9 / 11
9 恩返し
しおりを挟む
明るい日差しの中、目が覚めてもボーッと天井を見上げて起き上がりはしなかった。
薬が効いているのか、頭がふわふわする。
自分を包む空気が妙に心地よくて、安心感があった。
それは、今までに覚えのない感覚のはずだった。
昨日ここに到着して、自分の身に異変が起き、自ら薬を飲んでベッドに寝たのは覚えているけど、この状況でよくもまぁ、ここまでぐっすりと寝たものだ。
視線だけを動かすと、先程から飽きもせずにイザークが私を見つめ続けていた。
「誰も近づけさせないのではなかったか?」
眠っている間に何かされたらと思うと、ゾッとするが、言った通りにこいつが無理矢理何かをした様子はない。
大人しく椅子に座って、私を見ているだけだ。
男の私に何も期待するものなんかないはずだと、勝手に納得する。
昨日と違うところといえば、イザークに真っ白な毛並みの耳と尻尾が見えたくらいか?
この男が獣人なのだと初めて意識できた。
気を許すつもりはないが、見慣れない姿を忌避しようとは思わない。
「いい加減に、見るのはやめろ」
叱りつけるように言った。
なのに、イザークのフサフサの尻尾がパタパタと揺れていた。
声をかけられて喜ぶかのように。
ゆっくりと上体を起こした。
自分の体に、昨日の異変は残っていない。
今度は視線を横に向けた。
ニコニコしながら私を見ている男がいる。
今は随分と子供っぽい表情をしているな。
この駄犬は、決して汚い男じゃない。
清潔感はあって嫌悪は抱かない。
だから、同じ空間にいてもそこまで嫌じゃないのだろう。
昨日のあの異変がなければの話だが。
ぶっちゃけると、それなりに上等な部類には入るんじゃないか?
こいつは年下で、まだ少年の部分が抜けきっていないけど。
そんな奴が、ご主人様の言葉を待つように私を見ている。
まるでペットのようだ。
訳の分からない結婚相手ではなく、ペットと思えばそれなりに躾がいがありそうだ。
そんな事を考えているとも知らずに、イザークが動いた。
「これを、首にかけてて。これを装着している間は、エリスの呪いの効力を無効化するものだ」
手にしているのは、小指の爪の先ほどの小さな赤い宝石が付いたネックレスだった。
「お前、そんなものがあるならもっと早く……」
昨日の時点で、城を出る前に寄越しておけばいいものを。
相変わらずニコニコしながら私の事を見ている犬を殴りたくなった。
「つけてやろうか?」
「自分でつけるからいい」
と言ったのに、イザークは首にそれを装着した。
「まるで首輪みたいだな」
嫌味のつもりで言ってやる。
「獣に飼われるお姫様か?それは、いいな」
ははははと、また笑っていた。
甘えるような仕草を見せていたくせに、今は傲慢に笑っている。
このネックレスを着けている限りは、オレは本当に女の姿でいられるようだ。
あえて意識しなかったが、服の中での変化は顕著だ。
特に胸が重くて、肩が凝りそうだった。
「胸を見るな。相打ち覚悟で斬るぞ」
イザークがあからさまに視線を一点に集中させていたから、睨みつけて言った。
「ごめん、見ない」
すぐさま奴は明後日の方を向くが、顔は赤い。
油断も隙もないな。
今までほとんどの時間を男として過ごしてきたんだ。急に女として性的な視線に晒されたら戸惑うし、不快だ。
どうやら、こいつは本気で私を嫁にするつもりだから警戒しないと、気付いたら後戻りできない状況に陥ってそうだ。
「帝国の皇族は、成人になるまで婚約者との性行為は禁止なんだ。だから、エリスには何もしない。誓うよ」
「殴ってもいいか?」
ついでのように言われた言葉は、なんの保証にもならない。
それに、婚約者以外とはいいのか。
殴るのを我慢するんじゃなかったな。
「獣人は、異性を落とす時にいつも匂いを放っているのか?」
あんな事が当たり前に横行しているのなら、ゾッとする。
あの状態がずっと続いていたら、自分がどうなっていたかわからない。
「一定年齢は、抑制剤を飲んで抑えている」
「じゃあ、お前もそれを飲め」
「今までも昨日も飲んでた。けど、昨日は本当に抑えきれなくて我慢できなかった。エリスに会えた事が嬉しくて」
「我慢しろ!!」
イザークは私に怒鳴られたのに、嬉しそうに尻尾を振っている。
狼獣人じゃないのか?誇りはないのか。
「いつまでここにいるつもりだ」
「兄さんに報告しないとだけど、俺はまだここにエリスと二人でいたい」
「ほう。私といたいか。なら、そこに正座して、これまでの経緯を説明しろ」
イザークは言われた通りに床に正座する。
ベッドの上で私が胡座をかいて見下ろせば、視線を彷徨わせてソワソワしていた。
「さっさと話せ」
「俺は、エリスに助けられた。満月の夜に、湖のあった森で、子犬を助けてくれたのを覚えている?」
「お前、あの時の犬か!」
「うん」
それなら、恩返しに来たのは納得できるが……
むしろ、恩返しに来いと言ったのは私の方だが、こんな事を頼んだつもりはない。
イザークはあの湖で出会った前後からのことを、順を追って話し始めた。
「つまり、あの時は前皇帝と皇妃である両親を殺された直後で、イザーク自身も襲われて、深傷を負っていたと」
「うん」
「お前……あの時に……両方を見ていたな……」
この犬に男と女それぞれの裸を見られている。
獣だと思って油断していた自分が悪いのだけど……
「俺は、エリスが男でも女でも気にしない。今さらだからな」
尻尾を振りながらドヤ顔で言われても、何の慰めにもならない。
「この際だからはっきり言っておく。恩返しか何か知らないが、あの国から連れ出してやったからと、感謝してもらえると思うなよ。婚約しようが、結婚しようが、貴様、この先私の体に許可なく好き勝手しようとするのなら、舌を噛み切って死んでやるからな」
それを聞いたイザークは、顔色を変えた。
「調子に乗るな。いいな?」
「わかった……」
「なら、着替えるからすぐに出て行け」
「動きやすい服を、そこのクローゼットに入れているから。俺は朝食の準備をして待ってる……」
イザークは、トボトボと音がしそうなほど肩を落として部屋の外へと向かった。
女の体になったところで、私の中で安定するものなんか、何一つ無い。
何が嫁に、だ。
これ以上、私の人生を他人に引き摺り回されてたまるか。
私の不機嫌が伝わったのか、朝食の席でも、残りの行程でも、馬車の中でも、イザークは端っこ見つめてこっちを見ようとはしなかった。
薬が効いているのか、頭がふわふわする。
自分を包む空気が妙に心地よくて、安心感があった。
それは、今までに覚えのない感覚のはずだった。
昨日ここに到着して、自分の身に異変が起き、自ら薬を飲んでベッドに寝たのは覚えているけど、この状況でよくもまぁ、ここまでぐっすりと寝たものだ。
視線だけを動かすと、先程から飽きもせずにイザークが私を見つめ続けていた。
「誰も近づけさせないのではなかったか?」
眠っている間に何かされたらと思うと、ゾッとするが、言った通りにこいつが無理矢理何かをした様子はない。
大人しく椅子に座って、私を見ているだけだ。
男の私に何も期待するものなんかないはずだと、勝手に納得する。
昨日と違うところといえば、イザークに真っ白な毛並みの耳と尻尾が見えたくらいか?
この男が獣人なのだと初めて意識できた。
気を許すつもりはないが、見慣れない姿を忌避しようとは思わない。
「いい加減に、見るのはやめろ」
叱りつけるように言った。
なのに、イザークのフサフサの尻尾がパタパタと揺れていた。
声をかけられて喜ぶかのように。
ゆっくりと上体を起こした。
自分の体に、昨日の異変は残っていない。
今度は視線を横に向けた。
ニコニコしながら私を見ている男がいる。
今は随分と子供っぽい表情をしているな。
この駄犬は、決して汚い男じゃない。
清潔感はあって嫌悪は抱かない。
だから、同じ空間にいてもそこまで嫌じゃないのだろう。
昨日のあの異変がなければの話だが。
ぶっちゃけると、それなりに上等な部類には入るんじゃないか?
こいつは年下で、まだ少年の部分が抜けきっていないけど。
そんな奴が、ご主人様の言葉を待つように私を見ている。
まるでペットのようだ。
訳の分からない結婚相手ではなく、ペットと思えばそれなりに躾がいがありそうだ。
そんな事を考えているとも知らずに、イザークが動いた。
「これを、首にかけてて。これを装着している間は、エリスの呪いの効力を無効化するものだ」
手にしているのは、小指の爪の先ほどの小さな赤い宝石が付いたネックレスだった。
「お前、そんなものがあるならもっと早く……」
昨日の時点で、城を出る前に寄越しておけばいいものを。
相変わらずニコニコしながら私の事を見ている犬を殴りたくなった。
「つけてやろうか?」
「自分でつけるからいい」
と言ったのに、イザークは首にそれを装着した。
「まるで首輪みたいだな」
嫌味のつもりで言ってやる。
「獣に飼われるお姫様か?それは、いいな」
ははははと、また笑っていた。
甘えるような仕草を見せていたくせに、今は傲慢に笑っている。
このネックレスを着けている限りは、オレは本当に女の姿でいられるようだ。
あえて意識しなかったが、服の中での変化は顕著だ。
特に胸が重くて、肩が凝りそうだった。
「胸を見るな。相打ち覚悟で斬るぞ」
イザークがあからさまに視線を一点に集中させていたから、睨みつけて言った。
「ごめん、見ない」
すぐさま奴は明後日の方を向くが、顔は赤い。
油断も隙もないな。
今までほとんどの時間を男として過ごしてきたんだ。急に女として性的な視線に晒されたら戸惑うし、不快だ。
どうやら、こいつは本気で私を嫁にするつもりだから警戒しないと、気付いたら後戻りできない状況に陥ってそうだ。
「帝国の皇族は、成人になるまで婚約者との性行為は禁止なんだ。だから、エリスには何もしない。誓うよ」
「殴ってもいいか?」
ついでのように言われた言葉は、なんの保証にもならない。
それに、婚約者以外とはいいのか。
殴るのを我慢するんじゃなかったな。
「獣人は、異性を落とす時にいつも匂いを放っているのか?」
あんな事が当たり前に横行しているのなら、ゾッとする。
あの状態がずっと続いていたら、自分がどうなっていたかわからない。
「一定年齢は、抑制剤を飲んで抑えている」
「じゃあ、お前もそれを飲め」
「今までも昨日も飲んでた。けど、昨日は本当に抑えきれなくて我慢できなかった。エリスに会えた事が嬉しくて」
「我慢しろ!!」
イザークは私に怒鳴られたのに、嬉しそうに尻尾を振っている。
狼獣人じゃないのか?誇りはないのか。
「いつまでここにいるつもりだ」
「兄さんに報告しないとだけど、俺はまだここにエリスと二人でいたい」
「ほう。私といたいか。なら、そこに正座して、これまでの経緯を説明しろ」
イザークは言われた通りに床に正座する。
ベッドの上で私が胡座をかいて見下ろせば、視線を彷徨わせてソワソワしていた。
「さっさと話せ」
「俺は、エリスに助けられた。満月の夜に、湖のあった森で、子犬を助けてくれたのを覚えている?」
「お前、あの時の犬か!」
「うん」
それなら、恩返しに来たのは納得できるが……
むしろ、恩返しに来いと言ったのは私の方だが、こんな事を頼んだつもりはない。
イザークはあの湖で出会った前後からのことを、順を追って話し始めた。
「つまり、あの時は前皇帝と皇妃である両親を殺された直後で、イザーク自身も襲われて、深傷を負っていたと」
「うん」
「お前……あの時に……両方を見ていたな……」
この犬に男と女それぞれの裸を見られている。
獣だと思って油断していた自分が悪いのだけど……
「俺は、エリスが男でも女でも気にしない。今さらだからな」
尻尾を振りながらドヤ顔で言われても、何の慰めにもならない。
「この際だからはっきり言っておく。恩返しか何か知らないが、あの国から連れ出してやったからと、感謝してもらえると思うなよ。婚約しようが、結婚しようが、貴様、この先私の体に許可なく好き勝手しようとするのなら、舌を噛み切って死んでやるからな」
それを聞いたイザークは、顔色を変えた。
「調子に乗るな。いいな?」
「わかった……」
「なら、着替えるからすぐに出て行け」
「動きやすい服を、そこのクローゼットに入れているから。俺は朝食の準備をして待ってる……」
イザークは、トボトボと音がしそうなほど肩を落として部屋の外へと向かった。
女の体になったところで、私の中で安定するものなんか、何一つ無い。
何が嫁に、だ。
これ以上、私の人生を他人に引き摺り回されてたまるか。
私の不機嫌が伝わったのか、朝食の席でも、残りの行程でも、馬車の中でも、イザークは端っこ見つめてこっちを見ようとはしなかった。
0
お気に入りに追加
47
あなたにおすすめの小説

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

だいたい全部、聖女のせい。
荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」
異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。
いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。
すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。
これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
【電子書籍発売に伴い作品引き上げ】私が妻でなくてもいいのでは?
キムラましゅろう
恋愛
夫には妻が二人いると言われている。
戸籍上の妻と仕事上の妻。
私は彼の姓を名乗り共に暮らす戸籍上の妻だけど、夫の側には常に仕事上の妻と呼ばれる女性副官がいた。
見合い結婚の私とは違い、副官である彼女は付き合いも長く多忙な夫と多くの時間を共有している。その胸に特別な恋情を抱いて。
一方私は新婚であるにも関わらず多忙な夫を支えながら節々で感じる女性副官のマウントと戦っていた。
だけどある時ふと思ってしまったのだ。
妻と揶揄される有能な女性が側にいるのなら、私が妻でなくてもいいのではないかと。
完全ご都合主義、ノーリアリティなお話です。
誤字脱字が罠のように点在します(断言)が、決して嫌がらせではございません(泣)
モヤモヤ案件ものですが、作者は元サヤ(大きな概念で)ハピエン作家です。
アンチ元サヤの方はそっ閉じをオススメいたします。
あとは自己責任でどうぞ♡
小説家になろうさんにも時差投稿します。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

【完結】円満婚約解消
里音
恋愛
「気になる人ができた。このまま婚約を続けるのは君にも彼女にも失礼だ。だから婚約を解消したい。
まず、君に話をしてから両家の親達に話そうと思う」
「はい。きちんとお話ししてくださってありがとうございます。
両家へは貴方からお話しくださいませ。私は決定に従います」
第二王子のロベルトとその婚約者ソフィーリアの婚約解消と解消後の話。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
主人公の女性目線はほぼなく周囲の話だけです。番外編も本当に必要だったのか今でも悩んでます。
コメントなど返事は出来ないかもしれませんが、全て読ませていただきます。

【完結済】後悔していると言われても、ねぇ。私はもう……。
木嶋うめ香
恋愛
五歳で婚約したシオン殿下は、ある日先触れもなしに我が家にやってきました。
「君と婚約を解消したい、私はスィートピーを愛してるんだ」
シオン殿下は、私の妹スィートピーを隣に座らせ、馬鹿なことを言い始めたのです。
妹はとても愛らしいですから、殿下が思っても仕方がありません。
でも、それなら側妃でいいのではありませんか?
どうしても私と婚約解消したいのですか、本当に後悔はございませんか?

番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる