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外に出ると夕暮れの気配が迫っていた。空はまだ明るいが影が長く、風も冷えだしている。
透子と紅霞とすずさんは手頃な屋台で少し早い夕食をとり、それから宿をとった。こちらでは本当に安い宿は「広間に大勢で雑魚寝」となるので、個室のある少し高値の宿だ。
単にプライバシーの問題というだけでない。透子は男装して性別を隠しているので、雑魚寝して、なにかの拍子に服の下を見られたり体に触られたりすると都合が悪い。
さらに守護である《四気神》のいない《無印》である以上、必要以上に男性に近づくのは避けたかった。
指定された一番端の客室に入ると、二つの寝台が並んだだけで満杯の、小さな部屋だ。
「…………」
ちょっと変な空気になった。
「俺は大丈夫だが…………透子は平気か?」
「えっと…………なにがでしょう?」
お互い、並んだ寝台を見て、相手の顔を見て、ぎくしゃくした会話をかわす。なんとなく視線をそらしてしまう。
「いや、同じ部屋で平気かと。今更だが、その、透子は男が好きな女だし」
「その言い方だと、私が見境なく襲いかかるような人間に聞こえるんですが」
「いや、そういう意味じゃなくて!」
「わかっています。紅霞さんは、そういう意味での私に対する興味とか欲求はないんですよね? 翠柳さん一筋だし。ですから、私は気にしていません。紅霞さんにとって、私は男友達みたいなものでしょう? 大丈夫です。心配しないでください。――――着替えの時くらいは、一人にしてもらいたいですけど…………」
「もう一部屋借りてくる」
「お金がもったいないですよ」
「それくらいの余裕はある。透子が小説で稼いでくれたからな」
「でも、なにかあったら」
透子は説明した。
一晩だけとはいえ、紅霞と離れて何事か起きた時、透子一人で対応できる自信はない。こちらの常識を完璧に習得したわけではなく、ましてや今の透子は『お尋ね者』である。
「万一、他の宿泊客や従業員に正体がばれた場合…………通報されるだけなら、まだマシです。でも《無印》とばれたら――――」
紅霞も理解した。
女性が圧倒的に少ないこの世界では、女性は基本的に《四気神》に守られ、それゆえに、女を求める男達も手出しはできない。
だが透子にはその守りがない。
守りを持たない女が、この世界でどのような目に遭うか。
透子はこちらの世界に着いたばかりの時、暴行と人身売買の危険にさらされた。
あの時は、特に柄の悪い男達に見つかった事情があったとはいえ、ここの宿泊客や従業員に似たような性質の男が混じっていない保証はない。
《無印》の透子を守れるのは、《朱雀》の《四貴神》を手に入れた紅霞ただ一人なのだ。
「わかった。部屋はこのままでいい」
紅霞は相部屋を認めた。代わりに、
「衝立を用意できないか、訊いてくる」
そう言って部屋を出て行った。
透子は寝台の片方に腰を下ろして一息つく。
袖から出てきて窓の枠にとまったスズメに話しかけた。
「今、お話できますか? すずさん。少し訊きたいことがあるんですが。あ、もちろん私にわかる言語でお願いします」
『なんだ』
あっさり返事が返ってきた。いつもの「ちゅん」ではなく、例の世界を司る女神の声だ。
「昼間、お芝居を観ていて疑問がわいたのですが。この世界の神話って、どうなっているんですか? 紅霞さんから聞いた話でも、あなたというか、『世界を司る女神』らしき人物は登場しなかったのですが」
『人間の語る神話が、真実ではないだけのことだ。人の知る創世と、神々の知る創世は異なる』
一刀両断、単純明快な返答だった。
「どうして異なっているんですか?」
『知らぬからだ。創世の時代を知る人間はおらず、知る者がおらぬ以上は、正しい情報が伝わることもない』
(そういうことではなく…………)
「うーん」と透子はうなった。
もう少しこう、世界の成り立ちとか秘密に関わる部分を聞きたいのだ。
『なにが訊きたいのだ』
「《世界樹》のこと、なにより《種》のことです。無理に聞くつもりはありませんが、自分が抱えている問題です。もう少し詳細を知りたいんです」
『知ってどうする』
「知らないのと知っているのとでは、覚悟や、これからの判断や選択に差が生じるかな、と」
『自分がだまされていないか、まだ案じているのか?』
「そういうわけでは…………いえ、そういう不安も、ないわけではないです」
『面倒な《仮枝》よの。仮にも女神が契約してやったのだ。大船に乗ったつもりでおれば良いものを』
「安心できないから、訊いているんです」
透子は真剣な表情で窓枠の小鳥に迫った。
「そもそも、すずさん。今日まで私がどんな目に遭ってきたか、ご存じですよね? 売られそうになったり、紅霞さんに色々迷惑をかけたり、《四姫神》さんに捕まりそうになったり…………たしかに守護はついていましたが、説明が遅すぎると思いませんか? 私自身に《四気神》の守護はないけれど、私が望んだ男性に《四貴神》を与えることができる。それを最初に教えてくれていれば、もっと精神的に落ち着いて過ごすことができたし、紅霞さんだって色々楽になっていたと思います」
『どうかな。この世界には稀な男の《四姫神》ということで、国中から追いかけ回されていたやもしれぬぞ?』
「それは、そうかもしれませんが…………そもそも、どうしてこんなやり方をしたんですか? はじめから私に一般的な《四気神》をつけておいてくれれば、こんなことにはならなかったと思いますが」
『なに。ちょっとした実験だ』
「実験?」
女神の電話はなんてことない口調で言葉を吐き出す。
『そもそもはこの世界全体、世界そのものが実験場なのだ。神々のな』
女神は言った。
『この世界は、三百年ごとに創り変えられる。《世界樹》を入れ替えるのは、そのためだ。入れ替えの際に世界を支える理を調整し、それによって様々な環境を作り出して、どの生き物がどのように適応していくのかいかないのか、一つ一つ追跡調査を行っている。そして理の調整は、《種》の時点で方向性を決定する必要がある』
「え」
『どのように理を調整するか、《種》の段階で設定する。すると《種》はその設定に沿って成長し、新たな《世界樹》となって、新たな理が新たな三百年間を支える、というわけだ』
透子は絶句した。
いつの間にか、世界の秘密を語られる展開になっている。
「どうして、そんなことを…………」
『世界の存続のためだ。我々のこの世界においては、この方法がもっとも効果的で効率よく、負担や不利益を最小で済ませられると判断した』
「でも、実験なんて」
今現在、この世界に生きている人々や生き物達の人権はどうなるのだ。
そう、透子は主張したかったが。
『神々とて、最初から一度の失敗も計算違いも犯さずに世界を創世、維持できるほど、完璧ではない。世界というものの規模が大きく、多様であればあるほど、膨大な計算や経験値が必要となるのが必然。我々のいう実験とはすなわち、より良い世界に創り替えるための試行錯誤。生き物達には、やがて良き世界の到来という形で報われる日が来よう』
「…………」
「それはいつですか」と透子は訊きたかったが、やめた。
良くも悪くも、神と人間では物事の尺度に差がありすぎることは、透子にも見当がつく。神の物差しは、たぶん人間よりずっと大きくて、大きすぎて小さな存在は測り損ねてしまうのだ。
『それに、似たような行為はどこの神も大なり小なり行っているものだ。お前がいた地球とて、お前たち人間が関知していないだけのこと。まあ「なるようになれ」と、まったく手を出さずに観察に徹する神もいないではないが』
「えっ…………」
聞き捨てならない言葉を聞いた。
が、女神の電話は羽根づくろいをしながら、もっと気になる情報を投下する。
『あの愚者がお前を狙ったのも、そのためだ。世界の理を変えるため、お前に宿した《種》を手に入れようと、お前を攻撃した』
「愚者?」
『《世界樹》の空間で、お前を狙った影のことだ』
「あ…………!」
ようやく透子は思い出した。半年以上前の出来事だったため、正直すっかり忘れていた。
が、説明されて納得した。
「つまり、あの影は次の世界を自分の好きなように創り変えたくて、私の中の《種》を手に入れようと私を襲った、ということですか?」
『そうだ』
「あの影は何者ですか? 悪魔とか魔物とか? どういう風に、この世界を変えたがっているんでしょう?」
『見当はつく。が、一年半後に戻る予定のお前が知る必要はない。あの愚者に《種》を渡してはならんことだけ覚えておけ』
「まあ、そうかもしれまんが…………どうして、渡しては駄目なんですか? やはり、あの影は悪魔かなにかで、世界を滅ぼすために《種》を手に入れようとしている、とか?」
『死者に《種》は渡せぬ』
「死者?」
『そうだ。あれは妄執の果てに死んだ人間が、それでも執着を捨てられず、執念だけとなって、なおさ迷っているあさましい姿。《種》は次代の《世界樹》。そして世界は、生きとし生けるものための舞台。死者の出る幕はない。あれは早々に、己の行くべき所へ逝くべきなのだ。さもなくば、たとえ何千年彷徨しようとも、安らかな時間は訪れまいよ』
「ああ…………すずさんがあの影を『愚者』と呼ぶのは、そのためですか? こんな所にいないでさっさと成仏しろ、天国へ行け、みたいな」
『死者にかける言葉があるとすれば、それ以外にあるまい。人間であれ、神であれ』
「…………実は優しいんですか? すずさん。意外と」
『含みのある言い方だな。まあ良いが』
そこへ扉の向こうから近づいてくる足音が聞こえ、一人と一羽の会話は終了となった。
「悪い、遅くなった。心配させたか?」
紅霞が入ってくる。
「すずさんと話していました。依頼はうまくいかなかったんですか?」
「いや、小銭を渡して衝立の件は承知させたんだが、物置にしまいっぱなしだった、というやつが古くて」
紅霞は背後を示した。髪を一つにまとめて布でまとめた従業員が、成人より高い衝立を両手で抱えて入ってくる。入り方が雑で、端が扉に何度かぶつかった。
従業員は平然と二つの寝台の間に衝立を置く。衝立は屏風のような折りたたみ式で、ひろげると牡丹っぽい花と蝶が描かれた布がすっぽりと互いの寝台を隠した。
「古いしかび臭いが、他はないんだとよ」
紅霞が不満そうに衝立を示すが、従業員は笑って肩をすくめただけだ。
透子も割り切ることにした。個室とはいえ、宿のレベルを考えればこんなものだろう。もっとよい待遇を望むなら、相応の料金を払って別の宿に行くしかない。
「どうせ一泊だけですから。今夜はこれでいいですよ」
従業員はさっさと部屋を出て行き、透子と紅霞も旅の疲れがあるので「少し早いが、もう寝よう」ということになる。
衝立の手前と向こうにわかれて、横になった。
「おやすみなさい、紅霞さん」
「おやすみ、透子」
「ちゅん」
二人と一羽の挨拶がかわされる。
透子と紅霞とすずさんは手頃な屋台で少し早い夕食をとり、それから宿をとった。こちらでは本当に安い宿は「広間に大勢で雑魚寝」となるので、個室のある少し高値の宿だ。
単にプライバシーの問題というだけでない。透子は男装して性別を隠しているので、雑魚寝して、なにかの拍子に服の下を見られたり体に触られたりすると都合が悪い。
さらに守護である《四気神》のいない《無印》である以上、必要以上に男性に近づくのは避けたかった。
指定された一番端の客室に入ると、二つの寝台が並んだだけで満杯の、小さな部屋だ。
「…………」
ちょっと変な空気になった。
「俺は大丈夫だが…………透子は平気か?」
「えっと…………なにがでしょう?」
お互い、並んだ寝台を見て、相手の顔を見て、ぎくしゃくした会話をかわす。なんとなく視線をそらしてしまう。
「いや、同じ部屋で平気かと。今更だが、その、透子は男が好きな女だし」
「その言い方だと、私が見境なく襲いかかるような人間に聞こえるんですが」
「いや、そういう意味じゃなくて!」
「わかっています。紅霞さんは、そういう意味での私に対する興味とか欲求はないんですよね? 翠柳さん一筋だし。ですから、私は気にしていません。紅霞さんにとって、私は男友達みたいなものでしょう? 大丈夫です。心配しないでください。――――着替えの時くらいは、一人にしてもらいたいですけど…………」
「もう一部屋借りてくる」
「お金がもったいないですよ」
「それくらいの余裕はある。透子が小説で稼いでくれたからな」
「でも、なにかあったら」
透子は説明した。
一晩だけとはいえ、紅霞と離れて何事か起きた時、透子一人で対応できる自信はない。こちらの常識を完璧に習得したわけではなく、ましてや今の透子は『お尋ね者』である。
「万一、他の宿泊客や従業員に正体がばれた場合…………通報されるだけなら、まだマシです。でも《無印》とばれたら――――」
紅霞も理解した。
女性が圧倒的に少ないこの世界では、女性は基本的に《四気神》に守られ、それゆえに、女を求める男達も手出しはできない。
だが透子にはその守りがない。
守りを持たない女が、この世界でどのような目に遭うか。
透子はこちらの世界に着いたばかりの時、暴行と人身売買の危険にさらされた。
あの時は、特に柄の悪い男達に見つかった事情があったとはいえ、ここの宿泊客や従業員に似たような性質の男が混じっていない保証はない。
《無印》の透子を守れるのは、《朱雀》の《四貴神》を手に入れた紅霞ただ一人なのだ。
「わかった。部屋はこのままでいい」
紅霞は相部屋を認めた。代わりに、
「衝立を用意できないか、訊いてくる」
そう言って部屋を出て行った。
透子は寝台の片方に腰を下ろして一息つく。
袖から出てきて窓の枠にとまったスズメに話しかけた。
「今、お話できますか? すずさん。少し訊きたいことがあるんですが。あ、もちろん私にわかる言語でお願いします」
『なんだ』
あっさり返事が返ってきた。いつもの「ちゅん」ではなく、例の世界を司る女神の声だ。
「昼間、お芝居を観ていて疑問がわいたのですが。この世界の神話って、どうなっているんですか? 紅霞さんから聞いた話でも、あなたというか、『世界を司る女神』らしき人物は登場しなかったのですが」
『人間の語る神話が、真実ではないだけのことだ。人の知る創世と、神々の知る創世は異なる』
一刀両断、単純明快な返答だった。
「どうして異なっているんですか?」
『知らぬからだ。創世の時代を知る人間はおらず、知る者がおらぬ以上は、正しい情報が伝わることもない』
(そういうことではなく…………)
「うーん」と透子はうなった。
もう少しこう、世界の成り立ちとか秘密に関わる部分を聞きたいのだ。
『なにが訊きたいのだ』
「《世界樹》のこと、なにより《種》のことです。無理に聞くつもりはありませんが、自分が抱えている問題です。もう少し詳細を知りたいんです」
『知ってどうする』
「知らないのと知っているのとでは、覚悟や、これからの判断や選択に差が生じるかな、と」
『自分がだまされていないか、まだ案じているのか?』
「そういうわけでは…………いえ、そういう不安も、ないわけではないです」
『面倒な《仮枝》よの。仮にも女神が契約してやったのだ。大船に乗ったつもりでおれば良いものを』
「安心できないから、訊いているんです」
透子は真剣な表情で窓枠の小鳥に迫った。
「そもそも、すずさん。今日まで私がどんな目に遭ってきたか、ご存じですよね? 売られそうになったり、紅霞さんに色々迷惑をかけたり、《四姫神》さんに捕まりそうになったり…………たしかに守護はついていましたが、説明が遅すぎると思いませんか? 私自身に《四気神》の守護はないけれど、私が望んだ男性に《四貴神》を与えることができる。それを最初に教えてくれていれば、もっと精神的に落ち着いて過ごすことができたし、紅霞さんだって色々楽になっていたと思います」
『どうかな。この世界には稀な男の《四姫神》ということで、国中から追いかけ回されていたやもしれぬぞ?』
「それは、そうかもしれませんが…………そもそも、どうしてこんなやり方をしたんですか? はじめから私に一般的な《四気神》をつけておいてくれれば、こんなことにはならなかったと思いますが」
『なに。ちょっとした実験だ』
「実験?」
女神の電話はなんてことない口調で言葉を吐き出す。
『そもそもはこの世界全体、世界そのものが実験場なのだ。神々のな』
女神は言った。
『この世界は、三百年ごとに創り変えられる。《世界樹》を入れ替えるのは、そのためだ。入れ替えの際に世界を支える理を調整し、それによって様々な環境を作り出して、どの生き物がどのように適応していくのかいかないのか、一つ一つ追跡調査を行っている。そして理の調整は、《種》の時点で方向性を決定する必要がある』
「え」
『どのように理を調整するか、《種》の段階で設定する。すると《種》はその設定に沿って成長し、新たな《世界樹》となって、新たな理が新たな三百年間を支える、というわけだ』
透子は絶句した。
いつの間にか、世界の秘密を語られる展開になっている。
「どうして、そんなことを…………」
『世界の存続のためだ。我々のこの世界においては、この方法がもっとも効果的で効率よく、負担や不利益を最小で済ませられると判断した』
「でも、実験なんて」
今現在、この世界に生きている人々や生き物達の人権はどうなるのだ。
そう、透子は主張したかったが。
『神々とて、最初から一度の失敗も計算違いも犯さずに世界を創世、維持できるほど、完璧ではない。世界というものの規模が大きく、多様であればあるほど、膨大な計算や経験値が必要となるのが必然。我々のいう実験とはすなわち、より良い世界に創り替えるための試行錯誤。生き物達には、やがて良き世界の到来という形で報われる日が来よう』
「…………」
「それはいつですか」と透子は訊きたかったが、やめた。
良くも悪くも、神と人間では物事の尺度に差がありすぎることは、透子にも見当がつく。神の物差しは、たぶん人間よりずっと大きくて、大きすぎて小さな存在は測り損ねてしまうのだ。
『それに、似たような行為はどこの神も大なり小なり行っているものだ。お前がいた地球とて、お前たち人間が関知していないだけのこと。まあ「なるようになれ」と、まったく手を出さずに観察に徹する神もいないではないが』
「えっ…………」
聞き捨てならない言葉を聞いた。
が、女神の電話は羽根づくろいをしながら、もっと気になる情報を投下する。
『あの愚者がお前を狙ったのも、そのためだ。世界の理を変えるため、お前に宿した《種》を手に入れようと、お前を攻撃した』
「愚者?」
『《世界樹》の空間で、お前を狙った影のことだ』
「あ…………!」
ようやく透子は思い出した。半年以上前の出来事だったため、正直すっかり忘れていた。
が、説明されて納得した。
「つまり、あの影は次の世界を自分の好きなように創り変えたくて、私の中の《種》を手に入れようと私を襲った、ということですか?」
『そうだ』
「あの影は何者ですか? 悪魔とか魔物とか? どういう風に、この世界を変えたがっているんでしょう?」
『見当はつく。が、一年半後に戻る予定のお前が知る必要はない。あの愚者に《種》を渡してはならんことだけ覚えておけ』
「まあ、そうかもしれまんが…………どうして、渡しては駄目なんですか? やはり、あの影は悪魔かなにかで、世界を滅ぼすために《種》を手に入れようとしている、とか?」
『死者に《種》は渡せぬ』
「死者?」
『そうだ。あれは妄執の果てに死んだ人間が、それでも執着を捨てられず、執念だけとなって、なおさ迷っているあさましい姿。《種》は次代の《世界樹》。そして世界は、生きとし生けるものための舞台。死者の出る幕はない。あれは早々に、己の行くべき所へ逝くべきなのだ。さもなくば、たとえ何千年彷徨しようとも、安らかな時間は訪れまいよ』
「ああ…………すずさんがあの影を『愚者』と呼ぶのは、そのためですか? こんな所にいないでさっさと成仏しろ、天国へ行け、みたいな」
『死者にかける言葉があるとすれば、それ以外にあるまい。人間であれ、神であれ』
「…………実は優しいんですか? すずさん。意外と」
『含みのある言い方だな。まあ良いが』
そこへ扉の向こうから近づいてくる足音が聞こえ、一人と一羽の会話は終了となった。
「悪い、遅くなった。心配させたか?」
紅霞が入ってくる。
「すずさんと話していました。依頼はうまくいかなかったんですか?」
「いや、小銭を渡して衝立の件は承知させたんだが、物置にしまいっぱなしだった、というやつが古くて」
紅霞は背後を示した。髪を一つにまとめて布でまとめた従業員が、成人より高い衝立を両手で抱えて入ってくる。入り方が雑で、端が扉に何度かぶつかった。
従業員は平然と二つの寝台の間に衝立を置く。衝立は屏風のような折りたたみ式で、ひろげると牡丹っぽい花と蝶が描かれた布がすっぽりと互いの寝台を隠した。
「古いしかび臭いが、他はないんだとよ」
紅霞が不満そうに衝立を示すが、従業員は笑って肩をすくめただけだ。
透子も割り切ることにした。個室とはいえ、宿のレベルを考えればこんなものだろう。もっとよい待遇を望むなら、相応の料金を払って別の宿に行くしかない。
「どうせ一泊だけですから。今夜はこれでいいですよ」
従業員はさっさと部屋を出て行き、透子と紅霞も旅の疲れがあるので「少し早いが、もう寝よう」ということになる。
衝立の手前と向こうにわかれて、横になった。
「おやすみなさい、紅霞さん」
「おやすみ、透子」
「ちゅん」
二人と一羽の挨拶がかわされる。
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