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 宿の窓から夕月が見える。

「なんか、あっという間だったな。露月がこの街の出身なのは知ってたが、雲翔にまで会うとはなあ」

「私は、まだ夢を見ている気がします…………」

 こんな状況でも、友人と会って話せたことは楽しかったのだろう。まんざらでもない様子で紅霞が月を見あげる。透子はいまだに心臓が落ち着かなかった。
 雲翔や露月と一緒に昼食をとったあと。街の名士の子息である露月が宿を紹介してくれたおかげで、透子と紅霞は大きめの宿を少しお得な値段で借りることができた。
 部屋に荷物をおろし、窓を開けて、しばしゆったりと過ごす。

「私が…………『透湖』が、あんな風に言われていたなんて…………」

 なんでも『透湖』は『正体不明の期待の大型新人』ということになっているらしい。

「一作目があれだけ売れたんだ。普通なら、あちこちの雑誌や新聞に本人への取材インタビュー記事が載るものなのに、どこにも何もない。巷じゃ『名を明かせないほど名門の人間だ』『いや、牢の中の凶悪犯だ』と、興味津々だよ」

 そう言って露月は笑っていた。
 はあ、と透子は息を吐く。

「こんな大事になっていたなんて…………我ながら恐ろしいです」

 透子はあくまで、日本のネット小説を参考に執筆しただけなのに。

「透子の実力だろ? 堂々としていればいい」

「気楽に言ってくれるんですから…………」

「おかげで、あの雲翔バカの馬鹿な誤解も解けたしな。俺は助かった」

 透子が『透湖』と判明し、露月も雲翔も「そうか、印税で返済したのか」と、すんなり納得したのだ。「めちゃくちゃ売れているからな」と。

「紅霞さん…………雲翔さんが嫌いなんですか? 露月さんはともかく、雲翔さんのことは扱いが雑ですよね?」

「嫌いっつーか、子供ガキみたいな絡み方してくるから、うっとおしい」

(それは…………)

 昼間、見た光景を思い返し、透子の脳裏に一つの推測がよぎるが口には出さない。

「そろそろ寝ようぜ。明日は封鎖が解けるといいんだが」

 紅霞が言った。
 この世界は日本ほど安価な照明が普及していない。ろうそくは庶民にも浸透しているが、そこそこの値段なので、用がなければ日没後はさっさと寝るのが普通だ。宿でも灯りは有料となっている。
 昨日よりきれいな衝立をはさんで、透子と紅霞はそれぞれの寝台に横になった。
 すずさんは透子の枕元に置かれた、手ぬぐいを丸めた巣で寝るのが定位置だ。

「おやすみなさい」

 そう言って灯りを吹き消し、互いに眠りについた…………はずだったが。

(…………寒い)

 深夜。急速に冷えだして、透子は目が覚めた。足をこすり合わせる。
 季節は冬。昼間はそこまでではなかったが、夜になったら冷え込みがきつい。

(有料の火鉢を借りたのに…………)

 昨日より広い部屋が仇になった。広い分、透子と紅霞の寝台の距離が離れており、間に小さな火鉢一つを置いただけでは温めきれない。

(もう一つ借りたいけど…………この時間だと、宿の人達も寝ているだろうし)

 夜勤の受付がいればいいが、期待はできない。

(火鉢をもっと近づける? でも、それだと紅霞さんが寒くなるし)

 冷気がどんどん足もとから這いあがってくる。
 困った透子は、駄目もとで手ぬぐいの巣をかるくゆらした。スズメを起こし、ぴょこぴょこ動く小さな頭にささやく。

「すずさん、起こしてすみません。ちょっと寒いんです。すずさんの女神の力で、どうにかなりませんか?
この際、すずさんが巨大化して羽毛で温めてくれるのでもかまいません」

『知らん』

 即答だった。さすがに透子も言わずにおれない。

「もうちょっと考えてくれませんか?
だいたい、すずさん、昼間はずっと私の肩か袖の中にいて歩かないし、ご飯は私がわけているし、こんな時季ですから羽毛をわけてくれるくらい、いいと思いませんか? 私は《仮枝》ですよね? もっと体調に気を遣ってくれても――――」

「断られたのか? 透子」

 予期せず声をかけられ、透子はかるく心臓が跳ねた。

「紅霞さん。すみません、うるさかったですか?」

「いや。俺も寒くて起きた。どうしようかと考えてたら、透子の声が聞こえたんだ。すずさんは駄目だったか」

「はい。『知らん』だそうです」

「マジで使えないな…………というか、使えないのを『知らん』でごまかしてるんじゃないか?」

 衝立の向こうからの呆れた声に対し、小鳥から強烈な殺気が放たれるのを透子は感知する。

「あ、あの、紅霞さん」

「――――こっち来るか?」

「あまり、すずさんを怒らせないで――――え?」

「一緒に寝るか? せまいけど、一人で寝るよりは温かいだろ。透子の服を持ってこいよ」

「!?」

 透子は絶句した。一時的に思考がショートする。

(え? え? 一緒に、って…………一緒に!?)

 衝立をはさんで、しばし沈黙が室内を満たす。

「いや、別に嫌なら無理とは言わないけどよ」

「あ、いえ、嫌というわけでは――――…………」

 鼓動が勝手に速まる。が、はたと気づいた。

(そうだ。紅霞さんは翠柳さん――――同性が好きな男性だし。女の私は対象外なんだから…………一緒に寝ても安心では?)

 落ち着いた。
 すると一時忘れていた寒さが戻ってきて、身震いする。

「じゃあ…………お言葉に甘えていいですか?」

「おう」

 透子はおずおずと寝台を降り、枕と服を抱えて衝立の向こうに移動した。
 紅霞は火鉢を自分の寝台のほうへ移動させ、横向きに寝て寝台の壁際に寄り、透子の場所をあけてくれる。

「おじゃまします…………」

 なんと言えばいいかわからず、そんな台詞が出てきた。
 ちなみにすずさんは、自分が透子を温めることは拒否したくせに、透子が移動すると当然のようについてきて、横になった透子の枕元にちょこんと陣取った。

「大丈夫か? 落ちないか?」

「平気です」

 透子は衣装をかけた。
 こちらでは日本のような布団一式は高級品で、庶民は薄い敷布団か、藁を編んだ茣蓙ござやむしろの上に寝る。掛布団は富裕層の持ち物で、庶民は服を脱いでかけるのだ。
 互いの体温と、そばに寄せた火鉢。
 さっきよりぐんと温かくなったが、火のせいばかりとも思えない。
 透子も横向きに寝ているため、紅霞の鎖骨がすぐ目の前にあった。

「じゃあ、おやすみなさい、紅霞さん」

「おやすみ」

「…………」

「…………」

 沈黙が流れる。気まずいような居心地悪いような、それでいて温かくてくすぐったいような。

(ね、寝よう!)

 透子は思った。

(眠気よ、さっさと来て! というか紅霞さん、さっさと寝てください! いっそ、すずさんが何かしゃべるのでもかまわないから!!)

 ああああ、と脳内に悲鳴がこだまする。と。

「なあ」

 とうとつに呼びかけられ、透子は心臓が口から飛び出しそうになった。

「は、はい!?」

「透子の家族って、どんなだ?」

「私の家族、ですか?」

 透子は視線を紅霞の顔に移動させる。

「あまり聞いたことない気がして。どういう人達なんだ?」

「そうですね…………」

 透子は思いつくままにしゃべりはじめる。

「うちは、私の国では、ごく一般的な家庭だと思います。特別お金持ちでも偉くもない、庶民ですね。両親と姉が一人の、四人家族です」

「それだけか?」

「はい。私の国では男女がほぼ同数ですから。一人の女性が複数の男性と結婚することはありませんし、国からのお金を目当てに、女の子が生まれるまで何度も出産を、ということもありません」

「そうか。そうだな、同数だった」

 うんうん、と紅霞がうなずく気配が伝わる。
 真っ暗な中で、やや声をひそめての会話がつづく。
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