54 / 76
第2部 峡谷の底
22 湊斗の記憶⑯~斉二~
しおりを挟む居間の時計が、午後二時を指したころだった。
湊斗は一人でテーブルの前に座ったまま、先ほどリナからもらった唐揚げを、何とはなしに見つめていた。
ゴトッ。
不意に、すぐ側の窓の方から、かすかだが鈍い音がした。もし窓が閉まっていたら、あるいはテレビがついていれば気づかなかったかもしれない。しかし幸か不幸か、初夏のむし暑さで窓は網戸になっており、室内は静かだった。
「?」
白昼夢のようなリナとの会話を思い返していた湊斗だが、一瞬で現実に引き戻され、
(猫か、それとも泥棒?)
不審な物音に、とっさに身構えた。
この社宅の敷地内はたくさんの草木が生い茂り、各棟の周りも芝生や植え込みに囲まれている。それゆえ、野良猫も時々見かけられた。逆に、泥棒の話はあまり聞かないが、集合住宅である以上、誰でも出入り可能な場所と言えた。しかも、ここは一階である。
湊斗はすばやく部屋の中を見渡した。父は出かけているし、母は奥で伏せっている。そのうえ、すぐ取れる物で武器になりそうなのはハサミ位だった。
エイヤッと湊斗は立ち上がり、思いきってカーテンのすき間から外を覗いてみる。すると、一匹の黒猫がベランダを横切っているところだった。
(何だ、やっぱ野良猫か――)
ほっとしかけた湊斗だったが、去っていく黒猫の向こう、つまりベランダの柵越しから、しゃがみこんでこちらをじっと見つめる人物がいるのに気づいた。鳩のようにくりくりとした目を持つ、湊斗と同じ年ごろの少年だ。
「!!」
湊斗は驚きのあまり、声も出せずによろめいた。人はびっくりし過ぎると、何も反応できないものなのだと、身をもって知る羽目になった。
一方、少年は穴が開くほど湊斗を凝視していたが、
「驚かせちゃったみたいで、ごめんなさい。猫についてきたら、いつの間にかここまで来ちゃって」
やがて、ぽりぽりと頭をかきながら、のんきに笑って言った。
「――は?」
湊斗はようやく、声を絞り出した。はたして、このまま話を続けていい相手なのか。だが、少年のあまりにのんびりしたようすに、湊斗は戸惑ってしまう。
少年はよいしょと立ち上がり、
「僕、猫が好きで、見かけると、つい後を追っちゃうんだ。特に黒猫と会った時はいつもラッキーなことがあるから、嬉しくって」
茂みの奥に消えていく黒猫を、にこにこしながら眺めている。柔らかそうな栗色の髪と同じ色の瞳も手伝ってか、全体的にほんわかした印象を漂わせていた。
「あ、そう……」
湊斗は適当に返事をしつつ、少年をまじまじと観察した。中高生かと思われるものの、この社宅でも学校でも見たことのない顔だ。怪しい者ではなさそうだが、関わり合うのは少し面倒な気がして、湊斗はさりげなく手を伸ばして窓を閉めようとした。
ところが、
「ねえ、ここはどこ?」
やにわに少年が問うてきた。
「……四井商事の社宅だけど」
窓を閉めるタイミングを逃し、湊斗は仕方なく答えた。続いて「私は誰?」とでも聞いてくるのではないだろうか。
「そうなの? けっこう遠くまで来たなあ。行動範囲が広いから、あの子はきっとオスだな。あ、どうしよう、みったん置いてきちゃった……」
なおもぶつぶつと独り言を呟く少年に、
「そっか……じゃあ、がんばってね」
これはいよいよ面倒くさそうな展開だ。そう思った湊斗は愛想笑いを浮かべ、今度こそ窓を閉めかけた。
その時、
「兄貴」
少年の後ろから、つっけんどんな声が飛んできた。奇妙なことに、湊斗はその声に聞き覚えがあった。
(え?)
湊斗は思わず手を止め、声のした方を見る。すると、ぶすっとした顔の後輩――三景が、自転車にまたがって少年を見ていた。
「山那!」
あっけにとられた湊斗が網戸越しに叫ぶのと、
「みったん!」
少年が目を輝かせてそう呼んだのは、ほぼ同時のことであった。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
影の末裔
すがるん
BL
中学2年生の陵は元クラスメートとのトラブルのさなか、斉二という同級生に出会う。当初は斉二に敵対心を抱く陵だが、互いに少しずつ打ち解けていく。ところが…。「小説家になろう」様でも連載中です。
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
【完結】え、別れましょう?
須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」
「は?え?別れましょう?」
何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。
ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?
だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。
※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。
ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。
僕の王子様
くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。
無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。
そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。
見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。
元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。
※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
失声の歌
涼雅
BL
……声が出ない
それは唐突に俺を襲った
いつもは当たり前にできたこと
それが急にできなくなった
暗闇に突き落とされて、目の前なんて見えなくなった
うるさい喧騒の中でひとつだけ、綺麗な音が聴こえるまでは
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる