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20.アリシア
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せまい廊下を、なんとも気まずい重苦しい空気をただよわせて。私はグラシアン聖神官に案内されながら進んでいた。ルイス卿も異常を察知しているようだが、今はなにも言わない。
やがてグラシアン聖神官のほうから、ぎこちなく口を開く。
「…………久しぶりです。入学式以来ですね」
「…………ええ。お元気そうで」
グラシアン聖神官は咳払いしてつづける。
「…………報告は聞いています。名声を求める野心家だった貴女が、公都では癒しの奉仕に徹しているとか。神もさぞや安堵されたことでしょう。よくぞ悔い改めたものです。…………噂が事実なら、私も認めることができます。事実なら」
二度言うくらい、大事なことだったようだ。
こちらを向くこともない、かたい口調と横顔。
私も、つい淡々と返す。
「私が名声を求めているのは事実ですが、神がどう思われるかは無関係です。私は、私の信じる道を進みます。――――あなたの認識はどうあれ」
ぴしっ、と空気が凍るのがわかった。ルイス卿も息を飲む。正直、巻き込んで申し訳ない。
ただ、私も大人げない自覚はあるが、あんなことを言われたあとでにこやかに接することができるほど、人間ができていないのだ。
グラシアン聖神官も、いっそう冷ややかに返答してくる。
「…………たしかに。『無限の聖魔力を持つ』と評される、聖女候補様です。私の力など必要ないでしょう。――――どうぞ。こちらがお二人の部屋です」
グラシアン聖神官は扉を開けて私達二人を室内に入れると、さっさと行ってしまった。
二台のベッドと一つの書き物机でいっぱいのせまい部屋に、ルイス卿が二人分の荷物を置いて、私がさっそく荷解きをはじめる。トキは窓辺にとまると、人間達の忙しさなどどこ吹く風、すまし顔で目を閉じてしまう。
やがてルイス卿が遠慮がちに訊ねてきた。
「アリシア様は、先ほどのグラシアン聖神官とお知り合いなのですか?」
私は言葉を選びながら、極力無難な説明で応じる。
「学院の入学式で一度お会いしただけです。グラシアン聖神官は…………ええと、公太子殿下の側近で、デラクルス嬢とも懇意の方です」
「ああ。それは注意が必要ですね」
ルイス卿も聖女候補が二人いることは知っているため、なにかを察してくれたようだった。
荷解きに集中していると、早めに夕食に呼ばれる。大神殿と違って資金が潤沢でないブルカンの神殿では灯り一つも無駄にできないため、日没よりだいぶん前に夕食をすませるようだ。
それはかまわないのだが、神官全員そろって食べるのが、地味にきつかった。
モンテス神殿長とグラシアン聖神官とルイス卿、そして私。
大神殿では何十人という神官と神官見習い達が勢ぞろいしていた食事も、ブルカンの神殿ではこれで全員だ。正確にはルイス卿は神官でないけれど、貴族を厨房で食べさせるわけにもいかないので、同席している(一応、他に下男が一人いるそうだが、通いなので食事は家で家族ととっている、とのことだった)。
正直、味がしない。というか、実際にあまりおいしくない。かたい黒パンと牛乳とスープ。スープの味付けは塩だけっぽい。具は、玉ねぎと豆と、なんか臭い草。たぶん香草。苦い。
大神殿の食事は豪華ではなかったけれど、パンは白くてやわらかく、スープもさらにキャベツやにんじんが加わって具も大きかったし、味付けも少量だが香辛料を使っていた。正餐である昼食にはリンゴなどの果物もついたし、祭りとかのちょっと献立が豪華な日には腸詰めや燻製肉も出てきて、最近は魚も見かけるようになっていた。
「神殿の食事は質素だけど、毎日食べられるだけありがたい」と思っていたけれど、味や質もまあまあ良かったんだな、と今更ながらに気づかされる。
食事だけは大神殿が恋しい。食事の時だけでいいから、大神殿に戻れないだろうか、真剣に。ごはん大事、食事重要。ごはんがまずいと、それだけで泣けてくる。
というか今気づいたけれど、最近の大神殿の食事が豪勢だったのって、寄付が原因では? 私が癒しをがんばって大神殿に来る人が増えたから、集まる寄付も増えて、それで…………。
(私のおかげか…………!)
なんとも言えぬ気分に襲われた。自分で自分の食事を賄っていた私、偉い。
(ということは、この街でも癒しをがんばれば、もっとおいしい食事を食べられるようになる…………?)
公都とは街の規模が異なるので一概には言えないが、がんばる理由と利益が増えるのはいいことだ。
私は、貴族なのにまったく文句を言わずにスプーンを動かすルイス卿を見習い、黙って夕食を口に運んだ。
ちなみにグラシアン聖神官も黙々と食事を進めて、しゃべっていたのは公都の様子を知りたがっていたモンテス神殿長一人だった。場の空気に耐えられなかったというよりは、たぶんもともとおしゃべりな人。
とにかく、そんな感じで私の赴任初日は終わった。
翌日から、さっそく私は仕事を始めていく…………予定だったが、まだ勝手が全然わからないため、聖神官としての日課の合間を縫ってルイス卿と二人、神殿内の間取りや井戸の場所を覚えたり、いざという時の逃走経路を確認したりする。
礼拝所での祈祷に参加すると、公都からの人間は珍しいようで、信者達から好奇心いっぱいの視線を向けられた。特に、若い信者の視線はルイス卿に集中していたと思う。騎士服を着ているとはいえ美人だし、公都育ちの貴族だけあって洗練された雰囲気もある。
男性だけでなく、若い娘さん達もぽうっとなっていた。
私? おじいちゃん、おばあちゃんに「ありがたい、ありがたい」と拝まれていた。
肝心の癒しについては、この日は私の出番はほとんどなく、昼前にブルカンの街長が挨拶に来たあとは、午後に一人、足場を踏み外して骨折したという大工さんを癒して終わった。
「グラシアン聖神官より早く終わったなぁ。ありがとうございます」
大工は頭を下げつつ、ここまで連れてきた仲間と共に帰って行く。
そういえば、あのご子息はどこにいるのだろう。
女の子が三人、きゃっきゃと笑いながら「家族を癒してもらったお礼です」と、彼女達の手作りっぽい焼き菓子とお花を詰めた籠を抱えて来た時も、不在だった。
モンテス神殿長にそれとなく尋ねてみたら「患者に呼ばれて癒しに行っています」とのことだったので、あちらも私と顔をあわせたくないのかもしれない。
「グラシアン聖神官は、聖魔力が強いのですか?」
「ええ。一日で十人を癒したこともあります。おかげで、最近は参拝者の数も増えて」
(え。ひょっとして、あの献立でも立派になったほうだったりする?)
それはさておき。
「十人はすごいですね。大神殿や宮殿勤めの聖神官でも、一日に二、三人が限界です」
この世界は乙女ゲームの世界で、グラシアン聖神官はおそらく攻略対象の一人だろう。とすれば、普通の聖神官より能力が優れているのは不自然ではない。が。
「その実力でお父君が枢機卿なら、公都にいれば、成人後はすぐに上位神官でしょうに。何故、わざわざ危険なブルカンの街に?」
良いこととは思わないが、階級社会であるノベーラでは親、特に父親の身分や血筋、地位がものをいう。たいして実力のない男性でも、父親が高位貴族であれば、良い地位が約束されている。それが現実だ。
グラシアン枢機卿は伯爵位も持っていると聞いた。であれば神殿内での出世は確実だし、父親だって、最終的には自分の地位と家督を継がせる気でいるはずだ。公太子の取り巻き――――学友に選ばれたのも、その血筋と立場が一因だろう。
わざわざ地方に来る理由も利益もないし、むしろ不利益のほうが大きそうだ。
それとも、これも悪役令嬢や公太子殿下の工作の一環だろうか。
「高潔で慈悲深い方です、グラシアン聖神官は。公都で栄達が約束されているにも関わらず、親の威光で地位を得るのは正しくないと、自ら望まれてこのブルカンまでいらしたのです。戦乱の迫る危険な地だからこそ、聖神官の自分が求められるだろう、と。お若く、名門の育ちなのに、無欲で努力家な方です」
(高潔。慈悲深い、無欲、かあ…………)
私は全気力をもって、入学式の記憶から意識をそらす。
モンテス神殿長の口調にも表情にも、嘘はない。心から彼の高潔を信じているようだ。
王立学院の入学式での出来事を知ったら、どんな顔をするだろう。
(我ながら性格悪い)と思いつつ、そんなことを考える。
とりあえず、二日目もそんな風に平穏に終わった。
やがてグラシアン聖神官のほうから、ぎこちなく口を開く。
「…………久しぶりです。入学式以来ですね」
「…………ええ。お元気そうで」
グラシアン聖神官は咳払いしてつづける。
「…………報告は聞いています。名声を求める野心家だった貴女が、公都では癒しの奉仕に徹しているとか。神もさぞや安堵されたことでしょう。よくぞ悔い改めたものです。…………噂が事実なら、私も認めることができます。事実なら」
二度言うくらい、大事なことだったようだ。
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私も、つい淡々と返す。
「私が名声を求めているのは事実ですが、神がどう思われるかは無関係です。私は、私の信じる道を進みます。――――あなたの認識はどうあれ」
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ただ、私も大人げない自覚はあるが、あんなことを言われたあとでにこやかに接することができるほど、人間ができていないのだ。
グラシアン聖神官も、いっそう冷ややかに返答してくる。
「…………たしかに。『無限の聖魔力を持つ』と評される、聖女候補様です。私の力など必要ないでしょう。――――どうぞ。こちらがお二人の部屋です」
グラシアン聖神官は扉を開けて私達二人を室内に入れると、さっさと行ってしまった。
二台のベッドと一つの書き物机でいっぱいのせまい部屋に、ルイス卿が二人分の荷物を置いて、私がさっそく荷解きをはじめる。トキは窓辺にとまると、人間達の忙しさなどどこ吹く風、すまし顔で目を閉じてしまう。
やがてルイス卿が遠慮がちに訊ねてきた。
「アリシア様は、先ほどのグラシアン聖神官とお知り合いなのですか?」
私は言葉を選びながら、極力無難な説明で応じる。
「学院の入学式で一度お会いしただけです。グラシアン聖神官は…………ええと、公太子殿下の側近で、デラクルス嬢とも懇意の方です」
「ああ。それは注意が必要ですね」
ルイス卿も聖女候補が二人いることは知っているため、なにかを察してくれたようだった。
荷解きに集中していると、早めに夕食に呼ばれる。大神殿と違って資金が潤沢でないブルカンの神殿では灯り一つも無駄にできないため、日没よりだいぶん前に夕食をすませるようだ。
それはかまわないのだが、神官全員そろって食べるのが、地味にきつかった。
モンテス神殿長とグラシアン聖神官とルイス卿、そして私。
大神殿では何十人という神官と神官見習い達が勢ぞろいしていた食事も、ブルカンの神殿ではこれで全員だ。正確にはルイス卿は神官でないけれど、貴族を厨房で食べさせるわけにもいかないので、同席している(一応、他に下男が一人いるそうだが、通いなので食事は家で家族ととっている、とのことだった)。
正直、味がしない。というか、実際にあまりおいしくない。かたい黒パンと牛乳とスープ。スープの味付けは塩だけっぽい。具は、玉ねぎと豆と、なんか臭い草。たぶん香草。苦い。
大神殿の食事は豪華ではなかったけれど、パンは白くてやわらかく、スープもさらにキャベツやにんじんが加わって具も大きかったし、味付けも少量だが香辛料を使っていた。正餐である昼食にはリンゴなどの果物もついたし、祭りとかのちょっと献立が豪華な日には腸詰めや燻製肉も出てきて、最近は魚も見かけるようになっていた。
「神殿の食事は質素だけど、毎日食べられるだけありがたい」と思っていたけれど、味や質もまあまあ良かったんだな、と今更ながらに気づかされる。
食事だけは大神殿が恋しい。食事の時だけでいいから、大神殿に戻れないだろうか、真剣に。ごはん大事、食事重要。ごはんがまずいと、それだけで泣けてくる。
というか今気づいたけれど、最近の大神殿の食事が豪勢だったのって、寄付が原因では? 私が癒しをがんばって大神殿に来る人が増えたから、集まる寄付も増えて、それで…………。
(私のおかげか…………!)
なんとも言えぬ気分に襲われた。自分で自分の食事を賄っていた私、偉い。
(ということは、この街でも癒しをがんばれば、もっとおいしい食事を食べられるようになる…………?)
公都とは街の規模が異なるので一概には言えないが、がんばる理由と利益が増えるのはいいことだ。
私は、貴族なのにまったく文句を言わずにスプーンを動かすルイス卿を見習い、黙って夕食を口に運んだ。
ちなみにグラシアン聖神官も黙々と食事を進めて、しゃべっていたのは公都の様子を知りたがっていたモンテス神殿長一人だった。場の空気に耐えられなかったというよりは、たぶんもともとおしゃべりな人。
とにかく、そんな感じで私の赴任初日は終わった。
翌日から、さっそく私は仕事を始めていく…………予定だったが、まだ勝手が全然わからないため、聖神官としての日課の合間を縫ってルイス卿と二人、神殿内の間取りや井戸の場所を覚えたり、いざという時の逃走経路を確認したりする。
礼拝所での祈祷に参加すると、公都からの人間は珍しいようで、信者達から好奇心いっぱいの視線を向けられた。特に、若い信者の視線はルイス卿に集中していたと思う。騎士服を着ているとはいえ美人だし、公都育ちの貴族だけあって洗練された雰囲気もある。
男性だけでなく、若い娘さん達もぽうっとなっていた。
私? おじいちゃん、おばあちゃんに「ありがたい、ありがたい」と拝まれていた。
肝心の癒しについては、この日は私の出番はほとんどなく、昼前にブルカンの街長が挨拶に来たあとは、午後に一人、足場を踏み外して骨折したという大工さんを癒して終わった。
「グラシアン聖神官より早く終わったなぁ。ありがとうございます」
大工は頭を下げつつ、ここまで連れてきた仲間と共に帰って行く。
そういえば、あのご子息はどこにいるのだろう。
女の子が三人、きゃっきゃと笑いながら「家族を癒してもらったお礼です」と、彼女達の手作りっぽい焼き菓子とお花を詰めた籠を抱えて来た時も、不在だった。
モンテス神殿長にそれとなく尋ねてみたら「患者に呼ばれて癒しに行っています」とのことだったので、あちらも私と顔をあわせたくないのかもしれない。
「グラシアン聖神官は、聖魔力が強いのですか?」
「ええ。一日で十人を癒したこともあります。おかげで、最近は参拝者の数も増えて」
(え。ひょっとして、あの献立でも立派になったほうだったりする?)
それはさておき。
「十人はすごいですね。大神殿や宮殿勤めの聖神官でも、一日に二、三人が限界です」
この世界は乙女ゲームの世界で、グラシアン聖神官はおそらく攻略対象の一人だろう。とすれば、普通の聖神官より能力が優れているのは不自然ではない。が。
「その実力でお父君が枢機卿なら、公都にいれば、成人後はすぐに上位神官でしょうに。何故、わざわざ危険なブルカンの街に?」
良いこととは思わないが、階級社会であるノベーラでは親、特に父親の身分や血筋、地位がものをいう。たいして実力のない男性でも、父親が高位貴族であれば、良い地位が約束されている。それが現実だ。
グラシアン枢機卿は伯爵位も持っていると聞いた。であれば神殿内での出世は確実だし、父親だって、最終的には自分の地位と家督を継がせる気でいるはずだ。公太子の取り巻き――――学友に選ばれたのも、その血筋と立場が一因だろう。
わざわざ地方に来る理由も利益もないし、むしろ不利益のほうが大きそうだ。
それとも、これも悪役令嬢や公太子殿下の工作の一環だろうか。
「高潔で慈悲深い方です、グラシアン聖神官は。公都で栄達が約束されているにも関わらず、親の威光で地位を得るのは正しくないと、自ら望まれてこのブルカンまでいらしたのです。戦乱の迫る危険な地だからこそ、聖神官の自分が求められるだろう、と。お若く、名門の育ちなのに、無欲で努力家な方です」
(高潔。慈悲深い、無欲、かあ…………)
私は全気力をもって、入学式の記憶から意識をそらす。
モンテス神殿長の口調にも表情にも、嘘はない。心から彼の高潔を信じているようだ。
王立学院の入学式での出来事を知ったら、どんな顔をするだろう。
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