聖女は歌う 復讐の歌を

奏千歌

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エカチェリーナ  *バッドエンド注意

32 聖女が遺したもの

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 力なくソファーに座っていると、キィ、パタンと、ドアが開閉された。

 訪れた人物と一緒に外からの風が室内に入ってきて、大好きな香りを運んでくる。

 見なくても、誰が来たのかはわかった。

「王子。待ってたよ」

 ほんの少しだけ視線を向けると、王子は憔悴しきった酷い顔をしていた。

 多分、私も同じような顔をしている。

 王子は酷い顔をさらに悲しげに歪めて重々しく口を開くと、ここに来た理由を律儀に私に報告をした。

「兄上は、自ら命を絶ちました……」

 ミハイルの自殺。

 自分が裏切られたことに絶望し、さらには自分が愛した聖女を殺したことに、耐えられなかったのだ。

 王子はこれからのことを思えば、一人で受け止めきれなかったのかもしれない。

 でも、遺された彼は王となるのだから、無理にでも一人で歩いていかなければならない。

「ヴェロニカさんの子供は、どうしているの?」

「神殿が保護しています。聖女の子供であるのは間違いないので……兄上も結局、子供を殺めることまではできなかったようです」

「ミハイルは……優しいからね……」

 ソファーに座って項垂れたまま、王子にヴェロニカさんの手紙を差し出した。

 彼は無言で受け取り、でも、内容を読み進めていくうちに、悲痛な呟きは聞こえてきた。

「なんで……どうして……これでは、兄上もヴェロニカさんも……」

 報われない、救いがない、無意味な死。

「どう……して……エカチェリーナさんは…………ヴェロニカさんを止めなかったのですか?」

 それを聞く王子すら、無意味な質問だと思っているようだ。

「どうしてと?どうして私が、ヴェロニカさんを止めなければならないの?」

 少なくとも、私がルニースの生まれではないと知っている王子は、その通りなのだと、自嘲するように歪な笑みを浮かべ、肩を落としている。

「私は幼かったから覚えていることは限定的だけど、ヴェロニカさんは違う。最初から最後まで、大切なものを何もかも奪われた記憶がある。何が正しいのか、何が間違っているのか、誰が悪いのか、誰に罪を問わなければならないのか」

 恨み言を吐き捨てるように、ハッと息を吐き出した。

「私は、お師匠様の特異な魔法で、どこで何が起きていたのか色々見せられても、どこか悪い夢を見ているようだった。だけど、実際に目の当たりにしたヴェロニカさんは、残酷な光景をその目に焼き付けて」

 泣くのを我慢している王子に、言っても無駄なのに言葉を投げつけていく。

「あなた達を恨んだところで、私の両親は帰ってこない。国が元通りになることはない。あの幸せな時にはもう戻れない。王子、私は止めるべきだったの?王子なら、止めたの?生きる意味がそれしかなかった彼女を」

 あの日から、私を見ているようで見ていなかった。

 ヴェロニカさんには、もうエカチェリーナが見えていなかった。

 亡国の王女の姿にしか見えていなかった。

 それでも、ヴェロニカさんには生きていて欲しかったんだ。

「ヴェロニカさんとは、私が生まれた時から姉妹のように一緒に過ごした。そんな私が、ヴェロニカさんの目の前で、貴方の国の騎士に殺された」

 顔を上げ、王子に見せつけるように、自分の胸に手を当てた。

「この胸を、騎士の剣が貫いた。その時に、竜玉が砕けて、竜の封印は解かれて、その周囲にあった二つの国が消滅した」

「僕の国の……騎士が……」

 王子の顔色は、色をなくしていた。

 まさか、そこまでとは想定していなかったのだろう。

 できなくて当たり前だ。

 目の前にいる人物が一度死んだ人間だと、死者が蘇って動いているのだから、誰が信じられるか。

「始まりは、ドラバールが侵攻してきたことだった。でも、ルニースは信仰の象徴として聖女を欲しがって、孤立したルファレットは……私の国は、結果的に両サイドにあった二つの国から攻め込まれた」

 ドラバールが竜の力を欲したように、ルニースの神殿関係者が聖女を欲したせいで、協力関係にあった王は奪うことを決めて。

 でもせめて、終わってしまったことよりも、まだ残っている者達のために手を尽くしたいと思って、だから……

「私はずっと知りたかった。封印されていた竜について、ルニース王家には禁書として伝えられているものがあるはずだから。貴方の父親から愚王へと王権が移った時、その経緯のせいで大切な情報が正しく伝えられなかったのだと思うよ」

 失われた国が二度と元通りにはならないのだとしても、せめて人が住める環境にならないのか、私はずっと試行錯誤していた。

 それも、もう無駄になる。

 あの日の、私の身に起きたこと、見知ったことを、王子にはすべて話した。

 誰か一人くらいは、私達のことを知っておいて欲しかったのかも知れない。

 自分よりも年下の、年若い王子に辛い思い出を押し付けて、甘えて……

「まさか……ユーリアさんまでそんなことを……」

 不遇の令嬢と思っていたユーリアが凶行に及んだことが想像できないのか、彼女が刺した私の脚に視線を向けている。

「ヴェロニカさんは、ユーリアに直接罰を与えるのは私であって欲しかったんだろうね」

「でも、エカチェリーナさんは、その選択をしなかった」

「あの時、ユーリアの邪魔がなかったとしても、子供の足ではどこまでも逃げることはできなかったはずだから」

「けど、傷つけられたのは貴女で……申し訳ありません……僕は、貴女を傷付けた人を守れと、残酷な提案を持ちかけていたのですね……」

 そこで王子は、悔やむように自分の手を握りしめて、唇を噛んでいた。

「どうして君が謝るの?私は、ヴェロニカさんの意図がわかっていた。だから、断ることも、君に警告することもできた。でも、それをしなかった。私は、自分からは何もしなかった」

 自ら復讐に手を貸すことも、止めることもしなかった。

 ヴェロニカさんの復讐で、誰が死んでも構わないと思っていたのだから。

 君とミハイル以外はどうなってもいいと……

「私は……ヴェロニカさんが生きていけるのなら、その過程に復讐があっても構わないと思っていたの……幸せになってほしくて……」

 せっかく、ミハイルが助けようとしてくれていたのに。

 ミハイルこそ、幸せにならなければいけなかったのに。

「ヴェロニカさんは、ミハイルをちゃんと愛していた。ヴェロニカさんは、私には嘘をつかない。だから、大きな不安はあっても、私も大丈夫だと思ったんだ。ミハイルだけは、大丈夫だと思ったんだ。謝るのは……私の方だ……」

 貴方の、唯一残った大切な家族を奪った私は同罪なんだ。

 私の方こそ、責められなければならないのに。




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