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51.セレスティナ
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わたくしは呆然としていました。いつの間にかにぎりしめていた手が、ふるえています。
とんでもない屈辱でした。
わたくしはセレスティナ・デラクルス公爵令嬢。未来のイストリア皇后で聖女なのに。
「頑迷な御方だったな」
「やれやれ」とヒルベルト様が、わたくしの肩を抱き寄せます。
「気にするな、セレスティナ。物わかりの悪い人間、物事の本質を見抜く力を持たぬ人間というのは、一定数存在する。王侯貴族の中にさえ。セレスティナにとっては親戚だ、つらいだろうが、忘れるがいい。セルバ辺境伯はセレスティナの言葉を理解できるほど、選ばれた存在ではなかった。それだけだ」
「ヒルベルト様…………」
「気をとりなおせ。もう俺と二人きりなのだから、俺のことだけを考えろ」
「ええ、もちろん」
ヒルベルト様のキスによってわたくしは笑顔をとり戻し、冷めてしまったお茶をいったん下げさせます。アベルがわたくしのお茶を、ヒルベルト様付きの侍従がヒルベルト様のお茶を淹れなおして、ティータイムのやりなおしとなりました。ヒルベルト様は皇宮で起きた出来事を面白おかしく語って、わたくしを楽しませてくださいます。
が、それでも胸の暗雲は晴れません。
ヒルベルト様が別荘に一泊されてわたくしと共に休み、翌朝、朝食を終えて皇都へ戻って行かれると、わたくしも待ちかねたように人払いして、アベルに相談しました。
むろん、例のヒドイン、最悪の魔女についてです。
「どうしてなの、アリシア・ソルが聖女認定だなんて! あの女は、わたくしから聖魔力を奪った盗人だというのに!!」
わたくしは梳いた髪が乱れそうなほど、頭をふっていました。
「わけがわからないわ、アベル。叔父上まで、すっかりあの女に篭絡されて…………っ」
「ご案じなさいますな、セレスティナお嬢様。まだ正式に認定されたわけではありません」
「でも、教皇に呼び出された、と叔父上はおっしゃっていたわ! 聖女位はわたくしのものなのに!!」
何故、最悪の魔女であるアリシア・ソルが手に入れようとしているのか。
「セレスティナお嬢様のお好きな香草茶をご用意します。そろそろ厨房で林檎のパイも焼きあがった頃ですから、そちらもお持ちしましょう。まずはお好きな菓子を召し上がって、お心を落ち着けてください。冷静にならなければ、名案も浮かびません」
アベルは恭しくほほ笑んでわたくしを長椅子に導き、召使いの女にティータイムの用意を命じました。甘く香ばしいパイの匂いが室内にただよいはじめて、わたくしも高ぶっていた気持ちが少し鎮まります。
同時に、見えてきたものがありました。
「そう…………そうだったのね…………アリシア・ソルの目的は、教皇…………!」
わたくしはアベルに語りながら、考えをまとめていきます。
「ノベーラにいた頃、わたくしはずっと、レオ様をアリシア・ソルに奪われることばかり心配していたわ。でも、アリシア・ソルも漫画の展開を知る転生者。客観的には、レオ様は悪役令嬢を断罪しようとして失脚する、愚かな悪役だもの、頼りにはならないわ。だからアリシア・ソルは、はじめから教皇に狙いをさだめていたんだわ――――!!」
わかってしまえば簡単なことでした。
「漫画では、教皇は聖女位授与の儀式で初めてセレスティナと出会い、彼女の美しさや気高さに一目で恋に落ちるの。出番は遅いけれど、傾いていた帝国や教皇の権威を復活させて、最終的にはイストリア皇子であるヒルベルト様と互角の権力を持つことになる、ヒルベルト様の恋のライバルとなるキャラクターよ。アリシア・ソルはその力を狙っていたんだわ!」
「つまり――――『マンガ』の記憶があったアリシア・ソルは、早い段階で自分がセレスティナお嬢様とヒルベルト殿下に断罪される未来を知り、その未来を回避するため、ヒルベルト殿下と同等の力を持つ教皇に頼ることを思いついた…………というわけですね?」
「間違いないわ。王立学院を退学して、わたくしが得るはずだった聖魔力で人々を癒しつづけたのも、すべてそのため。一介の平民では、教皇への謁見は叶わない。だから聖女としての評価を高めて、教皇庁のほうから自分を呼ぶよう、仕向けたのよ。なんてずる賢い…………っ」
わたくしはお茶もパイも忘れて額を押さえ、呻いていました。
「自分が生き残るため、聖女になるため、そのためだけに、あの女は貴重で神聖な聖魔力をわたくしから盗み、我が物として利用しつづけてきたんだわ。さも自分の力のように偽って…………なんて身勝手な女かしら、まさしくヒドイン、魔女や悪女どころではないわ――――!!」
わたくしは思わず自分を抱きしめ、身震いしていました。ゲームヒロインのあまりの邪悪さに、背筋が凍る思いです。
「…………ぐずぐずしてはいられないわ。教皇庁からの正式な召喚なら、おそらくアリシア・ソルの聖女位授与は既定路線。レオ様やお父様は反対するでしょうけれど、他の大臣や貴族達が、自国から聖女を輩出することに異論があるとも思えないもの」
「教皇は、アリシア・ソルに篭絡されるでしょうか? あるいは魔女の本性を看破して拒絶、という可能性も――――」
「わからないわ。漫画では出会うことのなかった関係なの、なんとも言えない。でも、こうなった以上、教皇への対抗手段も手に入れておくべきかもしれないわ。でも具体的には、どうしたら…………?」
「アリシア・ソルの聖魔力が、実はセレスティナお嬢様のものであること。これを立証できるのが、もっとも効果的ですが。『マンガ』では、どのような展開だったのでしょう?」
「漫画では、アリシア・ソルは生まれつき聖魔力を有していて、それを神にとりあげられて、わたくしが継いだの。わたくしは旧神殿の聖女像に導かれて――――」
そこで、はたと思い出しました。
「そういえば、聖女像…………」
額を押さえ、記憶を引っ張り出します。
「たしか、ノベーラの旧神殿でセレスティナが聖魔力を授かった場面では、旧神殿以外にも三体、いえ、四体の聖女像があって。それぞれが天へと光を放って、その光が旧神殿に集まってセレスティナに降り注ぎ、セレスティナの前に聖女の証である《聖印》が顕現したの。あの場面を再現することができれば――――」
「その聖女像はどこに? 一体は旧神殿として、残りは大神殿でしょうか?」
「いいえ。あれはたしか…………」
わたくしは指を折っていきます。
「一体は旧神殿。それから…………そう、セルバ地方の、セリャド火山のふもとの神殿にもあるの。本当なら、セレスティナが国境線の記録と宣誓書を手に入れるはずだった、火山の噴火で埋もれてしまっていた神殿の地下よ。それからクエント侯国に一体、イストリア皇国には二体もあったわ!! セリャド火山を中心に、四方に散っている設定なの!!」
「では、まずイストリア皇国内の二体を確認に参りましょう。どこの神殿か、おわかりですか?」
「…………わからないわ。漫画では、セレスティナはすべての神殿を回ったわけではなくて。旧神殿にいた時に、他の四か所の聖女像がひとりでにセレスティナのもとへ光を放ったの。詳細な場所までは描写されていなかったと思うわ」
「ふむ」とアベルはうなずきました。
「…………セレスティナお嬢様が《聖印》を見つけた聖女像が、何故、大神殿ではなく旧神殿にあったのか。少し考えたことがあります。神殿の規模としては、大神殿のほうが上であるにも関わらず。ひょっとして、旧神殿のほうが古かったからでは? まず、旧神殿があの聖女像を保管しており、神殿が手狭になって大神殿に機能を移しても、聖女像だけは動かなさなった。そういう事ではないでしょうか?」
「まあ。そうね、きっとそうだわ。たしか、あの聖女像は『初代聖女アイシーリアの力と魂が宿っている』という設定だったわ。つまり、聖女像ができたのは、アイシーリアの死の直後。そういえば、ノベーラの旧神殿が建てられたのは、その時期だわ! あの旧神殿は、ノベーラが大公国として独立する以前から建っていたもの!!」
わたくしはやっと希望が見えてきて気持ちが上向き、林檎のパイを楽しむ余裕が生まれます。
パイを食べ終わったあと、わたくしが皇子妃教育をうけている家庭教師に、イストリア皇国内で聖女アイシーリアの没後直後に建てられた神殿がないかどうか訊ねてみると、ちょうど二つの神殿の名が挙げられました。
一つは皇都に。もう一つは、皇都から離れた地方の古都に。
「この二つの神殿が怪しいわ。さっそく調べに行きましょう。ビブロスを呼んで。彼の魔力で移動すれば、今日中に二か所とも回ってしまえるわ」
わたくしは気分が悪くなったふりをして、午後の予定をすべてとりやめさせ、寝室に籠ります。そしていそいで外出着に着替えると、アベルに命じてビブロスを召喚させ、彼の力で皇都まで三日の道程を一瞬で移動しました。
皇都の大神殿は、ノベーラの公都の大神殿と同じくらいの規模でした。
ただし、年期は間違いなくこちらが上です。
「まあ。ノベーラとは、比べものにならないわ」
ノベーラの大神殿も公都も、かなりの規模のはずでした。けれど実際にこの目で皇都の街並みや大神殿を見てしまうと、道の広さも人や建物の数も、通りに面した店の華やかさも、なにもかもが差は歴然です。
数ケ月後には、わたくしはヒルベルト様とこの大神殿で結婚式を挙げ、皇子妃としてこの大通りを馬車で通るのです。きっと盛大なパレードとなるでしょう。
その日を思ってうっとりし、(今は聖女像が先だわ)と、慌てて我に返りました。
わたくしとアベルは「お忍びでお参りに来た貴族の令嬢と、その供」という体で大神殿に入り、広い礼拝所の奥まで進みます。
礼拝所は巨大なステンドグラスから射し込む陽光に照らされ、七色の光が舞っていました。
「旧神殿のように、聖女像はやはり奥かしら?」
「おそらく」
アベルが先に立ち、周囲の神官達の目を盗んで、するりと奥へ忍び込みます。
こういう時のアベルは猫より静かで自然で、けして他者に見つかるような失態は犯しません。
そして。
「――――っ、アベル、聞こえる!?」
「はい、セレスティナお嬢様」
「あの時と同じ、いえ、旧神殿の時よりはっきりと…………!」
神の声でした。ノベーラの旧神殿で聖女像を見つけた時よりもはっきりと、わたくしを呼ぶ、声ならぬ声が耳に届きます。
わたくし達は声の導きにしたがって大神殿の廊下を進み、やがて回廊に出ると、小ぢんまりした花園を見つけ、その花園の奥にひっそりとたたずむ石の聖女像を発見しました。
わたくしは試しにあの時同様、聖女像の額飾り中央の石に触れます。
すると石が動いてぽろり、と額飾りから落ち、さらにその落ちた石をひねってみると、やはりぱかりと二つに開いて、中から白銀に輝く水晶のような丸い小さな石が現れました。
「《聖印》…………!? こちらの聖女像にも!?」
「これは『マンガ』にはなかった展開なのですか? セレスティナお嬢様」
「覚えは…………ないわ。《聖印》は一つ。わたくしが神に選ばれて、聖魔力を継いだ時に一つ、現れただけで…………」
わたくしは困惑しました。
そして「これは本当に《聖印》なのかしら」と、ノベーラから持参した例の携帯用の聖典を婦人用小物入れから取り出します。
すると。
「薄まっている…………!? 濁っているわ!?」
わたくしは声をあげました。
ノベーラの旧神殿で手に入れた、聖なる印。
聖女の証たるそれは、しばらく見ないうちに変貌していました。
真珠のように無垢だった白銀色の石が灰色に濁って、まるで質の悪いガラス玉のように輝きを失っていたのです。
「どうして…………!?」
愕然とするわたくしの耳に、ふたたび神の声が聞こえます。
『持っていけ』と。『それはお前のものだ』とも――――
「聞こえた? アベル」
「はい。セレスティナお嬢様が、この《聖印》の主だ、と――――」
わたくしはうなずきました。
「神がそうおっしゃるのだから、そうしましょう。《聖印》が二つとは予想外だったけれど、わたくしは真の聖女だもの。手に入れて当然だし、アリシア・ソルには渡せないわ」
わたくしは《聖印》を収めていた石を元通り聖女像に戻すと、《聖印》を小物入れに隠して、何食わぬ顔でアベルと共に皇都の大神殿を出ました。
「さあ。次の神殿へ向かいましょう、アベル」
魔女に対する強力な武器を手に入れた、わたくしが聖女として認められる本来の展開に大きく近づいた、と暗闇に光を見出した気分になっていた、その時。
とんでもない屈辱でした。
わたくしはセレスティナ・デラクルス公爵令嬢。未来のイストリア皇后で聖女なのに。
「頑迷な御方だったな」
「やれやれ」とヒルベルト様が、わたくしの肩を抱き寄せます。
「気にするな、セレスティナ。物わかりの悪い人間、物事の本質を見抜く力を持たぬ人間というのは、一定数存在する。王侯貴族の中にさえ。セレスティナにとっては親戚だ、つらいだろうが、忘れるがいい。セルバ辺境伯はセレスティナの言葉を理解できるほど、選ばれた存在ではなかった。それだけだ」
「ヒルベルト様…………」
「気をとりなおせ。もう俺と二人きりなのだから、俺のことだけを考えろ」
「ええ、もちろん」
ヒルベルト様のキスによってわたくしは笑顔をとり戻し、冷めてしまったお茶をいったん下げさせます。アベルがわたくしのお茶を、ヒルベルト様付きの侍従がヒルベルト様のお茶を淹れなおして、ティータイムのやりなおしとなりました。ヒルベルト様は皇宮で起きた出来事を面白おかしく語って、わたくしを楽しませてくださいます。
が、それでも胸の暗雲は晴れません。
ヒルベルト様が別荘に一泊されてわたくしと共に休み、翌朝、朝食を終えて皇都へ戻って行かれると、わたくしも待ちかねたように人払いして、アベルに相談しました。
むろん、例のヒドイン、最悪の魔女についてです。
「どうしてなの、アリシア・ソルが聖女認定だなんて! あの女は、わたくしから聖魔力を奪った盗人だというのに!!」
わたくしは梳いた髪が乱れそうなほど、頭をふっていました。
「わけがわからないわ、アベル。叔父上まで、すっかりあの女に篭絡されて…………っ」
「ご案じなさいますな、セレスティナお嬢様。まだ正式に認定されたわけではありません」
「でも、教皇に呼び出された、と叔父上はおっしゃっていたわ! 聖女位はわたくしのものなのに!!」
何故、最悪の魔女であるアリシア・ソルが手に入れようとしているのか。
「セレスティナお嬢様のお好きな香草茶をご用意します。そろそろ厨房で林檎のパイも焼きあがった頃ですから、そちらもお持ちしましょう。まずはお好きな菓子を召し上がって、お心を落ち着けてください。冷静にならなければ、名案も浮かびません」
アベルは恭しくほほ笑んでわたくしを長椅子に導き、召使いの女にティータイムの用意を命じました。甘く香ばしいパイの匂いが室内にただよいはじめて、わたくしも高ぶっていた気持ちが少し鎮まります。
同時に、見えてきたものがありました。
「そう…………そうだったのね…………アリシア・ソルの目的は、教皇…………!」
わたくしはアベルに語りながら、考えをまとめていきます。
「ノベーラにいた頃、わたくしはずっと、レオ様をアリシア・ソルに奪われることばかり心配していたわ。でも、アリシア・ソルも漫画の展開を知る転生者。客観的には、レオ様は悪役令嬢を断罪しようとして失脚する、愚かな悪役だもの、頼りにはならないわ。だからアリシア・ソルは、はじめから教皇に狙いをさだめていたんだわ――――!!」
わかってしまえば簡単なことでした。
「漫画では、教皇は聖女位授与の儀式で初めてセレスティナと出会い、彼女の美しさや気高さに一目で恋に落ちるの。出番は遅いけれど、傾いていた帝国や教皇の権威を復活させて、最終的にはイストリア皇子であるヒルベルト様と互角の権力を持つことになる、ヒルベルト様の恋のライバルとなるキャラクターよ。アリシア・ソルはその力を狙っていたんだわ!」
「つまり――――『マンガ』の記憶があったアリシア・ソルは、早い段階で自分がセレスティナお嬢様とヒルベルト殿下に断罪される未来を知り、その未来を回避するため、ヒルベルト殿下と同等の力を持つ教皇に頼ることを思いついた…………というわけですね?」
「間違いないわ。王立学院を退学して、わたくしが得るはずだった聖魔力で人々を癒しつづけたのも、すべてそのため。一介の平民では、教皇への謁見は叶わない。だから聖女としての評価を高めて、教皇庁のほうから自分を呼ぶよう、仕向けたのよ。なんてずる賢い…………っ」
わたくしはお茶もパイも忘れて額を押さえ、呻いていました。
「自分が生き残るため、聖女になるため、そのためだけに、あの女は貴重で神聖な聖魔力をわたくしから盗み、我が物として利用しつづけてきたんだわ。さも自分の力のように偽って…………なんて身勝手な女かしら、まさしくヒドイン、魔女や悪女どころではないわ――――!!」
わたくしは思わず自分を抱きしめ、身震いしていました。ゲームヒロインのあまりの邪悪さに、背筋が凍る思いです。
「…………ぐずぐずしてはいられないわ。教皇庁からの正式な召喚なら、おそらくアリシア・ソルの聖女位授与は既定路線。レオ様やお父様は反対するでしょうけれど、他の大臣や貴族達が、自国から聖女を輩出することに異論があるとも思えないもの」
「教皇は、アリシア・ソルに篭絡されるでしょうか? あるいは魔女の本性を看破して拒絶、という可能性も――――」
「わからないわ。漫画では出会うことのなかった関係なの、なんとも言えない。でも、こうなった以上、教皇への対抗手段も手に入れておくべきかもしれないわ。でも具体的には、どうしたら…………?」
「アリシア・ソルの聖魔力が、実はセレスティナお嬢様のものであること。これを立証できるのが、もっとも効果的ですが。『マンガ』では、どのような展開だったのでしょう?」
「漫画では、アリシア・ソルは生まれつき聖魔力を有していて、それを神にとりあげられて、わたくしが継いだの。わたくしは旧神殿の聖女像に導かれて――――」
そこで、はたと思い出しました。
「そういえば、聖女像…………」
額を押さえ、記憶を引っ張り出します。
「たしか、ノベーラの旧神殿でセレスティナが聖魔力を授かった場面では、旧神殿以外にも三体、いえ、四体の聖女像があって。それぞれが天へと光を放って、その光が旧神殿に集まってセレスティナに降り注ぎ、セレスティナの前に聖女の証である《聖印》が顕現したの。あの場面を再現することができれば――――」
「その聖女像はどこに? 一体は旧神殿として、残りは大神殿でしょうか?」
「いいえ。あれはたしか…………」
わたくしは指を折っていきます。
「一体は旧神殿。それから…………そう、セルバ地方の、セリャド火山のふもとの神殿にもあるの。本当なら、セレスティナが国境線の記録と宣誓書を手に入れるはずだった、火山の噴火で埋もれてしまっていた神殿の地下よ。それからクエント侯国に一体、イストリア皇国には二体もあったわ!! セリャド火山を中心に、四方に散っている設定なの!!」
「では、まずイストリア皇国内の二体を確認に参りましょう。どこの神殿か、おわかりですか?」
「…………わからないわ。漫画では、セレスティナはすべての神殿を回ったわけではなくて。旧神殿にいた時に、他の四か所の聖女像がひとりでにセレスティナのもとへ光を放ったの。詳細な場所までは描写されていなかったと思うわ」
「ふむ」とアベルはうなずきました。
「…………セレスティナお嬢様が《聖印》を見つけた聖女像が、何故、大神殿ではなく旧神殿にあったのか。少し考えたことがあります。神殿の規模としては、大神殿のほうが上であるにも関わらず。ひょっとして、旧神殿のほうが古かったからでは? まず、旧神殿があの聖女像を保管しており、神殿が手狭になって大神殿に機能を移しても、聖女像だけは動かなさなった。そういう事ではないでしょうか?」
「まあ。そうね、きっとそうだわ。たしか、あの聖女像は『初代聖女アイシーリアの力と魂が宿っている』という設定だったわ。つまり、聖女像ができたのは、アイシーリアの死の直後。そういえば、ノベーラの旧神殿が建てられたのは、その時期だわ! あの旧神殿は、ノベーラが大公国として独立する以前から建っていたもの!!」
わたくしはやっと希望が見えてきて気持ちが上向き、林檎のパイを楽しむ余裕が生まれます。
パイを食べ終わったあと、わたくしが皇子妃教育をうけている家庭教師に、イストリア皇国内で聖女アイシーリアの没後直後に建てられた神殿がないかどうか訊ねてみると、ちょうど二つの神殿の名が挙げられました。
一つは皇都に。もう一つは、皇都から離れた地方の古都に。
「この二つの神殿が怪しいわ。さっそく調べに行きましょう。ビブロスを呼んで。彼の魔力で移動すれば、今日中に二か所とも回ってしまえるわ」
わたくしは気分が悪くなったふりをして、午後の予定をすべてとりやめさせ、寝室に籠ります。そしていそいで外出着に着替えると、アベルに命じてビブロスを召喚させ、彼の力で皇都まで三日の道程を一瞬で移動しました。
皇都の大神殿は、ノベーラの公都の大神殿と同じくらいの規模でした。
ただし、年期は間違いなくこちらが上です。
「まあ。ノベーラとは、比べものにならないわ」
ノベーラの大神殿も公都も、かなりの規模のはずでした。けれど実際にこの目で皇都の街並みや大神殿を見てしまうと、道の広さも人や建物の数も、通りに面した店の華やかさも、なにもかもが差は歴然です。
数ケ月後には、わたくしはヒルベルト様とこの大神殿で結婚式を挙げ、皇子妃としてこの大通りを馬車で通るのです。きっと盛大なパレードとなるでしょう。
その日を思ってうっとりし、(今は聖女像が先だわ)と、慌てて我に返りました。
わたくしとアベルは「お忍びでお参りに来た貴族の令嬢と、その供」という体で大神殿に入り、広い礼拝所の奥まで進みます。
礼拝所は巨大なステンドグラスから射し込む陽光に照らされ、七色の光が舞っていました。
「旧神殿のように、聖女像はやはり奥かしら?」
「おそらく」
アベルが先に立ち、周囲の神官達の目を盗んで、するりと奥へ忍び込みます。
こういう時のアベルは猫より静かで自然で、けして他者に見つかるような失態は犯しません。
そして。
「――――っ、アベル、聞こえる!?」
「はい、セレスティナお嬢様」
「あの時と同じ、いえ、旧神殿の時よりはっきりと…………!」
神の声でした。ノベーラの旧神殿で聖女像を見つけた時よりもはっきりと、わたくしを呼ぶ、声ならぬ声が耳に届きます。
わたくし達は声の導きにしたがって大神殿の廊下を進み、やがて回廊に出ると、小ぢんまりした花園を見つけ、その花園の奥にひっそりとたたずむ石の聖女像を発見しました。
わたくしは試しにあの時同様、聖女像の額飾り中央の石に触れます。
すると石が動いてぽろり、と額飾りから落ち、さらにその落ちた石をひねってみると、やはりぱかりと二つに開いて、中から白銀に輝く水晶のような丸い小さな石が現れました。
「《聖印》…………!? こちらの聖女像にも!?」
「これは『マンガ』にはなかった展開なのですか? セレスティナお嬢様」
「覚えは…………ないわ。《聖印》は一つ。わたくしが神に選ばれて、聖魔力を継いだ時に一つ、現れただけで…………」
わたくしは困惑しました。
そして「これは本当に《聖印》なのかしら」と、ノベーラから持参した例の携帯用の聖典を婦人用小物入れから取り出します。
すると。
「薄まっている…………!? 濁っているわ!?」
わたくしは声をあげました。
ノベーラの旧神殿で手に入れた、聖なる印。
聖女の証たるそれは、しばらく見ないうちに変貌していました。
真珠のように無垢だった白銀色の石が灰色に濁って、まるで質の悪いガラス玉のように輝きを失っていたのです。
「どうして…………!?」
愕然とするわたくしの耳に、ふたたび神の声が聞こえます。
『持っていけ』と。『それはお前のものだ』とも――――
「聞こえた? アベル」
「はい。セレスティナお嬢様が、この《聖印》の主だ、と――――」
わたくしはうなずきました。
「神がそうおっしゃるのだから、そうしましょう。《聖印》が二つとは予想外だったけれど、わたくしは真の聖女だもの。手に入れて当然だし、アリシア・ソルには渡せないわ」
わたくしは《聖印》を収めていた石を元通り聖女像に戻すと、《聖印》を小物入れに隠して、何食わぬ顔でアベルと共に皇都の大神殿を出ました。
「さあ。次の神殿へ向かいましょう、アベル」
魔女に対する強力な武器を手に入れた、わたくしが聖女として認められる本来の展開に大きく近づいた、と暗闇に光を見出した気分になっていた、その時。
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2020/10/30
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2020/11/08
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