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63.アリシア

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「さあ、その《聖印》を渡しなさい、アリシア・ソル。わたくしは聖竜妃。この世界の誰より高貴で神聖な選ばれた存在であり、その《聖印》を手に入れる悪役令嬢主人公です。魔女ヒドインのあなたは偽物です!」

 デラクルス嬢が優美な手をこちらに突き出してきた。
 私は困った。
《聖印》がアンブロシアの証というなら、少なくとも今のデラクルス嬢に渡すのはおかしいと思う。彼女はたしかに聖女アンブロシアの証たる白銀の聖魔力を発現させているけれど、教皇猊下はデラクルス嬢をアンブロシアと宣言していない。
 ただ「マンガではそうなっている」と言われると、判断に困った。

「ずいぶん、せっかちな方ですわ」

 エルネスト候子が手で制するのをすり抜け、当の教皇猊下がおっとり、ほほ笑んでデラクルス嬢の前に進み出る。たおやかな後姿が、しゃんと背筋を伸ばして相対する。

「お名前はうかがっておりますわ、セレスティナ・デラクルス嬢。もう一人の聖女候補と呼ばれる方にお目にかかれて、幸運でした。手間が省けましたわ」

「どなたかしら? わたくしは大事な話をしているのです、お下がりなさい」

「その方は教皇猊下です。あなたが聖女を希望するなら、粗略に扱わないほうがいいですよ?」

「え?」

 怪訝そうに眉をひそめるデラクルス嬢に、教皇猊下は腕を交差して神官式の挨拶をする。

「初めまして、デラクルス嬢。教皇エドガルド・オルティス三世ですわ」

「えっ…………」

 デラクルス嬢は目に見えて困惑する。

「そんなはずないわ、教皇エドガルドは漫画では美形の男キャラで、ヒルベルト皇子と比肩するキャラ設定だったのに、女だなんて…………いったい、どういうこと!?」

 私は内心で納得する。
 やはり、猊下の若さや性別で教皇、というのは異例なのだろうし、デラクルス嬢の口ぶりから察するに、もしかしたらマンガの教皇は、悪役令嬢セレスティナに惹かれる『攻略対象』の一人だったのかもしれない。

「『マンガ』というのが、なにを意味しているのかは存じませんし、おっしゃるとおり、わたくしは女ですが。少なくとも、今のレイエンダと教皇庁で『教皇』を名乗れるのは、わたくし一人だけです」

「そんな。それでは、教皇がわたくしセレスティナを認める展開は…………!?」

 狼狽するデラクルス嬢に、教皇猊下は上品に笑いかけながら、首をかしげて訊ねる。

「察するに、あなたは《聖印》を取りにいらしたのでしょうか? デラクルス嬢」

「っ、そうですわ!」

 デラクルス嬢はやや怯んだが、すぐに力強く訴える。

「わたくしはデラクルス公爵令嬢にして、聖竜ブルガトリオ様の妃、聖竜妃。そして白銀の聖魔力をも発現させました。この世界漫画の誰より高貴で神聖で、気高く教養豊かで、知性も品性も、他者に劣っていると思ったことはありません。『聖女』と呼ばれることこそ、わたくしにふさわしい扱いであり、さだめです。わたくしがその《聖印》を手に入れるのは、世界漫画の運命。その魔女アリシア・ソルが持つほうが、おかしいのです!!」

 デラクルス嬢は断言したが、教皇猊下は「さて」という風に小首をかしげる。

「聖者もアンブロシアも、出自は条件に含まれません。貴族に生まれようが平民に生まれようが、あるいは流浪の民であっても無関係です。同じく、国王の妻であろうと平民の妻であろうと、はたまた聖獣や魔物の妻であろうと、聖者やアンブロシアと認められることに関係はありません」

 デラクルス嬢が教皇猊下をにらむ。

「聖者と認められる条件は、ただ一つ。それにふさわしい成果を出したか否か。あなたは何をなさったのでしょう、デラクルス嬢。わたくしに教えてくださいませんか?」

 デラクルス嬢を問う教皇猊下の声はやわらかく、瞳は澄んで、不届き者や傲慢な者なら、それだけで恥ずかしくなってしまいそうなくらい、まっすぐだ。
 デラクルス嬢は知らず知らずのうちに、苛立ちを露わにしていく。

「人々を癒しましたわ! 大勢! わたくしの癒しを求めて毎日、大勢の人々が公爵邸に押しかけました。これを偉業と言わずして、なんというのです!?」

「癒しの件なら、教皇庁にも報告が届いています。安直に数だけを比較することはできませんが、癒しを根拠に聖者認定するならば、デラクルス嬢より先に、ソル聖神官を認定しなければ筋が通りませんわ」

「――――っ!!」

「さらにソル聖神官は、百五十年にわたるセルバ地方の紛争解決に、エルネスト殿下やノベーラの将軍閣下と並んで、大きく貢献しました。これも加味すべきでしょう」

「あの件は、わたくしの功績です!! わたくしがあの文書を発見して、戦争を終わらせる運命筋書きだったのに、そこの魔女が、わたくしの手柄を横取りしたのです!!」

「では、その『運命』は立証できますか? わたくし達は第三者の目でも確認可能な事実のみを、審査の対象にしています。デラクルス嬢が問題の文書を発見したという報告は届いておらず、あなたのおっしゃる『運命』もわたくしや教皇庁には確認できない以上、わたくし達は、ソル聖神官達が発見したという複数の報告のみを審査の対象とせざるをえません」

「…………っ!!」

「念のため、確認いたしますけれど」と、くるりと教皇猊下が私を向いた。

「例の国境線の記録や宣誓書を発見したのは、ソル聖神官で間違いないのでしょう?」

「私というか…………」

 ちらり、とエルネスト候子殿下を見ると、殿下は、

「そうです」

 と首肯し、ルイス卿まで、

「そのとおりです。候子殿下にデレオン将軍閣下、そしてアリシア様もその場にいらっしゃいました」

 と肯定して、さらに証言を重ねる。

「アリシア様や候子殿下が先に落ちられたので、私が完全に一部始終を目撃した、というのは語弊がありますが。お二人が落ちる前は、なにもお持ちではありませんでしたし、私どもがあとを追って地下に降りた時に、アリシア様と候子殿下とデレオン将軍閣下以外、地下に誰もいなかったことは、他の兵達も証言できます。あの文書の発見者は、お三方です」

 本当は、図書館の魔王ビブロスが私達をあの神殿に引きずり落としたのだし、ビブロスからあの記録を買い取ったのはバルベルデ卿だが、それを伝えるとややこしいことになるので、細かい事柄は黙っておくしかない。

「ティナ…………」

 レオポルド殿下が心配そうにかつての婚約者に呼びかけるが、デラクルス嬢は「切り札!!」という風に主張した。

「わたくしは聖魔力を発現させましたわ!! 聖女の証である、星銀の聖魔力を!! 伝説にも『聖女アイシーリアは星銀の聖魔力を発現させた』とあります! これこそ、わたくしがアンブロシアであり、聖女アイシーリアの再来である、なによりの証拠ですわ!!」

「でもそれは、あなたの力ではないでしょう? デラクルス嬢」

「――――っ!」

 ざあ、とデラクルス嬢の額から血の気が引く。

「あなたが発現させたという、白銀色の聖魔力。それは、あなたご自身の力ではありません。あなたのその、紫水晶や真珠と一緒に首飾りに嵌めている、二つの白い玉と灰色の玉。それがあなたの聖魔力の正体です。おそらくそれは、行方不明になっているノベーラの公都の旧神殿とイストリアの二つの神殿に隠されていた《聖印》ではありませんか?」

 その場にいた人間達の視線が、いっせいにデラクルス嬢の首に集中する。

「そういえば、アリシア様が持っていらっしゃる《聖印》と同じ石…………!?」

「――――っ!!」

 ルイス卿の指摘に、青ざめたデラクルス嬢が首飾りを隠すように手をあて、身をよじる。

「アンブロシアの選定。そのための聖魔力の見極め。それが私の能力であり、役目です」

 教皇猊下は淡々と語った。

「あなたが星銀の聖魔力を発現させ、ノベーラ大公や他の患者達を癒した、というのは事実でしょう、デラクルス嬢。けれど、その聖魔力はあなた自身の力ではありません。時期を考慮するに、まずあなたはノベーラの旧神殿に隠されていた《聖印》を盗み出し、その《聖印》に宿っていた聖魔力を解放して、大公や他の患者達へ与えたのでしょう。《聖印》の存在を知らない周囲は、それをあなた自身の力と思い、あなたが星銀の聖魔力の持ち主と勘違いした。そしてイストリアに移ったあなたは、さらにイストリア皇都の大神殿と別の都の神殿から、保管されていた《聖印》を盗んだ。それが、その首飾りに嵌められた三つの玉です。それでは、あなたをアンブロシアと認めることはできませんわ」

「違う!! 違うわ、でたらめを言わないで!!」

 デラクルス嬢は必死の形相で主張する。

「《聖印》は聖女の証!! わたくしは神殿で、これを持っていけ、というブルカトリオ様のお許しを得たのです! 《聖印》は、わたくしのもの! わたくしこそが、正統な持ち主です! 《聖印》は、わたくしの中に眠る星銀の聖魔力を引き出す手伝いをしただけ!! なにも知らないくせに、勝手なことを言わないで!!」

「《聖印》に宿された聖魔力を解放するだけなら、少々の魔術を体得した者なら、誰にでも可能です。それこそ魔術師にも。わたくしは聖魔力を判別する力と役目を天から授かっています。その力が、あなたに聖魔力は宿っていないと判断したのです、デラクルス嬢」

「あなたが無能なだけだわ!!」

「ティナ!!」

「無礼な! 教皇猊下に対し、それ以上は、ただの侮辱とみなしますよ!!」

 レオポルド公太子殿下とエルネスト侯子殿下、二つの国の王子様が声をあげる。
 けれど当の教皇猊下は平然としていた。

「あなたは《聖印》を使いこなせてすらいません。本来《聖印》は白銀色に輝くもの。ですがあなたの首飾りのそれは、一つ灰色に濁っている。おそらく、それがノベーラの旧神殿から奪ったものでしょう。本来の場所から長く離れたことで、聖魔力が枯渇しているのです。本物のアンブロシアが持っていれば、そのようなことにはなりません」

(え)

 私は灰色から白く変化していた、セルバ地方で見つけたほうの《聖印》を見下ろす。

「そもそも《聖印》は聖女の証ではありません。本来は、もっと重要な役目を担う道具であり、その結果として、アンブロシアを選定するだけです」

「それは、どういう…………」

「やれ、面倒くさいことだ」

 突然、デラクルス嬢の背後に立つ、ずっとつまらなさそうにしていた緋髪の男が口を開いた。

「聖女聖女、偽物本物と煩わしい。人間ごときが用いる呼び名など、なんの意味がある。称号などくれてやれ。そなたにはもっと重大な役目があるだろう、セレスティナよ」

「ブルガトリオ様…………っ」

 デラクルス嬢はなにか言いたそうに緋髪の男を見上げたものの、教皇猊下を振り返る。

「見てのとおり、わたくしはブルガトリオ様を目覚めさせました! あなたも見たでしょう、先ほどのブルガトリオ様の真のお姿を! かつてのイストリア大皇国の誇る偉大なる守護神、聖なる竜の威容を!! これだけでも『偉業』と呼ぶにふさわしいはず! まして、わたくしはその聖竜の妃です! わたくしが聖女と認められるには、充分なはずですわ!!」

「ティナ…………っ」

「先ほどもご説明したように『誰の妻であるか』は、聖者認定には無関係です」

 教皇猊下の口調はきっぱりしていた。

「聖者に限らず、人が誇るべきは、出自や、それによって得た立場や身分や、家族や先祖の功績や伴侶ではなく、己自身が成し遂げた功績であるべきでしょう。あなたは、あなた。あなた自身が出した結果だけが問われるのです、デラクルス嬢。そもそも」

 教皇猊下は一歩前へ踏み出し、デラクルス嬢は気圧されたように半歩さがる。

「あなたは何故、なんのために、そこまで聖女の称号が欲しいのですか? デラクルス嬢」

「え?」

「ひとたび聖女と認められれば、神殿をはじめ、多くのしがらみに悩まされることとなるでしょう。世間の人々が思う聖女のイメージを押しつけられ、一方的に期待され、一方的に失望されることも。聖女の名を利用しようと、良からぬ目的を持つ者も寄ってきますし、あなたが出会い、顔を合わせるすべての人間が、いちいち『聖女にふさわしい』『ふさわしくない』と審査してくるのです。頼みもしないのに、勝手に。よいことばかりではありませんよ。それでも聖女になりたいのは、何故ですか?」

「そ、それは…………っ」

「あなたにとって、『聖女』の称号はどのようなものですか? 聖女となることで、あなたは何を手に入れるのです? 聖女と呼ばれようと、皇后や王妃と呼ばれようと、あなたがあなたである事実は、一片たりとも変わりはない。あなたが別人に変わるわけではないのに、何故」

「…………っ」

「あなたが、聖女と認められることで手に入れたがっているもの。手繰り寄せたい未来。それをはっきりつかまなければ、聖女になろうと、それ以上になろうと、いつまでたっても望む自分になれないまま、生涯、さ迷うことになりますよ、セレスティナ・デラクルス」

「――――っ!」

 愕然とデラクルス嬢は後ずさり、『ブルガトリオ』と呼ぶ緋髪の男に背をぶつけた。
 教皇のデラクルス嬢への言葉を聞きながら、私も考える。
 今まで深く考えたことはなかったけれど、仮に聖女認定された場合、私はその後、どうするつもりだったのだろう。聖女の称号は、私にとってどのような意味を持っているのか。

(聖女認定されれば有名人になれる、くらいにしか思っていなかった。ビブロスへの対価の支払いが早まる、くらいにしか…………)

 でも、これからは、それだけでは駄目なのかもしれない。
 聖女になるなら、なる。ならないなら、ならない。
 そのうえで、この先、自分がどんな人間になりたいか、きちんと考える必要があるのだ。
 聖魔力の量が破格っぽいので「癒しさえつづけていれば、食うに困ることはないだろう」で思考停止していたけれど。

(私がなりたいもの――――引き寄せたい未来――――)

『卒業したら、誰かの力になる生き方をしたいわ。将来は、困っている人が大勢いる国に行って、学校を建てたり食糧生産のための技術を伝えたり、汚れた水を飲むしかない人達にきれいな水を飲むための設備や技術を伝える――――そんな生き方をしたいの』

(え?)

 誰かの声が聞こえた。
 いや、あれは私の声?
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