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翌朝は晴れ渡った青空だった。空気はさわやかで、鳥が鳴いている。
「おはようございます、すずさん」
透子は台所の窓辺にやって来たスズメに米粒を二、三粒与える。
それから朝食の支度をしていると、紅霞が姿を現した。
「昨夜は悪かったな。せっかく作ってくれたのに…………」
「あ、いいえ。私も立ち入ったことを聞いてしまって、申し訳ないです」
「…………」
「…………」
互いに気まずい沈黙が流れる。窓からふりそそぐ陽光は憎らしいほど明るく、その事実がますます互いに「なにか言わねば」という焦りを生じさせる。
「あー…………たまには外に出るか?」
「え?」
「ずっと家に篭りっぱなしで、退屈だろ? 俺も今日は休みだし…………湖にでも行くか? 蓮が咲くには早いが、気分転換にはなるだろ」
「行きます!」
透子はぱっと顔を明るくして即答した。
紅霞の気遣いが嬉しかったし、夕蓮湖は透子がこちらに来た時に最初にいた場所だ。
ひょっとしたら、事態打開の手掛かりが見つかるかもしれない。
そうでなくとも、久々の外出は単純に胸が躍った。
透子の喜ぶ様子に紅霞も胸をなでおろし、昨夜の残り物を加えた朝食がはじまる。
食後、透子は食器を洗い、紅霞は減った分の水を足そうと、庭に出たのだか。
(まずい!)
塀のない庭は、丘の下の道まで見おろせる。
紅霞は、数台の馬車とそれを囲む集団がこちらに接近しているのを視認し、桶を放り出す勢いで台所に戻った。
「透子! 隠れろ!」
呼びながら、前掛けを外そうとしていた透子の二の腕をつかんで、足早に台所を出る。ただでさえ長身で足の長い紅霞が早いテンポで大股で歩くと、透子は半分引きずられてしまう。
「あ、あの」
紅霞は透子の戸惑いにかまわず、彼女を奥の物置に突っ込む。
「ここにいろ。説明はあとだ。俺が戻ってくるまで、絶対に出るなよ? いいな!?」
そう言って簡素な木の戸を閉め、外から閂をかけてしまった。
どたばたとした足音が遠ざかっていく。
透子は訳が分からず呆然としていたが、やがて音が聞こえてきた。
人のざわめきに複数の足音、ガチャガチャ響く金属っぽい音…………。
紅霞だろうか、バタン!! と玄関の扉を開けて閉める音も聞こえた。
(いったい何事? 誰か、大勢の人が来たっぽい?)
ひょっとして、《無印》で身元不詳の自分《透子》の存在がばれて、警察沙汰にでもなったのだろうか。
(そんな…………!)
透子は周囲を見渡した。
もしそうだとしたら、紅霞にはなんの罪も責任もない。自分が無理を言って居座ったていだけだ。それをわかってもらわなくては。
箱や荷物が積まれたせまい部屋には灯りがなく、出口も紅霞が閂をかけた木戸一つだけ。
ただ真っ暗ではなく、上を向くと南側の壁の天井近くに、採光用と思しき小さな窓が開いていた。窓の下にはひときわ大きな木の箱が置かれている。
外から人の声が聞こえてくる。
透子は焦る気持ちをこらえながら、小さな木箱を移動させて踏み台にし、小窓の下の大きな木箱の上に乗ることに成功した。おっかなびっくり壁に手をつき、小窓に寄る。
幸い小窓に顔が届いて、外をのぞくことができた。
(紅霞さん…………!)
角度的に見にくいが、どうにか玄関周辺が見える。
玄関の前には馬車が停まっていた。
馬車といっても、映画やアニメでよく見かける西洋風の四輪馬車ではない。つながれた馬は一頭で、車輪も左右一輪ずつの、明らかに一人用のものだ。『馬車』というより『カーテンでおおった車椅子』と表現したほうが近いかもしれない。
その椅子のような馬車がざっと五台あり、その周囲を二十人ちかい男がとり囲んでおり、男達は全員、前合わせの長い袖と裾の服を着て、いかにも『中華ファンタジー世界の使用人』という風情だ。髪をきっちりまとめて帽子をかぶり、帯に玉飾りが輝いて、普段着の紅霞よりよほど上品で高級な雰囲気をただよわせている。
(警察…………にしては、ずいぶんきれいな格好をしているような…………)
集団の中には二人だけ女が混じっていた。どちらも刺しゅうで飾られたきれいな衣をまとい、金色の簪を数本挿して、男の使用人達より地位が高いように見える。
紅霞は玄関で侍女の片方と話していたが、荒っぽく「帰れ!」と腕をふった。
(なに…………喧嘩?)
透子は窓にしがみつき、必死に耳を澄ます。
ぱさぱさ、という羽音が耳元で響き、風が頬に触れたと思うと、茶色い翼が目の前にあった。
「すずさん」
顔なじみ(?)になった茶色の鳥が、状況を知ってか知らずしてか(たぶん知らない)小窓の縁にとまって「チュン」と首をかしげる。
「ごめんなさい、今はお米がないんです」
スズメに謝る透子の語尾にかぶせるように、紅霞の怒鳴り声が飛んでくる。
「俺は行かないって言ってるだろ! 帰れ!!」
怒鳴られた側――――年かさの侍女の声も聞こえてくる。
「相変わらずの無礼な物言い。庶民風情が《四姫神》様の招待を拒むとは…………」
明らかに気分を害しているのが伝わる口調だった。
透子は耳を疑う。
(《四姫神》…………今、《四姫神》って言ったの?)
女性を守る、この世界特有の存在。世界をめぐる《気》の化身、《四気神《しきがみ》》。
その《四気神》の中でも特に強力な《四貴神《しきがみ》》に守られ、国の守護にあたるという、一国に四人しか存在しない特別な女性達、《四姫神》。
(この夕蓮の街には東の《四姫神》がいるって聞いたけれど…………まさか)
透子はカーテンにおおわれて中が見えない、六台の馬車を見る。
ほぼ同時に、列の一番先頭の、五台の中でも特にきらびやかな馬車のカーテンから白い手が出る。すると馬車のそばに立っていたもう一人の侍女が動き、男の使用人が馬車の横に踏み台を置き、別の使用人が差し出された手を恭しくとり、さらに他の使用人が馬車のカーテンを左右に開いた。使用人達がいっせいに頭を垂れる。
花が咲いたかと思った。それほど劇的な雰囲気の変化だった。『主役登場!』の趣さえある。
(あの女の子が《四姫神》?)
透子は目を凝らした。
可憐な少女だった。
ベビーピンクの衣に赤や金の帯を合わせ、大きめに開いた襟からのぞく細い首には金色の首飾りが輝いている。つややかな黒髪には花や珠の簪を挿し、透けそうに色が白いのに唇は赤い。
顔の細部までは視認できないが、それでもアイドル級の美少女であろうと察せられた。
透子は驚かざるをえなかった。
強い神秘の力を揮い、高い地位も得たお金持ちの美少女なんて、アニメやゲームの世界でしかお目にかかれないと思っていたのに。
(そんなすごい子が、どうしてここに…………)
透子にのぞかれているとも知らず、ベビーピンクの衣の美少女は背後に使用人達を従え、紅霞の前に出た。可憐な声が響く。
「お久しぶりですわ、紅霞。一ヶ月ぶりですのね」
「《四姫神》様にはご機嫌麗しく。帰ってくれ、俺は暇じゃない」
「存じていますのよ。本日は、紅霞のお仕事はお休みでしょう。お誘いに来ましたの。湖で、わたくし達とお茶をいただきましょう。紅霞の好きそうなお菓子が手に入りましたの。きっと紅霞の口に合いますわ」
「だから、行かないって言ってるだろ。忙しいんだ、帰ってくれ」
「行くと言うまで、帰りませんわ。今日のお菓子は紅霞のために、わざわざ取寄せたんですもの。紅霞が来なければ意味がありませんわ」
(あー…………)
透子はおおよその事情を察した。
やんわりと、まといつくような少女の甘い声。
対する紅霞の声はどこまでも冷ややかで、乱暴なほどである。
両者の落差に、透子は自分の推測の正しさを確信した。
つまり、あの《四姫神》の少女は紅霞に好意を、いや、恋心を抱いていて、けれど紅霞はまったく眼中にないのだ。
(気持ちはわかる…………あれだけの美形だもの、あの年頃の女の子が好きにならないはずがない)
声や全体の雰囲気から判断するに《四姫神》は十代後半だろう。その年齢で紅霞のようなとびきりの美男子を見て、心動かされないほうが『もと十代の少女』としては逆に信じられない。
紅霞は二十四歳だというから、やや年齢は離れているが、その年齢差もあの年頃なら逆に『大人の魅力』として映るだろう。
透子は胸がちくりと痛んだ。
(どうして…………)
けれど、痛んだ事実を否定はできない。
あの少女は紅霞と同じ、この世界を生きる存在で、自分は二年後には帰る予定の異邦人。
その現実が、小さな針となって透子の胸に突き刺さる。
少女はベビーピンクの袖を口もとに持ってきて訴えた。
「あなたはひどい男性ですわ、紅霞。わたくし、もう四年ちかく待っていますのに。駆け引きにも限度というものがありますわ」
少女の声に涙じみた響きが混じる。
「あなたには一棟を与えますし、家具も衣装も最高の物を用意させています。侍従も下男も一番多く付けます。あなたは何もしなくていい、身一つでわたくしの所に来てくだされば充分だと、ずっと言っていますわ。なのにどうして、いつまでもわたくしの誘いを拒むんですの? この東州の《四姫神》、梅家の花麗があなたを夫に望んでいますのに、なにがそんなに不満ですの?」
少女はいかにも哀れな風情だった。きっと表情も上目づかいで、涙を潤ませているに違いない。彼女のこの声だけで、手を貸してやる男は山ほどいると思われた。
だが紅霞の反応は冷淡なままである。
「全部、不満だ。俺は女は受けつけない。俺の伴侶は翠柳だけだ。他は要らない」
きっぱりした明確な返答。
少女には申し訳ないが、結婚式当日に目の前で花婿に別の女と逃げられた透子は、この迷いのない断言をまぶしく感じた。
(謙人もこんな風に言ってくれる人だったら…………)
こんな風にはっきりと『透子だけだ』『他の女は要らない』と宣言してくれる人だったら。
いや、宣言はしている。ただその相手が透子ではなかった、というだけだ。
透子の胸の痛みが強くなる。
会ったことのない、翠柳という人がうらやましい。
紅霞と翠柳、二人がまぶしい。
自分もそんな関係を築きたかった――――
「おはようございます、すずさん」
透子は台所の窓辺にやって来たスズメに米粒を二、三粒与える。
それから朝食の支度をしていると、紅霞が姿を現した。
「昨夜は悪かったな。せっかく作ってくれたのに…………」
「あ、いいえ。私も立ち入ったことを聞いてしまって、申し訳ないです」
「…………」
「…………」
互いに気まずい沈黙が流れる。窓からふりそそぐ陽光は憎らしいほど明るく、その事実がますます互いに「なにか言わねば」という焦りを生じさせる。
「あー…………たまには外に出るか?」
「え?」
「ずっと家に篭りっぱなしで、退屈だろ? 俺も今日は休みだし…………湖にでも行くか? 蓮が咲くには早いが、気分転換にはなるだろ」
「行きます!」
透子はぱっと顔を明るくして即答した。
紅霞の気遣いが嬉しかったし、夕蓮湖は透子がこちらに来た時に最初にいた場所だ。
ひょっとしたら、事態打開の手掛かりが見つかるかもしれない。
そうでなくとも、久々の外出は単純に胸が躍った。
透子の喜ぶ様子に紅霞も胸をなでおろし、昨夜の残り物を加えた朝食がはじまる。
食後、透子は食器を洗い、紅霞は減った分の水を足そうと、庭に出たのだか。
(まずい!)
塀のない庭は、丘の下の道まで見おろせる。
紅霞は、数台の馬車とそれを囲む集団がこちらに接近しているのを視認し、桶を放り出す勢いで台所に戻った。
「透子! 隠れろ!」
呼びながら、前掛けを外そうとしていた透子の二の腕をつかんで、足早に台所を出る。ただでさえ長身で足の長い紅霞が早いテンポで大股で歩くと、透子は半分引きずられてしまう。
「あ、あの」
紅霞は透子の戸惑いにかまわず、彼女を奥の物置に突っ込む。
「ここにいろ。説明はあとだ。俺が戻ってくるまで、絶対に出るなよ? いいな!?」
そう言って簡素な木の戸を閉め、外から閂をかけてしまった。
どたばたとした足音が遠ざかっていく。
透子は訳が分からず呆然としていたが、やがて音が聞こえてきた。
人のざわめきに複数の足音、ガチャガチャ響く金属っぽい音…………。
紅霞だろうか、バタン!! と玄関の扉を開けて閉める音も聞こえた。
(いったい何事? 誰か、大勢の人が来たっぽい?)
ひょっとして、《無印》で身元不詳の自分《透子》の存在がばれて、警察沙汰にでもなったのだろうか。
(そんな…………!)
透子は周囲を見渡した。
もしそうだとしたら、紅霞にはなんの罪も責任もない。自分が無理を言って居座ったていだけだ。それをわかってもらわなくては。
箱や荷物が積まれたせまい部屋には灯りがなく、出口も紅霞が閂をかけた木戸一つだけ。
ただ真っ暗ではなく、上を向くと南側の壁の天井近くに、採光用と思しき小さな窓が開いていた。窓の下にはひときわ大きな木の箱が置かれている。
外から人の声が聞こえてくる。
透子は焦る気持ちをこらえながら、小さな木箱を移動させて踏み台にし、小窓の下の大きな木箱の上に乗ることに成功した。おっかなびっくり壁に手をつき、小窓に寄る。
幸い小窓に顔が届いて、外をのぞくことができた。
(紅霞さん…………!)
角度的に見にくいが、どうにか玄関周辺が見える。
玄関の前には馬車が停まっていた。
馬車といっても、映画やアニメでよく見かける西洋風の四輪馬車ではない。つながれた馬は一頭で、車輪も左右一輪ずつの、明らかに一人用のものだ。『馬車』というより『カーテンでおおった車椅子』と表現したほうが近いかもしれない。
その椅子のような馬車がざっと五台あり、その周囲を二十人ちかい男がとり囲んでおり、男達は全員、前合わせの長い袖と裾の服を着て、いかにも『中華ファンタジー世界の使用人』という風情だ。髪をきっちりまとめて帽子をかぶり、帯に玉飾りが輝いて、普段着の紅霞よりよほど上品で高級な雰囲気をただよわせている。
(警察…………にしては、ずいぶんきれいな格好をしているような…………)
集団の中には二人だけ女が混じっていた。どちらも刺しゅうで飾られたきれいな衣をまとい、金色の簪を数本挿して、男の使用人達より地位が高いように見える。
紅霞は玄関で侍女の片方と話していたが、荒っぽく「帰れ!」と腕をふった。
(なに…………喧嘩?)
透子は窓にしがみつき、必死に耳を澄ます。
ぱさぱさ、という羽音が耳元で響き、風が頬に触れたと思うと、茶色い翼が目の前にあった。
「すずさん」
顔なじみ(?)になった茶色の鳥が、状況を知ってか知らずしてか(たぶん知らない)小窓の縁にとまって「チュン」と首をかしげる。
「ごめんなさい、今はお米がないんです」
スズメに謝る透子の語尾にかぶせるように、紅霞の怒鳴り声が飛んでくる。
「俺は行かないって言ってるだろ! 帰れ!!」
怒鳴られた側――――年かさの侍女の声も聞こえてくる。
「相変わらずの無礼な物言い。庶民風情が《四姫神》様の招待を拒むとは…………」
明らかに気分を害しているのが伝わる口調だった。
透子は耳を疑う。
(《四姫神》…………今、《四姫神》って言ったの?)
女性を守る、この世界特有の存在。世界をめぐる《気》の化身、《四気神《しきがみ》》。
その《四気神》の中でも特に強力な《四貴神《しきがみ》》に守られ、国の守護にあたるという、一国に四人しか存在しない特別な女性達、《四姫神》。
(この夕蓮の街には東の《四姫神》がいるって聞いたけれど…………まさか)
透子はカーテンにおおわれて中が見えない、六台の馬車を見る。
ほぼ同時に、列の一番先頭の、五台の中でも特にきらびやかな馬車のカーテンから白い手が出る。すると馬車のそばに立っていたもう一人の侍女が動き、男の使用人が馬車の横に踏み台を置き、別の使用人が差し出された手を恭しくとり、さらに他の使用人が馬車のカーテンを左右に開いた。使用人達がいっせいに頭を垂れる。
花が咲いたかと思った。それほど劇的な雰囲気の変化だった。『主役登場!』の趣さえある。
(あの女の子が《四姫神》?)
透子は目を凝らした。
可憐な少女だった。
ベビーピンクの衣に赤や金の帯を合わせ、大きめに開いた襟からのぞく細い首には金色の首飾りが輝いている。つややかな黒髪には花や珠の簪を挿し、透けそうに色が白いのに唇は赤い。
顔の細部までは視認できないが、それでもアイドル級の美少女であろうと察せられた。
透子は驚かざるをえなかった。
強い神秘の力を揮い、高い地位も得たお金持ちの美少女なんて、アニメやゲームの世界でしかお目にかかれないと思っていたのに。
(そんなすごい子が、どうしてここに…………)
透子にのぞかれているとも知らず、ベビーピンクの衣の美少女は背後に使用人達を従え、紅霞の前に出た。可憐な声が響く。
「お久しぶりですわ、紅霞。一ヶ月ぶりですのね」
「《四姫神》様にはご機嫌麗しく。帰ってくれ、俺は暇じゃない」
「存じていますのよ。本日は、紅霞のお仕事はお休みでしょう。お誘いに来ましたの。湖で、わたくし達とお茶をいただきましょう。紅霞の好きそうなお菓子が手に入りましたの。きっと紅霞の口に合いますわ」
「だから、行かないって言ってるだろ。忙しいんだ、帰ってくれ」
「行くと言うまで、帰りませんわ。今日のお菓子は紅霞のために、わざわざ取寄せたんですもの。紅霞が来なければ意味がありませんわ」
(あー…………)
透子はおおよその事情を察した。
やんわりと、まといつくような少女の甘い声。
対する紅霞の声はどこまでも冷ややかで、乱暴なほどである。
両者の落差に、透子は自分の推測の正しさを確信した。
つまり、あの《四姫神》の少女は紅霞に好意を、いや、恋心を抱いていて、けれど紅霞はまったく眼中にないのだ。
(気持ちはわかる…………あれだけの美形だもの、あの年頃の女の子が好きにならないはずがない)
声や全体の雰囲気から判断するに《四姫神》は十代後半だろう。その年齢で紅霞のようなとびきりの美男子を見て、心動かされないほうが『もと十代の少女』としては逆に信じられない。
紅霞は二十四歳だというから、やや年齢は離れているが、その年齢差もあの年頃なら逆に『大人の魅力』として映るだろう。
透子は胸がちくりと痛んだ。
(どうして…………)
けれど、痛んだ事実を否定はできない。
あの少女は紅霞と同じ、この世界を生きる存在で、自分は二年後には帰る予定の異邦人。
その現実が、小さな針となって透子の胸に突き刺さる。
少女はベビーピンクの袖を口もとに持ってきて訴えた。
「あなたはひどい男性ですわ、紅霞。わたくし、もう四年ちかく待っていますのに。駆け引きにも限度というものがありますわ」
少女の声に涙じみた響きが混じる。
「あなたには一棟を与えますし、家具も衣装も最高の物を用意させています。侍従も下男も一番多く付けます。あなたは何もしなくていい、身一つでわたくしの所に来てくだされば充分だと、ずっと言っていますわ。なのにどうして、いつまでもわたくしの誘いを拒むんですの? この東州の《四姫神》、梅家の花麗があなたを夫に望んでいますのに、なにがそんなに不満ですの?」
少女はいかにも哀れな風情だった。きっと表情も上目づかいで、涙を潤ませているに違いない。彼女のこの声だけで、手を貸してやる男は山ほどいると思われた。
だが紅霞の反応は冷淡なままである。
「全部、不満だ。俺は女は受けつけない。俺の伴侶は翠柳だけだ。他は要らない」
きっぱりした明確な返答。
少女には申し訳ないが、結婚式当日に目の前で花婿に別の女と逃げられた透子は、この迷いのない断言をまぶしく感じた。
(謙人もこんな風に言ってくれる人だったら…………)
こんな風にはっきりと『透子だけだ』『他の女は要らない』と宣言してくれる人だったら。
いや、宣言はしている。ただその相手が透子ではなかった、というだけだ。
透子の胸の痛みが強くなる。
会ったことのない、翠柳という人がうらやましい。
紅霞と翠柳、二人がまぶしい。
自分もそんな関係を築きたかった――――
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