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第一章
嘘と真実 1
しおりを挟む――さあ、覚悟しろ。
これ以上罪悪感が、募らないうちに。
ゲオルグ殿下と一緒に自室に戻ると、そこにはハンナさん、ジャスティンさん、ライドの姿があった。
ティア付きのメイドは俺の伝言を正しく彼女達に伝えてくれたようだ。
呼ばれて集合したはいいものの肝心の部屋の主――つまり俺が不在なので、どうしたものかと思案していた所だったらしい。ゲオルグ殿下と一緒に戻った俺に、三人は瞠目して、理由を求めた。
俺は素直に、ディジメンドで陛下に表明した決意をそのまま皆に伝えた。ルークさんからの手紙はハンナさんも読んだようで、それはそのままジャスティンさんやライドの知る所となっていた。
「……ティアは、そこまでロード・ルークが好きだったのか」
大きく頷きながら感心したようにライドが言う。今までのティアの態度は端々にルークさんへの未練が表れていたのに、今更何を言っているのだろう。ライドを見据える俺を含めた面々は、呆れた顔をライドに向けた。
「今更何をいってるんです」
はっきり口にするのはハンナさんだ。
「何だよ。じゃあお前は知ってたのか?」
「当たり前です」
「知ってて、ツカサとの結婚を薦めたっての?」
「……薦めたわけではございません」
ハンナさんは一瞬ライドを睨む目を鋭くしたが、すぐに気まずそうに俯いた。
「リカルド二世陛下のお決めになった事が覆るとは思いません。ならば少しでもティシア様のお心に添う方をと思ったまでです。その相手を召喚されるとティシア様が決断されたなら、私はそれに従います……ティシア様のお気持ちが、誰にあろうとも」
それに、神妙な顔でジャスティンさんも頷く。編みこんだ長髪を撫でるのは、彼の癖なのだろう。
「私も、レディ・ハンナと同じでございましたよ。召喚が間違いだったとは今も思っていません。時間はかかったとしても……異世界のお方であれば、王女殿下を至上の幸福に導いてくれる事でしょう」
「エディアルドはティシアがロード・ルークに想いを残しているのは、ツカサに男としての魅力が足りないからだと嗤ったぞ」
一人面白そうに表情を崩していたゲオルグ殿下は、そこで余計な口を挟んでくれた。陛下の言動はいちいち勘に触ったので、わざわざ会話を除いて説明したというのに。
それを聞いてハンナさん達三人は、ああ、と言いたげに俺を見てきた。特にハンナさんの視線は非難めいている。
まあ確かに、ティアが俺に一目惚れでもしていたらまた話は違っただろうが。それはそれでややこしい事この上ない。
俺としてはティアが俺に惚れてくれなくても何の支障もないのだけれど、ライドやジャスティンさんに哀れみの篭った視線で見られるのは、何だか嫌だ。特にいつもにこやかに微笑んで、俺を大らかに受け入れてくれていた、こんな兄貴が欲しいなという羨望すら感じていたジャスティンさんにそういう目で見られると傷つく。
憮然と口を尖らせた俺の口調は、どうしても拗ねたようなものになってしまう。
「兎に角っ!! 俺はティアとは結婚しないから! そのつもりで!!」
もう一度、決意新たに宣言すれば、彼らは目を見合わせて。
「結婚しないで、ティアを幸せにするって、具体的にはどうするんだ?」
代表、とばかりに、ライドが口を開く。俺はそれに、決まってると返す。
「ティアは結局、ルークさんと結婚したいんだろ? だから、ルークさんと結婚してもらう」
「……どうやって?」
「それはこれから考えるっ!!」
背後で傍観者のゲオルグ殿下は、くつくつ声を立てて笑っているが、眼前の三人は困り顔。またしても顔を見合わせた後、ライドが言う。
「……お前、何でそんなに結婚を拒否するんだ?」
「ティシア王女に何の不満があるというのです」
続いたハンナさんは、全身に黒々しいオーラを纏っているように見える。これ以上ないくらいに眉を寄せて、その視線だけで人を射殺せそうな凶悪さを潜ませるそれから、俺は顔を背けた。
「ティアには全然不満はありません。ちっとも、これっぽっちも」
容赦の無かった紳士化教育中のハンナさんを思い出して、身体は無意識に震えてしまう。
彼女が口を挟んで来ないよう、俺は早口で捲くし立てる。
「なんていうか、そういう事じゃなくって。俺の気持ち云々関係なく、どうしようもないというか、倫理的に無理というか、」
視線を彷徨わせながら、ぶつぶつと。
「つまりその、越えられない壁というかそういう、」
「ど う い う こ と で す か」
猫撫で声のような、ハンナさんのゆったりとした言葉。奥歯を噛みながら器用に紡ぐそれに、俺は授業中に突然指差された生徒のような「はいぃ」と見っとも無い返事をする。
「だからその、普通女同士じゃ結婚出来ないじゃんっ!?」
今まで隠し通してきた――というか、誰一人疑問に思ってくれなかった最大級の秘密を、ここに来て俺は暴露した。
というか、最近は何時言おうかタイミングを計っていたくらいだけれど。
俺が訴えるように叫んだ瞬間、皆、時が止まったように全ての動作を止めた。窓の外の庭園では風に花壇の花が揺れているから、実際に止まったわけではないけど、彼らはゆうに十数秒、瞬き一つしなかった。
「「「「……は?」」」」
声を揃えた疑問符に、俺はもう一度、言う。
「だから、俺は女なので……ティシアとは結婚出来ないわけで……」
言葉尻は不躾な程俺を眺め倒す彼らの視線の前に、萎んだ。上から下までじろじろと何往復もねめつけて、信じられない、と呟いたのはジャスティンさん。
奇妙に静まりかえった部屋では、どんなに潜めたそれもしっかり俺の耳に届いてしまう。
こんな反応はあちらの世界でも慣れっこだし、別に女性扱いしてもらえない事にちっとも問題は無いから、いいんだけど。
――いいんだけど。
「失礼」
そろそろと俺に近づいてきて、丁寧な断り文句を入れるライドに小首を傾げた瞬間、
「っ」
ベストの上から、胸を揉まれた。否、わし掴まれた。
「いてぇっ!」
瞬間的に手が出たのは、俺だけでなく。
大抵俺の性別があらわになると、あちらでも同じ様な行為はされる。特に女の子達は顕著で、前触れも無く俺の胸を確認しようとしてくるけれど、やはり男性にされるのは生理的に無理だ。
俺の蹴りが無防備なライドの腹にめり込み、ハンナさんの張り手がライドの頬に炸裂した。
ライドは頬と腹を押さえてくの字に折れると、悶えながらも俺の顔を凝視して、やはり信じられないという表情を崩さなかった。
「……」
再びの沈黙を裂いたのは、ハンナさん。俺の手首を掴むと、無表情で隣室に引っ張り込まれる。思わぬ力にけんけんをするような態で隣室に連れ込まれると、ドアを閉めた後のハンナさんが俺に向き直り。
「失礼します」
ライドと同じ様に断り文句を口にして、俺のシャツに手をかけると、ベスト毎それを引っ張り上げた。
突然外気を肌に感じて、俺は叫ぶ。
「っぎゃぁあああっ!!!」
色気もへったくれも無い悲鳴を、当然のようにハンナさんは無視。シャツが顔の上まであるのでその表情は窺えないが、何ていうか局部をガン見されているのだけは分かる。
「嘘でしょ……」
新鮮過ぎるハンナさんの素の反応に、何だか悲しくなる。
彼女は俺の胸を確認しただけでは納得しなかったらしい。俺の下半身まで確認された時には、もう奇声を上げるしかなかった。
――剥かれた服を正した頃にやっと、納得してくれたようだ。
ハンナさんはまじまじと俺を観察した後、ふらり、とよろめいた。眩暈でも感じたのか額を押さえて、「信じられない」と一言。
ああ、今日何度目だ、これ言われるの。
顔面蒼白のハンナさんと再び隣室に戻った時、全員奇妙な目で俺を見ていて。
さながら幽霊か妖怪でも見るようなそれが、ゆっくりとハンナさんに向けられる。
「……間違いなく、女性でした……」
今にも切れそうな糸ほどか細いハンナさんの声。
俺の胸に触れた掌を見下ろし、しきりに首を捻るライドの姿。
唖然とするジャスティンさんの、見慣れない表情。
笑ってくれたら楽なのに、そうせずに取り繕うように咳払いをするゲオルグ殿下。
――何だかなあ。
当然といったら当然の反応なんだけれど、どうにもやり切れない。
この世の終わりのような重苦しい室内の空気に、俺は大きくため息をついてしまう。
そりゃ今まで見たこちらの女性達のように胸にボリュームもなければ、出るとこ出て引っ込む所引っ込むというスタイルではないし、年下のティアの方がはるかに女性らしい丸みのある体つきをしているけれど。スレンダーというには貧弱で、頑張ってBカップの俺の胸はシャツとベストだけの薄着でもちっとも分からないくらいだけど。こちらの貴族の青少年が着るという衣装が、素晴らしく似合ってしまうけど。
剣道をやる分には願っても無い体型だし、こちとら困った事も無いのだ。
だから捨てられた犬猫を見るような目だけはやめてほしい。
「……確かに、細いとは思ったんだ……」
「余はただ発育が悪いのだと思っていたんだがな」
「発育は悪いと思いますけれど……ああ、いえ、まだ成長途中でいらっしゃるのでしょう」
ライド、ゲオルグ殿下に続いてジャスティンさんの言葉。動揺のせいか何時もの巧いフォローが出てこないのだろうか。
ええ、ええ。どうせ貧相ですよ!!
「とにかく、そういうわけ! それなのにどうして俺がこちらの世界に喚ばれたのか、まったく意味が分からないんですけどねっ!!」
憂い顔の四人を睨みつければ、一様に気まずそう。
「これで、結婚出来ないわけは理解してくれたよね!?」
何時に無く強気の俺に、何をいう気力もなかったのだろう彼らは、ただ深々と頷いた。
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