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36.アリシア

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 公都の城門をくぐって大通りに入ると、民の歓声と花吹雪に迎えられた。
 兵士達はさっそく迎えに来た家族や友人達との再会を喜び合い、私とルイス卿も、やっと生き延びた実感がわいて笑顔を交わし合う。
 国境に派遣されていたノベーラ軍の帰還はあらかじめ公都に知らせが届いており、軍は、まず大公陛下に帰還の報告をするのが段取りだった。
 兵士の列がずらずらと宮殿の門をくぐって、軍の最高責任者であるセルバ辺境伯とデレオン将軍その他ひとにぎりの上位騎士は、大公陛下や大臣一同が待つ謁見の間まで通される。
 私は平民だが、今回の働きを認められて一緒に謁見の間まで入れてもらえたばかりか、なんと大公陛下直々から、褒賞として労いのお言葉と貴族の位を賜ることが、公都に入る前に知らされていた。
 伯爵とか男爵とかの爵位でなく、最下位で一代限りの「平民ではない」という程度の地位だが、貴族には違いない。
 貴族と結婚したわけでもない、平民の女子が貴族に列せられるのは非常に稀であり「それだけアリシア様の功績が多大だった、というわけです」と、ルイス卿が嬉しそうに説明してくれた。

「貴族位が要らない、というわけではないですけど。金貨とか宝石のほうが、使い道があった気がします」

「神官は清貧が旨です。保管場所の問題もありますし、地位が無難ですよ」

 道中、ぼやいたら、グラシアン聖神官にたしなめられた。
 とにかく、私は今回の件で公には『嬢』の敬称で呼ばれる身分になった。
『アリシア・ソル』あらため『アリシア嬢』、もしくは『アリシア・ソル嬢』である。
 で、畏れ多くも大公陛下から労いのお言葉をいただいたあとは、公太子殿下からもお言葉を賜るという。
 ノベーラ大公の隣に立つレオポルド公太子は、狩猟大会から二ヶ月ほどの再会だ。
 もともと秀麗な容姿にはさらに磨きがかかり、輝かしい威厳も二割三割増しで、誰から見てもまさに『人の上に立つ者』、若き王族の気品と風格にあふれている。
 彼の隣には、紫を差し色に用いて銀糸の刺しゅうをほどこした、古風な雰囲気の純白のドレスを着たデラクルス公爵令嬢もおり、こちらも優雅な美貌にさらに磨きがかかっていた。
 公太子はセルバ辺境伯、デレオン将軍と、作法にのっとって感謝と労いの言葉をかけていく。
 昔からの学友だけあって、タルラゴ卿やバルベルデ卿、グラシアン聖神官とは特に親しげに抱擁し合い、個人的な会話もかわしていた。そして私の番。

(せめてビジネスに徹して)

 私は念じた。
 ただ、型通りの言葉をかけてくれればいい。そうすればこちらも礼儀を守って、頭をさげる。間違っても、砦の時のタルラゴ卿のような態度にだけは出ないでほしい。デラクルス嬢もいるのだ。
 私の痛切な祈りが通じたわけでもなかろうが、公太子は求婚してくるようなことはなかった。
 むしろ逆だった。

「私はお前を認めない、アリシア・ソル。いかに巧みに神聖な仮面をかぶろうと、貴様は今も昔もティナを苦しめる魔女だ。なにも変わってはいない。真の聖女は、私の愛するセレスティナ・デラクルス嬢ただ一人。お前は偽物だ」

「公太子!」

 周囲はざわめいたし、グラシアン聖神官は「殿下!」と咎めの声をあげ、バルベルデ卿も眼鏡の奥の目をみはる。タルラゴ卿は面白そうに口笛を吹いた。
 大公は、めでたい儀式での息子の暴言をさすがに諫めるが、公太子は怯まない。自分に非はないとばかりに、堂々と私を見おろしてくる侮蔑のまなざしは、初めて出会った時から寸分も変わらないばかりかいっそう冷ややかで、レオポルド公太子は相変わらずデラクルス嬢の絶対の味方であり守護者であり、私を敵と見なしていた。

「心配しなくていい、ティナ。君は私が守る。どんな強敵からも」

「嬉しいです、レオ様…………っ」

 もとの位置に戻った公太子は婚約者をそっと抱き寄せ、耳もとにささやく。
 居並ぶ貴族達は、ほほ笑ましさ半分「困ったものだ」と頭痛半分、といったところか。
 相変わらず、こちらの話を聞こうともしない態度には腹が立ったが、ここまで一貫されると逆に一種の清々しさを感じるというか、感心する気持ちがあるのも事実だった。
 まあ、とにかく。そんなこんなで、私の初めての、そして最後にしたい従軍経験は終わった。
 大神殿に帰還すると、大神殿長様はじめ神殿中の神官と見習いが勢ぞろいで、私とルイス卿とグラシアン聖神官を出迎えてくれる。

「ソル聖神官もグラシアン聖神官も、よくぞ無事に戻った」

 普段、お説教臭いソル大神殿長の目が、珍しく潤んでいた。
 ルイス卿とは逆に、ここでお別れだ。
 私は彼女の手をとり、礼を述べる。

「ありがとうございました、ルイス卿。私のわがままで危険な目に遭わせたこともあるのに、最後まで本当によくしていただきました。慣れない場所で、ルイス卿がいなかったら、どうなっていたことか…………無事に戻ってこられたのは、ルイス卿のおかげです」

「もったいないお言葉です。真珠の件がありましたのに…………また護衛が入用な時は、いつでもお声がけくださいませ」

 ルイス卿の菫色の瞳も、いつもよりきらきら潤んで美しい。
 私達を待って大神殿につめかけていた患者とその家族からも、泣いて喜ばれた。

「聖女様が戻って来てくださって、本当によかった――――」

「危険な前線まで行かれたと聞き、心配していました」

 口々に訴えられ、私も涙腺がゆるんでしまう。

「みなさん、ご心配をおかけしました――――」

 そんなこんなで。
 貴族になったとか手柄を立てたといっても、大神殿に戻ったら、私の生活はさほど変わることはなく、翌日から早々と忙しい日々が再開する。
 大神殿には、私の帰還を待ちかねていた患者が朝から押し寄せて、花や寄付も次々届き、それらをさばくために神官達まで駆けまわって、私はひたすら癒しに没頭する。患者の列は大神殿からあふれて、なお何十人と並び、グラシアン聖神官まで駆りだされたほどだったが、正午にさしかかるとさすがに残りも少なくなって、雑談をする余裕も生まれていた。
 そこで聞き逃せない話を耳にする。

「聖女様が帰って来てくださって、本当に良かったです。聖女様がいない間、私達に癒しを施してくれる方はいませんでしたから――――」

 周囲の患者や、彼らの付き添い達が同意する。
 私は困惑した。

「みなさんを不安がらせて、すみません。でも私がいなくても、デラクルス嬢が癒しを行っていたのでは?」

 大神殿には私以外にも五人の聖神官がいるが、彼らがあてにならないのはわかっている。デラクルス嬢が白銀色の聖魔力を発現させたあと、宮殿に常駐していた五人の聖神官のうち二人が大神殿に戻されたが(実質的な馘首クビ)、彼らは一日に二、三人癒すのが限界だ。毎日、何十人と訪れる患者を、彼らだけで対処することはできない。
 ただ、私が公都を出たあと、デラクルス嬢が公開で癒しをはじめた、とソル大神殿長から手紙で教えられていた。
 彼女を次代聖女として認めさせるための宣伝工作だろうが、デラクルス嬢のあの白銀色の聖魔力なら、私以上に大勢の患者を短時間で癒せるはず。
 そう、安心していたのだが。

「デラクルス嬢は偉い貴族のお姫様で、未来のお妃様です。とても、わしらのような者達が、お会いできる方ではないです」

「だいいち令嬢の癒しは、うんと少ないんです。週に一回、一度に三人まで。癒してもらえるのも貴族や金持ちばかりで、高価な手土産も必要なんです」

「思いつめた家族がお邸を訪ねても、平民は警備の兵に力ずくで追い返されて、話も聞いてもらえません。そんな話ばかりです」

「そんな…………」

「あの方は何なんですか? デラクルスのお姫様は、聖女の証である特別な聖魔力を発現させた。だから、アリシア様よりすごいんだ、なんて言う者もいますけど。そのすごい力を使う時は、アリシア様よりずっと少ないじゃないですか。それなのに、真の聖女なんですか?」

「癒しだけじゃありません。デラクルスの姫様は最近ずっと白いドレスを着ているそうです。神官様達も『あれは明らかに聖女の衣装だ』『まだ決まったわけでもないのに、図々しい』と言っています」

 私は宮殿で再会したデラクルス嬢の服装を思い出す。
 いわれてみれば、たしかに白と紫と銀の組み合わせは聖女アンブロシアの象徴だし、古風なデザインも聖女像を思わせるものだった。あれも宣伝工作の一環か。
 傷が癒えた患者の一人が涙ぐむ。

「たいした寄付のできない我々にも、分け隔てなく癒しを授けてくださるのは、アリシア様だけです。またアリシア様がいなくなったら、今度こそ私達は…………」

 あちこちで鼻をすする音が聞こえて、私は返す言葉を失う。
 ふと視線を移動すると、とうに一日の限界である十人に達して、隅で休んでいたグラシアン聖神官が悔しそうな苦しそうな横顔を見せていて、私はなおさら何も言うことができなくなってしまった。
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