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26.アリシア

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 グラシアン聖神官が砦を訪れた、すぐあと。
 私は新たな患者を発見した。それも集団で。
 敵対するクエント軍の兵士達。砦の牢につながれた、捕虜だった。

「どうして、こんなになるまで放置していたんです!」

 存在を知ったのは偶然からだったが、四十人ほどいたという捕虜は、すでに五人以上が遺体となって運び出されている。せまくて冷たい半地下の石牢内で、ろくに食事も与えられていないのだから、当然の結果だ。生き残っている者達も、多くは今夜を越せるかも怪しい。
 私はいそいで彼らの癒しをはじめた。

「アリシア様、それは」

 ルイス卿は「砦の責任者であるデレオン将軍に断りなく癒すのは…………」と、やんわり止めてきたし、牢の番を務めるノベーラ兵達もうろたえる。
 が、私は頓着せず聖魔力を発現させた。
 一人、また一人と回復していき、起き上がって驚きの目で自分の体と私の顔を見比べる。
 十人を癒し終えた頃、足音を荒く立てて男達がやってきた。
 兵の中でも士官である騎士達、先頭はタルラゴ卿だ。
 彼の部屋で、私の件について説得にあたっていたグラシアン聖神官も同行している。
 タルラゴ卿は牢を見渡して状況を理解すると、まず大声で私を怒鳴りつけてきた。

「なんと愚かな女だ、状況が理解できていないのか!? そいつらは敵だぞ、捕虜だ! 敵を助けるとは何事だ!!」

 タルラゴ卿の声はただでさえ大きいのに、それが石造りの半地下の廊下に反響して、ますます鼓膜を痛めつける。彼が引き連れた騎士達さえ耳をふさいだほどだ。

「大声を出さないでください、傷に響きます。お話はあとでうかがうので、静かにできないなら出て行ってください」

 私が癒し中の患者から視線を外さずに応じると、タルラゴ卿は乱暴な足取りで私の横に回り込み、横たわっていた患者を強く蹴飛ばして癒しを邪魔した。患者はうめき声をあげる。
 私は血相を変えた。

「なにをするんですか、怪我人に!!」

「こいつは敵だ! 今まで何人の仲間がこいつらに殺されたと思っている! 俺の師も弟も、こいつらに殺された! それを癒すとは、貴様はノベーラ人としての誇りがないのか!!」

 大口を開けて怒鳴るタルラゴ卿は、赤い髪も相まって魔物めいた迫力がある。見れば、彼の背後に並ぶ騎士や門番達も苦い顔をしており、ルイス卿やグラシアン聖神官からも緊張と困惑の念が伝わってきた。
 気持ちはわかる。自分達を苦しめている敵兵を何故わざわざ、と言いたいのだろう。
 けれど私の言い分は異なった。

「私は聖神官です。人々の傷や病を癒すのが役目であり、曲げてはならぬ神との誓約であり、そのための力を神から授かった身です。聖典には『イストリア人もそれ以外も、金持ちも貧乏人も男も女も、神の目には等しく人間である』と語られています。つまりノベーラ人であれクエント人であれ、神の目には同じ人間。であれば、彼らを助けることは神の御心に沿うこと。めぐりめぐってはノベーラに祝福をもたらすものと、私は信じます」

 この点に関しては、私が異世界から転生してきた記憶を維持していることも影響しているかもしれない。おそらく私は一般的なノベーラ人より、良くも悪くも「ノベーラ人もクエント人もそれ以外の国の人間も、この世界の人間という点では同じ」という意識が強い。
「それに」と、私はたたみかけた。

「彼らは近いうちに、クエント軍の捕虜となったノベーラ兵と交換されるでしょう。ならば、やはり見殺しにするわけにはいきません。一人でも多くのノベーラ兵をとり戻すため、できる限り生かしておくべきです」

 騎士達の何人かが「そういえばそうだ」と顔を見合わせる。
 しかしタルラゴ卿は説得されなかった。

「捕虜となったノベーラ兵は今頃、全員死んでいる。クエントはそういうならず者の集まりだ。我々ばかりクエントの捕虜を生かしてやる意味や義理はない! やつらがしたように、我らもやつらを殺してやればいい! それでこそ師や弟や仲間達の仇をとれるというものだ!!」

「もし、クエント軍がノベーラ兵の捕虜を助けていたら、どうするのですか? こちらがクエント兵の捕虜を全員死なせたと知ったら、怒って、せっかく生かしたノベーラ兵を殺してしまうかもしれません。助けられたはずの兵士を、短慮で死なせるつもりですか?」

「それは貴様の想像だろう!!」

「なら、タルラゴ卿の『ノベーラ兵の捕虜は今頃、全員死んでいる』というのも想像でしょう」

「やつらが捕虜を生かすはずがない! そういう卑怯者共だ!!」

「たぶん、あちらも同じことを思っていますよ」

 私はあらためて聖魔力を発現しつつ「争いはそういうものです」と付け加える。

「とにかく。聖神官として、怪我人を放置することは許しません。これは私の役目であり、誓いです」

「この裏切り者! 売国奴め! やはり女に、我ら騎士がどれほど苦労して戦っているか、理解はできぬのだな!! 命が惜しくば、すぐさま癒しをやめろ! さもなくば斬るぞ!!」

「ロドルフォ!!」

 グラシアン聖神官が割り込もうとする。

「売国奴と言いますが。ここで捕虜を死なせて、ノベーラ兵の捕虜をとり戻す機会を失えば、怒られるのはそちらでしょう。大公陛下もさぞ落胆されるでしょうに」

「女になにがわかる!? 口をはさむな、黙っていろ!!」

 私は本気でカチンときた。前世のニホンでこんな台詞を公の場で口に出せば、タルラゴ卿こそバッシングはまぬがれなかっただろう。
 しかしノベーラでは女性に求められるのは美しさや教養、血筋、そして健やかな子を産む若い健康な肉体であって、それこそ妃であっても政治的な手腕はあまり求められない。なので、タルラゴ卿の罵倒も問題にはならない。
 むしろ問題視されるのは、私の行動のほうなのだ。
 私は立ち上がった。怪我人は全員癒し終えたので、タルラゴ卿に向き直っても問題ない。

「口をはさんでいるのは、そちらでしょう」

 声のでかい石頭に、真っ向から言い放った。

「そちらこそ、癒しのなにがわかるというのです? 癒しは私達、聖神官の領域です。騎士のあなたは黙っていなさい!」

「なん…………っ!」

 赤毛の青年が顔を真っ赤にして絶句し、騎士も牢番も捕虜も、この場に居合わせたすべての男達の間に緊張が走る。

「このっ…………裏切り者が――――!!」

 タルラゴ卿がたくましく鍛え上げた腕をふりあげる。

「ロドルフォ!!」

「アリシア様!」

 グラシアン聖神官が飛び出し、騎士達も息を呑む。
 私は硬直し、その私に飛びつくようにしてルイス卿が私をかばった。

「やめよ!!」

 重厚な声が牢内に響いて、大きな拳が動きをとめる。
 半白髪の壮年の男性、砦の最高責任者であるデレオン将軍の一喝だった。
 部下から騒ぎを報告され、駆けつけたのだろう。
 ちなみにこのデレオン将軍閣下、セルバ地方とその周辺を収めるセルバ辺境伯の親戚で、セルバ辺境伯はデラクルス公爵家の遠縁なので、デレオン将軍もうっすら、デラクルス公爵家とつながりがあるらしい。
 デレオン将軍は牢内を一瞥し、状況を把握すると、まず私に注意してきた。

「ソル聖神官。捕虜の扱いは私の権限内だ。許しなく勝手なことをされては困る」

「失礼いたしました」

 私も癒しは済んでいたので、ルイス卿をかるく押し返して彼女の腕の中から離れると、将軍にむきなおって胸の前で腕を交差させて神官式の挨拶の形をとり、謝罪する(形だけ)。

「閣下! この女は、敵を助けた裏切り者です!! 厳重な処分を!!」

 タルラゴ卿の訴えに、ルイス卿がさっ、と私を背でかばう体勢になる。
 将軍は、はあ、とため息をこぼした。

「昨日まで追いかけまわしていたと思ったら、今日は裏切り者扱いか。――――処分というが、ソル聖神官を砦から追い出すなら、今後、誰が負傷者を癒すのだ? せんだっての戦いも、人的被害を最小限に抑えられたのは、ソル聖神官が女の身で危険を顧みずに、この砦まで駆けつけてくれたからだ。ソル聖神官がいなくなれば、困るのは我々だぞ?」

「聖神官なら、イサークがいる! イサークが癒せばいい! そもそも神聖な戦場に女がいるほうが間違っているのです!!」

「私には無理ですよ」

 すかさず、さらりと割り込んだのはイサーク・グラシアン聖神官だ。

「ソル聖神官は、次代の聖女候補に選ばれるほどの実力者です。私では、とうてい代役は務まらない。私がここに残っても、ソル聖神官ほどの成果は上げられないと断言します」

「イサーク!!」

「そこまでだ、タルラゴ卿」

 デレオン将軍は赤毛の青年を止めた。

「ソル聖神官の意見も一理ある。今後の捕虜交換を考慮すれば、これ以上、捕虜の数を減らすのは得策ではない。今回の件は不問に付す」

「閣下!! しかしそれでは、今日までの戦死者が! わが師や弟が、死んでいった仲間達が報われません!!」

「戦場に出る以上、死は覚悟のうえ。騎士となった時に、誓いを立てたはず。無駄死にも覚悟のうちよ。ただし」

 と、歴戦の勇士たる将軍閣下は私を見た。

「ソル聖神官も、今後は独断での行動は慎むように」

「はい。今度はお知らせしてから癒します」

『許可を得てから』とは言っていません。
 そういう言外の意味を聞きとったかどうか。将軍はちょっと渋い表情をしつつも、それ以上は追及せず、側近達をうながして、その場から動こうとしないタルラゴ卿にも「戻るぞ」と声をかける。
 タルラゴ卿は肩をいからせ、将軍に対してなにか言いたげにしていたが。

「やはり貴様は売女だ! 売国奴だ!! セレス嬢の足もとにも及ばない!!」

 そう私を指弾すると、足音高く戻って行った。

「なんて無礼な。つい先ほどまで、アリシア様をあれほど追いかけまわしていたくせに」

 ルイス卿が吐き捨てるように、タルラゴ卿の出て行った扉をにらむ。

「寿命が縮みました。あの短気なロドルフォを、あそこまで怒らせるなんて」

 グラシアン聖神官も大きく息を吐き出し、ついで、ぽつりと呟く。

「ですが…………聖神官としては、貴女が正しいのでしょう」

「はい?」

「ロドルフォは性根は悪い男ではありませんが、とにかく短気です。あれほど貴女を敵視するようになった以上、次に激昂すれば、女性といえども手をあげないとは限りません。くれぐれも気をつけてください。我々聖神官は、自身の怪我や病は癒せないのですから」

「たしかに」

 実はどんなに強い聖魔力も、自分には効かない。これは私も他の聖神官達も共通している。

「そんなことはさせません。私が必ずお守りします」

 憤慨するルイス卿に、私はかるく肩をすくめた。

「自分は癒せませんが、他人は癒せますから。私が怪我をした時は、グラシアン聖神官に癒しをお願いします」

 すると、たちまち少年が唇を尖らせる。

「嫌味ですか? 私には貴女の代わりは務まらないと、言ったでしょう」

「そうではなく。怪我をした私を、グラシアン聖神官が癒してください、という意味です。代わりにグラシアン聖神官が怪我をした時は、私が癒します」

「何故、私が…………」

 グラシアン聖神官は一瞬、顔をしかめた。が、すぐにそっぽを向く。

「致し方ありませんね。貴女が万全でなければ、ノベーラ軍に支障が出ますから」

 言い捨てると背を向け、足早に去ってしまう。
 が、その耳がほんのり赤かったのは、見間違いではないと思う。色が白いので、紅潮するとすぐわかるのだ。

「素直ではありませんね。でも誠実な方だと思いますよ」

 ルイス卿の声には年長者の慈愛の響きがある。

「己が務めに真摯に向き合うからこそ、アリシア様との実力差に悩まずにはいられないのでしょう。我々騎士にも覚えのある感情です。ですがグラシアン聖神官は、本心ではアリシア様の力を認めておられるはずですし、先ほども進んでアリシア様を守ろうとしておられました」

 たぶん、ルイス卿の言う通りなのだろう。聖魔力は生来の素質による部分が大きく、鍛えさえすれば向上する、というものではない。それだけに、自分より強い力を持った相手には複雑な感情を抱かざるをえない。でも。

「私も、イサーク・グラシアン聖神官は信用に足る同僚だと思っています。彼を慕うブルカンの街の人達が、その証です」

 できれば、あの時のことについてあらためて話し合えないかな、と思う程度には。
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