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追記・前編
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カルモ・ダンジェ・トゥ・オブリーオ。
ロヴィーサ王国聖女王、フェリシア・フィーリャ・トゥ・オブリーオとその最初の夫、リーデル・ラ・ドゥーカとの間に誕生した第一王子にして初代ドゥーカ大公、のちのドゥーカ公爵。
彼は数奇な運命をたどった。
本来、ロヴィーサ王太子の地位は第一王子である彼に与えられるはずだった。
しかし父、リーデルを三歳の時に失い、母親である聖女王が隣国ブリガンテの第二王子、レスティ・ゲール・ド・シュタルクと再婚して第二王子、ルイーネ・ファーロ・トゥ・オブリーオを出産したことで、その未来は大きく塗り替えられる。
大国ブリガンテを後ろ盾に持つレスティ王子は聖女王の夫となると、ロヴィーサ王宮に大量のブリガンテ貴族や役人を呼び寄せて実権をにぎった。
そして聖女王を言い含めて、カルモ王子ではなく自身の息子であるルイーネ王子を立太子させると、王子の二歳の誕生日を待ってロヴィーサ国王として『即位』させた。
当然、ロヴィーサ貴族はレスティ王子に反発し、その不満は聖女王にまでむけられる。
中でもロヴィーサの筆頭貴族だったドゥーカ公爵は、公爵邸に響き渡るほどの大声で聖女王を罵ったという。
彼にしてみれば、正体不明の田舎娘でありながら大事な跡取り息子を誘惑してロヴィーサと父親に盾つかせ、それでも正統な王女と判明すればこそ息子との仲を認め、貴族達を説得して女王位に就く手伝いまでしたのに、その息子が死んだ途端に次の夫を迎えて、公爵家の血を引くカルモ王子ではなくルイーネ王子の即位を認めてしまった聖女王は、恩知らずの裏切り者としか思えなかったろう。
公爵は孫であるカルモ王子をドゥーカ公爵領へさらい、ドゥーカ公爵領の独立を宣言。『ドゥーカ公国』を称し、七歳のカルモ王子を初代ドゥーカ大公位に就けて、弟の四歳になる孫娘と結婚させ、自身は摂政を名乗った。
この独立は当初、聖女王夫妻に反感を抱いていた多くの貴族の支持を集め、ドゥーカ公国は勢力を伸ばすかに思われた。しかしレスティ王子は自国から強力な軍と有能な指揮官達を招集、反乱はわずか五年で収められる。
元ドゥーカ公爵は王子誘拐と反逆の大罪により処刑され、公爵領にはブリガンテから派遣された役人が置かれて、カルモ王子は五年ぶりにロヴィーサ王宮に帰還した。
この五年の間、カルモ王子はどう思っていたか。
家族から自分を引き離した祖父を恨んだか。それとも自分が得るはずだった王位に執着し、母妃を恨んで祖父を頼っていたか。あるいはロヴィーサ貴族の窮状を知り、ロヴィーサの実権をとり戻す気でいたか。
結論からいうと、まず祖父であるドゥーカ公爵は嫌っていたようである。
ロヴィーサに限らず、一般に王族は離れて暮らすのが常識だ。王子王女は生まれるとすぐに乳母に預けられ、彼女らの乳で成長し、一人につき一棟が与えられて、乳母の子供や貴族の子女達と遊ぶ。親といえども国王や王妃と何日も顔を合せないのはよくあることで、兄弟姉妹で遊ぶことも珍しい。
カルモ王子もそのような育てられ方をしていれば、家族への愛情はすぐに失っていたかもしれない。
しかし聖女王は、一般的な王族の母親とは対極に位置する女性だった。
田舎で村娘として育った彼女は、母子を引き離す王族の育児法を否定、
「どうして、愛する我が子を自分で育てたらいけないの!?」「王族の伝統なんて知らない! 私は、私が正しいと思う育て方をするわ!!」
と宣言して、十三人の王子王女全員を手元で乳母達と育てた。
カルモ王子は誘拐されるまで母妃とルイーネ王子と三人、レスティ王子が用意した離宮で育ち、たっぷりと母親の愛情をうけて育った。そのため自分を母妃と離宮から引き離した祖父に対しては、恨みが募っていたらしい。
特にドゥーカ公爵は聖女王への怒りや恨みが募るあまり「カルモ殿下こそ正統なロヴィーサ国王です」と野心を煽る以上に、幼い王子にくりかえし母妃の悪口を吹き込み、それがますます王子の心を離れさせた。公爵が生きている間、玩具や美姫や財貨でどれほど機嫌をとろうと、王子が打ち解けることはけしてなかった…………と、当時のドゥーカ公爵邸に勤めた者達は口をそろえている。
ドゥーカ公爵領から助け出されたカルモ王子が、ロヴィーサ王宮で出迎えた聖女王に走って抱きつき、母子ともども人目をはばからずに抱き合って泣いた、という話からも、この二人が一般的な王族より強い絆で結ばれていたことがうかがえる。
カルモ王子は懐かしい離宮に戻り、誘拐されていた間に誕生した四人の弟妹ともすぐに打ち解けて、一緒に遊ぶようになった、と離宮勤めの乳母や侍女達は語っている。
カルモ王子の義理の父となったレスティ王子は、妻が別の男との間に産んだ息子に対し、思うところはなかったのか?
レスティ王子はそのことについて訊ねられると、相手がロヴィーサ人であれブリガンテ人であれ、常に
「血はつながっていなくても、カルモも愛する聖女が産んだ子供で、亡き親友の忘れ形見で、今となっては私自身の大事な息子だよ」
と答えていたらしい。
が、これを鵜呑みにするのはやや危険だろう。
何故なら彼は有能な野心家であり、計算高い王族だった。
聖女王が産んだ、自分の血を引かぬ第一王子であり、現実にロヴィーサ貴族に反逆の旗頭として担ぎ上げられたカルモ王子を、まったく邪魔に思わなかった…………とは考えにくい。
ふたたび同じように担ぎ上げられないためにも、暗殺の一つもしてしまいたい、というのが本音だったのではないか。
もし、聖女王が計算高く、保身のためなら息子も切り捨てるような人柄であったら、レスティ王子はさっさとカルモ王子を排除していただろう。
しかし聖女王は子供に対しては愛情深い母親であり、父親の違いによって子供を差別することはなかった。むしろ二人目の夫であるレスティ王子に
「カルモはあなたの子供ではないけれど、それで差別するようなことはしないでほしいの」
と頼んですらいた、と離宮の乳母や侍女達が感激とともに語っている。
レスティ王子自身、自分にロヴィーサ王国を与え、『聖女の血』という最高級の看板を背負った十二人の王子王女を与え、『聖女を娶った偉大なる王』の名声を与えた聖女王を目の中に入れても痛くないほど大切にした。
おそらくレスティ王子はカルモ王子を本心では邪魔に感じつつも、『聖女王の機嫌をとるための道具』と割りきっていたのではないか。
彼は自らドゥーカ公爵領に赴いてカルモ王子を助け出し、王子がロヴィーサ王宮内の離宮で母妃と暮らすことも認めた。
そうやって聖女王の愛と信頼を勝ちとり、ロヴィーサ貴族達に恩を売って彼らの不満をやわらげたのではないか。
二年後。三十四歳の聖女王は夫と共に九人の王子王女を連れて、ブリガンテへの帰国を果たす。聖女王は、
「とても懐かしいわ。村のみんなに会えるのが楽しみよ。レスティ様も『帰国したらすぐに行こう』って約束してくれたの。子供達にも早くあの村を見せてあげたいわ、本当にすてきな所なんだから」
と嬉しそうに語っていたという。
なおルイーネ王子に関しては、九歳といえどもすでにロヴィーサ国王位に就いていたため、国を出ることには家臣達が難色を示した。しかし、
「ルイーネはまだ九歳よ。まだまだ母親が必要だし、仕事ばかりなんてかわいそうだわ。私だって、ルイーネと離れたくないの!」
という聖女王の懇願をうけたレスティ王子の「見聞を広めることは将来の統治にも役立つだろう」という鶴の一言により、同行が決定した。
聖女王一家と十一年ぶりに帰国したブリガンテ王太子は、ブリガンテの民に花と歓呼で迎えられた。一家の乗る馬車がどの街を走っても通りには人があふれ、宿泊した市長や領主の館には人々と贈り物が集まったという。
ブリガンテ到着後、十日も待たずに十四歳のカルモ王子の婚約が発表される。
この婚約は出国前に決定しており、王子はこの時はじめて相手の姫と顔を合わせた。
なお、カルモ王子はドゥーカ公爵領にさらわれた際に、公爵の遠縁の姫と正式に結婚していたが、これは七歳と四歳という幼さを理由に離婚が認められている。この時の姫は王子が王宮に帰還したあと、新たな夫を得て平穏に暮らしたようだ。
カルモ王子はレスティ王子が選んだブリガンテの名門侯爵家の令嬢と二度目の結婚をし、やがて一男二女に恵まれて聖女王を喜ばせた。
そして四年後。十三歳になったルイーネ王子はとうとうロヴィーサに帰国し、新たにロヴィーサ筆頭貴族となった公爵の息女を王妃に迎える。
この縁組もレスティ王子の意向であり、ロヴィーサ貴族の娘をロヴィーサ王妃に迎えることで、貴族達の不満の軽減を図ったのだろう。彼はこのように、貴族達に不満をためさせながらも、けしてそれを爆発させることはなかった(例外はドゥーカ公爵のみ)。
ルイーネ王子は二男二女に恵まれたが、これ以降ロヴィーサを離れることはなく、母妃とも定期的な手紙や贈り物のやりとりのみで終わって、再会の機会はなかった。
ブリガンテに帰国して以降、聖女王は夫の用意した離宮で愛する子供達を育て、友人達と語り、祭りの時には育った村の村人達を呼び寄せて、自ら作ったごちそうをふるまった。
晴れた日には弁当を作って子供達とピクニックに行き、王子達とかけっこやボール遊びをする。王女達とは森で花を摘んでポプリを作り、夫や友人達に贈る。雪の降る日には肉たっぷりのシチューを作って火にかけ、暖炉のそばに子供達を集めて昔話を聞かせた。
王子王女達も本やままごとやチェスに夢中になっていても、母妃の焼いたケーキやクッキーの香りが離宮中にただよいはじめると、いっせいに食堂に走ってきたそうだ。
こうして育てられた王子王女は、一般的な貴族の子女より強い絆で結ばれたようだ。彼らはみな、十歳をすぎると縁談が持ちあがり、十五歳になるかならぬかでブリガンテを出たが、結婚後も良好な関係を保った兄弟姉妹は少なくない。
たとえば五女のミュゲ王女と六女のリラ王女は、ブリガンテの母妃のもとで暮らしていた頃からたいへん仲が良く、片時も離れないほどだったが、両者の愛情はミュゲ王女がユーク公国に、リラ王女がノルド王国に嫁いでも変わることはなく、二国間ではひんぱんな手紙と贈り物のやりとりがつづいた。
ミュゲ王女が嫁いだユーク公国は明るい日ざしと美しい港、そして多彩な花とみずみずしい果実くらいが自慢の南の小国だったが、ミュゲ公妃は南国の花々と果実をくりかえし妹に送り、寒い北の国に嫁いだ花好きの王妃を喜ばせる。王妃は夫から贈られた温室にこれらの花を集め、専用の庭師を雇って寒さから守った。
リラ王女が嫁いだノルド王国もこれといった特産物のない貧乏国だったが、王国の北に連なる山脈のふもとの土壌が白磁の材料に適していることが判明し、ノルド王直々の指揮で王家直営の白磁工房が設立されたところだった。
ノルド王は工房の絵付け職人達を妻の大事な温室に入れてくれるよう頼み、リラ王妃もこれを許可。職人達は直に本物の南国の果実や花々を観察して、それをモチーフにしたティーセットやディナーセットを焼きあげる。
これらはリラ王妃のお気に入りとなり、花々の礼としてユーク公国にも送られる。
するとミュゲ公妃も美しい食器セットを大変喜び、さらに花と果実を贈った。
食器セットは王妃や公妃のお茶会や食事会でお披露目され、貴婦人達の称賛と羨望の的となり、ブリガンテの両親にも贈られる。
ノルド王国は、国内ばかりかユーク公国や大国ブリガンテからも注文が殺到し、貧乏国だった王家が十二分に潤ったことは記憶に新しい。
ノルド王国の工房はノルド公の名をとってセーヴェル工房と名付けられたが、この工房で制作されたユーク公国の花や果実をモチーフにしたシリーズは、ノルド王妃からユーク公妃への感謝と変わらぬ愛情をあらわして『ミュゲ・シリーズ』と名付けられた。
かと思うと、第六王子と第七王子は離宮で暮らしていた頃は菓子の数一つ、試験の一点まではりあって日々、母妃の手を焼かせるほど仲が悪かったが、結婚後、第七王子の王国が飢饉にみまわれると、第六王子は即座に自国から大量の麦とチーズを送った。そして第六王子が隣国の侵攻をうけて劣勢になると、第七王子は即座に援軍を出して兄の窮地を救った。
これらは兄弟姉妹の絆の深さが生み出した、幸運な例であろう。
一方で第三王子の結婚が決まった時、兄を慕う第四王女が反対して母妃をてこずらせるほど泣き喚き、王子の婚約者であった公爵令嬢とその父親に勝手に婚約破棄の手紙を送ってしまったことは、ほほ笑ましくも笑えないエピソードなので、一概に兄弟姉妹の仲が良いほうがいいとは断言できない(この婚約破棄の件は差出人が七歳の子供だったため、国王も公爵も笑って『無効』を宣言した)。
そのように、母妃に直に育てられて離宮を巣立って行った王子王女達だったが、唯一カルモ王子は母妃のもとに残った。
ロヴィーサ女王とロヴィーサ貴族の間に生まれ、ロヴィーサ貴族達の旗頭として担ぎ上げられた過去を持つ彼は、ふたたび旗頭とならぬよう、ブリガンテに連れて来られてブリガンテ貴族の妻をあてがわれ、生涯ロヴィーサへの帰国を許されなかった。
カルモ王子がロヴィーサに戻ったのは、ただ一度。
十五歳になった長男が父親からドゥーカ公爵位を継ぐため、共にロヴィーサ王宮に戻り、ロヴィーサ国王と実質的に公爵領を治めていたブリガンテ役人に見守られて、公爵位や財産の相続の証明書にサインした時だけである。
新たなドゥーカ公爵はブリガンテ人の妻をともなって公爵領へ向かい、カルモ王子は一人、ブリガンテに戻った。
この際、王子が聖女王から預かったという手紙を受けとるため、私はドゥーカ公爵領に赴き、王子との面会を許され、しばし話す機会を得た。
王子とは他愛ない近況を報告しあったが一度だけ、監視役の従者が離れた隙に「ロヴィーサに留まるおつもりはないのですか」と訊ねてみた。
カルモ王子は、
「ブリガンテでの暮らしに慣れすぎてね。今さら戻っても、どうすればいいかわからないよ」
と答えられた。
「それに私が戻れば、いらぬ争いの芽となるだろう」
とも。
従者が戻って来たため、二人きりの会話はそこで終了し、私は手紙を受けとって公爵邸を出た。
ロヴィーサの第一王子、カルモ・ダンジェ・トゥ・オブリーオは、人生の大半をブリガンテ王宮の離宮で、母妃と共に弟妹の世話をしながら過ごした。
弟妹がブリガンテを離れたあとは自身の子供達を育て、離宮にはブリガンテ王太子となった第三王子とその子供達もよく訪れて、にぎやかな日々だったという。
二国間の政治にふりまわされ、居場所をさだめられて、わずかな期間をのぞいては生涯の大半を異国で、母妃と義理の父王と過ごしたカルモ王子。
数奇な運命をたどり、実の母妃によって王位を奪われた悲劇の王子と語られることも少なくない彼はしかし、王族ゆえの特権も享受している。
レスティ王子はカルモ王子が昆虫好きと知ると、まだ十二歳だった彼のためにロヴィーサの大学教授を呼び寄せ、王子が植物へ関心を移すと、ブリガンテの大学から植物学や薬草学の教授達を呼び寄せて、カルモ王子一人のために授業をさせた。
カルモ王子は常に最新の図鑑を与えられ、外国の貴重な本も父王や義父から贈られ、紙もインクも灯りもふんだんに用意されて、子供達が巣立ったあとは、監視付きではあったが大学に赴いて生徒達と共に授業をうけることも許され、勉強や研究で不自由することはなかった。
大学の教授や生徒達は王子の知識の深さに驚き、王子も彼らとの授業は人生でも指折りに楽しい時間だと、周囲に語っていたようだ。
また、カルモ王子の妻は貴族の令嬢のたしなみとしてスケッチを習っていたが、その腕前は『たしなみ』を余裕で越えるもので、王子が大学の研究者達と編纂した植物図鑑の絵は、その三分の一が彼の妻の手によるものである。
父親の侯爵は娘が図鑑作りという男の仕事に加わることに反対したし、聖女王も、
「素人が参加しても、大事なお仕事の邪魔になるだけでしょう? 身分や立場を利用して割り込むなんて、恥ずかしいわ。実力があるのに身分のせいで採用されない人達に譲るべきだと思うの」
と二人きりの時にやんわり注意した、と聖女王からの手紙には記されている。
だが夫であるカルモ王子は妻のスケッチの才能を高く評価して強く勧め、妻も最初は恥ずかしがっていたものの、終盤になると自信をつけて寝る間も惜しんで描いたという。
このような話を聞く限り、夫妻の仲は必ずしも険悪なものではなかったことがうかがえる。
ちなみにこの妻は名門貴族の令嬢として深窓で、かつ一般的な育てられ方をした。そのため義母にあたる聖女王とは、行儀作法や子供達の教育に関して、しばしば対立していたことが彼女の手紙からうかがえる。
聖女王は子供や孫達の着る物食べる物、部屋の匂いや風通しまで気遣うような女性だったが唯一、教育については重視しなかった。
「王族だからって、こんなに小さい頃から勉強ばかりさせるのはかわいそうだわ。子供は外で元気に遊ぶのが仕事よ。勉強や作法はあとからで充分よ。この件に関しては私、レスティ様にもカルモの奥様にも言いたいことが山ほどあるの」
それが聖女王の考えだったらしい。
彼女の夫であるブリガンテ王太子は、自身の王子王女の教育には人一倍、気を遣った。子供達が幼い頃から行儀作法の教師をつけ、四、五歳から文字を教えはじめた。
しかし聖女王は生涯、勉強や学問の重要性には無頓着な人物だった。
彼女は風光明媚な田舎の村でのびのびと育ち、それで不自由を感じることはなく、女王位に就いたあとは一時的に行儀作法や政治に関する家庭教師がついたものの、すぐに第一王子を身ごもって十三人もの王子王女を産み、その世話に明け暮れたのだから、勉強の時間などなかったことは想像にかたくない。
聖女王は六十六歳で人生を閉じたが、できたのは聖本を読み、手紙を書き、小銭の計算をして家計簿をつける程度だった(それでも田舎の村娘としては上等だが)。
貴族の令嬢が当たり前に習う行儀作法、正書法、古語や外国語、詩の朗読といったものは最後まで身につかず、絵画やスケッチも観るだけ、楽器の演奏にも興味はなかったようだ。彼女にとって音楽は聴くものであり、それも
「堅苦しい王宮の音楽より、子供達の伴奏で歌うほうが楽しいわ」
と言って、王宮の音楽会にもあまり出席しなかった。
一方で刺繍とレース編みは多少できるようになったらしく、子供や孫達に
「それぞれの名前を刺繍したレースのハンカチを贈った」
と手紙にはある。
そしてダンスは村にいた頃から大の得意で、彼女と数回踊った経験のある私も、この点に関しては彼女の右に並ぶ者はほとんどいなかった、と断言できる。
あのロヴィーサ王宮の舞踏会で、聖女王はまさしく羽根のように軽やかに、花のように華麗に踊り、招待客達の感嘆の視線と称賛の言葉を独占した。
そのため聖女王は、ロヴィーサでもブリガンテでも舞踏会だけは定期的に出席していたようだ。手紙には、
「相変わらず私が出席すると、踊ってほしい人達が列を作るの。大変だけど、みんなと踊っているわ。だって、お願いされたんだし、こうやって大勢の人達と仲良くするのも、女王の務めでしょう? もちろん、最初と最後は絶対に夫よ」
という言葉が記されている。
ロヴィーサ貴族は、ロヴィーサ貴族の血を引く第一王子が自分達からとりあげられたことを嘆いた。
しかし話に聞いた限りでは、それはロヴィーサにとって必ずしも不幸ではなかったのではないかと思われる。
カルモ王子はドゥーカ公爵に誘拐されていた間、「幼くとも大公位を得たのだから」とブリガンテについてロヴィーサ視点から学んでおり、これらの知識は少なからず王子の思考に影響を及ぼしたと思われる。
だがカルモ王子は基本的に穏やかな人物だった。少なくとも彼の祖父の父、クレージュ王のように自ら戦場に出てほしい物を奪いに行くような、覇気に溢れた人柄ではなかった。
彼の母妃が蜂起した十六歳の時に持っていた、
「虐げられている人々を救うため、私は戦うわ!」
という意思すら感じられなかった。
そういった人物が自身の意思と無関係に大勢の上に旗頭として立つことは、本人にも周囲にも良いことではなかったのではないだろうか。
ブリガンテの属国と成り下がり、ロヴィーサ貴族達はそれぞれの立場から
「あの時、アウラ女王を選んでいれば、今頃はもう少しマシだったろうに」
と嘆いている。
しかし聖女王やカルモ王子の気質を考慮すると、事態はむしろ収まるべきところに収まったのかもしれない。
――――ソヴァール・ラ・エーデルの手記より抜粋――――
ロヴィーサ王国聖女王、フェリシア・フィーリャ・トゥ・オブリーオとその最初の夫、リーデル・ラ・ドゥーカとの間に誕生した第一王子にして初代ドゥーカ大公、のちのドゥーカ公爵。
彼は数奇な運命をたどった。
本来、ロヴィーサ王太子の地位は第一王子である彼に与えられるはずだった。
しかし父、リーデルを三歳の時に失い、母親である聖女王が隣国ブリガンテの第二王子、レスティ・ゲール・ド・シュタルクと再婚して第二王子、ルイーネ・ファーロ・トゥ・オブリーオを出産したことで、その未来は大きく塗り替えられる。
大国ブリガンテを後ろ盾に持つレスティ王子は聖女王の夫となると、ロヴィーサ王宮に大量のブリガンテ貴族や役人を呼び寄せて実権をにぎった。
そして聖女王を言い含めて、カルモ王子ではなく自身の息子であるルイーネ王子を立太子させると、王子の二歳の誕生日を待ってロヴィーサ国王として『即位』させた。
当然、ロヴィーサ貴族はレスティ王子に反発し、その不満は聖女王にまでむけられる。
中でもロヴィーサの筆頭貴族だったドゥーカ公爵は、公爵邸に響き渡るほどの大声で聖女王を罵ったという。
彼にしてみれば、正体不明の田舎娘でありながら大事な跡取り息子を誘惑してロヴィーサと父親に盾つかせ、それでも正統な王女と判明すればこそ息子との仲を認め、貴族達を説得して女王位に就く手伝いまでしたのに、その息子が死んだ途端に次の夫を迎えて、公爵家の血を引くカルモ王子ではなくルイーネ王子の即位を認めてしまった聖女王は、恩知らずの裏切り者としか思えなかったろう。
公爵は孫であるカルモ王子をドゥーカ公爵領へさらい、ドゥーカ公爵領の独立を宣言。『ドゥーカ公国』を称し、七歳のカルモ王子を初代ドゥーカ大公位に就けて、弟の四歳になる孫娘と結婚させ、自身は摂政を名乗った。
この独立は当初、聖女王夫妻に反感を抱いていた多くの貴族の支持を集め、ドゥーカ公国は勢力を伸ばすかに思われた。しかしレスティ王子は自国から強力な軍と有能な指揮官達を招集、反乱はわずか五年で収められる。
元ドゥーカ公爵は王子誘拐と反逆の大罪により処刑され、公爵領にはブリガンテから派遣された役人が置かれて、カルモ王子は五年ぶりにロヴィーサ王宮に帰還した。
この五年の間、カルモ王子はどう思っていたか。
家族から自分を引き離した祖父を恨んだか。それとも自分が得るはずだった王位に執着し、母妃を恨んで祖父を頼っていたか。あるいはロヴィーサ貴族の窮状を知り、ロヴィーサの実権をとり戻す気でいたか。
結論からいうと、まず祖父であるドゥーカ公爵は嫌っていたようである。
ロヴィーサに限らず、一般に王族は離れて暮らすのが常識だ。王子王女は生まれるとすぐに乳母に預けられ、彼女らの乳で成長し、一人につき一棟が与えられて、乳母の子供や貴族の子女達と遊ぶ。親といえども国王や王妃と何日も顔を合せないのはよくあることで、兄弟姉妹で遊ぶことも珍しい。
カルモ王子もそのような育てられ方をしていれば、家族への愛情はすぐに失っていたかもしれない。
しかし聖女王は、一般的な王族の母親とは対極に位置する女性だった。
田舎で村娘として育った彼女は、母子を引き離す王族の育児法を否定、
「どうして、愛する我が子を自分で育てたらいけないの!?」「王族の伝統なんて知らない! 私は、私が正しいと思う育て方をするわ!!」
と宣言して、十三人の王子王女全員を手元で乳母達と育てた。
カルモ王子は誘拐されるまで母妃とルイーネ王子と三人、レスティ王子が用意した離宮で育ち、たっぷりと母親の愛情をうけて育った。そのため自分を母妃と離宮から引き離した祖父に対しては、恨みが募っていたらしい。
特にドゥーカ公爵は聖女王への怒りや恨みが募るあまり「カルモ殿下こそ正統なロヴィーサ国王です」と野心を煽る以上に、幼い王子にくりかえし母妃の悪口を吹き込み、それがますます王子の心を離れさせた。公爵が生きている間、玩具や美姫や財貨でどれほど機嫌をとろうと、王子が打ち解けることはけしてなかった…………と、当時のドゥーカ公爵邸に勤めた者達は口をそろえている。
ドゥーカ公爵領から助け出されたカルモ王子が、ロヴィーサ王宮で出迎えた聖女王に走って抱きつき、母子ともども人目をはばからずに抱き合って泣いた、という話からも、この二人が一般的な王族より強い絆で結ばれていたことがうかがえる。
カルモ王子は懐かしい離宮に戻り、誘拐されていた間に誕生した四人の弟妹ともすぐに打ち解けて、一緒に遊ぶようになった、と離宮勤めの乳母や侍女達は語っている。
カルモ王子の義理の父となったレスティ王子は、妻が別の男との間に産んだ息子に対し、思うところはなかったのか?
レスティ王子はそのことについて訊ねられると、相手がロヴィーサ人であれブリガンテ人であれ、常に
「血はつながっていなくても、カルモも愛する聖女が産んだ子供で、亡き親友の忘れ形見で、今となっては私自身の大事な息子だよ」
と答えていたらしい。
が、これを鵜呑みにするのはやや危険だろう。
何故なら彼は有能な野心家であり、計算高い王族だった。
聖女王が産んだ、自分の血を引かぬ第一王子であり、現実にロヴィーサ貴族に反逆の旗頭として担ぎ上げられたカルモ王子を、まったく邪魔に思わなかった…………とは考えにくい。
ふたたび同じように担ぎ上げられないためにも、暗殺の一つもしてしまいたい、というのが本音だったのではないか。
もし、聖女王が計算高く、保身のためなら息子も切り捨てるような人柄であったら、レスティ王子はさっさとカルモ王子を排除していただろう。
しかし聖女王は子供に対しては愛情深い母親であり、父親の違いによって子供を差別することはなかった。むしろ二人目の夫であるレスティ王子に
「カルモはあなたの子供ではないけれど、それで差別するようなことはしないでほしいの」
と頼んですらいた、と離宮の乳母や侍女達が感激とともに語っている。
レスティ王子自身、自分にロヴィーサ王国を与え、『聖女の血』という最高級の看板を背負った十二人の王子王女を与え、『聖女を娶った偉大なる王』の名声を与えた聖女王を目の中に入れても痛くないほど大切にした。
おそらくレスティ王子はカルモ王子を本心では邪魔に感じつつも、『聖女王の機嫌をとるための道具』と割りきっていたのではないか。
彼は自らドゥーカ公爵領に赴いてカルモ王子を助け出し、王子がロヴィーサ王宮内の離宮で母妃と暮らすことも認めた。
そうやって聖女王の愛と信頼を勝ちとり、ロヴィーサ貴族達に恩を売って彼らの不満をやわらげたのではないか。
二年後。三十四歳の聖女王は夫と共に九人の王子王女を連れて、ブリガンテへの帰国を果たす。聖女王は、
「とても懐かしいわ。村のみんなに会えるのが楽しみよ。レスティ様も『帰国したらすぐに行こう』って約束してくれたの。子供達にも早くあの村を見せてあげたいわ、本当にすてきな所なんだから」
と嬉しそうに語っていたという。
なおルイーネ王子に関しては、九歳といえどもすでにロヴィーサ国王位に就いていたため、国を出ることには家臣達が難色を示した。しかし、
「ルイーネはまだ九歳よ。まだまだ母親が必要だし、仕事ばかりなんてかわいそうだわ。私だって、ルイーネと離れたくないの!」
という聖女王の懇願をうけたレスティ王子の「見聞を広めることは将来の統治にも役立つだろう」という鶴の一言により、同行が決定した。
聖女王一家と十一年ぶりに帰国したブリガンテ王太子は、ブリガンテの民に花と歓呼で迎えられた。一家の乗る馬車がどの街を走っても通りには人があふれ、宿泊した市長や領主の館には人々と贈り物が集まったという。
ブリガンテ到着後、十日も待たずに十四歳のカルモ王子の婚約が発表される。
この婚約は出国前に決定しており、王子はこの時はじめて相手の姫と顔を合わせた。
なお、カルモ王子はドゥーカ公爵領にさらわれた際に、公爵の遠縁の姫と正式に結婚していたが、これは七歳と四歳という幼さを理由に離婚が認められている。この時の姫は王子が王宮に帰還したあと、新たな夫を得て平穏に暮らしたようだ。
カルモ王子はレスティ王子が選んだブリガンテの名門侯爵家の令嬢と二度目の結婚をし、やがて一男二女に恵まれて聖女王を喜ばせた。
そして四年後。十三歳になったルイーネ王子はとうとうロヴィーサに帰国し、新たにロヴィーサ筆頭貴族となった公爵の息女を王妃に迎える。
この縁組もレスティ王子の意向であり、ロヴィーサ貴族の娘をロヴィーサ王妃に迎えることで、貴族達の不満の軽減を図ったのだろう。彼はこのように、貴族達に不満をためさせながらも、けしてそれを爆発させることはなかった(例外はドゥーカ公爵のみ)。
ルイーネ王子は二男二女に恵まれたが、これ以降ロヴィーサを離れることはなく、母妃とも定期的な手紙や贈り物のやりとりのみで終わって、再会の機会はなかった。
ブリガンテに帰国して以降、聖女王は夫の用意した離宮で愛する子供達を育て、友人達と語り、祭りの時には育った村の村人達を呼び寄せて、自ら作ったごちそうをふるまった。
晴れた日には弁当を作って子供達とピクニックに行き、王子達とかけっこやボール遊びをする。王女達とは森で花を摘んでポプリを作り、夫や友人達に贈る。雪の降る日には肉たっぷりのシチューを作って火にかけ、暖炉のそばに子供達を集めて昔話を聞かせた。
王子王女達も本やままごとやチェスに夢中になっていても、母妃の焼いたケーキやクッキーの香りが離宮中にただよいはじめると、いっせいに食堂に走ってきたそうだ。
こうして育てられた王子王女は、一般的な貴族の子女より強い絆で結ばれたようだ。彼らはみな、十歳をすぎると縁談が持ちあがり、十五歳になるかならぬかでブリガンテを出たが、結婚後も良好な関係を保った兄弟姉妹は少なくない。
たとえば五女のミュゲ王女と六女のリラ王女は、ブリガンテの母妃のもとで暮らしていた頃からたいへん仲が良く、片時も離れないほどだったが、両者の愛情はミュゲ王女がユーク公国に、リラ王女がノルド王国に嫁いでも変わることはなく、二国間ではひんぱんな手紙と贈り物のやりとりがつづいた。
ミュゲ王女が嫁いだユーク公国は明るい日ざしと美しい港、そして多彩な花とみずみずしい果実くらいが自慢の南の小国だったが、ミュゲ公妃は南国の花々と果実をくりかえし妹に送り、寒い北の国に嫁いだ花好きの王妃を喜ばせる。王妃は夫から贈られた温室にこれらの花を集め、専用の庭師を雇って寒さから守った。
リラ王女が嫁いだノルド王国もこれといった特産物のない貧乏国だったが、王国の北に連なる山脈のふもとの土壌が白磁の材料に適していることが判明し、ノルド王直々の指揮で王家直営の白磁工房が設立されたところだった。
ノルド王は工房の絵付け職人達を妻の大事な温室に入れてくれるよう頼み、リラ王妃もこれを許可。職人達は直に本物の南国の果実や花々を観察して、それをモチーフにしたティーセットやディナーセットを焼きあげる。
これらはリラ王妃のお気に入りとなり、花々の礼としてユーク公国にも送られる。
するとミュゲ公妃も美しい食器セットを大変喜び、さらに花と果実を贈った。
食器セットは王妃や公妃のお茶会や食事会でお披露目され、貴婦人達の称賛と羨望の的となり、ブリガンテの両親にも贈られる。
ノルド王国は、国内ばかりかユーク公国や大国ブリガンテからも注文が殺到し、貧乏国だった王家が十二分に潤ったことは記憶に新しい。
ノルド王国の工房はノルド公の名をとってセーヴェル工房と名付けられたが、この工房で制作されたユーク公国の花や果実をモチーフにしたシリーズは、ノルド王妃からユーク公妃への感謝と変わらぬ愛情をあらわして『ミュゲ・シリーズ』と名付けられた。
かと思うと、第六王子と第七王子は離宮で暮らしていた頃は菓子の数一つ、試験の一点まではりあって日々、母妃の手を焼かせるほど仲が悪かったが、結婚後、第七王子の王国が飢饉にみまわれると、第六王子は即座に自国から大量の麦とチーズを送った。そして第六王子が隣国の侵攻をうけて劣勢になると、第七王子は即座に援軍を出して兄の窮地を救った。
これらは兄弟姉妹の絆の深さが生み出した、幸運な例であろう。
一方で第三王子の結婚が決まった時、兄を慕う第四王女が反対して母妃をてこずらせるほど泣き喚き、王子の婚約者であった公爵令嬢とその父親に勝手に婚約破棄の手紙を送ってしまったことは、ほほ笑ましくも笑えないエピソードなので、一概に兄弟姉妹の仲が良いほうがいいとは断言できない(この婚約破棄の件は差出人が七歳の子供だったため、国王も公爵も笑って『無効』を宣言した)。
そのように、母妃に直に育てられて離宮を巣立って行った王子王女達だったが、唯一カルモ王子は母妃のもとに残った。
ロヴィーサ女王とロヴィーサ貴族の間に生まれ、ロヴィーサ貴族達の旗頭として担ぎ上げられた過去を持つ彼は、ふたたび旗頭とならぬよう、ブリガンテに連れて来られてブリガンテ貴族の妻をあてがわれ、生涯ロヴィーサへの帰国を許されなかった。
カルモ王子がロヴィーサに戻ったのは、ただ一度。
十五歳になった長男が父親からドゥーカ公爵位を継ぐため、共にロヴィーサ王宮に戻り、ロヴィーサ国王と実質的に公爵領を治めていたブリガンテ役人に見守られて、公爵位や財産の相続の証明書にサインした時だけである。
新たなドゥーカ公爵はブリガンテ人の妻をともなって公爵領へ向かい、カルモ王子は一人、ブリガンテに戻った。
この際、王子が聖女王から預かったという手紙を受けとるため、私はドゥーカ公爵領に赴き、王子との面会を許され、しばし話す機会を得た。
王子とは他愛ない近況を報告しあったが一度だけ、監視役の従者が離れた隙に「ロヴィーサに留まるおつもりはないのですか」と訊ねてみた。
カルモ王子は、
「ブリガンテでの暮らしに慣れすぎてね。今さら戻っても、どうすればいいかわからないよ」
と答えられた。
「それに私が戻れば、いらぬ争いの芽となるだろう」
とも。
従者が戻って来たため、二人きりの会話はそこで終了し、私は手紙を受けとって公爵邸を出た。
ロヴィーサの第一王子、カルモ・ダンジェ・トゥ・オブリーオは、人生の大半をブリガンテ王宮の離宮で、母妃と共に弟妹の世話をしながら過ごした。
弟妹がブリガンテを離れたあとは自身の子供達を育て、離宮にはブリガンテ王太子となった第三王子とその子供達もよく訪れて、にぎやかな日々だったという。
二国間の政治にふりまわされ、居場所をさだめられて、わずかな期間をのぞいては生涯の大半を異国で、母妃と義理の父王と過ごしたカルモ王子。
数奇な運命をたどり、実の母妃によって王位を奪われた悲劇の王子と語られることも少なくない彼はしかし、王族ゆえの特権も享受している。
レスティ王子はカルモ王子が昆虫好きと知ると、まだ十二歳だった彼のためにロヴィーサの大学教授を呼び寄せ、王子が植物へ関心を移すと、ブリガンテの大学から植物学や薬草学の教授達を呼び寄せて、カルモ王子一人のために授業をさせた。
カルモ王子は常に最新の図鑑を与えられ、外国の貴重な本も父王や義父から贈られ、紙もインクも灯りもふんだんに用意されて、子供達が巣立ったあとは、監視付きではあったが大学に赴いて生徒達と共に授業をうけることも許され、勉強や研究で不自由することはなかった。
大学の教授や生徒達は王子の知識の深さに驚き、王子も彼らとの授業は人生でも指折りに楽しい時間だと、周囲に語っていたようだ。
また、カルモ王子の妻は貴族の令嬢のたしなみとしてスケッチを習っていたが、その腕前は『たしなみ』を余裕で越えるもので、王子が大学の研究者達と編纂した植物図鑑の絵は、その三分の一が彼の妻の手によるものである。
父親の侯爵は娘が図鑑作りという男の仕事に加わることに反対したし、聖女王も、
「素人が参加しても、大事なお仕事の邪魔になるだけでしょう? 身分や立場を利用して割り込むなんて、恥ずかしいわ。実力があるのに身分のせいで採用されない人達に譲るべきだと思うの」
と二人きりの時にやんわり注意した、と聖女王からの手紙には記されている。
だが夫であるカルモ王子は妻のスケッチの才能を高く評価して強く勧め、妻も最初は恥ずかしがっていたものの、終盤になると自信をつけて寝る間も惜しんで描いたという。
このような話を聞く限り、夫妻の仲は必ずしも険悪なものではなかったことがうかがえる。
ちなみにこの妻は名門貴族の令嬢として深窓で、かつ一般的な育てられ方をした。そのため義母にあたる聖女王とは、行儀作法や子供達の教育に関して、しばしば対立していたことが彼女の手紙からうかがえる。
聖女王は子供や孫達の着る物食べる物、部屋の匂いや風通しまで気遣うような女性だったが唯一、教育については重視しなかった。
「王族だからって、こんなに小さい頃から勉強ばかりさせるのはかわいそうだわ。子供は外で元気に遊ぶのが仕事よ。勉強や作法はあとからで充分よ。この件に関しては私、レスティ様にもカルモの奥様にも言いたいことが山ほどあるの」
それが聖女王の考えだったらしい。
彼女の夫であるブリガンテ王太子は、自身の王子王女の教育には人一倍、気を遣った。子供達が幼い頃から行儀作法の教師をつけ、四、五歳から文字を教えはじめた。
しかし聖女王は生涯、勉強や学問の重要性には無頓着な人物だった。
彼女は風光明媚な田舎の村でのびのびと育ち、それで不自由を感じることはなく、女王位に就いたあとは一時的に行儀作法や政治に関する家庭教師がついたものの、すぐに第一王子を身ごもって十三人もの王子王女を産み、その世話に明け暮れたのだから、勉強の時間などなかったことは想像にかたくない。
聖女王は六十六歳で人生を閉じたが、できたのは聖本を読み、手紙を書き、小銭の計算をして家計簿をつける程度だった(それでも田舎の村娘としては上等だが)。
貴族の令嬢が当たり前に習う行儀作法、正書法、古語や外国語、詩の朗読といったものは最後まで身につかず、絵画やスケッチも観るだけ、楽器の演奏にも興味はなかったようだ。彼女にとって音楽は聴くものであり、それも
「堅苦しい王宮の音楽より、子供達の伴奏で歌うほうが楽しいわ」
と言って、王宮の音楽会にもあまり出席しなかった。
一方で刺繍とレース編みは多少できるようになったらしく、子供や孫達に
「それぞれの名前を刺繍したレースのハンカチを贈った」
と手紙にはある。
そしてダンスは村にいた頃から大の得意で、彼女と数回踊った経験のある私も、この点に関しては彼女の右に並ぶ者はほとんどいなかった、と断言できる。
あのロヴィーサ王宮の舞踏会で、聖女王はまさしく羽根のように軽やかに、花のように華麗に踊り、招待客達の感嘆の視線と称賛の言葉を独占した。
そのため聖女王は、ロヴィーサでもブリガンテでも舞踏会だけは定期的に出席していたようだ。手紙には、
「相変わらず私が出席すると、踊ってほしい人達が列を作るの。大変だけど、みんなと踊っているわ。だって、お願いされたんだし、こうやって大勢の人達と仲良くするのも、女王の務めでしょう? もちろん、最初と最後は絶対に夫よ」
という言葉が記されている。
ロヴィーサ貴族は、ロヴィーサ貴族の血を引く第一王子が自分達からとりあげられたことを嘆いた。
しかし話に聞いた限りでは、それはロヴィーサにとって必ずしも不幸ではなかったのではないかと思われる。
カルモ王子はドゥーカ公爵に誘拐されていた間、「幼くとも大公位を得たのだから」とブリガンテについてロヴィーサ視点から学んでおり、これらの知識は少なからず王子の思考に影響を及ぼしたと思われる。
だがカルモ王子は基本的に穏やかな人物だった。少なくとも彼の祖父の父、クレージュ王のように自ら戦場に出てほしい物を奪いに行くような、覇気に溢れた人柄ではなかった。
彼の母妃が蜂起した十六歳の時に持っていた、
「虐げられている人々を救うため、私は戦うわ!」
という意思すら感じられなかった。
そういった人物が自身の意思と無関係に大勢の上に旗頭として立つことは、本人にも周囲にも良いことではなかったのではないだろうか。
ブリガンテの属国と成り下がり、ロヴィーサ貴族達はそれぞれの立場から
「あの時、アウラ女王を選んでいれば、今頃はもう少しマシだったろうに」
と嘆いている。
しかし聖女王やカルモ王子の気質を考慮すると、事態はむしろ収まるべきところに収まったのかもしれない。
――――ソヴァール・ラ・エーデルの手記より抜粋――――
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