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第一章
ツカサの憂鬱 3
しおりを挟む――ピピピピ、ピピピ……
ピピピピ
うるさい電子音が響いている。人の睡眠を邪魔するんじゃねぇ、と覚醒しかけた思考が悪態をつく。
その音から逃れたくて布団を被ってみたが、音が小さくなるだけだ。
しまいにその音に、高志のムカつく声が混ざる。
『起きろー、朝だぞー、起きやがれー』
黙れ、うるさい。
『ツカサ、起きろよ、朝だぞー!!』
今日はまだ寝るんだ。そう決めたんだ。
『さっさと起きろ、ノロマ、ボケ』
……何だとぅ?
『起き、』
「うるさいっ!!!」
あまりの煩わしさに、怒鳴りながら起き上がった。
――のだけれど、そのまま電子音は鳴り続けていた。
高志の声も、『起きろ、起きろ、起きろ……』と続いているが、高志の姿は何処にも無い。見慣れない室内を見回して、落胆のため息をつく。
のろのろとした動作でベッド横の椅子にかけた、自分の服を漁る。昨日、服のポケットに突っ込んだままだった携帯電話。その目覚ましが五月蝿く鳴っている所だった。普段はピピピ、とだけ鳴っているのだけど、30秒を過ぎると高志の声が入る仕組みになっていて、これが今日のように、いい具合に起床に役立つのだ。
結局俺が、俺の世界から持ち込んだものはこれだけだった。スクールバックはコンビニでトイレに入るつもりだったから、高志に預けていた。携帯だけがポケットに入っていたから俺と一緒にこっちの世界に来たわけだが、当然、電波も繋がらない。
圏外表示の隣、電池も一つ減ってしまっている。これは持っていても意味を成さないのだろう。画面を注視した後、電源を切ってしまう。暗くなる前に、【see you】の文字。何だか物悲しくなった。
昨晩寝る前よりは、幾分冷静になった頭で考える。ありえない話だと思っていたのに、あり得た異世界トリップ。それが自分の身に起こったという事だけは、もう抗えない。
とりあえず、救世主パターンでなくて良かったかもしれない、と楽天的な部分の俺が思う。だって命の危険は無い。
帰る術がない、とか王女との結婚、とか受付られない部分もあるけれど。
寒くないのが嬉しい。とりあえずティシアさんとかが歓迎ムードで有難い。言葉が通じるし、一通りの生活にも困らなさそうだ。
悩んでも、どうにもならない事はならない。
保護してもらいながら、帰る術をどうにか見つけるしかない、と結論付ければ、心も晴れる。
後はどうにかして、この結婚話を無かった事にしなければいけない。お互いの為に。
さっさとこっちの事情を話してしまえば片が付くと思うのだが、まずはティシアさんの事情を聞いた方が良いだろう。結婚が出来ないからと言って殺されはしないだろうが、放り出されても困る。全く知らない世界なのだから、慎重にならざる得ない。ティシアさんは優しそうだが、全面的に信頼はしない方がいい筈だ。
それになんといっても、選択肢は無いと言い切った国王陛下の冷たい目が忘れられない。俺の事を何とも思っていないような、底冷えする視線は思い出しただけで身震いしてしまう。
あの不吉な言葉も冗談だとは思えない。死ぬ気なら拒否してもいい、とか、むしろ呪いの言葉のように聞こえてしまったのだがどうか。
ふう、とため息をついてから、昨日のハンナさんとの会話を思い返す。
朝食は7時、と言われたが、今はまだ5時だ。何時も道場で朝練をする為この時間に起床しているせいで今日も目覚ましは役目を全うした。
ご飯まで2時間。もう一眠りするには目が冴えてしまった。
というより、何時もの習慣というのは恐ろしいもので、何時もは面倒にも思っている朝練が出来ないとなると落ち着かない気分だ。身体が疼く、というか、不完全燃焼、とでもいうのか。
いつの間にかランプの中の蝋燭が燃え尽きているが、室内は明るい。夜は気づかなかったけれど、部屋の一面を占めるカーテン越しに光りが差し込んでいるのだ。何となく立ち上がってカーテンを引いてみると、その壁の部分がほとんど、上から下まで窓だった。カーテンを開け放したら、電気をつけたみたいに部屋中が明るくなる。
窓の外に広がるのは、巨大な庭園。眩しさに手で影を作りながらも、その壮大さに目を奪われた。庭園の向うには別の建物も見えるが、兎に角そこまでの距離が長い。芝生と木々の緑、白い石が敷き詰められたような、真っ直ぐに伸びた道。赤や黄色の花が道の脇を飾っている。飛沫を上げる噴水も目の端に映る。空はまだ明けきらない、紫紺を湛えた微妙なグラデーションで、庭を上品に彩っている。
毀れたのは感嘆のため息。
俺は逡巡した後、急いで服を着替えた。ゆったりとしたフード付きのトレーナーと、腰パンで履いていただぼついたデニムのジーンズを履いて、部屋の扉を開けた。
昨日と同じ様に、甲冑姿の兵士が立っていた。驚いた事に昨日の男性で、その時のままの姿勢だったから夜通しそこにいたのだろうかと感心してしまった。
「一晩中そこに?」
なので、挨拶よりもまずそう聞いてしまった。
ドアの隙間から外を窺っている俺に、兵士は昨日と同じ様に淡々と話す。
「おはようございます。勿論、そう言い付かっておりますので」
「……おはようございます。大変、だね……」
「それが職務ですから」
昨日はちょっと崩れた表情も、今日は無感動で引き締まったままだ。その真面目な回答が、やはり委員長に似ていると思う。委員長というのは彼の役割ではなく、あだ名だ。実際は委員長では無いのだけど、真面目くさっているというか堅苦しいというか、今時あり得ないくらいの品行方正な所とかが委員長みたいなのだ。偏差値の低い俺の高校では珍しいタイプの優等生君、それが委員長。
「それより、何か?」
徹夜したというのにくたびれた所のない彼に促されて、俺は目的を思い出した。
「あ、そうそう。ちょっと早起きしちゃったので、庭でも散歩出来ないもんかと」
「庭……ですか」
「そうそう。窓の外から見て綺麗だったから」
「……それは、出来かねます」
「……あ、やっぱり?」
庭といった瞬間に顔が曇ったので予想通りだった。まあ初めからダメ元なので、あっさり引き下がる。
「じゃあ、えーと……これも出来れば……出来るだけ譲歩してくれたら、と思うんだけど」
「はい」
「欲しいものが」
こっちは出来れば用意してもらいたい。
「竹刀、ってわかる?」
「し、ない……」
繰り返される発音だけで聞きなれないのだと分かる。
「なければこう――手に握れる、これぐらいの長さの棒、でもいいんだけど」
両手を大体の竹刀の長さ分広げる。
「長さは115cmがベスト」
ただの棒じゃあ仕様が違うが、そこまで文句は言えまい。竹刀の先っぽの先革や鍔などで微妙な重さ調節もされているから、まあ、棒なだけまだ気分が出るかなというだけ。
「難しければ、剣とかその槍とかでも」
きゅ、と縮まった彼の眉を見て、他の案も上げてみたら。すこーし、彼の空気が不穏なものに変わってしまった。
「それをどうなさるのです」
ぴりっと殺気めいたものが静かに放たれているのに気づいて、何かまずい事でも言ったかと自分の言葉を反復して、思い至った。いきなり武器を強要したら警戒もするだろう。
「いや、あの……素振りをね!!」
「素振り?」
「そうそう。俺の世界で剣道っていうのがあって、それで竹刀っていう剣みたいなものを使って、二人で打ち合う――戦う? そういう競技があって、俺、それを3歳から習ってるんだけど!! その剣道の鍛錬で、毎朝素振りをしてるんでっ」
出来れば今それをやりたいのだ――と続けようと思って、目を見開いた男を前に、尻すぼみに声は消えた。酷く狼狽した様子の男が震える声を吐き出す。
「あなた様は、」
殺気は掻き消え、変わりに妙な緊張感。
「騎士でいらっしゃるのですか?」
途端に態度が一変し、何だかへへーっと土下座でもしそうな、憧れにも恐れにも似た感情が彼の顔に浮かんだ。
「へ?」
「幼い頃から剣の修行をされてるのでしょう?」
「そりゃ、そうだけど……」
でも、馬に乗ったりしないし、そもそも剣じゃない。おぼろげに頭の中に浮かんだのは、白馬に乗って、鎧兜を纏ったヨーロッパ系の男性が剣を高々に突き上げる――多分教科書の十字軍とかといった項目で見た場面だ。
「剣でよろしければすぐにご用意します! 長さも、調度よろしいかとっ!」
今までにない興奮した口振りで、一言一句をはきはきと告げた彼は、心臓の上を二回叩いた拳で自分の右肩を叩いた。恐らく敬礼なのだろうが、その態度の変貌ぶりに呆気に取られてしまう。
この国では、騎士というのは何かすっごいものなのだろうか。彼の子供みたいなきらきらとした眼差しが、恐ろしい。
「すぐに、お持ちしますからっ!」
俺が黙っていたせいか、男がもう一度繰り返して踵を返す。
「中でどうぞお待ち下さい!!」
そして俺を残して走り去ってしまう彼。颯爽と、実に軽やかに、跳ねるように消えていった彼は、落ち着きぶった今までの、職務に忠実な彼ではけして無かった。
だって俺の護衛件監視らしい人が、この場を去ってどうするんだ。自分でお使いを頼みながらも、そう思ってしまう。
何時までもそこに佇んでいるわけにも行かず、俺は部屋の中へUターンする。
昨日は昨日で誤解を解く事が出来ず、今日は他に誤解を生んでしまった自分に、ため息をつくしかなかった。
10数分後に戻ってきた男は、今度は尊敬に満ちた眼差しを隠す事も無く、跪いて俺に剣を渡してきた。
「私物で申し訳ありません。後程あなた様の剣を用意させて頂きますので」
シンプルな鞘に収まったそれは、長さ的には申し分ない。柄が若干ゴテゴテしいし、鍔の部分は30cm前後と長い上、剣の部分も平たいので竹刀とは勝手が違うが、何となくほっとしてしまう重さだ。
勿論、竹刀よりは断然重い。そこは竹と鉄の違いだが、俺は道場での鍛錬中竹刀に錘をつけて素振りをするので、そこまで勝手が違うとは感じなかった。
その重みが心地よくて思わずにこりと微笑めば、恐縮した様子で彼が頭を振る。
とてつもない、誤解が生じているようだ。
すぐに彼の誤解を解こうとしたのだが、幼い頃から剣の修行をしている人間は騎士一族だけである、というこの世界の常識が、それだけでもう彼ら一般の兵士とは隔しているという事で全く納得してもらえなかった。それ所か騎士なんて立派なものには似つかわしくない、剣道は趣味なのだと訴えたら、謙虚なんですねと逆に株を上げてしまった。
だから俺はこれ以上余計な事は言うまいと、沈黙を選んで素振りに没頭した。
無心に剣を振っていた。
朝食を食べた後も、夢中で剣を振っていた。
素振りをするには似合わない部屋で、何時もの習慣を敢行するというのは違和感のある事だったが、そうしていると安心するのだ。ここが異世界でも、これさえあれば生き抜けると、なぜかそう思う。
あまりに集中していたから、俺は自分をじっと見つめる四つの瞳に、しばらく気づけなかった。
汗に滑った手を実感して、これで終わりと呼気を吐きながら、想像上の敵に面、右から胴、片手での左からの小手打ちはそのまま架空の相手の剣を振り上げる。その流れのまま回転して突き、裏剣の動作で手を引きながら両手に持ち替えて、反転しての最後の胴打ち――何時もの練習通りそうして終えようと思ったら、最後の最後に視界に変なものが映り、最後の胴打ちは不発に終わった。
架空の敵の胴に寸止めした剣を、そのまま下ろす。
荒い息をつきながら今見た変なものを確認する。
こちら側がソファの後ろだからか、ソファの背凭れに顔を乗せてこちらを見ていたのは、昨日見た覚えのあるハンナさんのお兄さん。そしてその隣で立っているのは、外にいた兵士。兵士の笑顔が不気味だ。
「いやぁ、素晴らしいねぇ!」
俺の視線に気づいたハンナさんのお兄さんが、拍手をしながら立ち上がって近づいて来る。隣の兵士に見劣りしない長身だ。
「あんたも、騎士なんだってなぁ」
あんたも、という事はこの人もそうなのだろうか。俺の手を取って握手をしてくる彼が、
「ライディティル・ブラガットだ。昨日会ったな?」
と、歯を剥いて笑った。
「小せぇ手だな」
「標準です」
すぐさま返せば、豪快に笑い声を上げる。何だか俺の騎士像とかけはなれたライディティルさんが、ハンナさんのお兄さんだとは俄かに信じがたい。騎士、というより軍人で、洗練された物腰のハンナさんとは正反対の野蛮さがある。
手だけでなく全体が大柄で、筋肉質。同じ剣の道を走る人でも、鍛えている部分が全然違いそうだ。今CMで見かける細マッチョとゴリマッチョの調度中間みたいなライディティルさんは、俺の肩を組んで感心したように言う。
「手だけじゃなく、細っこいな。これであの素振りが出来るってんだから、面白い」
「はぁ……」
一応剣道の腕は確かで、段位もこの年齢で取れる最高位の参段だし、全国での大会でも何度か優勝していて、結構有名剣士なのだが――それはいっても詮無い事だ。
「でも、騎士ではないんで」
ライディティルさんは年齢的にも年上だし、愛想の良さとは裏腹に、圧倒される雰囲気を持っているので自然に敬語になる。
やっぱり騎士なんていう偉大そうな称号? 職業につくだけあって、身体から迸っているオーラが他の人と違うと思う。オーラなんて言ってしまうと何かそういうのを感知する能力があるような言い方だけれど、例えば剣道の大会とかで、実際にその技を見なくても空気や雰囲気だけで「この人には勝てない」と思う事があるのだが、そういうものを俺はオーラと呼んでいる。うちの父親や高校剣道部の顧問もまさにこれに該当する。
「お前の世界ではそうじゃなくても、こっちじゃ立派に騎士だ」
これもやっぱり小さい頃から剣を――の常識の話なのだろうか。
きっぱり宣言されて、「そうですか」としか言えなかった。
「あ、そんでな」
兵士が差し出してくれたタオルで汗を拭いているのを何とはなしに見ていたライディティルさんが、拳で掌を叩きながら言った。
「俺、お前を呼びに来たんだよ。ティア王女が呼んでっから」
――もう30分経ってる、って何を呑気に!!
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