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その後
42 出会い頭の
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国王に即位してから、毎日が目まぐるしく過ぎて行った。
1年が過ぎた今は、リュシアンさんがいなくても、何とか少しずつ、国王としての公務をそつなくこなせるようになってきている。
それは、そんなある日の出来事だった。
城内のその角を曲がった所で人にぶつかり、反射的に謝っていた。
「すまない。急いでいたもので。怪我はないか?」
自分よりも背の低いその相手は、城の使用人に支給されている服を身につけていた。
「いえ、申し訳ありません。国王陛下。御無礼をお許しください」
ガバッと音がする勢いで、彼女は頭を下げてきた。
二つに結んである黒く、長い髪が、さらりと肩から滑り落ちていた。
普段は訪れることのない、使用人が働く区画に用事があってそこに向かっていたのだが、少し注意が散漫になっていたようだ。
「顔を上げてくれ。前をよく確認しなかったのは、私なのだから」
そう伝えても、彼女は頭を下げたままだ。
「陛下の言葉をそのまま受け止めて大丈夫ですよ。あまりへりくだるのも、慇懃無礼と捉えられることもありますからね」
護衛騎士のウリセスがそれを伝えると、彼女は慌てた様子で顔を上げた。
黒曜石のような綺麗な黒い双眸と目が合う。
あまり見ない目と髪の色だったから、失礼と思いながらもマジマジと見つめていた。
自分とあまり歳は変わらないように見える。
「君の、名前は?」
「あの、私は……」
名前を聞いてはみたものの、僅かに震え、酷く緊張した様子であったから、これ以上彼女をここに引き止めるのも悪い気がしていた。
私が再び声をかけようとすると……
「彼女は主に清掃業務を担当をしているエレナです。家名はありません。歳は19。城で雇われて2年目ですね。両親はすでに他界しています。付き合っている男性はいません。性格は大人しいようです。趣味は花を愛でることが好きなようで、休みの日には城の周りの花壇をこっそりと見て回っているようです。好きな食べ物は、誕生日の時にだけ特別に食べるクリームをたっぷりと添えたシフォンケーキ。好きな色は白。他に何か知りたい情報はおありですか?」
国王補佐官のフィルマンが、くいっと銀縁のメガネを押し上げて、誰の口も挟ませない勢いでその情報を並べてきた。
彼の頭の中には城で働く全ての人々の情報が入っているのだろう。
けれども、彼女のプライベートな事までをも曝け出したので、申し訳なくなって、エレナを見た。
彼女は、真っ赤になって、また俯いてしまっていた。
わずかに肩も震わせているが、これは先程とは違う意味の震えではないだろうか。
私なら恥ずかしさのあまりに……
「すまない、私の補佐官が……」
国王であるこの私が、彼女にかける言葉がなかった。
フィルマンは優秀で真面目で悪い人間ではないのだが、少し人間味というのか、配慮に欠けるところがある。
女性と付き合った経験がない私ですら、彼はその付き合いを通して女性の心を、ひいては人の繊細な心を学んだ方がいいのではないかと思う。
「本当にすまなかった。今の事は忘れて、私も忘れるから、貴女はもう仕事に戻った方がいい」
「は、はい、失礼いたします」
結局、俯いたまま、彼女は急ぎ足でこの場を後にしていた。
か細いその背中を見送っていると、
「よろしいのですか?陛下」
フィルマンが、また銀縁メガネを中指で押し上げながら私に尋ねてきた。
「何が、だろうか?」
彼の意図が分からなくて、首を傾げてしまう。
「珍しく公務が絡まない事で女性に興味をお持ちでしたので、差し出がましいとは思いましたが」
「差し出がましい以前に、アレでは相手に失礼だ」
少し、いや、だいぶ呆れていた。
「俺ならもっとスマートにサポートしますけどね、フィルマンならあれが限界でしょう」
ここまで黙っていたウリセスまでもが、そんな事を言うが、
「さぁ、無駄話しもここまでにして、用事を済ませてしまおう」
私は私の成すべき事をしなければ。
年上の二人を促して、その場から動き出す。
でも、無意識のうちに彼女には今付き合っている男性がいないのかと、何故その時にそう思ったのかを考えもせずに、目的地に向かっていたのだった。
1年が過ぎた今は、リュシアンさんがいなくても、何とか少しずつ、国王としての公務をそつなくこなせるようになってきている。
それは、そんなある日の出来事だった。
城内のその角を曲がった所で人にぶつかり、反射的に謝っていた。
「すまない。急いでいたもので。怪我はないか?」
自分よりも背の低いその相手は、城の使用人に支給されている服を身につけていた。
「いえ、申し訳ありません。国王陛下。御無礼をお許しください」
ガバッと音がする勢いで、彼女は頭を下げてきた。
二つに結んである黒く、長い髪が、さらりと肩から滑り落ちていた。
普段は訪れることのない、使用人が働く区画に用事があってそこに向かっていたのだが、少し注意が散漫になっていたようだ。
「顔を上げてくれ。前をよく確認しなかったのは、私なのだから」
そう伝えても、彼女は頭を下げたままだ。
「陛下の言葉をそのまま受け止めて大丈夫ですよ。あまりへりくだるのも、慇懃無礼と捉えられることもありますからね」
護衛騎士のウリセスがそれを伝えると、彼女は慌てた様子で顔を上げた。
黒曜石のような綺麗な黒い双眸と目が合う。
あまり見ない目と髪の色だったから、失礼と思いながらもマジマジと見つめていた。
自分とあまり歳は変わらないように見える。
「君の、名前は?」
「あの、私は……」
名前を聞いてはみたものの、僅かに震え、酷く緊張した様子であったから、これ以上彼女をここに引き止めるのも悪い気がしていた。
私が再び声をかけようとすると……
「彼女は主に清掃業務を担当をしているエレナです。家名はありません。歳は19。城で雇われて2年目ですね。両親はすでに他界しています。付き合っている男性はいません。性格は大人しいようです。趣味は花を愛でることが好きなようで、休みの日には城の周りの花壇をこっそりと見て回っているようです。好きな食べ物は、誕生日の時にだけ特別に食べるクリームをたっぷりと添えたシフォンケーキ。好きな色は白。他に何か知りたい情報はおありですか?」
国王補佐官のフィルマンが、くいっと銀縁のメガネを押し上げて、誰の口も挟ませない勢いでその情報を並べてきた。
彼の頭の中には城で働く全ての人々の情報が入っているのだろう。
けれども、彼女のプライベートな事までをも曝け出したので、申し訳なくなって、エレナを見た。
彼女は、真っ赤になって、また俯いてしまっていた。
わずかに肩も震わせているが、これは先程とは違う意味の震えではないだろうか。
私なら恥ずかしさのあまりに……
「すまない、私の補佐官が……」
国王であるこの私が、彼女にかける言葉がなかった。
フィルマンは優秀で真面目で悪い人間ではないのだが、少し人間味というのか、配慮に欠けるところがある。
女性と付き合った経験がない私ですら、彼はその付き合いを通して女性の心を、ひいては人の繊細な心を学んだ方がいいのではないかと思う。
「本当にすまなかった。今の事は忘れて、私も忘れるから、貴女はもう仕事に戻った方がいい」
「は、はい、失礼いたします」
結局、俯いたまま、彼女は急ぎ足でこの場を後にしていた。
か細いその背中を見送っていると、
「よろしいのですか?陛下」
フィルマンが、また銀縁メガネを中指で押し上げながら私に尋ねてきた。
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彼の意図が分からなくて、首を傾げてしまう。
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「差し出がましい以前に、アレでは相手に失礼だ」
少し、いや、だいぶ呆れていた。
「俺ならもっとスマートにサポートしますけどね、フィルマンならあれが限界でしょう」
ここまで黙っていたウリセスまでもが、そんな事を言うが、
「さぁ、無駄話しもここまでにして、用事を済ませてしまおう」
私は私の成すべき事をしなければ。
年上の二人を促して、その場から動き出す。
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