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なち

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第一章

帰城 4

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 異世界人。
 その言葉が飲み込めた瞬間が、それだったのだろう。
 ガジンの強張っていた表情が、花開くように綻んだ。
「スゲェ!!」
 と叫んだガジンはどうやらグランディア共用語をも解すようだが、それがどちらの言葉で紡がれたのかは分からない。
 けれど素直なガジンの賞賛は苦く笑うだけのものだった。
 グランディアに異世界人が召喚された歴史は、万国共有なのだなぁなんてしみじみと思う。
 ギジムさんは猜疑に満ちた視線をよこしていたけれど、ルークさんが是と応える事で納得したようだった。
 この二人の間には確かな信頼関係が築かれているようだ。
 兎にも角にも一触即発の雰囲気だけは弛緩させられたようで、ルークさんが「お二人とも、おかけになって下さい」と促すと、ギジムさんもゲオルグ殿下も素直にそれに従った。
 再び向かい合った二人の表情も、厳しいままではあったがそれは常なのだろう。
「それで、族長殿は余に話があると?」
 口火を切ったゲオルグ殿下も冷静に話をするつもりはあるようだ。
「此度の事態に陥った経緯と、ルーク殿の弁護にと参じたが――そちらがゲオルグ殿下であるのなら、丁度いい機会だ。我らウージの意思を、王都に持ち帰って頂きたい」
「そちらの意思?」
「我らウージの民は、ルーク・クラウディを介すなら、グランディアと交渉する用意がある」
「……ほう」
 息を飲んだのは、クリフとスチュワートさん。思わず立ち上がったのは、ルークさん。ゲオルグ殿下は呟いて、唇を舐めた。
 その声音が喜色を含んだものに変化する。
「これは異なことを聞いた。ウージの鉄の掟が許す筈もない、夢物語にしか聞こえぬが」
 一体何なのかな、この展開は。一人状況が飲み込めない俺の目は、発言者を言ったり来たり。
「掟は変ったのだ、殿下」
 ギジムさんが隣に座ったガジンの頭を、愛しそうに撫でる。その時だけ、厳しい顔が柔らかくほどけた。
「この子ら、次代の意志と共に」
 親子の良く似た灰色の瞳が、微笑み合う。
「それも全て、ルーク殿のお陰。我らウージは、一つとなる」
「……それは、」
 ルークさんがやっと腰を落ち着けたと思うと、前傾姿勢でギジムさんに詰め寄る。
「本当なんですね?」
 ギジムさんが深く頷けば、伝染したようにルークさんも微笑む。
「……良かった」
 ――誰か、俺にも状況を説明してください。
 切に願っても、誰も彼もが口を噤んでいた。ただ感慨深げなルークさんのため息だけが室内に溶けて、消えた。

 やがておもむろに、ギジムさんは事の経緯というものを語った。

 それは三月と少し前。
 まだルークさんを知らぬナムンの集落で、ガジンが出奔したのが始まりだった。
 ウージと一括りにするヴェジラ山脈の山岳民族は、ナムン族のように多くの派閥が存在する。ヴェジラの実りを巡って派閥間では幾度も諍いが起こっており、それぞれの集落で暮らす別個の存在だった。ナムンは古い一派であったので、山裾の一部をナムンの領域として保持しており、概ね平和に暮らしていた。
 ウージの民族が共通していた事と言えば、掟でグランディアとの不可侵を絶対としている事だけだろう。
 不可侵という程ではないが、民族間の交流が著しく少ないのは、厳しい土地柄だった。
 けれどガジンら子供の世代にとっては、そうではなかった。子供達は己らのコミュニティを形成していた。それは派閥の垣根を飛び越え、大人の知らぬ所で膨れていた。
 子供達の遊び場はある湖の辺で、子供達のリーダーはナムンの次期族長たるガジンだった。
 けれどそれが大人に知れた時、ガジンは激しく糾弾された。
 その只中でガジンは、一頭の馬を連れて集落を飛び出たのである。
 一日が経ち、二日が経ち――五日が経った頃には、大人の頭も冷え、ガジンの捜索に山中を歩き回ったが、ガジンの姿は何処にも無く、グランディアに入ったのではないかと言われた。
 ――十日が経った頃、ウージの幾つもの民族の中で、子供達が断食を始めた。
 その段になってやっと事態の重大さを悟った族長は集結したが、主張は横滑りをし、何の解決にも繋がらないまま――やがてガジンの失踪から二十四日が過ぎた頃、ナムンの集落にグランディアの男がやって来た。
 それが、ルーク・ウラウディだったのだ。
 折良くその日、ナムンの集落に族長が集結していた。
 ルークはそこで、大怪我を負ったガジンとその馬を保護した事を告げ、完治するまで自分が預かると約束した。
 初めは胡散臭い、と信用ならなかったルークを、ギジムは酷く罵ったものだ。何の利にも得にもならぬ行為を、グランディアの人間がする筈もない、と。
 それがグランディアがヴェジラから手を引いた理由だったのだから。
 グランディアとの交易を失ったウージにとって、当時は打撃もあった。
 故に息子は連れ帰ると、ギジムは山を降りてルークの屋敷を訪れた。
 しかしガジンの予想以上の痛々しい有様と、手厚い看病を見て、一度は引き下がった。
 特例中の特例と、ウージの民は下した。
 それから一月の間、ガジンが集落へ戻れるようになるまで、ルークは毎日ナムンの集落を訪れ、その経過を報告した。
 初めはグランディア共用語であったそれが、たどたどしいウージの言葉になる頃、集落では少しずつ変化が見られるようになった。
 まず、子供がルークに懐いた。そして次に、女達が言葉を交わす様になった。気難しい長老達が、顔を見せるようになった。最後には男達が、共に笑いあう程になった。
 彼が何か特別な事をしたようにはギジムには思えなかった。ただ何とも簡単に民の心に入り込み、受け入れられた。
 そしてギジムも、そんな彼をそれ程不快に思わない自分を自覚していた。
 けれど変化はそれだけではない。ルークが外から持ち込んだ風の故か、子供達の反発は増した。掟と親に従順であった子らは、大人の目を盗んで集まり続けた。共に山に暮らす民、隔たりは要らぬと、訴え続けた。
 そしてそれは、ルークの主張になった。
 ルークは子供達の声にならぬ叫びを代弁するように、ウージに介入するようになった。
 それを疎ましく感じながら拒絶出来ずに、聞き入っている自分達がそこにはいた。
「子供の戯言より、掟が勝る」
 そう言った誰かの発言は、全員の総意である筈なのに。
 ルークの言葉は胸に響いた。
「子供はあと数年すれば、大人になります。貴方方が老い、衰えていくのに対し、子供はこれから勇みいく。掟は確かに大事でしょう。けれどこれからを生きていく子供の言葉を蔑ろにする、掟に意味はありません」
 酷くたどたどしかった。思いの丈の半分も、正しく発音できていなかった。それでもルークがウージの言葉を操り、告げた想い。
「子供は諍いを望んでいません。それでも掟だから争えと、命じるのですか」
 それは己らが過去に、子供時代に、感じた事では無かったか。
 ルークの思惑が、どこにあるのか。当時はそれが酷く気に掛かった。何を意図しているのか、何故そうも真剣にウージに介入するのか。
 それでも、ルークの言葉は真理だった。
 ギジムは何度も悩んだし、その度にルークの存在を罵倒した。彼が来なければ、現れなければ、ウージは変らず平和だった。不変的に穏やかだった。子供を力で押さえつけ、彼らは大人になって同じ事をする。その繰り返しが、心と反するとしても。
 何故、と聞いた事があった。
 ウージはルークを疎みはしても、感謝はするまいと。
「私の自己満足です」
 ルークは俯けた顔を上げ、きっぱりと言い放つ。
 それがとても心地良く、信じるに値するものだとギジムには思えてならなかった。

 そうして一番にナムンは、掟を変えた。
 友愛の証にと、ルークに額飾りを贈ったのは、ナムンを代表したギジムとその妻だ。それは形式的なものではなく、感謝の印だった。

 受け入れたのは、グランディア王国そのものではなく、ルーク・クラウディ。
 けれどグランディアの法がルークと己らを隔たせるのなら、己らはグランディアの法さえも変える。
 ウージが一つに纏まった時、彼らはそう決意した。




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