The Blood in Myself

すがるん

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第2部 峡谷の底

21 湊斗の記憶⑮~リナⅡ~

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 朝のニュースで梅雨明けが報じられた日曜日、湊斗は自転車で近くのスーパーへ向かっていた。
 舗装された道を、荷台に黒い犬が描かれた大型トラックや、シルバーや赤など様々な色の車が流れるように走る。
 湊斗はそれらを何となく眺めつつ、『本日ポイント5倍』ののぼり旗が立つドラッグストアの前を通り過ぎた。すると、信号の先に目当ての店が見えてきた。
 『スーパーマルヨン』の大きな看板がかかった店の前には自転車やバイクがぎっしり並び、入口脇に置かれた買い物カゴやカートの周りには、出入りする客がひしめいている。
(うわ、混んでるなぁ……)
 遠目からでも繁盛しているのがわかって、湊斗は内心げんなりした。休日に加えて、特売のチラシも入っていたためだろう。
 ほどなく信号が青に変わり、湊斗はペダルをゆっくり踏み進めながら、自転車を停めるスペースを探した。
(あれ?)
 あちこちに視線を送っていた湊斗は、敷地の隅にある喫煙コーナーに立つ女性を見つけた。彼女は小さなレジ袋を片手に、タバコをくわえている。
「リナさん――」
 そう呟いた湊斗は、自分でも知らぬ間に喫煙コーナーの方へ自転車を進ませていた。彼女は前に出会った時と同じ、茶色く染めたショートヘアで、白いTシャツと細身のジーンズというラフな服装である。
 リナも湊斗に気づいて、
「あら。湊斗くんじゃん、やっほ~」
 口からひとすじの煙を吐きながら、明るく呼びかけた。

「久しぶり、元気してた?」
 そばへ自転車を停める湊斗に、リナはくわえていたタバコを吸殻に押し込みながら言った。
「はい。リナさんも買い物ですか?」
「そ。このお店、バーベキュー味の唐揚げがうまくってさ。食べたことある?」
 リナはそう答えると、持っていたレジ袋を顎で示す。中には缶ビールや菓子パン、パック入りの唐揚げなどが透けて見えた。
「いえ、その味はまだ……」
 湊斗は首を横に振りながら、
(この人、お父さんと同じような物ばっかり買ってるな)
 リナの買い物の中身を知り、湊斗はやや面食らった。が、それ以上に驚いたのが彼女の喫煙である。
「リナさん、タバコ吸うんですか?」
 湊斗はおずおずと訊ねた。これまで自分の周りの喫煙者といえば父くらいで、女性がタバコを吸うのを目撃したのは初めてだ。
「そうよ。ビックリした?」
 リナはいたずらっぽく笑い、言葉を続けた。
「学校じゃタバコは悪いものだって教わってるでしょ。でも、実はそうでもないの。オトナにとってはね」
「それ、どういう意味ですか?」
 タバコといえば、体に悪く、子どもが吸ってはいけないもの。それが母や先生から聞かされてきたことであり、そのまま湊斗の印象になっていた。
 だが、リナの言い分はまったく違っていた。
「会社もここみたいに、タバコを吸える場所が決まってるの。だから、吸いたい人は皆そこに集まるわけ。そうやって一緒にいたら、自然といろんな話をするようになるでしょ? しかも、普通だとあまり話す機会のない先輩や上司とか、違う所で仕事をしている人たちとも話すきっかけになるの。まあ、湊斗くんで言えば、別のクラスや学年の人と仲良くなれるって感じかな」
 湊斗はしばし考えて、
「じゃあ、タバコって部活みたいなものですか?」
 と言うと、リナは何がおかしいのか、ぶはっと噴き出した。
「そこまで健康的じゃないわよ。知ってる? タバコ吸うと肺が真っ黒になって、元に戻るまで何十年もかかるって。あたし、ずっと前から吸ってるから、もう無理よね……って、おっと」
 そこまで言いかけたリナが、余計なことを喋ってしまったというふうに、手で口元を覆う。
「リナさん、一体いつからタバコを――」
「はいはい、聞こえませーん」
 疑わしげなまなざしを向ける湊斗に、リナは可愛い声で茶化してみせた。
「係長のご子息を悪い道に誘っちゃダメよね。湊斗くん、今の話はお父さんに内緒よ?」
「は、はい……」
 蠱惑的なリナの笑顔と漂うタバコの匂いで、湊斗は頭のどこかがぼうっとしてくるのを感じながら、素直にうなずいた。
 するとリナは満足げに湊斗を見つめ、
「湊斗くんの方こそ、買い物?」
 話題の矛先をこちらに向けた。
「あ、はい。晩ごはんの材料を買いに……」
 湊斗はようやく自分がここへ来た目的を思い出して答える。
「へえ、おつかい? えらいわねえ」
 リナは湊斗が親の手伝いで買い物に来たと判断したようだ。
「ええ、まあ……」
 湊斗は目を伏せ、曖昧に言葉を濁す。本当は母に代わって夕食の献立を考え、材料を買ってきて作るところまで全て自分が行っていたが、そのことを話す気にはなれなかった。
「じゃあ、えらい湊斗くんに、これあげる」
 不意に、リナが妙案を思いついたという口調で囁いた。
「は?」
 怪訝な顔の湊斗に、リナがレジ袋から差し出したのは唐揚げであった。ビニール袋に包まれてはいるが、『バーベキュー味』のラベルがうっすらと見える。
「言ったでしょ。ここはこれが一番うまいの。おかずになるから、食べてみて」
「でも、これ、リナさんが食べるために買ったんじゃ――」
 リナから食べ物をもらう理由はない。突然の申し出に戸惑う湊斗を、リナはからりと笑い飛ばした。
「あたしは他のつまみもあるからいいの。これはいわゆる口止め料よ。ここでの話はあたしたち二人だけの秘密、いいわね?」
 どうやら、リナは今日の話を上司である湊斗の父に知られたくないらしい。彼女の冗談めかしたそぶりと、『二人だけの秘密』という言葉が、なぜか湊斗にとって心地よく感じられた。
「……わかりました。遠慮なくいただきます」
 そう言って湊斗がリナから唐揚げを受けとった時、薄らいだタバコの匂いに代わって、柑橘系の香りがふんわりと鼻をくすぐった。それは、学校でも家でも嗅いだことのないものだった。
 そして、その香りはリナが去った後も、湊斗の中に残っていた。

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