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なち

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第一章

辺境からの手紙 6

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 俺は今まで、基本的に『嫌い』と思う人間は居なかった。性格が合わない、とか、苦手という対象は居ても、だからと言って嫌悪するという事は無かった。
 でも、今。
 断言できる。

 俺は陛下が『大嫌い』だ。

 陛下が俺を、無価値の、ただ生きているだけの存在としか思っていなくても、だから何なのだろう。俺を認めてくれないからといって、俺が傷つく理由なんて無い。
 だって別に、好きになって欲しいわけでも無い。むしろあっちが関わりたく無いように、こちらだってそうだ。
 あちらが俺を石ころ程度に見ているなら、それでいい。
 陛下は俺にとっては虫だ。いや、それ以下だ。
 っていうか、機械。何気なくつけたテレビみたいなものだ。何もやる事がなくてつけたどうでもいいチャンネル。スピーカーから意味の無い音が流れ出てくるだけ。そして頭に入る事なく素通りしていくだけ。
 それぐらい、陛下の言葉は無意味。
 テレビが俺を、俺として認識するなんてありえない。むしろおかしい。
 だから、陛下が俺を「ナガセ ツカサ」という一人の人間として扱う事自体が、天変地異もの。
 それでいい。
 今までの恐怖も脅えも、陛下に対してじゃない。トラウマ故だ。
 陛下なんて何でも無い。
 卑屈に感じる理由なんて、ひとっつも!!

 無いんだからなっ!!!

「……俺の役割は、ティアに幸福を与えて、王国に安寧をもたらす事?」
 それが異世界人のもたらす恩恵なのだろう、と、暗い笑いを浮かべながら、俺は聞いた。
 対する陛下は、
「王国の安寧までは期待してない。貴様の力など必要ないし、貴様にそれを望むのは無駄だろう」
本当に一言多いんだよっ!!
 でも、言質は取った。
「分かった。じゃあ俺は、ティアを幸せにする」
 陛下の瞳が、僅かに見開かれた気がした。恐らく俺の目の錯覚だろうけど。
「そうしてくれ」
 何とか舌打ちしたい気持ちを踏みとどまらせて、俺は踵を返した。
 もう少しでも、この人と一緒にいたくなかった。
 振り返れば、こちらを見つめている六つの目。ウィリアムさんは呆気に取られて、うろたえていた。シリウスさんは穏やかな微笑みを見せた後、書類の束を手にとる。ゲオルグ殿下に至っては「何だ、もうしまいか」と、やはり陛下と血が繋がっているんだなと思わせる、余計な一言を呟いた。
 俺はそんな三人にただ頭を下げるだけに留めて、一直線にドアを目指す。
 そしてノブに手をかけたと同時、
「ただし、ティアとは結婚しません」
言って、振り返った。もう一度国王陛下を睨みながら、
「結婚しなくても、ティアが幸せになれば文句はないだろう?」
挑発的に笑ったつもりだった。
 答えを聞く前に部屋を出たので、その後の事は分からない。
 ただ、答えなど必要ないのだ。

 ――そうして、賽は投げられた。



 言いたい事を言ってすっきりした俺の足取りは軽かった。気を抜けば鼻歌を歌うかスキップでもしそうな態で、案内された道を帰る。
 来る時は息苦しく感じられた場所なのに、今は清々しい。
 ディジメンドの廊下を歩くラフな装いの俺に、皆一様に怪訝な視線を向けてきたが、それすら気にならない。
 入る時に腹を立てた二人の番兵に対しても、無駄に笑顔を振りまいてしまう。それを彼らはひきつった表情で見送った。
 残すは、もう一仕事。
 一気に肩の荷が下りて、馬車に乗り込んだ時には腑抜けすぎていた。
 だから中々馬車が走り出さず、代わりにドアがまた開いた時、向かい合わせの座席に足を投げ出している俺の姿は、完全に外から見られてしまったわけで。
「……殿下!?」
 慌てて足を下ろしてみても、後の祭りだった。
 ドアを自らで開けたらしいゲオルグ殿下は面白そうに肩を竦め、俺の姿勢を叱る事もせず、声を立てて笑い出した。
「余も乗せろ」
 笑いながら、殿下は今しがた俺が足を乗せていた方の座席に座る。そうしてから小窓を叩くと、馬車は数秒の後走り出す。
 突然現れたゲオルグ殿下に目を白黒させながらも、くつくつ笑う殿下をただ見つめていた。
 ようやく、といった感じでゲオルグ殿下が笑いを納めたのは、随分後の事だ。
 オールバックにした髪を撫で付けるようにして、口を開く。
「ツカサが、」
目元に優しい笑みを湛えたそれは、けして俺を責めるような所も無い。冷静になった頭で考えれば俺がした事は不敬罪として罰せられても仕方がないものだったが、ゲオルグ殿下はちっとも気にしていない風だった。
 一番上まで止めていた服のボタンを寛げながら、続ける。
「ティシアの婿になるのも楽しみだったが、余はこの展開も歓迎するぞ?」
 そうして先程俺がしていたように、俺の席の隣に足を投げ出すので驚いてしまう。そうくるとは思っていなかったので、ちょっと新鮮だ。
 だからといって真似する気にはとてもなれなかったけど。
「エディアルドにあんな物言いをするとは、思ってもみなかった。確かツカサは、エディアルドを怖れてなかったか?」
「……昨日までは、確かに」
 初めてゲオルグ殿下に会った時、それからこれまでの会話という会話で、ゲオルグ殿下は俺が陛下に持っていた感情を全て知っている。その上で、俺が陛下を身近に感じられるような過去を話して聞かせてくれたし、幾つかの助言をくれた。そういえば、陛下の目を見たら逸らさずにいろ、という助言は結局意味が分からないままだ。今日はずっと彼を睨んでいたけれど、殿下のいう所の面白いもの、というのは確認出来ていない。あの変化に乏しい瞳に、一体何があるというのか。
 ――などという疑問を口にする前に、再度ゲオルグ殿下の口が開いた。
「どういった心境の変化だ?」
 俺は少し迷った上で、ルークさんからの手紙について語った。
「陛下は確かに恐ろしいし、温かみもないし、出来れば一生近づきたくもないし、目を合わせるのすら、同じ空間にいるのすら緊張する程の存在でした。でも、何かそういう風に思っている自分が馬鹿らしくなったんです」
「馬鹿らしい?」
「はい」
 そう思った所で意味が無い。
「俺がどう思おうと、陛下の認識は変らないのに――勝手に陛下に振り回されて疲弊している自分は、意味ないって。
それにあの人に逆らう事が自分の身の危険だって思ってたんですけど。
……確かに、陛下にはそれだけの力があって、簡単にそれが出来てしまうんでしょうけど、」
 それが、世界の常識だ。国王陛下は唯一無二。誰もが頭を垂れるだろう。誰もが敬うだろう。心の中で何を思っていても、例えば「あんた馬鹿?」なんて事を素直に言ってでもしようものなら、即座に首を刎ねられても仕方がない。
 でも、俺は所詮異世界人だ。この世界の常識の範疇外だ。
「俺が、従う必要なんて、無いと思うんです」
 郷に入れば郷に従え、という言葉がある通り、自分の領域を出て他人の領域に入れば、その領域の決まりを守るのは普通だ。それを守らなければ、何があっても仕方がない。でも従うか従わないかを選ぶ権利は、ある筈なのだ。
「異世界人の俺が幸福と安寧を呼ぶ過程で結婚という行為があるとしても、ようは俺は、その二つを満たす限り、何の制約も受ける必要が、無いんじゃないかって。グランディア王国の国民じゃないんだし、まして陛下の臣下でも無いし、つまり陛下を陛下として敬う必要自体も無いんじゃないかって。だから役割を果たす限り、我侭をいう権利も主張する権利もあると思うんです。
陛下は先程国の事はいいって言ったし、ティアが幸せである限り、俺が陛下に殺されるっていうのは――完全に陛下の私情になりませんか? それって良識ある一国の王がする事じゃありませんよね?」
 ティアの性格上、彼女が「不幸です」なんて言う事があるなんて思えない。
 そう考えたら自分は結構安全な立場にいるのではないか――なんて、楽観的過ぎると言われればそれまでだけど。
「陛下が国王として完璧であろうとするなら、俺のこの考えって通る筈なんですよね。それで通らなければ、運が悪かったと思って諦めます」
「命を?」
 それまで黙って聞いていたゲオルグ殿下の言葉に、頷く。
「だって、運が悪ければ――誰だって何時だって死ぬでしょう? それは俺の世界でもそうです。そういう意味で言ったら、俺はこの世界に召喚された時点でもう、運が悪いんです」
 言い切った俺は、満足そうに向かいを見つめたけれど、俯いたゲオルグ殿下の表情は分からない。
 ――というか、どうやら。馬車の稼動以外の揺れ方を見ると、笑っているようだった。小刻みに震える肩が、次第に大きくなっていく。
 そうして最終的には――これはもう、爆笑と言っていいと思うんだ。大きな口を開けて整った歯列を剥き出して、まるで子供みたいに相好を崩す。
「はっは!! 確かに、その通りだな。どうやら余らは、貴公を見誤っていたようだ!」
 そしてぐっと顔を寄せてきた殿下に、俺の方は思わず仰け反った。その所為で壁に頭を打ってしまったが、ゲオルグ殿下は気にもしてくれない。
「余は、貴公を気に入ったぞ、ツカサ!」
 ただ楽しそうに笑うその様子に、俺は曖昧に微笑み返した。




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