蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌

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8 誰かの希望の花

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 領地に戻って最初の一ヶ月は何もする気が起きなくて、部屋で過ごすことが多かった。

 気付けばボーッと窓の外を眺めていて、ジャンナを随分と心配させていたようだ。

 一緒に領地で過ごすお母様からは、しばらく何も考えずにゆっくり過ごすといいと言ってもらえたけど、周りへの配慮を一切忘れて構わないという意味では無い。

 そこに至らなかった自分に反省し、ジャンナを一度、実家の家族のところに帰らせた。

 一ヶ月くらいは家族との時間を過ごしてほしいと伝えて。

 私は私で、この機会を利用して領地の町に行こうと思っていた。

 まずは修道院に併設された孤児院へと挨拶に向かう。

 ここを訪れると、手伝いたいことがたくさんあるから、時間はすぐに過ぎる。

 それに、子供達に元気を分けてもらえることは、私にとって大切なことだった。

 孤児院で半日を過ごすと、帰りは町をゆっくりと歩きながら戻る。

 それが、ここしばらくの私の日常となっていた。

 大きな通りを進み、周りの風景に目を向ける。

 この辺は以前と比べて街並みの様子に変化は無い。

 治安も良くて、昼間なら護衛無しで歩けるくらいに平和な場所だ。

 だから今も、公爵家の護衛の人達は少し離れて見守ってくれている。

 一人の時間をゆっくり過ごせて、とても満足していた。

 あの城で味わった虚しい一年が、自分の中で氷解するように急速に過去のものになっていっている。

 もう、縛られることも利用されることもない。

 王太子の婚約者として過ごさなければならなかった11年は息苦しいものだった。

 領地での生活を捨て、王都に行かなければならなかったことが最初で、思い返せば、アルテュールに相手にされないことよりも、この土地から離れて暮らさなければならないことが哀しかったものだ。

 王都の人達も優しい人が多かったけど、私に冷たい態度をとり続けるアルテュールと、彼のことしか考えない前王夫妻には、良い思いは無い。

 一人でいられる今だからはっきりと自覚されるけど、私は王家の人達が好きではなかった。

 これは、決して、お父様には言えない思いだ。

 国と王家を大切に思うお父様には。


「じっくり見て行って!王都から届いたばかりの新作だよ!」


 いつの間にか視線が俯き気味になっていたところに、元気な声が飛び込んできた。

 声の方に顔を向けると、路上でハンカチを売っている男の子がいた。

 首に紐をかけて、ハンカチを乗せた木製トレーを支えているようだ。

「見せてもらってもいい?」

 その子に声をかけた。

「あ!お嬢様!」

 パッと顔を上げた男の子は、私を見るなりそんな声を上げて満面の笑顔になった。

 見知った男の子だった。

「セオ。今日も元気いっぱいね」

 奉仕活動の際に孤児院で知り合った男の子だ。

「今日はハンカチを売っているの?」

 トレーに並べられたハンカチを見ると、どれも綺麗な刺繍がされていた。

「うん!孤児院出身の兄ちゃんが、今は王都でお針子をしてて、見本とか練習で作ったハンカチを孤児院に送ってくれるんだ。だから、こうやって俺たちで売って、ついでに兄ちゃんのことも宣伝しているんだ」

「素敵なアイデアね。私も一枚買ってもいい?」

「嬉しいよ、お嬢様!」

 一枚一枚を目にすると、お世辞ではなく、見れば見るほどどれも繊細なものだ。

「すごく綺麗ね」

 こんな腕の良い職人さんが王都にいたとは知らなかった。

「兄ちゃんの名前はランドン。刺繍の腕を買われて、王都でも有名な店で働いているんだ。お嬢様も、もし兄ちゃんの名前を聞いたら、存分に宣伝してくれよな。俺たちの自慢の兄ちゃんなんだ」

 女性の作り手だと勝手に思っていたから、男の人だと聞いて驚きはあった。

「わかったわ」

「兄ちゃん、いつか自分の店を持って、そこで俺たちを雇ってくれるって。だから、今のうちにたくさんのお客さんの目に触れてもらうんだ」

「お兄さんのことが大好きなのね」

 セオの語る瞳がキラキラとしている。

「すんげー尊敬してる。とっても優しくて、頼りになる兄ちゃんなんだ。今から、一緒に働けることを楽しみにしているんだ!」

 将来の夢を語る姿は、見ていて、心に希望を灯してくれる。

 セオのご両親は、隣の領地で起きた川の氾濫によって、一年前に命を落としたと聞いた。

 家族を一度に失って、悲しみの底にいた小さな子が、再び将来に希望を見出してくれることはとても嬉しい。

 セオにとっての目標であり希望が、このハンカチを作成したランドンさんなのだ。


「あ、兄ちゃん!」


 セオの一際弾んだ声にそちらを向くと、がっしりとした体格の背の高い男性が立っていた。

 私よりは少し年上に思える。

「帰ってきてたんだ!」

「ああ。まとまった休みをもらえたからな」

 セオが男性に駆け寄って行ったかと思えば、クルリとこちらを向く。

「お嬢様、さっき話していたランドン兄ちゃんだよ。お嬢様がその手に持ってるハンカチの刺繍をした。兄ちゃん、早速ハンカチ売れたよ。お嬢様が褒めてくれてたんだ」

 ハンカチを広げて、この薔薇の刺繍をした人が目の前の屈強な男性とはとても思えず、驚いていた。

 お針子と言うよりも、肉体労働者にしか見えなくて。

 そして、お針子ではなくて、縫士か裁縫士と呼ぶべきかと。

 私が思わずハンカチと見比べてしまうと、男性はとても困ったような顔になっていた。

「セオ。どう見ても貴族の御令嬢に、お前は何を失礼なことをしているんだ。申し訳ありません、お嬢様。まだ、世の中のことが何もわからない子供です。どうか、失礼な物言いは見過ごしていただけないでしょうか」

 腰を折って、ものすごく丁寧な言葉で話しかけてきた。

「大丈夫よ。顔を上げて。セオと私は友達だから心配しないで」

 顔を上げてはくれたけど、ランドンさんは今度は困惑した様子だ。

 だから、もう少し細かく説明した。

「孤児院を訪問した時にセオと知り合って、よく話すようになったの。今は、このハンカチについて教てもらってた最中で、貴方が刺繍を施したそうね。その腕前にとても感激していたところよ」

「そのような評価をいただき、光栄の極みです。ですがそれは、俺が練習用に作成したもので、御令嬢には相応しくないものです。返金致しますので、こちらに渡していただけますか?」

 やはり、とても丁寧な話し方だ。

「そんなことはないわ。職人としてのプライドがあるのかもしれないけど、これは、十分に対価に値するものよ。でも、これ以上の物を貴方が作れるのなら、いつかそれを目にすることを楽しみにしているわ。確かに、セオの自慢のお兄さんね」

 それを伝えると、わずかに目を細めて嬉しそうな表情を見せる姿は、優しげな雰囲気を醸し出していた。

 確かにこれはこの人の作品なのだと、納得させるものだった。

 繊細で、最後まで心が行き届いた刺繍は、彼そのものなのだ。

「セオを気にかけてくださって、ありがとうございます」

 正面から見つめると、黄褐色の肌にヘーゼルの瞳は、どこか異国の雰囲気を思わせる。

 どうやら彼は、王都で働いていても私のことは知らないようで、貴族の娘とまでしかわからないようだ。

 ほんの少しだけ安堵した。

「兄ちゃん!兄ちゃん!肉団子食べたい!お嬢様も誘ってさぁ!」

 好奇な視線を向けられないかと、私の少しの不安など、セオの元気な声が吹き飛ばしてしまう。

 ランドンさんは呆れたように、セオに言葉を返していた。

「御令嬢を屋台に誘うなど失礼にも程があるだろう」

「えー、そんなことナイって」

 セオの抗議の膨れっ面は、屋敷の庭で見かけたリスを思い出させる。

 ちょっとだけそれが可笑しくて、つい、口を挟んでしまう。

「少しだけ訂正させてもらうと、幼い頃は屋台の食べ歩きが大好きだったのよ?ただ、大人になってからはなかなかその機会に恵まれなくて」

「ほらほら、兄ちゃん!お嬢様に食べさせてあげようよ」

 ふっと小さくて息を吐くと、ランドンさんは遠慮がちにではあったけど、私にそれを尋ねてきた。

「失礼でなければ、ご一緒にいかがですか。屋台くらいなら俺が持ちます」

 自分が余計なことを言ったからで、即お断りすることなどできずに、悩んだ。

 元王妃だった私が、領地に縁のある平民の男性に奢ってもらっていいのかと。

 でも、手に職を持った方なら、男性を尊重した方がいいのかな。

 セオの手前、断れば彼に恥をかかせてしまうかもしれない。

 そのへんは貴族も平民も同じではないのだろうか。

「では、ご馳走してもらってもいい?」

「はい。どうぞ、セオと座って待っていてください」

「兄ちゃん、俺、大きいの!」

「他の子には内緒だからな。恨まれるのは俺じゃなくてセオだぞ」

 私には丁寧な物言いだけど、セオに見せる表情は屈託のないもので、本当の兄弟のようだった。

「お嬢様、こっちに座ろう」

 通りに並ぶ屋台の間に、座って休めるベンチがいくつか設置されていた。

 そこにセオに手を引かれながら移動して、二人で座る。

 私が端に座って、真ん中にはセオ。

 反対側の端っこは空けて、屋台で品物を買うランドンさんを待った。






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