心だ。

背後が気になり、何度か振り返ったが追っ手は見えない。恐らく上手くまけたのだろうと思ったのも束の間。脱出してきた施設の関係者と思わしき会社の白いバンが遠くに見え、慌てて右脇に見えた店に滑り込む。

すぐに店内を見回して、しまったと舌打ちをする。よりによって、家電量販店に入ってしまったとは。すぐに背負っているリュックを床に下ろし、中身を覗き込んで、血の気が引いた。

ー無い。ヘッドフォンがない。

リュックを逆さまにひっくり返して中身を床にばらまいても、中身を何度確認しても見当たらない。一度も鞄から出した覚えはない…とすると、施設に置いてきた以外に考えられない。
あんなに大切な物を入れ忘れてしまうなんて。いくら後悔しても仕方ないが、あまりの迂闊さに唇を噛み締める。
しかしそれも一瞬だった。両耳を両手で塞いでも思考を遮断させるが如く、雑音が怒涛のように流れ込んでくる。脳を直に金槌で殴られているような激痛と衝撃に目眩と吐き気がして、しゃがみ込んだまま立ち上がれなくなってしまった。

(クッソ…また…制御が……………動か……ないと。ここから、出ないと…………)

全身に力を込めるが、どうにも両足も両手もガタガタと震えて力が入らない。冷や汗が吹き出し、視界が霞む。浅い呼吸を繰り返し、時折えづいてしまう。そんな彼の様子をちらちらと心配そうに見やる人も居たが、誰も彼に声を掛けようとはしない。
喉の奥からせり上がってくる胃液を危うく吐き出しそうになった時、背後から覆い被さるような気配を感じた。ゆるゆると振り返り見上げると、長身の男性らしき人影が見えた。

「おやおや。お兄さん、大丈夫?」

男は声を掛けているが、彼には…与汰介には聞こえない。店内の照明があまりにも眩しい為に瞼が上手く開かず、男を見上げているのも辛い。眉間に皺を寄せ視線を床に落とし、掠れた声で彼に言った。

「……すみ、ません………なんも……聞こえない……」

すると、相手は厚手の上等なコートの胸ポケットから手帳を取り出し、万年筆でさらさらと書いた文字を彼の目の前に見せた。

『一緒に外に出よう。少しは動けるかい?』

与汰介は小さく頷き、相手に肩を貸して貰って、千鳥足でもなんとか外に出ることが出来た。
しばらく店近くに設置されたベンチで鞄を枕にして横になって休んでいると、澄んで冷えきった冬の空気のおかげだろうか。頭痛が少しばかり引いてきて、ようやく相手の顔を見る事が出来た。
歳は中年だろうか……短髪には微かに白髪があり、髭は丁寧に剃られており清潔感がある。少々タレ目で柔らかな印象のある目尻には細かな笑い皺がある、所謂おじさんが自分を心配そうに見下ろしていた。


「あの…ありがとうございます。助かりました
。」
「大丈夫かい?少しは気が楽になったかな。病院行く?」
「…………いえ、平気です。だいぶ楽になりました。」

頭はまだはっきりとはしないし具合は悪いが、病院に行く訳にはいかない。しかし、与汰介はそのせいか、気が緩んでしまっていた。

「………そうか。……ところで君、」

まさか、その男性が自身の首筋にあるホクロのような黒い物体を見つけ、突然強くつまみ上げるなど思いもよらなかった。
あまりにも唐突な行動に身構えることさえ出来ず、全身に八つ裂きにされるような激痛が走った。

「ひっ……!?ぎ、ぁぁあああああああああああぁぁぁっ!!!」

耳をつんざくような絶叫を上げ、白目をむいて全身を激しく震わせる彼に、男は抑揚のない声で話し掛ける。

「……間違いない。君はあの研究所のモルモットだな?この辺りに居ると噂は聞いていたが、やっと見つけたよ」

次の瞬間には自身の意思など関係なく、与汰介の身体から大量の電流が溢れ出した。

(苦しいぃ…!痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い……!!!)

まさか、あいつらの仲間だったなんて。与汰介は遠のく意識の中、こんな所でしくじってしまった自分の馬鹿さ加減に絶望していた。
身体から流れる電流は次第に弱まり、完全に止まると男はようやく手を離した。
与汰介は立ち上がる力も無く、ぐったりと地面に倒れ伏した。浅い呼吸を繰り返し、吐き出すように微かな声で呟いた。

「……あぁ……や……っ…と、外に、出られたと思った、のに…ついてない、なぁ……」
「俺はツイてると思ったがね。ちなみに、俺は研究所とは無関係のしがない探偵でね。名は皇 心耶おう しんや。そこで、君に提案がある」

鼻で笑いながら突拍子も無いことを言い出す男に、ツッコミを入れる気力は無論、皆無。言葉を頭で理解しようと声を絞り出して繰り返した。

「…たん、てい…?…提案…?」
「俺の事務所な、助手が居なくて困ってんのよ。君みたいに特殊能力を持っている人間が欲しくてさぁ…来てくれない?」
「……はぁ……」

ちょっと、何を言っているのか分からない。
与汰介は小さく溜息をつき、諦めたように力なく嘲笑した。
自分のことを調べ尽くした上で弱点をつき、わざわざ動けなくなるまで弱らせてから勧誘してくる男が、自分を治すだって?随分と馬鹿にされていると、内心では腸が煮えくり返っていた。

「……あっそ。……こんな死にかけの奴をね……良いのかい?」
「治すさ。良い医者と知り合いなんだ」
「………へぇ……」
「ホントだって!連れて行くからには、約束は守るからな」

そう言って与汰介を抱え、駐車場に止めてあるレンタカーまで連れて行った。



❖❖❖❖❖❖❖

(……はぁ…だらしねぇなコイツ……)

それから1週間経った頃、与汰介は探偵事務所の年季の入ったソファに腰掛け、乱雑に床やテーブルに散らばった領収書や公共料金の請求書を整理しながら、チラリと作業机でノートパソコンに没頭している探偵を見やった。

(仕事って、あいつ何してんだろう。金はあるっぽいけど、一体どこから出してんだ…?)

幾つか書類を束ねているうちに、この事務所の経済状況が少しは読み取れた。探偵として受けている依頼は殆どが雑務で、とても収入が良いとは思えない。そんな書類を手に、壁に固定された棚へ収納しようと努めてゆっくりと立ち上がった。…が、どくりと心臓が強く脈打ったかと思うと、視界が暗転し、全身に太い針で刺されたような激痛が走った。

「ぐ、ぅう…」

呻き声をあげ、与汰介は身体を抱えるようにして部屋の隅にうずくまった。背中からバチバチと漏電し、上手く息が吸えず、ヒューヒューと笛のような音が鳴る。冷や汗が吹き出し、動悸が止まらない。

「おや、発作か。…ちと待ってろ」

探偵…心耶は注射器を持ってきて、首筋に刺して薬を注入する。
次第に放電は弱まり、

「はっ…はっ……はぁ…っ……………」
ようやく深く息を吸えた与汰介は、ふらふらと四つん這いで歩きソファに倒れこんだ。

「…助かった…けど。本当に、なんで俺なんかに世話焼くのさ?」

まだ苦しくて喘ぎながら言うと、心耶は与汰介の頭を撫でながら返した。

「おじさんはね、与汰介君の能力がどうしても必要だから誘ったのよ。治療費は惜しみなく出すし、望みがあれば言ってくれ」
「……じゃあ、その頭ナデナデは止めて貰えませんかね?キモイ」
「あら、冷たいなぁ…」

心耶は飄々とした態度でぱっと手を話すと、作業机へと戻っていった。

あの電気屋での一件以来、与汰介は約束通り、心耶の助手になり事務所に住まわせて貰っている。東京の小さく寂れた商店街の一角にあるせいか、客は1日に1人来れば良い方だ。

助手と言っても、まだ弱りきっているこの身では書類整理が精一杯で、それも3時間続くか続かないか…1日に一度は先程の発作を起こし、ろくに動けなくなってしまう。
心耶の知り合いの医者は、確かに腕の良い医者だ。治療を始めてからは、発作が治まるまでの時間はだんだん短縮はされてきている。

(変な奴…)

そう思いながら、心耶がトイレに行こうと作業机から席を立ち、部屋から出ていったのを見計らい、与汰介はテーブルに置いてあった彼のスマートフォンにちらりと目をやり、手に取った。

(…少しだけ、良いよな)

心耶は自分のことを調べ尽くしているのに、自分は彼の情報を1つも握っていないのは癪な上に、信用していいものか考えあぐねていた。今使える力と言えば、これしかない。
瞼を閉じて集中すると、スマートフォンが薄らと電流を帯び、生真面目そうな声が聞こえてくる。

『……何か御用ですか?』

与汰介にしか聞こえない、肉声とは違った、透明感のある声。それは搭載されている人工知能のSiriの声ではなく、この機器自身から発せられている。

(…最近の発着信履歴を教えてくれ。あと、メールとWebの検索履歴も。頼む)
『…分かりました。くれぐれも、悪用はしないように。』
(へいへい、分かってますよ)

与汰介が承諾すると、スマートフォンは触れてもいないのに勝手にロックが解除され、指定した画面を見せてくれる。
(へぇ……確信は持てないけど、今のところ不審な点は見当たらないな……犬が好きなんかな…あのおっさん) 

Webの検索履歴は、ほとんど子犬の可愛らしい動画だった。

「ほぉー…おじさんのこと知りたくなっちゃった?嬉しいねぇ」
「う、ぉおおお!!?」
なんの前触れもなく背後から声を掛けられ、心臓が飛び出すかと思う程驚き、素っ頓狂な声で叫んでしまった。
「あ、あんた、トイレから帰ってくんの速くねぇか!?」
「まぁ、わざと行ったふりしてドアの前に居たからね」
「は!?…え…」

謀ったな、この狸ジジイ。
その言葉が口元まで出かかって、心耶の言葉が嘘だと気が付いて引っ込めた。というのも、探偵は毛布と枕と薬を手に持って来ていて、自分に渡して来たからだ。

「与汰介君、今はとにかく、壊された身体を治癒することに専念したまえ。寝室が落ち着かないなら、ここで眠ってくれて構わないから」

テーブルに水の入ったグラスを置き、彼は今度こそトイレへと向かって行った。

「………なんだよ。ガキじゃねぇって言ってんのに……」

けれど、確かに指摘された通りだ。寝室で一人でじっとしている事も出来ず、なんだかんだと理由を付けてこの部屋に居る。

(俺は……何を怖がってるんだ…?)

本当は分かってる。やっぱり使い物にならないからと捨てられ、また研究所に捕えられることを心の底から怖れていることを。
さっき能力を使ったせいか、首に移植された細胞がズキリと痛む。恐る恐る触れてみると、手や身体中に冷や汗がじわりと滲み、身体の震えが止まらなくなる。見た目はホクロだが、死んだ方がマシだと幾度も苦しめられた恐ろしい代物だ。
人としてでは無く、モルモットとして扱われてきた研究所での記憶は、与汰介の心を今だに蝕んでいる。

震える両手を見つめ、与汰介は唇を噛み締めた。

(ああ……そうだよな。…情けねぇ…)

薬を口に放り込み、水で流し込んで毛布を引っ掴み、ソファに倒れ込んだ。
震えながら枕に頭を預けて毛布に包まると、しばらくして心地良い眠気に誘われて目を閉じた。そのまま穏やかな寝息を立て始めた与汰介を、心耶は静かに見つめた後作業机へと戻って行った。
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