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「駄目だ、やっぱり封鎖されたらしい」

 整った横顔に苛立ちと焦りを浮かべて。戻ってきた紅霞が透子に告げた。
 艶梅国東州の最北東。隣国、涼竹国との国境の手前にある街での会話である。
 この街を出て街道沿いに二刻ほど歩けば国境を越えられる。そういう場所だ。
 透子も紅霞もそのつもりで街を囲む城壁の門にむかったのだが、途中で「国境が封鎖された」「四姫神様の命令だそうだ」という噂を聞き、紅霞が確認に行っていたのだ。
 二人の横を、大荷物を背負った男達が忌々しそうにぼやきあう。

「なんでも、凶悪な罪人が逃走中らしい。二十代半ばの背の高い男と、二十歳前後の女の二人組、女のほうは《無印》だとよ」

「《無印》ってことは、娼妓が情夫と手をとり合っての足抜けか? どっちにしろ迷惑な話だ。三日後までにこの荷物を涼竹国に届けないと、大損なんだぞ」

 通り過ぎていく男達の会話を聞きながら、透子と紅霞もいったん止まらざるをえなかった。

「ここで立っていてもしかたないな。先に昼飯を食うか」

 沈みそうになる気分を変えたくて、紅霞の提案に透子もうなずいた。
 いかにも『大衆食堂』という雰囲気の男性客でにぎわう店に入り、少し早い昼食をとることにする。いつでも逃げられるよう、店外のテーブルを選んで座った。
 精神と肉体、双方からの疲労によるため息がもれる。

「誤算だ。《四姫神》の命令がこんなに速いとはな」

「あちらも必死なんでしょう。たぶん、あそこまで追い込まれたのは生まれて初めてだったんじゃないでしょうか。それでいっそう危険視されたんだと思います」

「別の国境を目指すか? 涼竹国にこだわる必要はないし」

「どうでしょう…………私が四姫神さんだったら――――私達の行先を知らない以上、ここだけでなく、すべての国境を封鎖すると思います。それで見つからなければ…………街の中も調べていくと思います」

「マジか。いやでも、それくらいするだろうな、あの女なら…………」

 うんざりしきった声と表情で紅霞は肩をおとした。
 周囲は豪快に笑い合い、話し合う男達ばかり。特別声をひそめなくても盗み聞きの心配はないし、まして透子が男装している今、二人に興味を持つ者は皆無だ。
 むしろ紅霞の並外れた美貌のほうが注目を集めるため、外にいる間はフード付きの外套を手放せない。
 料理が届いたため、いったん食事を優先することにした。
 ほかほかと湯気の立つ饅頭に葱たっぷりのスープ、青野菜の炒め物。これといって特別な献立ではないが、肌寒い初春には熱々というだけで美味しく感じる。

「どうぞ、すずさん」

 透子は饅頭の皮を小さく千切って、そっと、長い袖の中から顔だけ出したスズメに与えた。スズメは当たり前のようにそれをついばむ。
 見ていた紅霞が透子の袖へと身を乗り出した。

「すずさんは女神様だろ? 俺達二人くらい、ちゃちやつと脱出させてくれないか? すずさんも透子が危険な目に遭ったら困るだろ?」

 すずさんはスズメの姿をしているが、正体はこの世界を司る女神の『電話』で、透子にはその女神が大事にする《世界樹》の《種》が宿っている。女神にとっても、この世界そのものにとっても、失ってはならない重要人物なのだ。
 透子も紅霞の依頼は至極当然と思えたが。

「ちゅん」

 すずさんは饅頭の皮を食べ終えると、さっさと透子の袖の奥に引っ込んだ。
 袖を凝視する紅霞の視線に冷ややかな苛立ちが垣間見え、透子はいそいで話題を変える。

「すずさんも、なんでもできるわけではないんでしょう。女神様の一部であって、本人ではありませんし。それより今日の宿はどうしますか? 安易に街を出るのは危険かもしれません」

 国境を封鎖し、それで透子達が発見できなければ、《四姫神》花麗は州内の街や村をしらみ潰しにあたっていくだろう。出入りする人間は厳しくチェックされるだろうし、調査が済むまでは街全体が封鎖されるかもしれない。

「街を出たあとに封鎖されれば、入るのが難しくなりますし。街の外で数日間、過ごすことは可能ですか?」

「うーん」と紅霞は首をひねる。

「この辺りは山と野原と畑くらいだ。一晩だけなら泊まらせてくれる農家もあるだろうが、何日も、となると確実に怪しまれる。かといって野宿は危険だし、必要な準備や道具もない」

 紅霞も透子も、全財産の現金と最低限の着替え、それから数点の貴重品。それですべてだ。

「キャンプ用品もサバイバルグッズも、なにも持っていませんしね…………」

(私が《無印》でなければ…………)

 透子はそっと、包帯を巻いた左手の甲に右手を置いた。
 先ほどの通行人の会話から、すでに『逃走中の罪人』が《無印》であることは知れ渡っている。《無印》の確認は簡単だ。左手の甲を見ればいい。
 この世界において《四気神》の守護の証である《印》は女性の左手の甲に現れ、誰でも視認できる。《印》がなければ《無印》、すなわち《四気神》の守護を持たない女だ。
 透子が国境を越える時、街の城壁をくぐる時、女と知られれば必ず左手の甲を確認されるだろう。仮に絵の具などでそれらしく描けたとしても「《四気神》を操って見せろ」と言われれば終わりだ。

「まあ、うだうだ考えていても仕方ないな。ひとまず、今夜はこの街に泊まろう。で、また別の方法を考えようぜ」

 くもった表情で己の左手を見下ろす透子に、彼女の考えていることを察したのか、紅霞が明るくうながす。屈託のない笑顔は透子でなくとも破壊力抜群だろう。

(私…………紅霞さんさえ笑っていれば、一生なにも悩まないかもしれない…………)

 一瞬、物思いのすべてが吹き飛んだ透子は、赤面を誤魔化そうと「そうですね」と眉間に力を込めた。

「やっぱり、泊まるなら街の中ですね。お店も宿もありますし。この街で宿をとって、国境の封鎖が解けるのを待つしかなさそうです。今から別の国境に向かっても、たぶん時間と労力の無駄でしょうし…………」

 食事を終えた二人は店を出て「少し街を見て回ろう」と、大通りを歩きだした。
 国境最寄りの街だ。その辺の露店ですら、夕蓮とは趣の異なる商品がたくさん並んでいる。

「この列に並んでいるのは全部、涼竹名産の山菜。さっき入荷したばかりだよ。油で揚げるのもいいし、ザクザク切ってスープに加えてもうまいんだ」

「うちで扱っているのは全部、涼竹産の竹細工だ。名前のとおり、あそこは良質の竹が採れて、種類も豊富だからね。物によって、使う竹の種類も決まっている。いい品物は州都まで運ばれて、王家や金持ち達の持ち物になる。艶梅でも竹は採れるが、涼竹とは質が違う。慣れれば、見ただけで区別がつくようになるよ」

 旅の途中だし、特別買わなければならない物もなかったが、店をひやかして説明を聞くだけでも異国情緒を堪能できて楽しい。紅霞も観光気分を味わっているようで、むしろ透子より積極的にあれこれ訊ねている。

「あれはなんですか?」

 透子が大きな建物を指さした。やたらと派手な幟を何本も立てた、わざとらしいほど華美な外装の建物だ。十人ほどの人間が並んでいる。

「芝居小屋だな。次の回を待っているんだろ。透子は芝居は初めてか? いい機会だから観ていくか?」

 映画は日本で何度も観た。が、芝居はほぼ初めてだ。『劇団○季』とか『宝○』も観たことはない。せいぜい学園祭の演劇部くらいか。

「いいですね」

 透子は紅霞の勧めに甘えることにした。小説の印税のおかげで懐はあたたかいので、その程度の余裕はある。
 中に入ると、ミニシアター程度の薄暗い空間に、それなりに客が詰まっていた。いくつか卓が並び、それを男性客が囲んで座っている。大半は男だが、ところどころに女性もいて、夫婦、もしくは友人同士で来ていると思われた。

「一番前の正面の席は豪華ですね」

「あそこは金持ち用だ。いい場所だからな。当然、料金も高い」

 日本でいうところのS席だろう。人気の役者が出演する回はあのS席も埋まり、どんな金持ちが観にきたかで役者同士がはりあうのだと、紅霞が説明してくれた。

「透子もあの席のほうが良かったか? それくらいの金はあるぞ?」

 今からでも追加料金を払って席を替えようか、と提案する紅霞に、透子は遠慮した。今の席でも充分観やすそうだし、目立たないほうがいい。
 鐘が鳴り、舞台に一人の男が立って開始を宣言する。
 幕が上がって芝居がはじまった。
 劇は面白かった。近代だけあって舞台セットは凝っているし、なにより本職プロの演技だ。学生の部活動とは発声からして異なる。
 気づくと透子は物語に引き込まれていた。
 内容自体は王道であり、定番だ。山で暮らす貧しい少年がある日、恐ろしい妖怪退治に行く。少年は道中、不思議な少女と出会い、彼女と力を合わせて妖怪を倒し、宝を手に入れて少女と結ばれる。そういう筋書きだった。
 やがて終幕となり、役者が勢ぞろいして観客に挨拶する。と、一人ひとり前に進み出る。すると客達も次々席を立って舞台に近づき、花束や包みや小箱を役者に渡していく。

「観劇の作法だ。気に入った役者に、小銭とかちょっとした小物を渡すんだ。金持ちだと、飾りや化粧品をくれるやつもいるらしいぜ」

 つまり『おひねり』だ。
 紅霞の説明に透子も納得した。

「俺達も行こう」

 ここで誰にもなにも渡さないと、『野暮な客』と顰蹙を買うらしい。役者達にとっても大事な副収入らしく、透子は主役を演じた二人それぞれに日本円で千円程度の金を渡す。
 近くで見ると、少女役は髪を伸ばした少年だった。

「楽しかったか?」

「はい、とっても」

 満足して芝居小屋を出る。
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