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結論から述べると、ニュースで報じられていたのは妹尾夫妻、美優の両親だった。
『明日、一番に来る』と言っていた夫妻だが、二年ぶりに娘と連絡がとれたことで、居ても立ってもいられなかったのだろう。夕食を終えると家を飛び出して高速に乗り、居眠り運転のトラックと激突したのだ。
即死だった。
花織がどうにか警察と連絡をとって美優と駆けつけた時には、すでに霊安室に移されていた。
「嘘…………どうして…………」
失神しそうな顔色で、美優はふるえながら母親の顔に触れる。
指先に冷たい感触が伝わり、『生きていないのだ』と実感して、膝から崩れ落ちた。
「どうして…………お母さん、お父さん…………やっと会えると思ったのに…………!!」
悲鳴のような泣き声が霊安室に響く。
花織も見ていられなかった。
恐ろしい夫から逃れ、二年ぶりに、ようやく家族が再会できる、その矢先に。
「お母さん、お父さん…………!」
美優は呼びつづける。
「戻して…………っ」
悲痛な呟きがしぼり出された。
「戻して…………あたしの命とひきかえでいいから、戻して――――!!」
チャラ、とチェーンの音がかすかに響いた。
昼休み。
花織がスマホをチェックすると、交際相手の大久保裕貴からメールが届いていた。
『今日か明日にでも会える?』
「試験中で忙しい」と言っていたのに、意外だ。
『いいよ』と返信すると、いつもとは違うカフェを待ち合わせ場所に指定された。
翌日の午後、指定されたカフェに赴くと、制服姿の見知らぬ少女が歩み寄ってくる。
「あの、すみません。大久保先生は来ません」
「え?」
「先生のスマホを使って、あたしがメールを送りました。大事な話があるんです。…………藤原、花織さん」
紺のブレザーに赤のストライプのリボンを胸につけた高校生らしき少女は、真剣な面持ちでそう言った。艶やかなストレートの黒髪が、さらさらと肩にかかっている。
二人用の席に向かい合って座り、ひとまずコーヒーを頼むと、少女は切り出してきた。
「この写真を見てください」
花織は言われるまま、彼女のスマホを受けとって画面をのぞき込む。
「大久保先生と…………先生が付き合っている女の子達の写真です」
画面に映っていたのは、恋人の裕貴が制服姿の少女達と抱き合う光景だった。親しげに肩や腰に手を回しているものもあれば、キスしているものさえある。
「大久保先生は三十歳だけれど、うちの学校では若いほうだしイケメンだし、優しくて授業もわかりやすいから、『大人っぽい』って憧れる女の子は多いんです。これは最近、撮った写真ですけれど、本当はもっといると思います。実は、あたしも告白されていて…………」
花織の頭から一気に血の気が引いていく。
見せられた写真は十枚。しかし写っている少女は三人もいた。
「信じられない…………高校生に手を出していたなんて…………」
ため息をついたが、心はすでに決まっていた。
一時間前まではたしかに存在していた愛情が、またたく間に塵となる。
自分でも驚くほど、花織はあっさりと裕貴への気持ちが冷めていた。
「教えてくれて、ありがとう。あやうく、とんでもない男と結婚するところだったわ」
「すみません、お節介で…………」
「お節介じゃないわ。知らないままだったら私、とんでもない男と結婚するところだったもの。本当にありがとう」
「いえ…………」
花織は自分のスマホをとり出す。
「この写真、私にも送ってもらえる? 万一、別れをごねられた時のために、証拠として持っておきたいの」
「それはもちろん」
少女はすんなり写メールを送ってくれる。
写真がちゃんと届いたのを確認すると、花織はメニューを差し出した。
「妹尾美優さん、だっけ? ケーキでも食事でも、好きな物を注文して。教えてくれたお礼にご馳走するわ」
「いえ、そんな。大丈夫です」
「遠慮しないで。あなたのおかげで、私の人生は助かったんだから」
花織は憂さ晴らしに大きなパフェを注文し、彼女の勢いに圧される形で美優と名乗った少女もチョコレートケーキを頼む。
やって来たケーキを、美優はゆっくり味わって食べた。
「甘い物は、あまり食べさせてもらえなかったから…………」
「ずいぶん大事そうに食べるのね」と問うた花織に、美優は、そう、ぽつりと答えた。
一ヶ月後、大久保裕貴は別の高校に異動する。
実家も県外に引越した。
「藤原、花織さん?」
本屋で花織は声をかけられた。ふりかえると、制服姿の少女が問題集を持って立っている。
「あなた…………妹尾美優さん、だっけ?」
一年ぶりだった。
花織は美優を誘って、近くのカフェに入る。
遠慮する美優にケーキセットを注文させ、自分も同じ物を注文すると、近況を報告しあった。
「あのあと、すぐに大久保先生は別の学校に行ってしまって…………ひょっとして、なにかしましたか?」
「まあね」
花織は肯定した。
「真面目な交際ならまだしも、複数の生徒に手を出すような男を放置しておけないもの。あなたからもらった写真をプリントアウトして、匿名で、あなたの学校の校長や教頭や学年主任に送ったの。ついでに裕貴の近所にも少し、女の子の顔をマジックで塗りつぶしたものを配っておいたわ」
「女の子達はがっかりしていたけれど…………先生がいろんな女の子と付き合っているって噂は前からあったから、察している子もいたみたいです。男子校に異動になったって聞きました」
「本当は教師を辞めさせたかったんだけれど。…………あんな手じゃ、そこが限界ね」
花織はため息を一つ、ついてコーヒーを飲んだ。
その指に光る物を、美優が目ざとく見つける。
「それ、エンゲージリングですか?」
「え? あ、うん。今の彼からね」
花織は恥じらう。美優は身を乗り出してきた。
「どんな人ですか?」
「バイク仲間。近江奏さんって言ってね。ツーリングをきっかけに知り合ったの」
「いい人ですか?」
「だと思うわ。大久保先生のように、いちいち反応が大げさな人じゃないし、甘い言葉もないけれど、落ち着いていて、見るべきところは見ている優しい人よ」
「良かった」
美優は本当に嬉しそうに笑った。
「妹尾さんは? 彼氏とかいないの?」
「いません。今は受験に集中したいので。…………当分、誰とも付き合いたくないんです」
「どこを受けるの?」
美優はなかなか偏差値の高い大学を挙げた。
「美優さんって頭がいいんだ」
ちょっと意外だった。どちらかと言うと「勉強よりオシャレ」のタイプに見えたのに。
「ちゃんと勉強して大学に行って、就職したいんです。たくさん親孝行したいから…………」
「十八歳で、もうそこまで考えているんだ」
花織は本気で感心した。
「両親には苦労をかけたから…………」
美優は少し、苦味を含んだ笑みをのぞかせた。
互いにケーキを食べ終えると、花織が一括で会計を済ませて店を出る。
「ごちそうさまでした」
美優が律儀に頭をさげた。
「気にしないで。妹尾さんには、私のほうが助けてもらったんだから」
「そんな…………」
「妹尾さんが裕貴のことを教えてくれなかったら、私は今頃、アイツと結婚して苦労していたかもしれないわ。本当にありがとう」
「いえ」と美優は首をふった。
「約束、でしたから」
「?」
花織は首をかしげたが、その言葉の意味は教えてもらえなかった。
信号が青に変わる。
「じゃあ、私はここで」
「はい。ありがとうございました」
花織は手をふり、横断歩道を渡っていく。
美優の行き先は別だ。
たぶんこの先、二人の道が交わることは、よほどの偶然がない限り、来ないのだろう。
「本当に、ありがとうございました――――」
去っていく花織の背中に、美優はもう一度、心から頭をさげた――――
『明日、一番に来る』と言っていた夫妻だが、二年ぶりに娘と連絡がとれたことで、居ても立ってもいられなかったのだろう。夕食を終えると家を飛び出して高速に乗り、居眠り運転のトラックと激突したのだ。
即死だった。
花織がどうにか警察と連絡をとって美優と駆けつけた時には、すでに霊安室に移されていた。
「嘘…………どうして…………」
失神しそうな顔色で、美優はふるえながら母親の顔に触れる。
指先に冷たい感触が伝わり、『生きていないのだ』と実感して、膝から崩れ落ちた。
「どうして…………お母さん、お父さん…………やっと会えると思ったのに…………!!」
悲鳴のような泣き声が霊安室に響く。
花織も見ていられなかった。
恐ろしい夫から逃れ、二年ぶりに、ようやく家族が再会できる、その矢先に。
「お母さん、お父さん…………!」
美優は呼びつづける。
「戻して…………っ」
悲痛な呟きがしぼり出された。
「戻して…………あたしの命とひきかえでいいから、戻して――――!!」
チャラ、とチェーンの音がかすかに響いた。
昼休み。
花織がスマホをチェックすると、交際相手の大久保裕貴からメールが届いていた。
『今日か明日にでも会える?』
「試験中で忙しい」と言っていたのに、意外だ。
『いいよ』と返信すると、いつもとは違うカフェを待ち合わせ場所に指定された。
翌日の午後、指定されたカフェに赴くと、制服姿の見知らぬ少女が歩み寄ってくる。
「あの、すみません。大久保先生は来ません」
「え?」
「先生のスマホを使って、あたしがメールを送りました。大事な話があるんです。…………藤原、花織さん」
紺のブレザーに赤のストライプのリボンを胸につけた高校生らしき少女は、真剣な面持ちでそう言った。艶やかなストレートの黒髪が、さらさらと肩にかかっている。
二人用の席に向かい合って座り、ひとまずコーヒーを頼むと、少女は切り出してきた。
「この写真を見てください」
花織は言われるまま、彼女のスマホを受けとって画面をのぞき込む。
「大久保先生と…………先生が付き合っている女の子達の写真です」
画面に映っていたのは、恋人の裕貴が制服姿の少女達と抱き合う光景だった。親しげに肩や腰に手を回しているものもあれば、キスしているものさえある。
「大久保先生は三十歳だけれど、うちの学校では若いほうだしイケメンだし、優しくて授業もわかりやすいから、『大人っぽい』って憧れる女の子は多いんです。これは最近、撮った写真ですけれど、本当はもっといると思います。実は、あたしも告白されていて…………」
花織の頭から一気に血の気が引いていく。
見せられた写真は十枚。しかし写っている少女は三人もいた。
「信じられない…………高校生に手を出していたなんて…………」
ため息をついたが、心はすでに決まっていた。
一時間前まではたしかに存在していた愛情が、またたく間に塵となる。
自分でも驚くほど、花織はあっさりと裕貴への気持ちが冷めていた。
「教えてくれて、ありがとう。あやうく、とんでもない男と結婚するところだったわ」
「すみません、お節介で…………」
「お節介じゃないわ。知らないままだったら私、とんでもない男と結婚するところだったもの。本当にありがとう」
「いえ…………」
花織は自分のスマホをとり出す。
「この写真、私にも送ってもらえる? 万一、別れをごねられた時のために、証拠として持っておきたいの」
「それはもちろん」
少女はすんなり写メールを送ってくれる。
写真がちゃんと届いたのを確認すると、花織はメニューを差し出した。
「妹尾美優さん、だっけ? ケーキでも食事でも、好きな物を注文して。教えてくれたお礼にご馳走するわ」
「いえ、そんな。大丈夫です」
「遠慮しないで。あなたのおかげで、私の人生は助かったんだから」
花織は憂さ晴らしに大きなパフェを注文し、彼女の勢いに圧される形で美優と名乗った少女もチョコレートケーキを頼む。
やって来たケーキを、美優はゆっくり味わって食べた。
「甘い物は、あまり食べさせてもらえなかったから…………」
「ずいぶん大事そうに食べるのね」と問うた花織に、美優は、そう、ぽつりと答えた。
一ヶ月後、大久保裕貴は別の高校に異動する。
実家も県外に引越した。
「藤原、花織さん?」
本屋で花織は声をかけられた。ふりかえると、制服姿の少女が問題集を持って立っている。
「あなた…………妹尾美優さん、だっけ?」
一年ぶりだった。
花織は美優を誘って、近くのカフェに入る。
遠慮する美優にケーキセットを注文させ、自分も同じ物を注文すると、近況を報告しあった。
「あのあと、すぐに大久保先生は別の学校に行ってしまって…………ひょっとして、なにかしましたか?」
「まあね」
花織は肯定した。
「真面目な交際ならまだしも、複数の生徒に手を出すような男を放置しておけないもの。あなたからもらった写真をプリントアウトして、匿名で、あなたの学校の校長や教頭や学年主任に送ったの。ついでに裕貴の近所にも少し、女の子の顔をマジックで塗りつぶしたものを配っておいたわ」
「女の子達はがっかりしていたけれど…………先生がいろんな女の子と付き合っているって噂は前からあったから、察している子もいたみたいです。男子校に異動になったって聞きました」
「本当は教師を辞めさせたかったんだけれど。…………あんな手じゃ、そこが限界ね」
花織はため息を一つ、ついてコーヒーを飲んだ。
その指に光る物を、美優が目ざとく見つける。
「それ、エンゲージリングですか?」
「え? あ、うん。今の彼からね」
花織は恥じらう。美優は身を乗り出してきた。
「どんな人ですか?」
「バイク仲間。近江奏さんって言ってね。ツーリングをきっかけに知り合ったの」
「いい人ですか?」
「だと思うわ。大久保先生のように、いちいち反応が大げさな人じゃないし、甘い言葉もないけれど、落ち着いていて、見るべきところは見ている優しい人よ」
「良かった」
美優は本当に嬉しそうに笑った。
「妹尾さんは? 彼氏とかいないの?」
「いません。今は受験に集中したいので。…………当分、誰とも付き合いたくないんです」
「どこを受けるの?」
美優はなかなか偏差値の高い大学を挙げた。
「美優さんって頭がいいんだ」
ちょっと意外だった。どちらかと言うと「勉強よりオシャレ」のタイプに見えたのに。
「ちゃんと勉強して大学に行って、就職したいんです。たくさん親孝行したいから…………」
「十八歳で、もうそこまで考えているんだ」
花織は本気で感心した。
「両親には苦労をかけたから…………」
美優は少し、苦味を含んだ笑みをのぞかせた。
互いにケーキを食べ終えると、花織が一括で会計を済ませて店を出る。
「ごちそうさまでした」
美優が律儀に頭をさげた。
「気にしないで。妹尾さんには、私のほうが助けてもらったんだから」
「そんな…………」
「妹尾さんが裕貴のことを教えてくれなかったら、私は今頃、アイツと結婚して苦労していたかもしれないわ。本当にありがとう」
「いえ」と美優は首をふった。
「約束、でしたから」
「?」
花織は首をかしげたが、その言葉の意味は教えてもらえなかった。
信号が青に変わる。
「じゃあ、私はここで」
「はい。ありがとうございました」
花織は手をふり、横断歩道を渡っていく。
美優の行き先は別だ。
たぶんこの先、二人の道が交わることは、よほどの偶然がない限り、来ないのだろう。
「本当に、ありがとうございました――――」
去っていく花織の背中に、美優はもう一度、心から頭をさげた――――
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