The Blood in Myself

すがるん

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第2部 峡谷の底

22 湊斗の記憶⑯~斉二~

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 居間の時計が、午後二時を指したころだった。
 湊斗は一人でテーブルの前に座ったまま、先ほどリナからもらった唐揚げを、何とはなしに見つめていた。
 ゴトッ。
 不意に、すぐ側の窓の方から、かすかだが鈍い音がした。もし窓が閉まっていたら、あるいはテレビがついていれば気づかなかったかもしれない。しかし幸か不幸か、初夏のむし暑さで窓は網戸になっており、室内は静かだった。
「?」
 白昼夢のようなリナとの会話を思い返していた湊斗だが、一瞬で現実に引き戻され、
(猫か、それとも泥棒?)
 不審な物音に、とっさに身構えた。
 この社宅の敷地内はたくさんの草木が生い茂り、各棟の周りも芝生や植え込みに囲まれている。それゆえ、野良猫も時々見かけられた。逆に、泥棒の話はあまり聞かないが、集合住宅である以上、誰でも出入り可能な場所と言えた。しかも、ここは一階である。
 湊斗はすばやく部屋の中を見渡した。父は出かけているし、母は奥で伏せっている。そのうえ、すぐ取れる物で武器になりそうなのはハサミ位だった。
 エイヤッと湊斗は立ち上がり、思いきってカーテンのすき間から外を覗いてみる。すると、一匹の黒猫がベランダを横切っているところだった。
(何だ、やっぱ野良猫か――)
 ほっとしかけた湊斗だったが、去っていく黒猫の向こう、つまりベランダの柵越しから、しゃがみこんでこちらをじっと見つめる人物がいるのに気づいた。鳩のようにくりくりとした目を持つ、湊斗と同じ年ごろの少年だ。
「!!」
 湊斗は驚きのあまり、声も出せずによろめいた。人はびっくりし過ぎると、何も反応できないものなのだと、身をもって知る羽目になった。
 一方、少年は穴が開くほど湊斗を凝視していたが、
「驚かせちゃったみたいで、ごめんなさい。猫についてきたら、いつの間にかここまで来ちゃって」
 やがて、ぽりぽりと頭をかきながら、のんきに笑って言った。
「――は?」
 湊斗はようやく、声を絞り出した。はたして、このまま話を続けていい相手なのか。だが、少年のあまりにのんびりしたようすに、湊斗は戸惑ってしまう。
 少年はよいしょと立ち上がり、
「僕、猫が好きで、見かけると、つい後を追っちゃうんだ。特に黒猫と会った時はいつもラッキーなことがあるから、嬉しくって」
 茂みの奥に消えていく黒猫を、にこにこしながら眺めている。柔らかそうな栗色の髪と同じ色の瞳も手伝ってか、全体的にほんわかした印象を漂わせていた。
「あ、そう……」
 湊斗は適当に返事をしつつ、少年をまじまじと観察した。中高生かと思われるものの、この社宅でも学校でも見たことのない顔だ。怪しい者ではなさそうだが、関わり合うのは少し面倒な気がして、湊斗はさりげなく手を伸ばして窓を閉めようとした。
 ところが、
「ねえ、ここはどこ?」
 やにわに少年が問うてきた。
「……四井商事の社宅だけど」
 窓を閉めるタイミングを逃し、湊斗は仕方なく答えた。続いて「私は誰?」とでも聞いてくるのではないだろうか。
「そうなの? けっこう遠くまで来たなあ。行動範囲が広いから、あの子はきっとオスだな。あ、どうしよう、みったん置いてきちゃった……」
 なおもぶつぶつと独り言を呟く少年に、
「そっか……じゃあ、がんばってね」
 これはいよいよ面倒くさそうな展開だ。そう思った湊斗は愛想笑いを浮かべ、今度こそ窓を閉めかけた。
 その時、
「兄貴」
 少年の後ろから、つっけんどんな声が飛んできた。奇妙なことに、湊斗はその声に聞き覚えがあった。
(え?)
 湊斗は思わず手を止め、声のした方を見る。すると、ぶすっとした顔の後輩――三景が、自転車にまたがって少年を見ていた。
「山那!」
 あっけにとられた湊斗が網戸越しに叫ぶのと、
「みったん!」
 少年が目を輝かせてそう呼んだのは、ほぼ同時のことであった。
 
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