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48.セレスティナ

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「まあ。なんて美しい」

 鮮やかな緋色に葡萄酒ワインのような赤紫。森のような深緑に、海を思わす紺。絹にサテン、モスリンにベルベット。刺繍も薔薇や百合に唐草、鳥、聖なる獣達と多彩です。
 イストリアの皇都から三日間の距離にある、ヒルベルト様が個人で所有する別荘で。
 わたくしは商人達の披露する、とりどりの布地に囲まれていました。
 上質の布は窓からさし込む陽光に光沢を放ち、花園に迷い込んだかのようです。

「好きな布を選ぶといい。どれも貴女の美しさを最大限に引き立てる、最上の品ばかりだ」

 言いながら、ヒルベルト様はわたくしにデザイン画の分厚い束を差し出します。
 みな、イストリアの皇都で流行の最先端をいくデザインばかりでした。
 ヒルベルト様はイストリアに入国されると、まず、皇都への道程の途中で通過するヒルベルト様の領地に入り、そこに建つ別荘にわたくしを連れていくと、大勢の商人を呼びよせ、わたくしのドレスを注文されました。
 ヒルベルト様と合流した際、ヒルベルト様にお伝えしていたからです。

「恥ずかしながら、供がアベル一人なので、荷物はたいして持参できませんでした。ドレスも宝飾品も…………この格好でイストリアの皇帝陛下や皇后陛下に、ヒルベルト様の父君や母君にお会いするわけには…………」

 むろん、わたくしは上等の外出着に上等の長靴ブーツ、帽子、最高級の毛皮の外套マントをはおって公爵邸を出たので、みすぼらしい姿をしていたわけではありません。
 けれどイストリア皇帝夫妻との謁見、と考えると、やはり不足でした。
 案ずるわたくしに、ヒルベルト様は頼もしくお答えくださいます。

「心配は無用だ。セレスティナは俺の恋人。貴女のドレスも宝石も、住む場所や食べる物もすべて、今日からは俺が責任持って用意しよう」

 優しい笑顔でそう断言されると、さらに提案されました。

「皇都への旅路の途中に、俺が陛下からいただいた皇子領がある。ひとまずセレスティナは、そこにある俺専用の別荘に滞在してくれ。そこに商人を呼んで、必要な物をそろえさせよう。それと、貴女はイストリア皇宮の作法や行事には疎いだろう。そのあたりに詳しい者も呼ぼう」

 むろん、本格的な皇子妃の勉強は皇宮に入ってからとしても、皇帝陛下に謁見するなら、最低限の内容は身に着けておく必要があります。
 ヒルベルト様は先に皇宮に戻って、皇帝陛下にノベーラ遊学を終えた挨拶と、妃となる姫を連れ帰った報告をする。わたくしはその間に準備を万端整え、イストリア皇帝の前に出るのにふさわしい姫君になっている。そういう手筈でした。

「まあ、目移りしてしまいますわ。どれも、すばらしいデザインばかり」

「ひとまず、室内着と外出着を二十着ずつ。それから舞踏会用のドレスと、音楽会や観劇用のドレスに、サロンを開く時用のドレスもあったほうがいい。小物や宝石も合わせて――――」

 ヒルベルト様がどんどん提案してきて、わたくしも弾む思いでうなずきます。
 イストリアの皇子妃ともなれば、ノベーラの公太子妃以上に人前に出る機会も多いはず。ヒルベルト様に恥をかかせないためにも、相応のドレスや宝飾品をどんどん仕立てなければなりません。華やかに見えても、これは遊びではなく公務の一環なのです。
 次から次へ見せられる品々は大国だけあってどれも贅沢で美しく、ノベーラにいたのでは一生、目にする機会のないような舶来品や高級品が当たり前のように出てきて、ヒルベルト様からのたしかな愛を感じます。

「セレスティナなら、やはり華やかなデザインが似合うだろう。レースもふんだんに用いたほうがいい。貴女なら見劣りしないはずだ。赤に緋、紅、朱――――この白真珠の肌には、濃い色がよく映える」

 ヒルベルト様がわたくしの白い頬や首筋を優しくなでられ、わたくしが恥じらいとくすぐったさに身をよじると、情熱を煽られたのか、さらになでてキスの雨を降らせてきます。

「もう、ヒルベルト様ったら。商人達が困っていますわ」

「かまうものか。ここにいるのは、俺だけの百合の妖精だ。俺以外の人間には見えない」

「ヒルベルト様ったら」

 ノベーラにいた頃は宮殿中の女達を惹きつけながら、これといった親密な相手はいなかった様子のヒルベルト様ですが、恋人になると、またたく間に情熱的な一面を披露してくださるようになりました。わたくしは毎日、それこそ愛猫家が愛猫を可愛がるように溺愛されます。
 ヒルベルト様と二人、ヒルベルト様のお好みをうかがいながら、八十着以上のドレスの布地とレース、それから靴や靴下、リボン、手袋、婦人用手提げ袋レティキュール、外套、帽子に宝石類、香水に化粧品、ハンカチ、櫛やブラシ、ヘアピン類、筆記用具と選んでいくと、終わる頃には日がかたむきはじめていました。
 商人達が帰ると、ヒルベルト様は召使いにお茶の用意を命じ、二人で一息つきます。

「俺は明日ここを発つ。皇宮で皇帝陛下に帰国の挨拶をしたあとは、大臣達への報告や細かい用事で、おそらく十日間ほどはむこうに留まるだろう。だが片付いたら、すぐに戻ってくると約束するので、貴女も心安らかに過ごしていてくれ、俺の銀の百合」

「お待ちしておりますわ。皇帝陛下にも、よしなにお伝えください。わたくしも次にヒルベルト様とお会いする時は、立派なイストリアの姫となっていると約束しますわ」

「楽しみだ。今度ここに来た時、迎えてくれるのは百合の精か真珠の精か、はたまた紅薔薇か」

 ヒルベルト様がわたくしの銀髪に優しく触れてきたため、わたくしはくすぐったさに、危うくアベルの淹れた紅茶をこぼしかけます。
 ちなみにこの別荘でも、アベルはわたくし専属の侍従として、わたくしの世話を一任していました。別荘の者は「何故、令嬢の世話を男の侍従が」と不審がりますが、魔術や前世や漫画の件など、アベルでなければ困ることがいくつもあるので、いたしかたありません。
 ヒルベルト様が皇子らしく鷹揚に許してくださったので、それでいいのです。
 クッキーに苺のジャムをのせていただいていると、ヒルベルト様は「そうだ、忘れるところだった」と、召使いにペンと便せんを持ってこさせました。

「デラクルス公爵へ手紙を書いてくれ、セレスティナ」

「手紙、ですか? 父へ? なぜ?」

「貴女は父君に何も言わずに、飛び出して来たのだろう? 俺のお転婆な風の精霊シルフ

「あ」

「娘が突然いなくなり、公爵はさぞ胸を痛めているだろう。娘として、手紙を送って安心させてやるべきだ」

「たしかに。失念しておりましたわ」

 漫画では、デラクルス公爵セレスティナとヒルベルトの結婚に喜んで同意し、二人の旅立ちを歓喜の涙と共に見送っていました。けれど、正式に公にヒルベルト様と並んでイストリアに旅立った漫画の展開と異なり、実際のわたくしは魔王の力を用いて、ひそかにヒルベルト様と合流したのです。
 それでなくとも父にはほとんどの事情を明かさず、簡単な書き置きだけを残して、邸を出てしまいました。万一「誘拐されて殺された」などと誤解されて葬式をあげられでもしては、とりかえしがつきません。

「わかりました、すぐに書きますわ」

 わたくしがティーカップを置いてペンをとると、ヒルベルト様がさらに指摘されます。

「貴女が『まだデラクルス公爵令嬢である』と、公爵に宣言することを忘れないでくれ。デラクルス公爵の嫡子として、結婚や相続など、すべての事柄に対する権利を有している、と」

「まあ」と、わたくしは首をかしげました。

「わたくしは、今も昔もデラクルス公爵の一人娘で、デラクルス公爵令嬢ですわ。その事実は不変です。何故あらためて、そのような内容を書く必要が?」

「愛する娘を奪われた父親が激怒して、駆け落ち相手と娘を絶縁した、というのは昔からよく聞く話だ。イストリア皇子たる俺と結婚するなら、セレスティナには相応の身分が必要となる。自分は未来永劫デラクルス公爵令嬢であり、イストリアへ嫁ぐにふさわしい身分と権利を有している、そう明記しておいたほうがいい」

「たしかに、そうですわ」

 わたくしはうなずき、言われたとおりの内容を手紙にしたためます。
 ヒルベルト様は楽しそうにわたくしの手元を見守っておりましたが、そのうち、

「もはやセレスティナは身も心もヒルベルト様のもの、ヒルベルト様がいなければ夜も明けません、くらいは書いてくれ」

 などと戯れをはさみはじめ、父への手紙はなかなか書きあがりません。

「もう、ヒルベルト様ったら」

 頬をふくらませたわたくしの頭をヒルベルト様がやさしくなでられ、わたくしからの手紙である証拠として、わたくしがノベーラから持参したお気に入りのレースのハンカチ、それにわたくしの銀髪をヒルベルト様手ずからほんの少し切って、添えます。

「デラクルス公爵も安心するだろう。明日、皇帝陛下にお会いしたあと、責任もってイストリアに常駐しているノベーラ大使に預けてくると、約束する」

「お願いしますわ」

 それから、わたくしはヒルベルト様と晩餐を済ませ、ヒルベルト様のお部屋で、ヒルベルト様からの惜しみない愛の言葉をたっぷり浴びながら、ヒルベルト様のベッドで休みました。
 わたくしがこの別荘に来てからの習慣です。
 結婚前なのに…………という気持ちはありました。けれど、

「ノベーラで初めて会った時から、俺は貴女をこの腕に抱きたかった、セレスティナ。俺を愛していると言った今、これ以上焦らさないでくれ、俺の銀の百合、麗しき我が運命の恋人よ」

 と、激しくわたくしを求めるヒルベルト様の情熱の前には、か弱いわたくしの抵抗など、溶岩の前の小さな氷も同然。
 ヒルベルト様の愛は、わたくしに何度も「前世の夫ですら、わたくしをこれほど愛したことはなかった」「わたくしを本当に愛しているのはヒルベルト様だわ」と確信させ、途方もなく甘い幸福感に溺れながら、わたくしは身も心もヒルベルト様の妃となったのです。
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