The Blood in Myself

すがるん

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第2部 峡谷の底

14 湊斗の記憶⑧~リナ~

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(あいつ、何であんなことを……)
 コンビニエンスストアの前で、湊斗はひとり佇んでいた。せっかく買ったオレンジジュースを飲むのも忘れ、三景が言い残した言葉を反芻していた。
『ふつうにできないんです』
 それを聞いた湊斗は、とっさに母のことを思った。
(お母さんと山那あいつは、全然違うのに)
 三景とは知り合って間もない。だが、彼の駿足を目の当たりにしたうえに、成績もよいと聞いている。一方、母は以前から調子を崩し、家事さえままならないのだ。対照的なはずの二人だが、
(どうして、似ていると思ったんだろう……?)
 その時、少し強い風が吹いた。
 風にあおられたのか、出入口の方から足元へ小さなレジ袋が飛んでくる。
 湊斗が屈んでそれを拾おうとすると、
「あ~、ごめんごめん! それ、あたしの! いきなり風に飛ばされちゃって」
 女性の軽快な声がした。続いてコツコツとヒールの音が近づく。
 レジ袋を拾った湊斗の前には、
「助かったわ、ありがと」
 茶色に染めたショートヘアに、黒のスカートスーツ。あの夜、社宅で父と一緒にいた、神崎という女性が立っていた。


「えっ、君、岡係長の息子さんなの? すっごい偶然!」
 女性の名は神崎リナといった。湊斗よりやや小柄で、短く切った髪がボーイッシュな雰囲気を醸し出している。リナは湊斗の話を聞くと、大きな瞳をいっそう輝かせて笑った。
「あたし、短大出て、四月に入社したばっかりなの。仕事はまだわかんないことだらけだけど、岡係長はとっても良い人よ。色々、面倒みてくれるしさ」
「そう、ですか……」
 と答える湊斗は、幾分かしこまっていた。目の前のリナは、クラスの女子とかなり違う。年齢のせいといえばそれまでだが、髪を染め、化粧をし、スカートから伸びる両足は、薄い肌色のストッキングに包まれている。湊斗は何かいけないものを見てしまったかのごとく、彼女のほっそりしたふくらはぎから視線を外した。
「ねえ、湊斗くんだっけ。君、何年生?」
「えっ!?」
 小首を傾げて、横から覗きこんでくるリナに、湊斗は思わず飛び上がりそうになった。
「ち……中3です」
「中3? いいな~、まだまだ若いじゃん」
 湊斗の反応が面白かったのか、リナはくすくす笑っている。
「あの、神崎さんは――」
「あ、リナでいいから。堅苦しいのは、会社だけで十分よ」
 片手をひらひら振りながら言うリナに、湊斗は戸惑った。いくらなんでも、自分よりずっと年上の相手――しかも女の人――を呼び捨てにはできない。
 湊斗は頭を捻って、
「あの、リナ……さんはどうしてここに?」
 何とかそう訊ねた。すると、
「はは~ん。君、もしかして、あたしがサボりだと思ってる?」
 リナが軽く唇を尖らせた。
「ち、違います! けど……」
 今はまだ昼の三時過ぎだ。会社帰りには少々早いのではないか。
「やあね、これでも仕事中よ。初めて一人で取引先の会社に行ってきたんだから。といっても、書類を届けただけだけど」
 そう言うと、リナは赤い舌をペロッとみせ、
「でも、あたし、ちょっと張りきりすぎたみたい。ヒールが合わなくて、靴ずれしちゃった」
 レジ袋から絆創膏を取り出した。そして、左のハイヒールをするりと脱ぎ捨てる。
「……!」
 黒光りしたハイヒールから、蛇のように抜け出てきたリナの足。それを見た湊斗は急に気恥ずかしくなって、缶ジュースを慌てて飲んだ。しかし、全く味がしない。
 片や、リナは湊斗の動揺など気づかぬように、腰を下ろして左足のかかとに絆創膏を貼りつけた。
「湊斗くん。あたし、そろそろ戻るけど、社宅まで送ってってあげようか?」
「ぶっ!!」
 こちらを見上げて、そう提案してくるリナに、湊斗はオレンジジュースを噴き出しそうになった。
「どうしたのよ、大丈夫?」
 不思議そうなリナに、
「へ、平気です……」
 かろうじて湊斗は返事した。
「あたしも、思いきって車買ったのよ。ローンが痛いけど、いつまでも人に送ってもらうわけにいかないでしょ? ほら、あれがあたしのヴィッツちゃん」
 手当てを済ませたリナは、再び立ち上がると、駐車場を指した。そこには、先ほどから正面を向いて停まっていた、赤い軽自動車がある。
 あの車は彼女のものだったのか。湊斗は一瞬、真っ赤な車体に目を奪われたが、
「ありがとうございます。でも、ぼくは寄る所があるんで、歩いていきます」
 結局は思いとどまり、丁重に辞退した。
「そう。じゃ、あたしは行くわ。湊斗くん、またね」
 リナはそう言って湊斗に片目を瞑ってみせると、いたずらっぽい笑みを残し、軽自動車の方へ歩き出した。
 運転席に乗り込んだリナは、湊斗に手を振った後、車を発進させた。湊斗は会釈してそれを見送ったが、どこかぼうっとしていた。リナと話した時間はとても短いようで、長いような気がした。
 とらえどころのない感覚を払拭するように、湊斗は再び、缶ジュースを飲んだ。今度はいつものさわやかな甘さと共に、酸っぱさが口の中に広がった。
 
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