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第2部 峡谷の底
13 湊斗の記憶⑦~面影~
しおりを挟む「ありがとうございましたー」
店員の声を背中で聞きながら、湊斗は入ったとき同様にコンビニエンスストアを出た。ただ、最初と違うのは、商品入りの袋を持っていることと、買い食いの連れができたことだった。
「山那、これ」
店の前は駐車場だが、赤い軽自動車が一台停まっているのみで、他はがら空きだった。それを横目に、湊斗は袋の中のシュークリームを三景に差し出した。パッケージには『期間限定 北海道生クリーム増量!』とでかでかと書かれている。
「……いただきます」
三景は少しの間ためらったが、腹を決めたらしく、礼を言ってそれを受け取った。
「気にしないでよ。何か、ぼくが強制的に誘った感じだし」
湊斗は苦笑しつつ、袋から自分用の缶ジュースを取り出した。心なしか、ポケットの中の小銭入れが軽くなった気がする。
「家は、この辺?」
ジュースの缶をぷしゅっと開けながら、なにげなく聞いた湊斗だったが、
「いえ、奈加町の方です」
「えっ!?」
後輩の口から、さらりと発せられた言葉に驚いた。
「奈加町って、逆方向だろ?」
「はい」
平然としたようすの三景とは対照的に、湊斗は弱ったとばかりに頭を掻いた。
「とんだ遠回りをさせちゃったんだな、本当にごめん。時間、大丈夫か?」
「家に帰るだけなんで、大丈夫です。走って帰るのに、ちょうどいい距離ですし」
淡々とした答えだったが、湊斗は『走って』という単語に思わず反応していた。
「やっぱり、走ってるんだ?」
「……」
湊斗の問いに、三景はむっつりした顔で押し黙る。どうやら、陸上部へ勧誘された件を思い出したようだ。
「いや、部活のことを蒸し返すつもりはないよ。単に、山那の走りを見て、どこかで練習してるんじゃないかって気がしただけ」
疾風のようにトラックを駆け抜けた三景の姿を、湊斗は今でも鮮やかに思い出すことができた。足運びの良さは天賦の才といえるだろうが、どんな才能も、磨かなければ光らないものだ。
「走るのは嫌いじゃないんで、小学生のころから、たまに走ってます。でも、人と競争するのは嫌なんです」
三景は憂うつな記憶でも思い出すかのように、視線を未開封のシュークリームに落として言った。
「のびのび走りたいってこと? もしかして、陸上部に入らなかった理由はそれ?」
湊斗の推察に、こっくりとうなずく三景。変人と思っていた相手と、このように話すのが、湊斗にはどこか不思議で、くすぐったいようにも感じられた。
「書道部を選んだのは、俺は字が下手だからです」
三景はそう言い置いて、話し始めた。
「うまくないから、自分もまだ努力する必要があると思えます。けど、走りは違う。こう言うと生意気に聞こえるでしょうが、俺は生まれつき、すごく……運動が得意なんです。だから、勝って当たり前というか、全然うれしくありません」
そう話す三景の表情は、どこか沈んだように見えた。
(――こいつ、本気で言ってるのか?)
一方、それを聞いた湊斗は呆れ返るとともに、違和感を抱いた。
以前、中井が、三景は運動も勉強もできると言っていた。実際にそうなのかもしれないが、今の話は少々うぬぼれが過ぎると思われた。しかし、もしうぬぼれている者なら、競争して勝つことを好むのではないか。何より、当の三景からは、得意気な印象が全く感じられない。
「そっか……でも、それは小学生のときの話だろ? 中学は、他の小学校からいろんな奴が集まってくる。それに部活に入って大会に出れば、もっとできる奴がいっぱいいるんだ。人に勝って当然だと思うのは、ちょっと早いんじゃないか?」
湊斗は違和感の根が何かわからぬまま、とりあえず考えついたことを口にした。しかし、三景はもどかしげに首を横に振る。
「そうじゃないんです。何ていうか……ふつうにできないんです、俺は」
その言葉に、ジュースを飲もうとしていた湊斗の手が止まる。
「ふつうに……?」
そう呟いた自分の顔は、ぽかんとしていたかもしれない。
三景はそんな湊斗の反応をどのように受け取ったのか、シュークリームをスクールバッグの中にしまいこむと、
「変なことを言いました。忘れて下さい。シュークリーム、ありがとうございました」
そう言って一礼した後、去っていった。
「……」
湊斗は半ば呆然として、離れていく三景の後ろ姿を見ていた。
――ふつうにできない。
正確には、そのとき湊斗が見つめていたのは、後輩の背中ではなかった。三景の言葉を聞いたとたん、なぜか湊斗の脳裏には、おどおどして謝ってばかりの母が浮かんでいた。
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