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61.アリシア
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「エドガル…………え? 教皇? え? え!?」
目を白黒させる私に、長い金髪の少女はにっこり笑う。
「私の友人です」
と、エルネスト候子も笑い、私とレオポルド殿下に席を勧めた。
「まずはお茶にしましょう。クエント特産の香草茶をご賞味ください」
金茶色の髪と瞳の候子様は相変わらず柔和な笑みだが、今はちょっと信用できない感じに見えてくる。『存外、油断できない人物』と評したのは誰だったか。
私は迷ったが、レオポルド殿下が席につき、ルイス卿にも勧められたので、着席することにした。ルイス卿は私の背後に、レオポルド殿下の背後にも彼付きの護衛が立って、いつでも動けるよう待機する。
クエント側の侍従がすっきりした香りの香草茶を淹れて、レオポルド殿下、私、教皇を名乗る少女、最後にエルネスト候子と、カップに注いでいく。
お茶請けは貝の形の焼き菓子。前世のニホンで『マドレーヌ』と呼ばれていた物にちかく、高級品の砂糖とバターをたっぷり使っているところが、王族のおもてなしだ。
「ここより、もっと東の村での出来事ですが。貧しい少女が弟のために菓子を焼こうとしたものの、型がなくて泣いていたら、仲良しの海の精霊が貝殻をいくつも持ってきて、それを型代わりに焼いた、という伝説があるのです。以降、その村では菓子の型に貝殻を使うようになり、それが周辺の村や町へ広まった、というのがこの菓子の由来です」
私が予想外の展開に呆然としつつもマドレーヌはしっかり食べていると、エルネスト候子が幼子に絵本を読み聞かせるような表情で説明してくれる。
しかし。
「そろそろご説明いただきたい、エルネスト候子。そちらのご友人について」
レオポルド殿下が、マドレーヌを堪能する金髪の少女をちらりと見る。
エルネスト候子がなにか言おうとしたのをさえぎり、少女が口を開いた。
「わたくしからご説明させていただきますわ。まずは、先触れのない無礼をお許しくださいませ、ノベーラ公太子殿下、ソル聖神官。あらためて自己紹介いたします。神聖レイエンダ帝国教皇庁最高責任者、教皇オルティス三世ことエドガルド・オルティスです。お見知りおきを」
少女はいったんマドレーヌを皿に置き、立ち上がって神官式の挨拶をした。
よく見ると、彼女が着ている白い服は神官服。ただし長衣は一般の神官見習いの証である水色で、金色の髪も神官にしては長すぎる。
「教皇…………あなたが?」
私は思わず訊いてしまう。
少女はこくり、と、ほほ笑みながらうなずいた。
「エルネスト殿下とは、以前からのお友達です。今回、無理をいって、殿下にソル聖神官との対面の席をもうけていただきました。ソル聖神官がレイエンダにいらっしゃるのを待つより、わたくしがクエントに赴いたほうが効率的と思いましたので」
「だまし討ちのような形になったことは、謝罪します。なにぶん猊下の立場が立場ゆえ、お忍びにせざるをえなかったのです」
少女の説明に、エルネスト候子も弁解を添える。
私は再確認した。
「では、やはりこの方が…………」
「教皇オルティス三世猊下です」
エルネスト候子が断言し、私は二の句を失った。
こちらは前世のニホンのように、メディアの発達した世界ではない。印刷技術は発明されているので本は出回っているし、広告や小冊子をばらまける程度には製紙技術も発展している。なんなら貴族や富裕層の間では、少部数だが新聞も出回っているくらいだ。
しかし写真技術は発明されていないので、一国の王や王妃であっても、正確な容姿を知る機会は限られる。平民だと、バルコニーに出ての演説や行列などで、遠くからご尊顔を拝する程度だ。そこに「お美しい」とか「ご立派だった」くらいの情報が追加されて、人々の間に広まっていく。
なので私自身、神聖帝国にいるという教皇の顔を見たことはなかったし、そもそも気にしたこともなかった。なんとなく(まあ、偉そうな高齢男性だろうな)と思っていた程度だ。
(こんな女の子だったなんて、聞いていない…………)
でもマンガの世界だったら、むしろこのほうが定番なのだろうか。マンガの世界だったら、だけど。
「では、エルネスト殿下の言葉を信じるとして。教皇猊下が何故、身分を隠してまでこちらへ? ソル聖神官はレイエンダ帝国に赴く途中だった。わざわざ出向かずとも、待っていれば会えたはず。それに…………」
「それに?」
レオポルド殿下は言い淀んだ。
「先ほどの猊下のお言葉。ソル聖神官が次代聖女だという…………」
「そのとおりですわ」
清楚可憐な教皇猊下がさらりと断言する。
「アリシア・ソル聖神官が次のアンブロシアです。間違いありませんわ」
「…………っ」
私は食べていたマドレーヌの味がわからなくなった。
「っ、何故!?」
レオポルド殿下が乱暴にティーカップを置いて、腰を浮かせる。
「ノベーラにはもう一人、聖女候補が…………デラクルス公爵令嬢も聖女候補だ! むしろ白銀色の聖魔力を発現させた点では、ソル聖神官より可能性が高いはず! それなのに、何故!? …………彼女の言動か?」
最後の質問には、レオポルド殿下の苦渋がにじんでいた。
けれど教皇猊下の反応は淡々としている。
「デラクルス公爵令嬢という方については、わたくしはお会いしたことがないので、なんとも申せません。ただ、ソル聖神官に関しては、今こうして直にお会いして確信しました。『この方がアンブロシアだ』と」
「ではティナにも、デラクルス公爵令嬢にも対面すれば…………!」
「聖者と呼ばれる者は複数おりますが、『アンブロシア』と呼ばれる聖女は、基本的にその時代にただ一人です」
「…………っ!」
レオポルド殿下は悔し気に凛々しい顔をゆがめる。
私は、殿下が教皇猊下になにかするのではないかとひやひやしたが、うら若き教皇猊下は泰然とお茶をすするとティーカップをソーサーに置き、私へと顔をむけた。
「せっかくのお菓子とお茶ですけれど、もう時間にあまり余裕がありません。馬車の用意ができたようなので、日が暮れる前に大神殿までお付き合いくださいませ」
「大神殿、ですか?」
私は首をかしげた。
単純に考えれば、私は聖女審査に来たのだから、教皇猊下についていくべきだ。
が、クエント候に会って、ノベーラ大公からの親書を渡して同盟を申し込むのも、私の役目の一つではある。
困ってレオポルド殿下を見たら、殿下はうなずいた。
まだ王宮に送った使者が戻ってこないので、というのが理由だった。
「ごちそうさま。おいしいお茶とお菓子でしたわ」
教皇猊下は館の召使い達に笑顔で礼を述べて、席を立つ。
私とレオポルド殿下達も、彼女についていく形で館を出た。
玄関に、四人が乗れる大型の馬車が停まっている。
エルネスト候子の馬車だそうだが、王家の紋章は描かれておらず、お忍び用のようだ。
私はレオポルド殿下、エルネスト候子、教皇猊下と共に馬車に乗り込む。ルイス卿や、三人の貴人の従者や護衛が馬車の左右背後を守り、御者が鞭をふるって馬が歩き出す。
教皇猊下が語り出した。
「『聖者』は、そう呼ばれるのにふさわしい功績があった者。『アンブロシア』は別格。市井では、いえ、神殿内でも混同している場合がありますけれど、少なくとも教皇庁では、明確に区別されています」
恥ずかしながら、ノベーラの公都の大神殿で育った私も、その辺あまり区別していない。
「ええと。一般的に聖者は、尊い行為や、神の奇跡のような行為を教皇庁に認められて、そう呼ばれるようになるのではありませんか?」
「基本的には、そう定義されています」
「含みのある言い方だな」
冷ややかなレオポルド殿下の声。デラクルス嬢を差し置いて私をアンブロシアと断言したことで、教皇猊下に反感を持ったというか、一気に好感度が失われたらしい。声に猜疑心と不快が混じっていて、エルネスト候子が柔和な表情の下で警戒心を強めるのが伝わってくるが、肝心の教皇猊下は平然としている。いや、どことなく憂いを帯びている?
「自身の命と引き換えに街を救ったり、古の聖典を解読して復活させたり。神の声を聞いて災いから人々を守った聖者もいます。けれどアンブロシアの選定基準は、聖者とは異なります」
「え? では、私は? てっきり、癒した数が多いので、聖女候補になったとばかり」
「それも一因ですわ。そちらに関しては、このあと教皇庁で正式に審議が行われます」
「え? それなら、どうして教皇猊下はここへ…………?」
「わたくしは『アンブロシアの選定者』です。アンブロシア限定なのですわ。アンブロシアを見定めること、それがわたくしの役目であり、聖魔力です。これに関しては、誰の干渉もうけません」
「聖魔力? 聖魔力って、人を癒すだけではないのですか?」
「ええ。あまり種類は確認されていませんけれど。癒し以外にも、浄化や、わたくしのように聖魔力の判別などが報告されています」
私は目を丸くした。けっこう初耳だ。
(あ、でも浄化は…………)
心当たりがある。
あの、デラクルス嬢に仕えるアベル・マルケス。
彼は体内にいくつかの魔性の生き物を宿しており、それ故、私の聖魔力を浴びた時は苦しみ、魔王ビブロスにも『いくつか体内の魔性が消えた』と言われていた。
それにレオポルド殿下。
殿下が飲んだ魔術の薬を無効化したのも、私とグラシアン聖神官の聖魔力だった。
そうか、あれが『浄化』か。
「でも、それではアンブロシアというのは…………」
ガタン、と大きく馬車がゆれた。
「着きました。候都の大神殿です」
エルネスト候子の言葉に「つづきは中で」と教皇猊下にうながされて、私とレオポルド殿下は馬車を降りる。
クエント侯国の侯都の大神殿は、ノベーラ大公国の公都の大神殿より地味な印象だった。これはノベーラの大神殿のほうが建てられた時期が新しいぶん、最新の建築技術が用いられて、凝った細工がほどこされているからだろう。
「お待ちしておりました、アリシア・ソル聖神官。名高いセルバの聖女候補をお迎えすることができて、光栄です」
出迎えてくれた神官達の中から大神殿長が進み出て、挨拶される。
どうやらセルバ地方でのあれこれは、この候都にまで伝わっているようだ。
ノベーラの公都の大神殿長様は酒樽体型だったが、クエントの候都の大神殿長様はすっきりしたガラス瓶体型だった。健康のためにも、帰国したらソル大神殿長様には見習ってもらおう。
私達は大神殿長に案内され、ぞろぞろと、一般の信者達が参拝する礼拝所より奥へと進む。
秘密保持のためだろう、回廊に出る前に護衛や侍従のほとんどは廊下で待つよう指示され、私もルイス卿一人だけを連れて回廊へ出、さらに進むと、小ぢんまりした中庭に出た。
ささやかな花壇と木立ちに囲まれて、等身大の石像が立っている。
「これって…………」
見覚えある光景に似ている。あれは、ノベーラの公都の旧神殿だったか。
「少しお待ちくださいな」
教皇猊下が進み出て、石の聖女像に歩み寄った。
そのまま聖女像の額飾りの中央の石に触れ、指を動かす。
すると、ぽろりと石が外れ、教皇猊下の華奢な手の中に収まった。
(あの仕掛けって…………)
これも見覚えあった。あれはたしか、セルバ地方の溶岩に埋もれた神殿の地下で――――
教皇猊下はさらに手を動かす。石がぱかりと二つに割れ、ころんと澄んだ白銀色の小さな丸い石が転がり出てきた。
「そんなところに、そんな物が…………その石は、なにか価値ある品なのか?」
レオポルド殿下の当然の問いに教皇猊下は答えず、器のほうの石を閉じて額飾りに戻すと、白銀色のほうの石を胸に、私の前まできた。
石を私に差し出す。
「どうぞ。貴女が持つべきものですわ、アンブロシア」
「え? え?」
私は狼狽する。
が、同時に思い出してもいた。
「ちょっと…………すみません、待ってください…………」
謝りつつ、私は自分の襟をさぐった。聖神官の証である紫の長衣の下に、首から紐で小さな袋を下げている。その袋を引っぱり出したのだ。
そして袋を開け、中身を手のひらに出した。
あのセルバ地方の神殿の地下にあった聖女像に隠され、図書館の魔王ビブロスから「持っておくように」と言われていた、謎の石。
灰色に濁った質の悪いガラス玉のようだった、その石が。
「色が…………きれいになってる。前は、もっと灰色に濁っていたのに――――」
毎日、確認していたわけではない。けれど、それでも「あの時と色が違う」と言いきることができる。それくらい大きな変化だった。
たしかに前はもっと灰色だったのに、今は白っぽく澄んで透明感も増している。
「それは…………!」
教皇猊下が目をみはり、私の手を覗き込んだ。
「これを、どちらで!?」
「あ、ええと…………セルバ地方の、埋もれていた神殿の地下の、聖女像からです。同じように額飾りの中に…………。国境線の記録と一緒に発見しました、黙っていて、すみません…………」
おまけに勝手に持ってきてもいる。
あの場に居合わせたエルネスト候子も「いつのまに」と驚いていたが、叱られてもビブロスの名は出せない。
「まあ…………」
教皇猊下は感嘆した。なんだか感慨深げに。
「教皇猊下が取り出した石と、なにか関係があるんでしょうか? こちらの石は、前はもっと灰色に濁っていたんです。今は、かなり白くなりましたけれど…………」
「まあ」と、教皇猊下は再度驚く。
「教皇猊下。この石がなにか?」
レオポルド殿下が焦れた様子で問うてくる。
猊下は笑った。
「ソル聖神官が自らその石を見つけたというなら、それが星々のお導きでしょう。アンブロシアの証です。どうぞ、こちらもお持ちになってください。どちらも貴女が持つべきものですわ」
言って、教皇猊下は私の手に、彼女が聖女像から取り出したほうの石も乗せた。
私の手のひらの上に、よく似た白い石が二つ、仲良くころんと並ぶ。
「石の色に関しては、心配いりません。力をとり戻している証ですわ。長らく忘れ去られた神殿に在り、弱っていたのでしょう。近いうちに復活するはずですから、それまで大切にお持ちくださいな」
「えっと。すみません、なにがなんだか…………」
「ご説明しますわ。それは一般には《聖印》と呼ばれるもの。世間には『聖女の証』と伝わる品です」
「えっ…………」
私は耳を疑い、レオポルド殿下もぎょっと息を呑む。
「ですが、その石の本当の力と役目は――――」
教皇猊下は最後まで説明することはできなかった。
「お待ちなさい!! それは、わたくしのものです!!」
天から鋭い女の声が降ってくる。
ごうっ、と突風が吹いて小さな中庭の花を散らし、花弁を宙に舞わせた。
私はルイス卿に庇われ、一人ずつ随従していた護衛もそれぞれの主人を庇う。
風がやみ、まぶたを開くと、視界を埋めたのは大神殿の屋根よりも高い巨大な影。
緋く輝く鱗におおわれた全身と、被膜の翼。鋭い爪と牙、そして漆黒の瞳。
「竜…………!?」
誰かが叫ぶ。
その竜の足元に、たおやかな白っぽい人影が立っていた。
最高級の白絹に紫を差し色に用いた、古代の女神さながらの典雅なドレス。細い手首や二の腕には紫水晶を嵌めた黄金細工の手首飾りや腕輪をつけ、首には大粒の紫水晶と真珠と紅玉と、その他にも白や灰色の石を連ねた首飾り。波うつ銀髪にも、大量の真珠と白薔薇と紫水晶と紅玉を飾っている。
ほぼ完璧に整った顔立ちの中の、夢見るように潤んだ幸せそうな青玉の瞳と、つややかで妖艶な唇。そして、そこに浮かんだ勝利の笑み。
そこだけ見れば、本当に『女神の凱旋』とでも表現すべき堂々たる気品、神々しさだった。
「――――ナ…………っ」
レオポルド殿下がかすれた声で呻く。
女は優雅に中庭にいる者達に命じる。
「それは《聖印》。聖女の証。俗物が触れてはなりません。それは、わたくしに約束された品。この、真の聖女にし
て聖竜の妃、セレスティナ・デラクルスのものですわ」
「ティナ――――――――!!」
夕闇の下、レオポルド殿下の声が響いた。
目を白黒させる私に、長い金髪の少女はにっこり笑う。
「私の友人です」
と、エルネスト候子も笑い、私とレオポルド殿下に席を勧めた。
「まずはお茶にしましょう。クエント特産の香草茶をご賞味ください」
金茶色の髪と瞳の候子様は相変わらず柔和な笑みだが、今はちょっと信用できない感じに見えてくる。『存外、油断できない人物』と評したのは誰だったか。
私は迷ったが、レオポルド殿下が席につき、ルイス卿にも勧められたので、着席することにした。ルイス卿は私の背後に、レオポルド殿下の背後にも彼付きの護衛が立って、いつでも動けるよう待機する。
クエント側の侍従がすっきりした香りの香草茶を淹れて、レオポルド殿下、私、教皇を名乗る少女、最後にエルネスト候子と、カップに注いでいく。
お茶請けは貝の形の焼き菓子。前世のニホンで『マドレーヌ』と呼ばれていた物にちかく、高級品の砂糖とバターをたっぷり使っているところが、王族のおもてなしだ。
「ここより、もっと東の村での出来事ですが。貧しい少女が弟のために菓子を焼こうとしたものの、型がなくて泣いていたら、仲良しの海の精霊が貝殻をいくつも持ってきて、それを型代わりに焼いた、という伝説があるのです。以降、その村では菓子の型に貝殻を使うようになり、それが周辺の村や町へ広まった、というのがこの菓子の由来です」
私が予想外の展開に呆然としつつもマドレーヌはしっかり食べていると、エルネスト候子が幼子に絵本を読み聞かせるような表情で説明してくれる。
しかし。
「そろそろご説明いただきたい、エルネスト候子。そちらのご友人について」
レオポルド殿下が、マドレーヌを堪能する金髪の少女をちらりと見る。
エルネスト候子がなにか言おうとしたのをさえぎり、少女が口を開いた。
「わたくしからご説明させていただきますわ。まずは、先触れのない無礼をお許しくださいませ、ノベーラ公太子殿下、ソル聖神官。あらためて自己紹介いたします。神聖レイエンダ帝国教皇庁最高責任者、教皇オルティス三世ことエドガルド・オルティスです。お見知りおきを」
少女はいったんマドレーヌを皿に置き、立ち上がって神官式の挨拶をした。
よく見ると、彼女が着ている白い服は神官服。ただし長衣は一般の神官見習いの証である水色で、金色の髪も神官にしては長すぎる。
「教皇…………あなたが?」
私は思わず訊いてしまう。
少女はこくり、と、ほほ笑みながらうなずいた。
「エルネスト殿下とは、以前からのお友達です。今回、無理をいって、殿下にソル聖神官との対面の席をもうけていただきました。ソル聖神官がレイエンダにいらっしゃるのを待つより、わたくしがクエントに赴いたほうが効率的と思いましたので」
「だまし討ちのような形になったことは、謝罪します。なにぶん猊下の立場が立場ゆえ、お忍びにせざるをえなかったのです」
少女の説明に、エルネスト候子も弁解を添える。
私は再確認した。
「では、やはりこの方が…………」
「教皇オルティス三世猊下です」
エルネスト候子が断言し、私は二の句を失った。
こちらは前世のニホンのように、メディアの発達した世界ではない。印刷技術は発明されているので本は出回っているし、広告や小冊子をばらまける程度には製紙技術も発展している。なんなら貴族や富裕層の間では、少部数だが新聞も出回っているくらいだ。
しかし写真技術は発明されていないので、一国の王や王妃であっても、正確な容姿を知る機会は限られる。平民だと、バルコニーに出ての演説や行列などで、遠くからご尊顔を拝する程度だ。そこに「お美しい」とか「ご立派だった」くらいの情報が追加されて、人々の間に広まっていく。
なので私自身、神聖帝国にいるという教皇の顔を見たことはなかったし、そもそも気にしたこともなかった。なんとなく(まあ、偉そうな高齢男性だろうな)と思っていた程度だ。
(こんな女の子だったなんて、聞いていない…………)
でもマンガの世界だったら、むしろこのほうが定番なのだろうか。マンガの世界だったら、だけど。
「では、エルネスト殿下の言葉を信じるとして。教皇猊下が何故、身分を隠してまでこちらへ? ソル聖神官はレイエンダ帝国に赴く途中だった。わざわざ出向かずとも、待っていれば会えたはず。それに…………」
「それに?」
レオポルド殿下は言い淀んだ。
「先ほどの猊下のお言葉。ソル聖神官が次代聖女だという…………」
「そのとおりですわ」
清楚可憐な教皇猊下がさらりと断言する。
「アリシア・ソル聖神官が次のアンブロシアです。間違いありませんわ」
「…………っ」
私は食べていたマドレーヌの味がわからなくなった。
「っ、何故!?」
レオポルド殿下が乱暴にティーカップを置いて、腰を浮かせる。
「ノベーラにはもう一人、聖女候補が…………デラクルス公爵令嬢も聖女候補だ! むしろ白銀色の聖魔力を発現させた点では、ソル聖神官より可能性が高いはず! それなのに、何故!? …………彼女の言動か?」
最後の質問には、レオポルド殿下の苦渋がにじんでいた。
けれど教皇猊下の反応は淡々としている。
「デラクルス公爵令嬢という方については、わたくしはお会いしたことがないので、なんとも申せません。ただ、ソル聖神官に関しては、今こうして直にお会いして確信しました。『この方がアンブロシアだ』と」
「ではティナにも、デラクルス公爵令嬢にも対面すれば…………!」
「聖者と呼ばれる者は複数おりますが、『アンブロシア』と呼ばれる聖女は、基本的にその時代にただ一人です」
「…………っ!」
レオポルド殿下は悔し気に凛々しい顔をゆがめる。
私は、殿下が教皇猊下になにかするのではないかとひやひやしたが、うら若き教皇猊下は泰然とお茶をすするとティーカップをソーサーに置き、私へと顔をむけた。
「せっかくのお菓子とお茶ですけれど、もう時間にあまり余裕がありません。馬車の用意ができたようなので、日が暮れる前に大神殿までお付き合いくださいませ」
「大神殿、ですか?」
私は首をかしげた。
単純に考えれば、私は聖女審査に来たのだから、教皇猊下についていくべきだ。
が、クエント候に会って、ノベーラ大公からの親書を渡して同盟を申し込むのも、私の役目の一つではある。
困ってレオポルド殿下を見たら、殿下はうなずいた。
まだ王宮に送った使者が戻ってこないので、というのが理由だった。
「ごちそうさま。おいしいお茶とお菓子でしたわ」
教皇猊下は館の召使い達に笑顔で礼を述べて、席を立つ。
私とレオポルド殿下達も、彼女についていく形で館を出た。
玄関に、四人が乗れる大型の馬車が停まっている。
エルネスト候子の馬車だそうだが、王家の紋章は描かれておらず、お忍び用のようだ。
私はレオポルド殿下、エルネスト候子、教皇猊下と共に馬車に乗り込む。ルイス卿や、三人の貴人の従者や護衛が馬車の左右背後を守り、御者が鞭をふるって馬が歩き出す。
教皇猊下が語り出した。
「『聖者』は、そう呼ばれるのにふさわしい功績があった者。『アンブロシア』は別格。市井では、いえ、神殿内でも混同している場合がありますけれど、少なくとも教皇庁では、明確に区別されています」
恥ずかしながら、ノベーラの公都の大神殿で育った私も、その辺あまり区別していない。
「ええと。一般的に聖者は、尊い行為や、神の奇跡のような行為を教皇庁に認められて、そう呼ばれるようになるのではありませんか?」
「基本的には、そう定義されています」
「含みのある言い方だな」
冷ややかなレオポルド殿下の声。デラクルス嬢を差し置いて私をアンブロシアと断言したことで、教皇猊下に反感を持ったというか、一気に好感度が失われたらしい。声に猜疑心と不快が混じっていて、エルネスト候子が柔和な表情の下で警戒心を強めるのが伝わってくるが、肝心の教皇猊下は平然としている。いや、どことなく憂いを帯びている?
「自身の命と引き換えに街を救ったり、古の聖典を解読して復活させたり。神の声を聞いて災いから人々を守った聖者もいます。けれどアンブロシアの選定基準は、聖者とは異なります」
「え? では、私は? てっきり、癒した数が多いので、聖女候補になったとばかり」
「それも一因ですわ。そちらに関しては、このあと教皇庁で正式に審議が行われます」
「え? それなら、どうして教皇猊下はここへ…………?」
「わたくしは『アンブロシアの選定者』です。アンブロシア限定なのですわ。アンブロシアを見定めること、それがわたくしの役目であり、聖魔力です。これに関しては、誰の干渉もうけません」
「聖魔力? 聖魔力って、人を癒すだけではないのですか?」
「ええ。あまり種類は確認されていませんけれど。癒し以外にも、浄化や、わたくしのように聖魔力の判別などが報告されています」
私は目を丸くした。けっこう初耳だ。
(あ、でも浄化は…………)
心当たりがある。
あの、デラクルス嬢に仕えるアベル・マルケス。
彼は体内にいくつかの魔性の生き物を宿しており、それ故、私の聖魔力を浴びた時は苦しみ、魔王ビブロスにも『いくつか体内の魔性が消えた』と言われていた。
それにレオポルド殿下。
殿下が飲んだ魔術の薬を無効化したのも、私とグラシアン聖神官の聖魔力だった。
そうか、あれが『浄化』か。
「でも、それではアンブロシアというのは…………」
ガタン、と大きく馬車がゆれた。
「着きました。候都の大神殿です」
エルネスト候子の言葉に「つづきは中で」と教皇猊下にうながされて、私とレオポルド殿下は馬車を降りる。
クエント侯国の侯都の大神殿は、ノベーラ大公国の公都の大神殿より地味な印象だった。これはノベーラの大神殿のほうが建てられた時期が新しいぶん、最新の建築技術が用いられて、凝った細工がほどこされているからだろう。
「お待ちしておりました、アリシア・ソル聖神官。名高いセルバの聖女候補をお迎えすることができて、光栄です」
出迎えてくれた神官達の中から大神殿長が進み出て、挨拶される。
どうやらセルバ地方でのあれこれは、この候都にまで伝わっているようだ。
ノベーラの公都の大神殿長様は酒樽体型だったが、クエントの候都の大神殿長様はすっきりしたガラス瓶体型だった。健康のためにも、帰国したらソル大神殿長様には見習ってもらおう。
私達は大神殿長に案内され、ぞろぞろと、一般の信者達が参拝する礼拝所より奥へと進む。
秘密保持のためだろう、回廊に出る前に護衛や侍従のほとんどは廊下で待つよう指示され、私もルイス卿一人だけを連れて回廊へ出、さらに進むと、小ぢんまりした中庭に出た。
ささやかな花壇と木立ちに囲まれて、等身大の石像が立っている。
「これって…………」
見覚えある光景に似ている。あれは、ノベーラの公都の旧神殿だったか。
「少しお待ちくださいな」
教皇猊下が進み出て、石の聖女像に歩み寄った。
そのまま聖女像の額飾りの中央の石に触れ、指を動かす。
すると、ぽろりと石が外れ、教皇猊下の華奢な手の中に収まった。
(あの仕掛けって…………)
これも見覚えあった。あれはたしか、セルバ地方の溶岩に埋もれた神殿の地下で――――
教皇猊下はさらに手を動かす。石がぱかりと二つに割れ、ころんと澄んだ白銀色の小さな丸い石が転がり出てきた。
「そんなところに、そんな物が…………その石は、なにか価値ある品なのか?」
レオポルド殿下の当然の問いに教皇猊下は答えず、器のほうの石を閉じて額飾りに戻すと、白銀色のほうの石を胸に、私の前まできた。
石を私に差し出す。
「どうぞ。貴女が持つべきものですわ、アンブロシア」
「え? え?」
私は狼狽する。
が、同時に思い出してもいた。
「ちょっと…………すみません、待ってください…………」
謝りつつ、私は自分の襟をさぐった。聖神官の証である紫の長衣の下に、首から紐で小さな袋を下げている。その袋を引っぱり出したのだ。
そして袋を開け、中身を手のひらに出した。
あのセルバ地方の神殿の地下にあった聖女像に隠され、図書館の魔王ビブロスから「持っておくように」と言われていた、謎の石。
灰色に濁った質の悪いガラス玉のようだった、その石が。
「色が…………きれいになってる。前は、もっと灰色に濁っていたのに――――」
毎日、確認していたわけではない。けれど、それでも「あの時と色が違う」と言いきることができる。それくらい大きな変化だった。
たしかに前はもっと灰色だったのに、今は白っぽく澄んで透明感も増している。
「それは…………!」
教皇猊下が目をみはり、私の手を覗き込んだ。
「これを、どちらで!?」
「あ、ええと…………セルバ地方の、埋もれていた神殿の地下の、聖女像からです。同じように額飾りの中に…………。国境線の記録と一緒に発見しました、黙っていて、すみません…………」
おまけに勝手に持ってきてもいる。
あの場に居合わせたエルネスト候子も「いつのまに」と驚いていたが、叱られてもビブロスの名は出せない。
「まあ…………」
教皇猊下は感嘆した。なんだか感慨深げに。
「教皇猊下が取り出した石と、なにか関係があるんでしょうか? こちらの石は、前はもっと灰色に濁っていたんです。今は、かなり白くなりましたけれど…………」
「まあ」と、教皇猊下は再度驚く。
「教皇猊下。この石がなにか?」
レオポルド殿下が焦れた様子で問うてくる。
猊下は笑った。
「ソル聖神官が自らその石を見つけたというなら、それが星々のお導きでしょう。アンブロシアの証です。どうぞ、こちらもお持ちになってください。どちらも貴女が持つべきものですわ」
言って、教皇猊下は私の手に、彼女が聖女像から取り出したほうの石も乗せた。
私の手のひらの上に、よく似た白い石が二つ、仲良くころんと並ぶ。
「石の色に関しては、心配いりません。力をとり戻している証ですわ。長らく忘れ去られた神殿に在り、弱っていたのでしょう。近いうちに復活するはずですから、それまで大切にお持ちくださいな」
「えっと。すみません、なにがなんだか…………」
「ご説明しますわ。それは一般には《聖印》と呼ばれるもの。世間には『聖女の証』と伝わる品です」
「えっ…………」
私は耳を疑い、レオポルド殿下もぎょっと息を呑む。
「ですが、その石の本当の力と役目は――――」
教皇猊下は最後まで説明することはできなかった。
「お待ちなさい!! それは、わたくしのものです!!」
天から鋭い女の声が降ってくる。
ごうっ、と突風が吹いて小さな中庭の花を散らし、花弁を宙に舞わせた。
私はルイス卿に庇われ、一人ずつ随従していた護衛もそれぞれの主人を庇う。
風がやみ、まぶたを開くと、視界を埋めたのは大神殿の屋根よりも高い巨大な影。
緋く輝く鱗におおわれた全身と、被膜の翼。鋭い爪と牙、そして漆黒の瞳。
「竜…………!?」
誰かが叫ぶ。
その竜の足元に、たおやかな白っぽい人影が立っていた。
最高級の白絹に紫を差し色に用いた、古代の女神さながらの典雅なドレス。細い手首や二の腕には紫水晶を嵌めた黄金細工の手首飾りや腕輪をつけ、首には大粒の紫水晶と真珠と紅玉と、その他にも白や灰色の石を連ねた首飾り。波うつ銀髪にも、大量の真珠と白薔薇と紫水晶と紅玉を飾っている。
ほぼ完璧に整った顔立ちの中の、夢見るように潤んだ幸せそうな青玉の瞳と、つややかで妖艶な唇。そして、そこに浮かんだ勝利の笑み。
そこだけ見れば、本当に『女神の凱旋』とでも表現すべき堂々たる気品、神々しさだった。
「――――ナ…………っ」
レオポルド殿下がかすれた声で呻く。
女は優雅に中庭にいる者達に命じる。
「それは《聖印》。聖女の証。俗物が触れてはなりません。それは、わたくしに約束された品。この、真の聖女にし
て聖竜の妃、セレスティナ・デラクルスのものですわ」
「ティナ――――――――!!」
夕闇の下、レオポルド殿下の声が響いた。
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