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翌日も国境の封鎖はつづいた。
「――――長くなるかもな」
宿を出て目についた露店で朝食をとりつつ、紅霞が不穏な推測を口に出す。透子も同じ意見だった。
(あの《四姫神》さんが、容易くあきらめるとは思えない。たんに私を恋敵と思い込んでいるだけじゃない。《四姫神》さんの《朱雀》を、一時的にとはいえ消したもの。重大な危険人物と判断されているはず…………)
朝食を終えると市場に向かった。
「万一、急に街を出なければならなくなった時に備えて、少し日持ちのする食料を買っておきましょう。干した果物とか干し肉とか」
「だな。街の外で野宿の可能性もあるか」
「ちゅん」
市場は今日も盛況だった。透子達は食べ物を扱う店を中心に見ていくが、ある店で紅霞が透子を呼び止める。
「これ、すずさんにどうだ?」
紅霞が持って見せたのは鳥籠だった。涼竹国からの輸入品である。
「ずっと袖の中だと、透子も潰しそうで不安だろ? 籠に入れて持ち運んだほうが安心だろ」
「たしかに。それに籠のほうが、袖の中より明るくて広々と…………」
透子は袖の中の小鳥をのぞきこんだが。
「ぢゅ゛ん゛…………っ?」
やくざ顔負けのガンが飛んできた。
「…………なんて顔をしているんですか、すずさん。小鳥にあるまじき鬼の形相ですよ」
「ちゅん!!」
「うわ、なんだ!?」
透子の袖から茶色の弾丸が飛び出し、まっすぐ紅霞に襲いかかる。
どうやら女神のお電話様は、人間達の提案がお気に召さなかったらしい。すずさんはハチのように素早く飛びまわって、小さなくちばしで鋭い連続攻撃を繰り出す。
「なんだよ、怒ってんのか? いいだろ、スズメなんだから!」
「ちゅん!!」
「すずさん! やめてください、すずさん!!」
紅霞は腕をあげて目を庇い、透子もなんとか小鳥を捕まえようと手をふる。
なんだなんだ、と道行く人達もこちらに注目する。
店先でひとしきり騒ぎ、紅霞から「わかった、悪かった」と謝罪の言葉を引き出すと、ようやく女神の電話様は落ち着いた。フードをかぶった紅霞の頭の上にちょこんと乗って「ふん!」とばかりに胸をそらす。すずさんなりの勝利宣言かもしれない。
「くそ、スズメのくせに…………」
だいぶん突かれた紅霞が悔しそうに手や頬をなでた。フードも黒髪も羽毛まみれだ。
「傷薬はそんなにありませんでしたよね。私、買って来ます。あそこが薬のお店ですよね?」
「いや、いい。これくらいの傷で、もったいない」
紅霞は止めたが透子は聞かず、「すずさん、紅霞さんに乱暴せずに待っていてくださいね」と言い残して、薬屋の看板へ走っていった。
まあ、これくらいの距離なら大丈夫だろう、と紅霞もその背を見送ったのだが。
「…………なあ、すずさん」
店内へと透子が姿を消すと、紅霞はいまだ頭の上に座る小鳥に話しかけた。
「すずさん、女神の一部なんだろ? だったら――――俺は透子といたら駄目か?」
胸に、しめつけるように寒い風が吹き抜ける。
「透子が二年の約束でこちらに来たのは知ってる。透子も家族のもとに戻りたがっている。戻らないとマズい理由もある。けど…………俺は透子と一緒にいたい」
手をあげ、頭の上の小鳥に触れようとするが、小鳥は紅霞の指先からぴょんぴょん逃れて捕まえられない。
「透子みたいな女は初めてなんだ。俺は、透子がいてくれたから救われた。助けてもらった。俺はこの先も、透子といたい。透子がこのままこの世界にいることは、駄目なのか? 女神なら…………このまま透子を留めることはできないのか?」
「ちゅん」
スズメが一鳴きするが、紅霞の耳にはそれが否定なのか肯定なのか、それすら聞き分けられない。
突然、すずさんは紅霞の頭を飛び立った。
「ちゅん」
ぱたぱたと、鳥としては少々のんびりした速度で、行き交う男達の頭の上を飛んでいく。
「おい!」
紅霞は慌てて追った。女神の一部なので多少の危険は問題ないだろうが、はぐれると面倒だ。
すずさんは透子が入店した薬屋に入っていく。
すると覚えのある声が聞こえた。
「いや、困ります」
わざと低い声を作っているが、透子の声だ。
紅霞の体内を緊張と焦りが一気に駆け巡る。
「透…………!」
「ああ、待て待て」
とうとつに横から伸びてきた手にがしっ、と肩をつかまれた。
「よう、兄ちゃん。無視とはつれないな、この顔に見覚えは…………」
「知るか!!」
にやけた若い顔をろくに確認もせず、紅霞は躊躇なく男に拳をお見舞いした。
「いたた」「大丈夫か?」と、覚えがあるような声が背中から聞こえたが、かまう余裕はない。
男性が圧倒的に多いため、男同士の関係が黙認されているこの社会で、飛び抜けて美麗で女性に見まごう中性的な顔立ちで、色香も備えた紅霞は「どこかであったことないか?」「俺のこと覚えていないか?」の台詞は日常茶飯事であり、九割は初対面だ。
くわえ、今は透子のことで焦っている。
当然のように対応は雑になった。
「透子…………!」
薬屋に飛び込むと、薬草の青臭い匂いの中、男装した透子が二人の男にからまれていた。
「人を待たせているんです」
「いいじゃん、その友達も一緒に行こうよ。こっちも二人だし、二対二でちょうどいいじゃん」
「美味い店、知ってるから。観光できる所も教えてやるよ」
二十代後半と思しきにやけた男が透子の手首をつかんでいる。
視認した瞬間、紅霞はかっ、と頭に血がのぼった。危機感か独占欲からかは判別できない。
ちなみにすずさんは透子の肩にちょこんと乗って、てんで役に立たなかった。
「しっかし君、手首細いねぇ。顔も、まんま女じゃん。いいねいいね、俺好み」
「ちょっと、離して…………!」
「離せ」
透子の手首をつかむ手を、紅霞の手がつかんでとめた。痛みに顔をしかめた男は手をゆるめ、透子はとっさにナンパしてきた男の手をふり払って逃れる。
「紅霞さん!」
紅霞は透子を背にかばった。
「なんだ、いきなり…………」
男二人は闖入者に対して眉をつりあげる。が、すぐに目をみはった。
フードがめくれて、少し乱れた黒髪と艶麗な顔が露わになっている。
『鄙には稀な』という表現があるが、まさにそのとおりの美貌だった。
「行くぞ」
紅霞は透子の手を引き、男達を無視して出て行こうとするが、男達は意に介さない。
「いやいや、待って待って。君がお友達? すごいな、こんな色男、見たことないよ」
「俺ら、この街には詳しいんだ。いい店を知ってるから、好きなもの言って。奢るよ」
「要らねぇよ」
紅霞も透子も足早に去ろうとするが一瞬早く、にやけた男二人に前後をはさまれてしまう。「行こう行こう」と、なれなれしく肩に触れてくる。
もともと短気な紅霞の堪忍袋の緒が、あっさり切れそうになった。その寸前。
「まあまあ」
と、場違いなまでに明るい声が割り込んできた。
「すまん、すまん。その二人は俺の客だ。今日のところは解放してやつてくれ」
「誰がお前の客…………」
紅霞は割り込んできた声に怒鳴りつけようとして、拍子抜けの表情となる。
声の主は本当に知り合いだったのだ。
「――――雲翔?」
「よっ」
にかっ、と紅霞と同年代と思われる男が笑った。
紅霞より五センチほど低いが、肩幅や筋肉は細身の紅霞よりたくましい。
「やっぱり紅霞か。相変わらず喧嘩っ早いな」
呆れたような声と共に、さらにもう一人現れた。
こちらは紅霞より十センチほど低く、二人の中間のような体格だが、着ている物は一番上等だ。紅霞も、雲翔と呼ばれた若者も髪をうしろで無造作に一つに結っているが、この若者は小さくまとめた髪をきれいな布で包んで、全体に良家の坊ちゃん然としている。
「露月、お前もか」
紅霞の本気の驚きに、透子はこそっと訊ねた。
「お知り合いですか?」
「ああ。学校の同級生だ」
「同級生…………!?」
こんな状況なのに、透子は紅霞の答えに胸が高鳴ってしまった。
学生時代という、自分の知らない紅霞の一面が目の前に立っている。
「――――長くなるかもな」
宿を出て目についた露店で朝食をとりつつ、紅霞が不穏な推測を口に出す。透子も同じ意見だった。
(あの《四姫神》さんが、容易くあきらめるとは思えない。たんに私を恋敵と思い込んでいるだけじゃない。《四姫神》さんの《朱雀》を、一時的にとはいえ消したもの。重大な危険人物と判断されているはず…………)
朝食を終えると市場に向かった。
「万一、急に街を出なければならなくなった時に備えて、少し日持ちのする食料を買っておきましょう。干した果物とか干し肉とか」
「だな。街の外で野宿の可能性もあるか」
「ちゅん」
市場は今日も盛況だった。透子達は食べ物を扱う店を中心に見ていくが、ある店で紅霞が透子を呼び止める。
「これ、すずさんにどうだ?」
紅霞が持って見せたのは鳥籠だった。涼竹国からの輸入品である。
「ずっと袖の中だと、透子も潰しそうで不安だろ? 籠に入れて持ち運んだほうが安心だろ」
「たしかに。それに籠のほうが、袖の中より明るくて広々と…………」
透子は袖の中の小鳥をのぞきこんだが。
「ぢゅ゛ん゛…………っ?」
やくざ顔負けのガンが飛んできた。
「…………なんて顔をしているんですか、すずさん。小鳥にあるまじき鬼の形相ですよ」
「ちゅん!!」
「うわ、なんだ!?」
透子の袖から茶色の弾丸が飛び出し、まっすぐ紅霞に襲いかかる。
どうやら女神のお電話様は、人間達の提案がお気に召さなかったらしい。すずさんはハチのように素早く飛びまわって、小さなくちばしで鋭い連続攻撃を繰り出す。
「なんだよ、怒ってんのか? いいだろ、スズメなんだから!」
「ちゅん!!」
「すずさん! やめてください、すずさん!!」
紅霞は腕をあげて目を庇い、透子もなんとか小鳥を捕まえようと手をふる。
なんだなんだ、と道行く人達もこちらに注目する。
店先でひとしきり騒ぎ、紅霞から「わかった、悪かった」と謝罪の言葉を引き出すと、ようやく女神の電話様は落ち着いた。フードをかぶった紅霞の頭の上にちょこんと乗って「ふん!」とばかりに胸をそらす。すずさんなりの勝利宣言かもしれない。
「くそ、スズメのくせに…………」
だいぶん突かれた紅霞が悔しそうに手や頬をなでた。フードも黒髪も羽毛まみれだ。
「傷薬はそんなにありませんでしたよね。私、買って来ます。あそこが薬のお店ですよね?」
「いや、いい。これくらいの傷で、もったいない」
紅霞は止めたが透子は聞かず、「すずさん、紅霞さんに乱暴せずに待っていてくださいね」と言い残して、薬屋の看板へ走っていった。
まあ、これくらいの距離なら大丈夫だろう、と紅霞もその背を見送ったのだが。
「…………なあ、すずさん」
店内へと透子が姿を消すと、紅霞はいまだ頭の上に座る小鳥に話しかけた。
「すずさん、女神の一部なんだろ? だったら――――俺は透子といたら駄目か?」
胸に、しめつけるように寒い風が吹き抜ける。
「透子が二年の約束でこちらに来たのは知ってる。透子も家族のもとに戻りたがっている。戻らないとマズい理由もある。けど…………俺は透子と一緒にいたい」
手をあげ、頭の上の小鳥に触れようとするが、小鳥は紅霞の指先からぴょんぴょん逃れて捕まえられない。
「透子みたいな女は初めてなんだ。俺は、透子がいてくれたから救われた。助けてもらった。俺はこの先も、透子といたい。透子がこのままこの世界にいることは、駄目なのか? 女神なら…………このまま透子を留めることはできないのか?」
「ちゅん」
スズメが一鳴きするが、紅霞の耳にはそれが否定なのか肯定なのか、それすら聞き分けられない。
突然、すずさんは紅霞の頭を飛び立った。
「ちゅん」
ぱたぱたと、鳥としては少々のんびりした速度で、行き交う男達の頭の上を飛んでいく。
「おい!」
紅霞は慌てて追った。女神の一部なので多少の危険は問題ないだろうが、はぐれると面倒だ。
すずさんは透子が入店した薬屋に入っていく。
すると覚えのある声が聞こえた。
「いや、困ります」
わざと低い声を作っているが、透子の声だ。
紅霞の体内を緊張と焦りが一気に駆け巡る。
「透…………!」
「ああ、待て待て」
とうとつに横から伸びてきた手にがしっ、と肩をつかまれた。
「よう、兄ちゃん。無視とはつれないな、この顔に見覚えは…………」
「知るか!!」
にやけた若い顔をろくに確認もせず、紅霞は躊躇なく男に拳をお見舞いした。
「いたた」「大丈夫か?」と、覚えがあるような声が背中から聞こえたが、かまう余裕はない。
男性が圧倒的に多いため、男同士の関係が黙認されているこの社会で、飛び抜けて美麗で女性に見まごう中性的な顔立ちで、色香も備えた紅霞は「どこかであったことないか?」「俺のこと覚えていないか?」の台詞は日常茶飯事であり、九割は初対面だ。
くわえ、今は透子のことで焦っている。
当然のように対応は雑になった。
「透子…………!」
薬屋に飛び込むと、薬草の青臭い匂いの中、男装した透子が二人の男にからまれていた。
「人を待たせているんです」
「いいじゃん、その友達も一緒に行こうよ。こっちも二人だし、二対二でちょうどいいじゃん」
「美味い店、知ってるから。観光できる所も教えてやるよ」
二十代後半と思しきにやけた男が透子の手首をつかんでいる。
視認した瞬間、紅霞はかっ、と頭に血がのぼった。危機感か独占欲からかは判別できない。
ちなみにすずさんは透子の肩にちょこんと乗って、てんで役に立たなかった。
「しっかし君、手首細いねぇ。顔も、まんま女じゃん。いいねいいね、俺好み」
「ちょっと、離して…………!」
「離せ」
透子の手首をつかむ手を、紅霞の手がつかんでとめた。痛みに顔をしかめた男は手をゆるめ、透子はとっさにナンパしてきた男の手をふり払って逃れる。
「紅霞さん!」
紅霞は透子を背にかばった。
「なんだ、いきなり…………」
男二人は闖入者に対して眉をつりあげる。が、すぐに目をみはった。
フードがめくれて、少し乱れた黒髪と艶麗な顔が露わになっている。
『鄙には稀な』という表現があるが、まさにそのとおりの美貌だった。
「行くぞ」
紅霞は透子の手を引き、男達を無視して出て行こうとするが、男達は意に介さない。
「いやいや、待って待って。君がお友達? すごいな、こんな色男、見たことないよ」
「俺ら、この街には詳しいんだ。いい店を知ってるから、好きなもの言って。奢るよ」
「要らねぇよ」
紅霞も透子も足早に去ろうとするが一瞬早く、にやけた男二人に前後をはさまれてしまう。「行こう行こう」と、なれなれしく肩に触れてくる。
もともと短気な紅霞の堪忍袋の緒が、あっさり切れそうになった。その寸前。
「まあまあ」
と、場違いなまでに明るい声が割り込んできた。
「すまん、すまん。その二人は俺の客だ。今日のところは解放してやつてくれ」
「誰がお前の客…………」
紅霞は割り込んできた声に怒鳴りつけようとして、拍子抜けの表情となる。
声の主は本当に知り合いだったのだ。
「――――雲翔?」
「よっ」
にかっ、と紅霞と同年代と思われる男が笑った。
紅霞より五センチほど低いが、肩幅や筋肉は細身の紅霞よりたくましい。
「やっぱり紅霞か。相変わらず喧嘩っ早いな」
呆れたような声と共に、さらにもう一人現れた。
こちらは紅霞より十センチほど低く、二人の中間のような体格だが、着ている物は一番上等だ。紅霞も、雲翔と呼ばれた若者も髪をうしろで無造作に一つに結っているが、この若者は小さくまとめた髪をきれいな布で包んで、全体に良家の坊ちゃん然としている。
「露月、お前もか」
紅霞の本気の驚きに、透子はこそっと訊ねた。
「お知り合いですか?」
「ああ。学校の同級生だ」
「同級生…………!?」
こんな状況なのに、透子は紅霞の答えに胸が高鳴ってしまった。
学生時代という、自分の知らない紅霞の一面が目の前に立っている。
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