断罪されるヒロインに転生したので、退学して本物の聖女を目指します!

オレンジ方解石

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8.アリシア

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 燃え盛る炎が巨大な蛇となって父と母と弟妹を襲い、呑み込む。
 視界は真っ白になり、気づくと黒々と燃える禍々しい炎に囲まれていた。
 おそらくこの時、私の聖魔力は目覚めたのだと思う。
 けれど一時的に身を守っただけで、そのままなら私も家族同様、焼け死んでいたはずだ。

「なんだ子供か」

 そんな冷えたつまらなそうな一言と共に、この青年が現れなければ。
 漆黒の瞳に白い髪、青白い肌、裾の長い黒い服。

「悪いけど、無料タダ働きはしない主義なんだ。僕に手を貸させたかったら、対価を用意してくれ」

 家族を失い、今まさに炎に呑まれようとする幼子に、そんな無慈悲なことを言った。

「対価は本、もしくは魔力。本の内容ジャンルは不問。図鑑や詩集、料理本、大衆小説でもかまわないし、文字で記されているなら記録や書簡の類も受け付けている。言語は問わない。楽譜はものによりけりだ。それじゃ」

 背を向けて去ろうとした彼の裾をにぎりしめたのは、どうしてだったか。
 普通に考えれば助けてもらうためだけれど、あの時はもう、そんな当たり前の判断や感情すら失っていた気がする。
 ただ偶然、手に持っていた物を彼へと掲げた。
『本』と言われたから。
 あの時、私が持っていたは、それ一つだったから。
 昼間、集めた小さな紙片の一枚一枚に、母が育てている香草ハーブの絵を一種類ずつ描いて。絵の下に、父から習ったばかりの文字でそれぞれの名前を書いた。そして糸で綴じただけの本。
 私が生まれて初めて作った、私専用の『香草図鑑』だった。
 でも彼はとことん冷たかった。

「これは本とは言わない」

 たった八歳の女の子が、がんばって作った図鑑を、そんな一言で腐した。まあ、客観的に見ればだろうけれど。
 でも。

「まあ、いいよ」

 ため息をついて、青白い手が私の自作の稚拙な本を受けとった。

「大盤振る舞いだ。これも本と認めよう。文字と絵で記されているには違いない。だいぶん、お粗末だけれどね」

 ぼやきながらも、彼はまだ幼かった私の体を抱きあげた。
 そして気づけば私は星空の中にいて、体に吹きつける空気が、炎に炙られつづけた肌にはひんやりと心地よかったのだ。
 名を問われ「アリシア」と返すと。

「じゃあ、アリシア。取引は成立だ。この僕、『図書館の魔王』ビブロスの名において、これから君を安全な場所まで逃すから、君は今後、せいぜい功成り名を遂げてくれるかな。君が有名になれば、この子供のお遊びそのものの紙の束も『あの高名なアリシア嬢の子供時代の作』として価値が出る可能性があるからね」

 そう言うと、彼は腕に私を抱えたまま空を飛び、別の街に建つ女子専用の神殿へと送ってくれた。
 私はしばらくそこで育てられ、聖魔力があると判明してからは公都の大神殿へと送られて、聖神官見習いとしての修業がはじまった。

 

 

…………いま思い返しても、あの状況で八歳の子供にかける言葉じゃないと思う。人が、がんばって作った物を最後までけなしてくれたし。
 でも思い出した。

「有名になれ、って…………」

「そうだね」

 魔王が肯定する。
 そうだ。私は何故だか、神殿に入った頃には思っていた。
「有名になりたい」と。
 有名になりたい、ならなければならない。そのためには、どうすればいいのだろう。
 周囲の神官達は「欲を捨てろ」と言うし、「欲望に負ければ地獄に堕ちる」とも教わった。栄誉や名声を求めるのも欲望の一つだ、と。
 では、私のこの気持ちも欲か。子供の頃からこんな風に願うなんて、私は欲深な人間なのだろうか。そんな風に悩んだ時もあったけれど。
 疑問は氷解する。

「あなたが言ったんだ…………『有名になれ』って。だから私は――――」

 そう。だから私は、有名になりたかった。ならなければならなかった。
 この魔王ひとに言われたから。

「そうだね。まあまあ名をあげてくれたよ。少なくとも今、アリシア・ソルという名は、この公都では多くの人間の知るところとなった」

 せまい個室の中、魔王が一歩、私に近づく。

「おかげでこの子供のお遊びも、少しは箔がついた」

 彼が掲げたのは紙の束だった。

「~~~~っっ!!!!」

 私は悲鳴をあげそうになった。顔が熱くなる。
 子供時代の落書きを真面目な顔でさらされるのは、こんなに恥ずかしいことだったのか。

「まだ持っていたの!?」

「当然だろ、保管しているよ。こんなお遊びでも対価には違いないからね」

(お遊びで悪かったわね)

 恥ずかしいやら悔しいやら。
 だが、もっと恥ずかしい展開が待ち受けていた。

「でもまあ、こちらのほうが等級は上かな」

 魔王が手をふると厚い本がふわりと飛んできて、彼の目の前で停止する。見覚えのある本、と私が思う間もなく、魔王の前でひとりでにページがめくられた。

「『○日、掃除。洗濯。文法と計算の授業。△日、掃除。洗濯。聖典の授業。□日、掃除。洗濯。文法と計算の授業』…………君、一ページに何日分、書いているんだ」

「私の日記――――っっ!!」

 今度は本当に悲鳴をあげていた。
 図書館の魔王が読みあげたのは、机に置いたままの私の日記だった。
 それも最初のページからなので、まだ文章が不得手で一日に数単語が限界。紙が高価ということもあり、一ページに何日分も書いていた頃の内容だ。

 魔王はかすかに顔をしかめた。

「しかも内容がしようもない。同じ単語しか書いていない」

「それは、文字を習いたての頃だから、まだ文章で書くのは難しくて…………じゃなくて、どうして人の日記を勝手に見るの!?」

「あいにく、これも対価の一部だ。僕には中身を鑑定する権利がある」

「対価って…………」

 はた、と私の脳裏に光景がひらめく。

――――文字が書けるようになってきたなら、ちょうどいい。ほら。これを渡しておくから、今日から日記をつけてごらん。ページが無くなったら、新しい物と交換に来るよ。せいぜいよく書いて、功成り名を遂げてくれるかな。有名人の直筆の日記や書簡は価値が高いからね。

 つまらなそうな声と、差し出されたなにも書かれていない白紙の本。

「…………」

「思い出したかい?」

「…………っ」

 思い出した。製紙技術が普及したといっても、紙はまだそれなりに高価だから、こんなに厚い本を平民の子供が手に入れられるはずがない。数年間、日記帳として使ってきたこの無地の本は、たしかに目の前の青年がくれた品だった。
 だけど。

「本当に、たいしたことは書いていないな…………君、もっと周囲の事柄に興味を持ってくれないかな。そうすればこの日記も、もっと価値が上がるのに」

「日記は日記でしょ!? というか、読まないで!!」

「日記にも価値や個性の違いはあるよ。誰が書いたか、も重要だけれど、内容にも左右される。たとえ一般人でも、その時代の風俗習慣や歴史的大事件、その前後の様子を詳細に記していれば、後世の重要な研究資料として価値を高く設定しているんだよ」

「それはわかったから! いいから、返して――――!!」

「断る。これは八年前に命を助けた対価の一部として、約束通りいただいていくよ」

 魔王が宣言すると、彼の手の上に浮かんでいた私の日記が、ふっ、と消えた。

「えっ…………どこ!? どこにいったの!?」

「僕の図書館に保管した。代わりに、はい」

 同じ大きさと厚さの本がさし出された。反射的に受けとって開いてみると、白紙のページがつづいている。

「次の巻だよ。明日からはこちらに書いてくれ」

、って…………」

「命を助けた対価だよ。あんな子供のお遊びと、同じことのくりかえしのような日記では、僕の働きに見合わない。せめてもう三、四冊は書いてもらわないと」

「…………」

「むろん、君がもっと有名になれば、日記の価値が上がる分、少ない冊数で終わらせることも可能だ。それと周囲の出来事を詳しく記しても、価値は上がる」

「…………」

「というか、君。聖神官見習いのうえ聖女候補なんだから、もっと一般人が知らない事情を細かく記してくれないかな。そうすれば価値が上がる分、対価の支払いも早く完了するよ?」

「…………っ」

 どこからつっこめばよいものか。

「持って行かれるとわかっていて、日記をつける人はいないわよ! というか持って行く、いえ、持って行ったわよね、たった今! 私の日記を、どうするつもり!? まさかあれ、誰かに見せるつもりじゃ…………!」

「対価次第だね」

「いやぁぁ!!」と私は悲鳴をあげた。

「返して! 返して、私の日記!!」

「却下。言っただろ? 対価だよ、八年前の」

「別の物にして!!」

「日記を書いて寄越す、と約束したじゃないか。八年前」

「え」

 脳裏に鮮やかに光景がよみがえる。

『これを書いたら、タイカになるの?』

――――そう。まあ、一部かな。今のところ君はただの一般人で、字が多少書けるようになっただけの子供だから、ないよりはマシ、程度のものだね。――――早く色々書けるようになってくれるかな。ページが無くなったら、受けとりに来るよ。

『わかった。じゃあ、いっぱい書くね。たすけてくれたお礼にたくさん書くから、はやくとりに来てね』

 意味もわからず、ただ、この青年から真新しいきれいな本をもらったのが嬉しくて、満面の笑みを浮かべた。

「…………」

「思い出した?」

 思い出した。ばっちり思い出した。

「~~~~っっ」

 顔に血と熱が集まり、魔王を見あげることができない。
 なんで、あんな約束をしてしまったのだろう。叶うなら、今からでも八年前の自分に「別の方法にしなさい」と言ってやりたい。

(でもきっと、言うことを聞かないだろうな)

 何故なら、あの時、白紙の本をもらった自分は本当に嬉しくて。
 彼が「君の日記が欲しい」と言うなら、いくらでも書いてあげたくて。
 未来の自分がどれほど「やめろ」と言っても、彼が望むなら絶対にやめなかっただろう。
 あの頃のそういう気持ちを今思い出してしまって、私の後悔はどこかに吹き飛んでいた。
 顔が熱い。きっと真っ赤になっている。
 目の前の魔王はといえば相変わらず雪の夜のようで、姿を現してから終始淡々とした、つまらなそうな声音のままなのに。

「まあ、どうしてもというなら、対価の変更も受理するよ。どうしても、と言うならね」

 図書館の魔王は念押しする。

「日記以上に価値のある本を用意できるなら、交換は可能だ。まあ、神殿暮らしで見習いで孤児の君に、そんな本を手に入れる伝手や金銭があるならば、の話だけれど」

「~~~~っっ」

 ないとわかっていて提案している。
 悔しさに思わず魔王をにらんでしまうが、さすがは魔王。端正ながらもぶ厚い面の皮は、小娘一人の恨みの視線なんて、どこ吹く風。刺さるどころか、かすってすらいないようだ。

「質問がなければ、僕は行くよ。じゃあ、がんばって有名になってくれ」

 魔王はくるりと背を向ける。

「待って!」

 私は反射的に呼びとめていた。

「なに?」

「ええと…………」

 正直、困ってしまった。とっさに止めただけで、具体的な用件があったわけではない。
 でもなにか言わなければ、この青年は帰ってしまうだろう。

「あの…………」

 話題をさがしていて思い出した。
 ものすごく大事な、真っ先にこれを訊くべきだろう、という重大な話題。

「あの、昼間。旧神殿で。どうして、あの人と一緒にいたの?」

 とても大事な疑問だった。

「あの侍従みたいな格好の、魔術で炎の蛇を出した人。私を殺そうとしていたけど――――本当にデラクルス公爵家
の人だったの? どうして…………あの人と一緒にいたの?」

「依頼人と依頼内容は他言できない。対価をもらってもね」

「でも一緒にいたし、同じ目的だったんじゃないの?」

「返答は控えるよ」

「控えないで。せめて一つくらい答えて」

「そんなに重要なことかな?」

 私はむっとした。

「重要に決まってるでしょ、こっちは殺されそうになったの! あなただって、あの人が私を殺そうとしているって、わかっていて黙って見ていたの? 私が死んでも良かったの?」

「良くはないよ。対価の支払いが滞る。経理でいうところの赤字だ」

「でも、止めなかったじゃない。あの人が私を殺そうとしたのに」

「まあ、力は君のほうが強いからね」

「でも『手伝おうか』って言ったじゃない。あの人に」

 私の語尾がふるえた。

「あの人が私を殺したがっているって、わかっていて『手伝おうか』って…………っ」

「――――泣くほどのことかな?」

 かすかに驚きを含んだ問いかけで、私は自分の目尻に滴がたまっていることを自覚した。

「どのみち、今のあの男に稀覯本三冊なんて、用意できるはずないし。気にするほどのことでもないと思うけれど?」

 暗殺者に手を貸そうとした側がそんなことを言う。

「でも『手伝う』って言ったじゃない。対価をもらっていたら、していたんでしょう?」

「こだわるね。そんなに重要かな?」

 心底わからない、という風にやや首をかしげて、魔王は問うてくる。

「僕としては、君が死ねば残りの対価が受けとれなくなって、困る。あの男に、あの時点で僕に依頼する方法はなかった。それで充分じゃないかな?」

「充分じゃない…………っ」

 私は涙声だった。視界がにじむ。

「やれやれ」という風に魔王が言った。

「君、変わらないね。十六歳にもなって、八歳のように泣く」

 私は心底悔しくなった。

「泣かせたのは、そっちだから!」

「僕が? どうして?」

 本当にわからない、という口調。

「もういい…………っ」

「僕が、君を殺そうとする男に手を貸した。それが泣くほどのこと?」

「…………っ! そうよ!!」

「どうして」

「どうして、って…………」

「僕は『図書館の魔王』だ。本や魔力と引き換えに情報を渡す、あるいは望みを叶える。そういう在り方なんだよ。報酬の折り合いがつけば、依頼をこなす。つかなければ、こなさない。それが僕だ。いちいち気にするほうが身が持たないよ?」

 自分で言うか。

「私は気にする」

「どうして」

「気になるの! 私は、あなたが私を殺すのかと思って、すごく傷ついた! 苦しかった! あの時はわからなかったけど、今思い出したら悲しくなった!! 嫌だったのよ!!」

 そう。今ならわかる。
 昼間、この青年があの侍従に『手伝おうか』と言い出して。
 私はすごく嫌だった。苦しかった。
 この青年に存在を軽んじられるのが、どうしようもなくつらくて悲しくて切なかった。
 だって。

「私は、あなたが好きなのに!」
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