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 竹細工が並んでいる。竹といえば緑か茶色と思っていたが、並ぶとそれぞれ色合いが異なるのが見てわかる。
 紅霞は小型の杯を一つ、手にとった。
 編んだものではなく、竹を横に切って内部の空洞と節をそのまま利用した杯だ。表面には花と小鳥の浮き彫り。その小鳥がいかにも丸っこい愛らしい形で(これは透子が気に入りそうだな)と思ったのだ。
 幸い、価格はたいしたものではない。夕蓮なら輸入品としてもう少し値がはっただろうが、涼竹国と国境を接するこの街ではありふれた品らしく、一般家庭でも購入できる価格に設定されている。

「買うのか?」

「どうするかな…………この大きさなら持ち歩きにも差支えないし、一つあれば道中でも重宝しそうだが、ここで決めていいのか迷う」

 他の店にもっといいのがあるかもしれない、と紅霞は唸る。
 紅霞の手の中をのぞいた雲翔は首をかしげた。

「えらく可愛らしい絵柄だな。こういう趣味だったか?」

「いや。俺じゃない、透子にだ」

 さらに彼女が気に入りそうな絵柄を見つけてしまい、紅霞の迷いは深まる。
 実は、杯はちょっとしたご機嫌とりだった。
 昨夜、悪気はなかったとはいえ、紅霞は透子を怒らせてしまった。
 女神の分身を自称するすずさんから「紅霞を女も愛せるように変えられる」と言われた時。
 透子は「翠柳さんを愛しているのも、紅霞さんの大事な一部だから」「それがなくなったら、紅霞さんではなくなるかも」と却下してくれた。ああいう時、透子は本当に自分をあるがままに受け容れようとしてくれているのだと、紅霞はつくづく感じる。

(なのに「透子が男になったら、好みになりそうでいい」は、ちょっとまずかった…………)

「今の紅霞でいい」と透子は言ってくれたのに、自分は「別の透子がいい」と言ってしまったのだ。大げさな言い方をするなら、そういうことだ。透子が機嫌を損ねるのも当然だと思う。
 今朝起きた時にはもう普段どおりだったし、朝食の時も特に変わった様子はなかった。執筆のため、いつもの喫茶店まで送っていった時も「雲翔さんと喧嘩しないでくださいね」と、いつものように姉か母親のような台詞が出てきて、紅霞は胸をなでおろした。
 怒ってはいない、と思う。が、それはそれとして、なにか機嫌をとっておきたいというか、贈っておきたい。考えてみれば、紅霞は今までいろいろ透子に助けられているのに、礼の品一つ贈っていなかった。
 旅の途中なので荷物になるような大きな物、失くして困るような高価な物は贈れない。そこで普段使いできる小物類はどうだろう、と店をまわっていたのだが。

(透子が故郷に帰る時、土産の一つもあれば、戻っても思い出してもらえるかもしれないしな。…………だったら、もっと上等な品物を探せって話だが)

 眉間にしわを寄せて二つの杯を比較する友人の横顔に、雲翔はかねてからの疑問をぶつける。

「ずいぶん熱心だな。…………透子は、お前のなんなんだ?」

「ん?」

「えらく気を遣っている。とうてい『良い家の令嬢だから』だけとは思えん。お前、相手の家柄で気を遣うような男じゃないのは、《四姫神》の件ではっきりしているし。最近、知り合っただけなのに、懐きすぎだ」

「…………別にいいだろ」

「良くない。なんで、そんなに透子を大事にする」

お前雲翔には関係ない」

「ある。昔から翠柳一筋で、女は大嫌いだって言うから、それを信じてきたのに、今になって『女も好きだ』なんて、話が違うにもほどがある」

「…………っ」

 紅霞は隣に立つ雲翔を見た。
 雲翔は商品の棚に顔を向けているが、耳と意識は紅霞の返事に集中している。耳の端がほんのり赤い。
 うっとおしい友人だが、今は真剣に話しているのが伝わり、紅霞もまったく相手にしないのは罪悪感を覚えて、口を開いた。

「…………大事な――――家族みたいな存在だ。少なくとも、俺はそう思っている。透子は透子で故郷に家族がいるが、俺は透子をそういう風に感じている」

「家族」

「俺の、長年の悩みを解決してくれた。世間の考えがどうあれ、透子は俺を肯定してくれた。俺も翠柳も、そのままでいい、と言ってくれたんだ。…………そういうことを言ってくれた女は、覚えている限り透子が初めてだ。他の女は『間違っている』とか『女の良さを教えてあげる』くらいしか言わなかったのに」

 ある意味、母親以上に紅霞を受け容れてくれた存在。
 紅霞は透子をそういう風に認識しているし、だからこそ彼女を失いたくない。
 艶梅国を出ても涼竹国へ逃げても、男女比がかたより、世界がゆるやかに滅亡にむかっている現実はどの国も変わらない以上、涼竹国でも同性間の恋愛や結婚は天や法に認められないままだろう。
 そういう時、透子一人がいてくれれば、それだけで紅霞はとても安心できる。

(いっそ、どこか遠くで透子と二人、暮らしていければ…………)

 わずらわしくてつらいことの多い世間を離れ、二人だけでいられる場所で静かに暮らしていけたら。
 都合のいい願望とは思うが、伴侶を失い、強力な後ろ盾はないのに並外れた美貌ばかり持つ紅霞にとって、俗世間は生きやすい場所ではない。
 雲翔が大げさにため息をついて、その場にしゃがみ込んだ。
 長年の付き合いで、紅霞は彼が拗ねていると察する。

「なに怒ってんだ」

「怒りもするわ。俺だって、昔からお前の好みを丸ごと受け容れてきたつもりだし、なんなら好都合とまで思っていたのに、最近会ったばかりのやつが『初めてだ』なんて言われたら」

 むすっとした顔でぶーたれる。

「それは…………」

 幼なじみ二人の間に、しばし気まずい緊張感が流れた。
 紅霞は雲翔の言いたいことというか、本心を察する。
 ただそれは紅霞がずっと見ないふりをしてきたものだったし、雲翔もあえて触れないようにしてきたものではあった。

「…………」

 口を開こうとしたのは、どちらが先だったろう。

「ぢゅ゛ぅ゛う゛う゛ぅ゛――――ん゛ん゛っっ!!」

 スズメとは思えぬ切羽詰った声をあげ、すずさんが店に飛び込んできた。

「うぐっ!!」

 紅霞は肩に小さなくちばしの鋭い一撃をくらう。

「どうした!?」

「すずさん!? いてぇな、なんだいきなり!!」

「ぢゅ゛ん゛ん゛っっ!!」

 紅霞の怒声にまったくとりあわず、すずさんは、ばたばた激しく翼をはばたかせる。小さな羽毛がはらはら落ちて「散らかさないでください」「騒がないでください」と店員に怒られた。
 紅霞はすずさんをつかんで店を出、雲翔もそれにつづく。

「こ、紅霞…………っ」

 息を切らせて露月がやってきた。

「と、透子さんが…………」

「透子が!?」

 嫌な予感が紅霞の胸をよぎる。





 少し前。
 透子は最近、常連となった喫茶店で原稿用紙をひろげ、万年筆を動かしていた。
 昼前に露月が昼食に誘いに来たので、書き上げた分の原稿用紙を渡して読んでもらう。

「うん、いいですね。先が気になってきました」

「本当ですか?」

「最初に構想だけうかがった時は、ぴんとこなかったんですが。実際に原稿を読んでイメージがつかめてくると、楽しいです。女体化した『北方の黒梅』も魅力的ですね」

「良かった! そこが一番心配だったんです」

 透子は一気にやる気が増す。
 が、まずは昼食だ。
 うきうきと原稿用紙を片付け、代金を払って喫茶店を出る。店外にいたすずさんが、透子の肩へと飛んでくる。

「涼竹国からきた料理人がやっている店で、あちらの郷土料理と酒を楽しめるんです」

 露月が話す、これから行く店の紹介を透子は楽しく聞くが、一つ懸念がある。

「あの、露月さん。お店を紹介してくれるのは助かりますが、露月さんは大丈夫ですか? 毎日のように昼食や夕食をご一緒させていただいているけれど、ご家族とか、お仕事の都合に差し障りはありませんか?」

「気にしないでください。仕事はきちんと片づけていますし、貴重な息抜きとして、私も楽しんでいます」

 にっこり笑った露月はいかにも優等生っぽく、真相はどうあれ、傍目にはサボりとは無縁に見える。
 とはいえ、この街に着いてからそろそろ一週間。その間、毎日顔を合わせるのはさすがにどうかと思われた。

(でも私のほうから「もう来ないでください」というのも変だし。紅霞さんに相談して、それとなく伝えてもらったほうがいいかな?)

 顔に出さないよう悩んでいると、露月のほうから訊きかえされる。

「ひょっとして、ご迷惑でしたか? 紅霞と二人きりのほうが良かったとか?」

「え? いえ、そんな」

「小説を書く手伝いははじめてだし、私としては、とても楽しく過ごしているのですが。やはり邪魔者でしたかね?」

「そんな、とんでもない。露月さんのお話はいろいろ参考になって、楽しいです」

「良かった」

 互いに顔を見て笑い合うが、透子は内心で一気に緊張がせりあがる。

(紅霞さんの友達だし、この街に長居するつもりはなかったから気にしないでいたけれど…………ひょっとして露月さん…………)

 毎日顔を合わせる、その彼の行為が好意からきているものである可能性に、ようやく気づいて、透子は一気に気が重くなった。

(そうか…………女性が圧倒的に少ない世界だと、多少身元不明でも「チャンスだ」って思ってしまうのかも。それにこちらは一妻多夫が常識だから、親しげな男性がいても遠慮する理由にはならないんだ。なんなら既婚女性でも問題ないわけで)

 まして、その親しげな男性――――紅霞は女性に興味のない男性である。

(困った…………)

 今さらながら、露月と二人きりになってしまったことを、透子は悔いた(正確には肩にすずさんが乗っているが)。思い返せば、今日以外にも露月とは何度も喫茶店で二人きりで話したり、店まで案内されたりして、話もはずんでいた。
 彼が「悪くない手応え」と判断していても、当然なのかもしれない。
 だが透子は紅霞に惹かれていて、なにより一年半後には日本に帰る身である。

「あの。立ち入ったことをうかがいますが、透子さんはやはり紅霞が――――」

「あ!」

 半分わざと、透子は大きな声を出した。

「あれって、写真屋ですか?」

 透子が指さす先には小さ目の小屋があり、日本語でいうところの『写真』という看板が下げられている。

「あ、はい、そうですね。写真を撮影できる店です」

「ちょっとすみません」

 断り、透子はその店に駆け寄った。
 壁に白黒の写真がいくつも飾られ、道行く人が見られるようになっている。大半が家族写真だが、中には結婚記念や、子供の成長を祝った一葉と思しきものもある。
「わあ」と透子は声を明るくした。

「写真に興味があるんですか?」

「はい。一度、撮影したいんです」

 紅霞と二人、並んで撮りたい。それを二枚ほしい。
 それを一枚ずつ持てば、透子が日本に帰っても紅霞を思い出せるし、紅霞も透子を忘れずにいてくれるかもしれない。

「撮影って、一枚おいくらですか?」

「料金表がこっちにありますよ」

 露月が指した表を見ると、いくつかの金額が並んでいる。

「けっこう、いいお値段ですね…………」

「まあ、最新技術ですから」

 ためらう透子に、露月も苦笑いを見せる。

「でも、これでもずいぶん安くなりましたよ。私が子供の頃は、この倍はした記憶がありますから。その頃は写真なんて、大臣や豪商の娯楽でしたからね」

「うーん…………」

 透子は料金表をにらむ。
 安くはない。正直、日本の写真館のほうがずっと安価だ。
 だが、出せない金額ではない。今の透子は小説の印税があるし、焼き増し分はぐんと安い。無駄遣いは厳禁だが、この程度なら事情を話せば紅霞も承知してくれるのではないだろうか。

(いつ国境の封鎖が終わるか、わからないし。今夜にでも紅霞さんにお願いして、明日にでも一緒に撮影してもらえないかな。あ、でも服はどうしよう…………)

 せっかくの一生ものの記念撮影なのに、男装のままというのは味気ない。

「あ」

 透子が悩んでいると、今度は露月が声をあげた。

「そう言えば、予備がなくなっていたんだ。すみません、ちょっと待っていてもらえますか?」

 露月はそう断って、二軒先の店に足早に入って行った。文具店だろうか。
 透子はなおも写真屋の前に立ち、あれこれ思案していたのだが。

「あっ!!」

 突然、どん!! と腰のあたりへ大きな物に強くぶつかられ、声をあげた。あやうく店の壁に激突しかける。

「なに…………?」

 ふりかえると、透子の胸の下に小さな頭がある。子供だ。

「え…………」

 ひきとめる間もなく、子供は離れて走り去ってしまう。

「なんなの…………?」

 なんだか、わざとぶつかってきたような印象だったのだが。
 目をぱちくりさせる透子に、肩の上のすずさんが淡々と伝えた。

『盗まれたぞ』

「え?」

『財布だ。帯に下げていた物を、袋ごと奪われた』

「ええっ!?」

 透子は腰を見下ろした。
 帯に下げていた小さな布袋が消え、ぶら下げるための紐だけが残っている。
 その紐も途中からぷっつり切られて、ゆれていた。

『わざとぶつかってお前の注意をそらし、その隙に紐を切って、袋を盗んだ。手慣れている。常習だ』

「そんな…………!」

 あんな子供がそんな犯罪行為を、と驚いている場合ではない。
 あの財布には有り金の一部――――日本円換算で百万円以上を保管していた。それを丸ごと失っては、この先の道程に差し障りが生じる。

「待って!」

 道の先に、走り去る子供の背中が小さく見えた。
 透子はとっさに追いかけてしまう。
 彼女が写真屋の前を離れて十秒後に、露月が二軒先の店から戻ってきた。

「? 透子さん?」

 きょろきょろと周囲を見渡す。
 が、男装した小柄な姿は見当たらない。
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