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プロローグ

ニア(2)

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 今はまだ、家に帰ることはできない。

 帰れば、あの男の後妻にされてしまう。

 とある伯爵家の高齢の男。

 妻をことごとく虐待死させてきた男。

 お金だけはあるから、不審な死をいくらでも握り潰してきた。

 また、亡くなった女性たちも、泣き寝入りするしかないような出自の人達ばかりだった。

 オスカーとエリアナが結婚しなければ、今頃はあの男に嫁がされていた。

 膨れ上がった侯爵家の借金のために、両親はきっと、可愛がって大切に育ててきたエリアナすら犠牲にしたことだろう。

 結局、自分が一番可愛い人達だったから。

 もしかしたら最初からエリアナを利用するつもりで、何も教えず、何も考えさせずに、ただただ優しい世界の中に生かしていたのかもしれない。

 自分達を何一つ疑わない、可愛らしいお人形として。


『ああ、可哀想なエリアナ。薄情な妹のせいで、幸せな結婚を逃してしまうことになるだなんて』


 あの婚約式の前に、私を殴りながらそう言って脅してきた両親の目は本気だった。

 私はまだ、戦場に逃げる事ができたけど、甘やかされて育ったエリアナは、どこにも逃げられずにあの男の所に送られてしまう。

 私が帰還するまで、オスカーとアレックスが守ってくれると約束してくれた。

 もしもの時は、アレックスがエリアナを兄の所に逃してくれる手筈になっているけど、まさかシニストラ伯爵夫人を誘拐してまであの男に差し出したりはしないはず。

 あの両親は何をするかわからないから怖い。

 あんな男ではなく、せめて女性を尊重してくれる相手だったら良かったのに、よりにもよって、両親はお金のために私達を売り飛ばして、苦しんで死ねと宣告してきたようなものだ。

 あんな人の所に嫁いだら、きっと私は相手を殺してしまう。

 金蔓の男を殺した私を、両親は許しはしない。

 私に報復しようとする両親から、自分の身を守れるのかはわからない。

 幼少期から刷り込まれてきたものからは、簡単には抜け出せない。

 それならせめて、戦場で、自分の意思で戦って、命を散らしたかった。

 死と隣り合わせの戦場で、遠く離れた地にいるオスカーとエリアナが穏やかに過ごせているのならと、それだけが心の支えだった。

 オスカーの、伯爵家の支援を受けて、お兄様が一生懸命に侯爵家の借金を返済してくれている。

 借金を返済してしまえば、あの男に嫁がなくて済む。

 だから、もう少しだけ辛抱してくれと、お兄様が謝ってこられたのは、私も心苦しかった。

 お兄様だって、考え無しの両親に代わって、一生懸命にされているのに。

 だから、私もここで国を守って、そして凱旋できた時はたくさんの報奨金がもらえるから、エリアナに最初で最後のお願いをしてみるつもりだ。

 オスカーと一緒になれる未来を考えたい。

 まだ、諦めたくない。

 あれだけエリアナに、“貴女の幸せを願っています”と言っておきながら、自分はどれだけ酷い人間なのだと思うけど……

 憎らしくて、愛しい。

 私がエリアナに抱く感情は、複雑だ。

 オスカーとエリアナが住む地が平和であるように戦うこと。

 それが、今、私がしなければならない事。

 エリアナと、誰よりもオスカーの幸せを願って。

 考え事から抜け出して顔を上げると、その人影に気付いた。

 いけない。

 ここは戦場で今は偵察の最中なのに、集中しないと。

 でも、警戒よりもすぐに別の感情を抱かなければならなかった。

 私の視線の先には、足枷がはめられた姉妹と思われる二人が抱き合ってうずくまっていた。

「あなた達、こんな所でどうしたの?」

 捕虜なのか奴隷なのか、どちらにしても、どこかから逃げてきたのかもしれない。

 姉の方は10歳くらいにはなっていそうだけど、妹の方はそれよりも幼いのは確実だ。

「お願いします。せめて、妹だけは助けてください。私はどうなっても構いません。妹だけは助けてください」

 ガタガタと恐怖で震えながらも、姉の方が私に訴えてきた。

 腕に残る、火傷の痕のようなものが痛々しい。

 手を取り合って、ここまで逃げてきたのだろうけど、妹の方がより幼い様子だから、もう体力が限界なのだ。

 足枷を外してあげた。

「大丈夫。私は、あなた達を助けたい」

 離れたくないと、お互いがお互いを大切にしている様子が見てとれた。

 たった二人の姉妹なのかもしれない。

 私とエリアナの姿が重なる。

 手元にあったお水を差し出すと、姉の方は、まず妹に飲ませてあげていた。

 妹を一生懸命に守ろうとする姉。

 生まれる前から一緒だった私達なのに、どうして協力し合う事ができなかったのか。

 私は、私から全てを奪っていくエリアナを信用していなかったし、エリアナは自分の思う通りになる事が当たり前だった。

 だから、ずっと、オスカーへの想いを打ち明けられなかった。

 私がオスカーの事を好きだと伝えたら、エリアナは絶対にオスカーに興味を持ったはずだから。

 いつからあんな関係になってしまっていたのか。

「少し落ち着いたかな?ここはまだ緩衝地帯だけど、いつ戦場になるかわからない。今から貴女達を後方の部隊に引き渡すから、そこまで頑張れる?」

 こくんと頷いたのを確認して、立ち上がる。

 ふと、姉妹が来た方向を見ると、木々の合間に黒い影のようなものが動いているのが見えた。

 それは、敵影のものだったのだ。

 こんな所まで入り込んで来たの?

 どうして、ここは、中立国を含めた三ヶ国の国境が接する場所で緩衝地帯となっているのに……まさか、同盟が組まれた……?

 見る限り、斥候なのではなく、作戦が遂行可能な数部隊はいる。

「行って。走って。この先に野営地がある。そこに行けば、貴女達は自由になれる」

 追い立てるように姉妹を後方に走らせると、信号弾を上げた。

 緊急事態を示す黒煙が空で広がる。

 信号弾を放った瞬間から私は標的となり、敵意が向けられていた。
 
 命を刈り取ろうとする攻撃が、容赦無く降り注がれ、それらを避けながら、応戦してもいいべきなのか迷っていた。

 一人で対処できるのかと。

 撤退って言葉が頭をよぎる。

 緩衝地帯で相手を刺激しないために、単独で偵察にあたっていたのが仇になった。

 ああ、でもダメだ。この先にはシニストラ伯爵領がある。

 ここのラインを守らなければ、もしこのまま進軍されたらあの領地が戦場になる。

 下がりかけた足を踏み留まらせる。

 怖くても、不利な状況でも、私はここにいなければならない。

 せめて、味方がここに来るまでは。

 そう覚悟していたのに、なんの前触れもなく、氷でできた刃が胸を貫く。

 私よりもはるかに高純度の魔力の放出が、瞬時に行われていた。

 胸部から肺、喉、口と凍りつきすぐに呼吸はままならなくなる。



 苦しい……痛い……怖い…………

 死を前にして、ボロボロと涙が溢れる。

 私はここで、呆気なく死んでしまうのか。



 死にたくない……



 帰りたい

 帰りたい

 お兄ちゃん

 エリアナ

 オスカー






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