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本編

44 口を塞ぎ、言葉を止める

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 建物を繋ぐ通路から外に出ると、帝都の夜の訪れを告げる、鐘の音がした。

 薄暗い庭園は、所々に設置された松明で辺りが照らされている。

「今日は、一緒に来てくれてありがとう。知らない人ばかりで疲れただろう?」

 新鮮な空気を存分に吸い込んだところで、レオンが気遣うように声をかけてくれた。

 ため息にならないように、今度はゆっくりと吐き出してから答える。

「刺繍を褒めてもらえたので、連れてきてもらって良かったと思っています」

「楽しんでもらえたのなら、俺も嬉しいけど」

 レオンは目を細め、慈しむように私を見ている。

 いつかと同じような熱を込めた視線から、目を逸らせずに戸惑う。

「俺が初めて貴女と会ったのは」

 その貴女にと言うのは、エルナトのことを指すのだ。

「俺が7歳の時で、両親が亡くなった直後は、大聖堂に遺体が安置されていたんだ。ディール侯爵家の迎えを一人で待ってて、その時に俺は、エルナト様に会った」

「私も7歳になったばかりの頃と言うことですね」

「はい。俺が声をかけてもらったのは中庭で、その時のことを、今でも鮮明に思い出せる」

 やっぱり私は覚えていないので、申し訳なく思っていた。

 でもレオンは気にした様子はない。

「私は、代わりとして連れて来られて、だから、代わりがいればそれでいいのだと、ずっと思っていました」

 そこでレオンは、慌てた様子を見せた。

「それはたまたまで、でも、それが俺にとって幸運な事でもあって、それに、人を思いやり、労る事を俺に教えたのは貴女の方だ。どんな時でも食べる事を忘れないようにって、それも俺に貴女が言った」

 今度は決意を秘めたような視線を向け、私の正面に立つ。

「シャーロット。俺は、貴女のことを片時も忘れた事はない。俺は、貴女のことをっ」

 今にもそれを言いそうだったレオンの口を、咄嗟に手で塞いだ。

 その行動がレオンを傷付けたことはわかっていたけど、どうしてもそれを聞くことはできなかった。

 もはや、自惚じゃない。

 事実、悲しげにレオンは私のことを見ている。

 拒絶されたと思っているはずだ。

「レオンが、嫌だからじゃない。ただ、この体は、イリーナのものだから。だから、私は、何かの感情を抱いていたとしても、自分の心のままに従うことはできない。だから、その続きを聞くことができない」

 私の言葉を聞いて、レオンの肩から力が抜けたから、手を離した。

「レオンは、イリーナのこの姿だから、興味を持ってくれているだけですよ」

「違う。俺は、エルナト様の事を忘れたことはない。だからきっと、シャーロットがシャーロットなら、どんな姿でも、俺は……」

「レインさんの姿でも?」

「それは、悩む、な……」

「正直ですね」

 そこは真面目なレオンらしくて可笑しかった。

「シャーロットは、焦げ茶色の髪に、少しだけ明るい茶色の瞳で、平民にはよくいる容姿でした」

 それが、王太子は気に入らなかった。

「よく、覚えているよ。優しげで可愛い女の子だって思っていたし、今でも……モフーを撫でるだけなのに、周りをキョロキョロ見渡して、誰もいないのを確認してから撫でて、その仕草が可愛くてたまらない。俺にはエルナト様の本来の姿に重なって見えるから、余計に尊い姿だった」

「とっ……誰もいないのを、確認しているのに、どうしてレオンが……」

「護衛だから……気配をさせないように、様子は見てて……」

 恥ずかしくて、顔を覆いたくなる。

 完全に見られていないと、油断していた。

 レオンの前では、モフーに興味がないフリをしていたのに。

「だから、モフーのことは遠慮せずに可愛がってあげればいいと思う」

「別に、遠慮は……」

「他者を優しく慈しんであげたい。誰かの幸せを願いたい。それは、貴女の本質だ。シャーロットにとっては、受け入れ難いこともあると思う。何もかもを忘れてだなんて、とんでもない話だ。シャーロットの気持ちを否定しないと、あの時言ったことを覚えている。でも、無理矢理自分の感情を誤魔化す必要もないと思う。矛盾しているだなんて思わなくていいんだ。何度でも言う。もう、シャーロットには何の義務も責務も無い。自分が大切だと思う存在だけを想えばいい。それは、誰もが当たり前にしていることだ。あと、これだけは伝えたい。俺は、どんな姿でも、どんな関係でも、貴女がすぐそばにいてくれるだけで幸せで、何よりもシャーロット自身の幸せを願っている」

 どうして言わなくても、私の葛藤をレオンは分かってくれているのか。

 それだけ私の事を意識して見ていてくれたからだ。

 だからこそ抱く苦悩。

 何の問題もなく、レオンの気持ちに応えることができれば良かったのに。

 私だってこれから先、レオンにはずっと一緒にいてもらいたいと思っている。

 でもそれが、どんな関係でなのか。

 この体は、イリーナのものだ。

 そのことだけは、ずっと忘れられなかった。

「体が冷えるから、そろそろ中に戻ろうか」

 レオンが手を差し出してくれるから、自分のものではない手を重ねる。

 優しく微笑んでくれる顔を見上げながら、まだまだ賑やかな会場へと、二人で戻っていた。




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