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「工藤さん。水瀬さんが宝くじで高額当選していたって、本当ですか?」
どこから漏れたのか、会社で複数の女子社員達から工藤謙人は訊ねられた。
「ああ、本当だよ」
「それって、工藤さんは相続できるんですか? 離婚したんでしょ?」
「いや。亡くなった時点で離婚届が受理されていなかったから、配偶者として相続の権利があるんだ」
「えー…………ひょっとして工藤さん、相続するんですか?」
女子達の表情が変化する。その変化の意味を謙人は察しない。
「法的に認められた当然の権利と言われればね。拒否するのも変だし。死んだ透子が遺してくれた、最後の贈り物だと思うんだ。ありがたく大事に使わせてもらおうと思っている」
殊勝と謙虚と言い話風を限界までよそおって、謙人は鞄を持って机を離れた。部長に挨拶して、鼻歌交じりに課を出て行く。
その背後で。
「聞いた? 今の」
「信じられない。水瀬さんをあんな捨て方しておいて、遺産はしっかりもらうつもりなんだ、最っ低」
謙人と透子は社内結婚で、同僚のほとんどが式に招待されていたため、結婚式の顛末は社内中に知れ渡っている。ただでさえ「何年も付き合っていた女性を結婚式で捨てて、若い女と逃げた」と謙人の評価は散々だったところに、先ほどの台詞がとどめとなった。
「水瀬さんって、お母さんと甥御さんが病気じゃなかった? 高額の治療費がかかるって」
「聞いた、聞いた。水瀬さん…………きっと、遺産はお母さん達のために使いたかったよね。よりにもよって、工藤さんが相続するなんて…………」
「子供のいない夫婦だと親が三分の一、配偶者は三分の二も相続できるんだって。結婚式で逃げられたうえ、三分の二も持っていかれるなんて、水瀬さん、かわいそすぎない? 工藤さんのほうこそ、水瀬さんに慰謝料を払う立場でしょ」
「だいたい工藤さんだって、水瀬さんの家族の病気のことを知ってるのよね? よく平然と『権利だからもらう』なんて言えるわよね、普通辞退しない? 頭おかしいんじゃないの?」
そんな会話がかわされているとも露知らず、謙人は悠々と会社のエントランスを出る。
数ヶ月後、謙人は都内にマンションを購入し、愛美とも正式に結婚した。
式は新妻の希望でヨーロッパの古城を借り、式後はそのままハネムーンとしてヨーロッパをまわる。
この頃には会社も辞めており、帰国後の仕事を思い煩う必要もなかった。
三十四歳の若さで億単位の貯金ができたのだ。今後はそれを元手に株や投資、FXなどで稼いで、不労所得で生活すればいい。
愛美も順調だった。
「結婚しても、芸能界は辞めたくないな。今は結婚してる女性タレントなんて普通だし、あたしもそこを目指してるし。ここで辞めたら、今までの努力が無駄になっちゃうもん」
そうはりきっていた愛美は帰国後、大きなCMの話が持ちあがった。
「事務所から『急だけど大手のCMの最終選考に入った』って! 同じ事務所の別の子に決まりかけてたけど、『永井さんも候補に』って連絡が来たんだって!!」
「すごいじゃないか、愛美! 一気に有名人だ!!」
若く美しく知名度の高い妻も得て。工藤謙人は自分が勝ち組になったことを疑わなかった。
そして、気楽な日々を半年間ほど楽しんだ、ある日。
両親が謙人の貯金を勝手におろしていたことが判明する。自宅のリフォーム代に使ったのだ。
「だって、ずっと同居しようって言っているのに、愛美さんが承知してくれないから。私達がこの家に住みつづけるなら、バリアフリー化が必要でしょう? 遺産はたくさんあるんだし、少しくらい、いいじゃないの」
それが両親の主張だった。
気づいたのは愛美だ。
「最近、お義母さん達がアポなしで来ることが多くて。合鍵で勝手に入って、あちこちさがしてたの。それで通帳を確認したら、残高がうんと減っていて…………」
さらに不快な事実が明らかになる。
「お義母さん、ひどいの。あたしがお金のことを言ったら、逆ギレして。『こんなことなら、前の嫁のほうが良かった。透子さんなら、自分から私達にお金を分けていたはずよ。どうして謙人は、あんな親孝行ないいお嬢さんを捨てて、あなたみたいな人の夫を寝取るクズ女と結婚したのかしら』って…………あたしは本気で謙人を愛しただけなのに…………あたし、実のお母さんに勘当されて、謙人のお義母さんだけがホントの母親だと思っていたのに…………っ」
ぽろぽろ涙をこぼす新妻の姿に、謙人は怒りに任せて実家に電話する。
「俺は愛美を愛しているんだ! 愛美を傷つけるなら、親でも許さない!! 反省するまで、しばらく顔を出すな!!」
そう怒鳴りつけ、通話を切った。
「謙人ってばサイコー、めちゃくちゃ恰好いいっ! やっぱり謙人はあたしの王子様だわ!」
愛美は若い体をすりよせ、歓喜する。
だが本当に貯金を使い込んでいたのは、愛美だった。
愛美は謙人が隠していた通帳やハンコを探しだし、中身をすべて自分名義の口座に移していた。謙人は貯金用の口座と、投資などに用いるネットバンクの口座を分けており、普段はネットバンクの口座しかチェックしていなかったため、発見が遅れたのだ。
実家のリフォーム代も、両親が勝手に通帳から抜いたのは事実だが、愛美が移した金額に比べれば微々たるものだった。
愛美は両親が盗んだように見せかけて、自分の罪を糊塗していたのだ。
そしてこれらの事実が明らかになった時、愛美はすでに姿を消していた。
「芸能界で成功したい」と言っていた愛美は、実際にはとうに事務所をクビになっていた。
大きなCMの候補に挙がったのもつかの間、結婚式から新郎と逃げた事実が明らかになり「略奪婚をするような人材はいらない。事務所の信用にかかわる」と追い出されていたのだ。
だが愛美はその事実を夫に告げなかった。
告げずに「レッスンに行ってくるね」と毎日出歩き、謙人の金で服だの靴だのブランド品を買いあさっては、有名店での食事だの買い物だの高級エステだのの写真を連日ネットに投稿して、インフルエンサーをきどっていたのだ。
そして謙人に「ただの友達よ」と伝えていた『モデル仲間』達に「もっといいお仕事をもらえるよう、力になりたいの。友達だもん」「あたしは事務所をクビになっちゃったから、せめてタクやヒロトには成功してほしいの」と、つぎつぎ高価な服や靴を買い与えては、ちゃっかり自分のブ○グや○ンスタで彼らとの『匂わせ』投稿をつづけていたのだ。
謙人との離婚届も、失踪前に役所に提出されていた。
愛美に散々飲まされ、前後不覚になった謙人が自分でサインしていたのだ。
事態のすべてを理解した謙人は激怒し、愛美を追おうとした。が、手がかりはない。
愛美の実母は娘を勘当して、娘が離婚したことも知らなかったし、どうにか話を聞くことができた愛美の事務所仲間や大学の友人達も「たぶん、ヒロかタクトあたりの所じゃないですか?」と、確実なことはなにも知らないようだった。
謙人は頭を切り替え、ひとまず金銭の工面に集中することに決める。
謙人に残された金額は、投資用にネットバンクに保管していた約五千万円のみ。大金ではあるが二億円とは比べものにならないし、まして今後一生遊んで暮らせる金額ではない。
可及的速やかにこれを増やす必要があった。
謙人は住んでいた都内のマンションを売って実家に戻り、ネットに没頭した。朝から晩までモニターにへばりついて市場の動向をチェックし、購入した銘柄の動きに一喜一憂する。
そして半年がすぎる頃。
人に勧められて購入した銘柄が、立てつづけに大暴落。
貯金を二百万円以下にまで減らした謙人は、実家で再就職先を探しはじめたのである。
どこから漏れたのか、会社で複数の女子社員達から工藤謙人は訊ねられた。
「ああ、本当だよ」
「それって、工藤さんは相続できるんですか? 離婚したんでしょ?」
「いや。亡くなった時点で離婚届が受理されていなかったから、配偶者として相続の権利があるんだ」
「えー…………ひょっとして工藤さん、相続するんですか?」
女子達の表情が変化する。その変化の意味を謙人は察しない。
「法的に認められた当然の権利と言われればね。拒否するのも変だし。死んだ透子が遺してくれた、最後の贈り物だと思うんだ。ありがたく大事に使わせてもらおうと思っている」
殊勝と謙虚と言い話風を限界までよそおって、謙人は鞄を持って机を離れた。部長に挨拶して、鼻歌交じりに課を出て行く。
その背後で。
「聞いた? 今の」
「信じられない。水瀬さんをあんな捨て方しておいて、遺産はしっかりもらうつもりなんだ、最っ低」
謙人と透子は社内結婚で、同僚のほとんどが式に招待されていたため、結婚式の顛末は社内中に知れ渡っている。ただでさえ「何年も付き合っていた女性を結婚式で捨てて、若い女と逃げた」と謙人の評価は散々だったところに、先ほどの台詞がとどめとなった。
「水瀬さんって、お母さんと甥御さんが病気じゃなかった? 高額の治療費がかかるって」
「聞いた、聞いた。水瀬さん…………きっと、遺産はお母さん達のために使いたかったよね。よりにもよって、工藤さんが相続するなんて…………」
「子供のいない夫婦だと親が三分の一、配偶者は三分の二も相続できるんだって。結婚式で逃げられたうえ、三分の二も持っていかれるなんて、水瀬さん、かわいそすぎない? 工藤さんのほうこそ、水瀬さんに慰謝料を払う立場でしょ」
「だいたい工藤さんだって、水瀬さんの家族の病気のことを知ってるのよね? よく平然と『権利だからもらう』なんて言えるわよね、普通辞退しない? 頭おかしいんじゃないの?」
そんな会話がかわされているとも露知らず、謙人は悠々と会社のエントランスを出る。
数ヶ月後、謙人は都内にマンションを購入し、愛美とも正式に結婚した。
式は新妻の希望でヨーロッパの古城を借り、式後はそのままハネムーンとしてヨーロッパをまわる。
この頃には会社も辞めており、帰国後の仕事を思い煩う必要もなかった。
三十四歳の若さで億単位の貯金ができたのだ。今後はそれを元手に株や投資、FXなどで稼いで、不労所得で生活すればいい。
愛美も順調だった。
「結婚しても、芸能界は辞めたくないな。今は結婚してる女性タレントなんて普通だし、あたしもそこを目指してるし。ここで辞めたら、今までの努力が無駄になっちゃうもん」
そうはりきっていた愛美は帰国後、大きなCMの話が持ちあがった。
「事務所から『急だけど大手のCMの最終選考に入った』って! 同じ事務所の別の子に決まりかけてたけど、『永井さんも候補に』って連絡が来たんだって!!」
「すごいじゃないか、愛美! 一気に有名人だ!!」
若く美しく知名度の高い妻も得て。工藤謙人は自分が勝ち組になったことを疑わなかった。
そして、気楽な日々を半年間ほど楽しんだ、ある日。
両親が謙人の貯金を勝手におろしていたことが判明する。自宅のリフォーム代に使ったのだ。
「だって、ずっと同居しようって言っているのに、愛美さんが承知してくれないから。私達がこの家に住みつづけるなら、バリアフリー化が必要でしょう? 遺産はたくさんあるんだし、少しくらい、いいじゃないの」
それが両親の主張だった。
気づいたのは愛美だ。
「最近、お義母さん達がアポなしで来ることが多くて。合鍵で勝手に入って、あちこちさがしてたの。それで通帳を確認したら、残高がうんと減っていて…………」
さらに不快な事実が明らかになる。
「お義母さん、ひどいの。あたしがお金のことを言ったら、逆ギレして。『こんなことなら、前の嫁のほうが良かった。透子さんなら、自分から私達にお金を分けていたはずよ。どうして謙人は、あんな親孝行ないいお嬢さんを捨てて、あなたみたいな人の夫を寝取るクズ女と結婚したのかしら』って…………あたしは本気で謙人を愛しただけなのに…………あたし、実のお母さんに勘当されて、謙人のお義母さんだけがホントの母親だと思っていたのに…………っ」
ぽろぽろ涙をこぼす新妻の姿に、謙人は怒りに任せて実家に電話する。
「俺は愛美を愛しているんだ! 愛美を傷つけるなら、親でも許さない!! 反省するまで、しばらく顔を出すな!!」
そう怒鳴りつけ、通話を切った。
「謙人ってばサイコー、めちゃくちゃ恰好いいっ! やっぱり謙人はあたしの王子様だわ!」
愛美は若い体をすりよせ、歓喜する。
だが本当に貯金を使い込んでいたのは、愛美だった。
愛美は謙人が隠していた通帳やハンコを探しだし、中身をすべて自分名義の口座に移していた。謙人は貯金用の口座と、投資などに用いるネットバンクの口座を分けており、普段はネットバンクの口座しかチェックしていなかったため、発見が遅れたのだ。
実家のリフォーム代も、両親が勝手に通帳から抜いたのは事実だが、愛美が移した金額に比べれば微々たるものだった。
愛美は両親が盗んだように見せかけて、自分の罪を糊塗していたのだ。
そしてこれらの事実が明らかになった時、愛美はすでに姿を消していた。
「芸能界で成功したい」と言っていた愛美は、実際にはとうに事務所をクビになっていた。
大きなCMの候補に挙がったのもつかの間、結婚式から新郎と逃げた事実が明らかになり「略奪婚をするような人材はいらない。事務所の信用にかかわる」と追い出されていたのだ。
だが愛美はその事実を夫に告げなかった。
告げずに「レッスンに行ってくるね」と毎日出歩き、謙人の金で服だの靴だのブランド品を買いあさっては、有名店での食事だの買い物だの高級エステだのの写真を連日ネットに投稿して、インフルエンサーをきどっていたのだ。
そして謙人に「ただの友達よ」と伝えていた『モデル仲間』達に「もっといいお仕事をもらえるよう、力になりたいの。友達だもん」「あたしは事務所をクビになっちゃったから、せめてタクやヒロトには成功してほしいの」と、つぎつぎ高価な服や靴を買い与えては、ちゃっかり自分のブ○グや○ンスタで彼らとの『匂わせ』投稿をつづけていたのだ。
謙人との離婚届も、失踪前に役所に提出されていた。
愛美に散々飲まされ、前後不覚になった謙人が自分でサインしていたのだ。
事態のすべてを理解した謙人は激怒し、愛美を追おうとした。が、手がかりはない。
愛美の実母は娘を勘当して、娘が離婚したことも知らなかったし、どうにか話を聞くことができた愛美の事務所仲間や大学の友人達も「たぶん、ヒロかタクトあたりの所じゃないですか?」と、確実なことはなにも知らないようだった。
謙人は頭を切り替え、ひとまず金銭の工面に集中することに決める。
謙人に残された金額は、投資用にネットバンクに保管していた約五千万円のみ。大金ではあるが二億円とは比べものにならないし、まして今後一生遊んで暮らせる金額ではない。
可及的速やかにこれを増やす必要があった。
謙人は住んでいた都内のマンションを売って実家に戻り、ネットに没頭した。朝から晩までモニターにへばりついて市場の動向をチェックし、購入した銘柄の動きに一喜一憂する。
そして半年がすぎる頃。
人に勧められて購入した銘柄が、立てつづけに大暴落。
貯金を二百万円以下にまで減らした謙人は、実家で再就職先を探しはじめたのである。
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