The Blood in Myself

すがるん

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第1部 茜の時

23 陸⑧

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「お前っ……!」
 目の前に立っているのが岡湊斗だと認識した途端、陸は声にならない叫びを上げ、逃げ出そうとする。だが足がもつれ、背後の座卓にぶつかって、その場にへたりこんでしまった。
 事故に遭った当時の姿なのだろうか。湊斗は左のこめかみから血を流していた。そして遺影の中で浮かべる優しげな笑顔など、どこかへ置き忘れてしまったように、土気色の虚ろな顔で陸を見下ろしていた。
「あ……あわわ……」
 陸は必死で立ち上がろうとしたが、腰に全く力が入らない。陸はこの町に来るまで、霊感や怪奇現象などとは無縁の暮らしをしてきた。しかし、目の前にいる少年は、どう考えてもすでに死んだと思われる人物である。
(でも、おれ……さっき、こいつの体に当たった……幽霊って、実体があるのか……?)
 常識を越える出来事に混乱しながらも、陸の頭の一部は妙に冷静だった。様々な事態に見舞われすぎて、恐怖心が麻痺しつつあるのか。あるいはこの状況に慣れてきているのか。陸自身にもわからなかった。
「前にぼくが言ったこと、覚えてる?」
 唐突に、湊斗が口を開いた。その声は鏡の前で聞いたものと同じだったが、今は頭の中に響くのではなく、耳を通して聞こえてくる。
「は……?」
 陸が恐る恐る顔を上げると、
「ぼくはあの時、君にぼくの蜘蛛をあげると言ったんだ」
 それに促されるように、陸の耳奥で、かつて告げられた湊斗の言葉が甦った。
『君は、ぼくに近いから。君にあげるよ。ぼくの――』
「蜘蛛を、あげる……? お前の?」
 意味がわからず、陸は困惑した。蜘蛛とは、今も外で三景と戦っている、あの銀の蜘蛛のことだろうか。
(そういえば、こいつがあの蜘蛛の最初の宿主だったって……)
 一羽の話を思い出したが、それでも陸には、自分がこうなるに至った理由をまるで理解できなかった。
「お前の蜘蛛なんか、いらん! 大体、お前、何なの!? おれと会ったことないよな!? どうして、何の関係もないおれに――」
 もしかすると、自分が恐ろしい目に遭っているのは、この少年が元凶なのではないか。恐怖と憤りにかられ、陸は衝動的に声を荒げていた。
 湊斗はわずかに目を細めたように見えたが、それ以上は表情を動かさず、
「君はさっき、自転車で帰る途中、車とぶつかった」
 抑揚のない声でそう言った。この『領域』に引き込まれた動揺で忘れかけていたが、事実を言い当てられ、陸は訝しげに眉をひそめた。
 そして湊斗は、陸の疑問を見透かしたように話を続けた。
「君の体が地面へ叩きつけられる直前に、蜘蛛が君をここへ引き入れた。そうしなければ、君は頭を打って死んでいた――ぼくとおんなじに」
 最後の一言は暗い呪文めいており、陸の背筋に、ぞっと冷たいものが走った。
「死んでた……おれが?」
 忌まわしい予言にも似た台詞。陸の心に、墨汁を注いだように、不安が広がっていく。
「なるほどな。そういうことか」
 不意に、湊斗の背後から、低い呟きがもれた。
 はっと息を呑む陸。同時に湊斗が、ゆっくりと首を後ろへ回し、声の主に暗い双眸を向けた。
 そこには、制服のあちこちを血で汚した三景が、光の剣を湊斗の背に突きつけていた。


「あなた、岡湊斗くん……じゃないわね」
 三景の後ろから姿を見せた一羽が、慎重に口を開く。
「おそらく、岡くんの性質を受け継いだ『影』」
 しかし、湊斗は三景の剣や一羽の厳しい詰問にも動じるそぶりはなかった。
「何とでも。そっちが呼びたいように呼べばいい」
「悪趣味な面しやがって……」
 一方、三景は何が気にくわないのか、怒りをあらわに湊斗を睨みつける。その様子は、先ほど蜘蛛と対峙した時よりも激しいように見えた。 
「山那、お前、その怪我――」
 陸は三景の体を見て、声を震わせた。三景は今や左腕だけでなく、頬や脇腹にも傷を負い、血を流していた。
 だが三景は陸を一瞥もせず、
「言っただろ。これは俺の役割だって。んなこと気にする暇があったら、さっさと蜘蛛を昇華しろ」
 湊斗を見据えたまま、そっけなく言った。
「昇華?」
 三景の口から出た単語に、湊斗はどこか滑稽そうな呟きをもらした。
「少し勘違いしてるね、やんちゃん」
 その呼びかけに、三景は怒りの炎に、油でも注がれたように柳眉を吊り上げた。
「『影』のくせに、湊斗の真似をするな!」
 それは、陸がこれまで目にしたことのない、三景の感情の爆発であった。
 さらに、三景が湊斗の名を口走ったことも、陸は聞き逃さなかった。一羽によれば、少年は岡湊斗の性質を受け継いだ『影』だという。その真偽は陸にはわかりようもないが、生前の湊斗と三景に、何らかの関わりがあったことは想像できた。
(しかも、あいつ、下の名前で呼んでた……同じ中学だったから? 知り合いなのか?)
 湊斗も、三景のことをあだ名で呼んでいた。陸の知る限り、三景をあだ名で呼ぶのは幼なじみの健太だけだ。高校では、人を寄せつけない雰囲気をまとう三景である。健太以外、親しい者などいないと思っていたのに。
 陸が思いを巡らす間も、三景は湊斗だけを見ている。この状況に対して、なぜか陸は頭を殴られたような衝撃を禁じ得なかった。
 けれども、湊斗は激高する三景を前にしても驚くことはなく、むしろ、不思議そうに小首を傾げてみせた。
「だって君は、あの蜘蛛が彼を傷つけると思ってるんだろう? 逆だよ。蜘蛛は、彼を守ってる」
 湊斗の話は、陸にとって信じがたいものだった。
「でたらめを言うな!」
 三景が鋭い声で、湊斗を恫喝する。
「この期に及んで、『影』が、一体何からあいつを守る?」
 光の剣先を、湊斗の喉元へ突きつけて問う三景。白く輝く刃を眺めた後、湊斗は左右の口角を上げて答えた。
「君からだよ、やんちゃん」
 そう告げる湊斗の声は、いやに穏やかだった。まるで、物の道理がわからない幼子に、言って聞かせてやるようでもあった。
「…………」
 三景は何も言わなかった。陸は三景が怒りを通り越して呆れているのかと思い、彼を見たが、そうではなかった。憤りで染まっていた三景の表情に、みるみる驚愕の色が広がっていく。
 そして、その様子に追い討ちをかけるように、湊斗は言葉を重ねた。
「君は、本心では、彼の血がほしいと思ってる。そうだよね?」
(――おれの、血……?)
 陸は、湊斗が何を言っているのか、三景がどうしてさっきみたいに湊斗の言葉を否定しないのか、一つも答えを見出だせなかった。ただ、光の剣を握る三景の右手が、かすかに震えているように見えた。
 その時、けたたましい音とともに、左側の吐き出し窓のガラスが突き破られ、室内に破片の雨が降り注いだ。
「篠田くん!」
 一羽が悲鳴に似た声を上げたと思った瞬間、陸は何者かに体を引っ張られていた。そして気づいた時には、目の前に大きな赤い眼が迫り、硬い銀の脚によって捕らえられていた。
 窓を割って入ってきたのは、巨大な銀の蜘蛛だった。蜘蛛は前脚で陸を抱えこむと、素早く身を翻し、外へ向かって跳躍した。
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