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5.アリシア

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「学院でも大騒ぎよ。『デラクルス嬢が本物の聖女だ』って」

「へー」

「『アリシア・ソルは偽物だ』なんて噂まで流れはじめているわ。調子いいと思わない?」

「かもね」

 公都の大通り。私は神殿育ち仲間のラウラと歩いていた。私は薄紫色の長衣に白の神官服、ラウラは焦げ茶色の奨学生の制服だ。
 普段の私は大神殿で癒しを行い、ラウラは学院に通学しているので、おしゃべりの時間をとれたのは久々だ。大通りにはレストランやカフェのような飲食店や屋台が並び、おいしそうな匂いがそこここからただよって、誘惑に耐えるのに一苦労だった。

「はりあいないわね、悔しくないの? 昨日まで聖女と呼ばれていたのはアリシアなのに、ぽっと出のお貴族様にかっさらわれて、腹が立たないわけ?」

「んー…………まあ、もともと聖神官は少ないし。癒せる人が一人でも増えるのは、いいことだと思う。私の労力も減るし」

「アリシア…………ひょっとして『聖女は人を憎んだらいけません』とでも思ってる? もしくは聖神官長様あたりに、そう指導されたとか」

「まさか」

 あけすけなラウラの物言いに、私は笑う。

「腹が立たない、といったら嘘かな。やっぱり、ちょっと納得しかねる部分はあるし。ただ…………」

「ただ?」

「それ以上に、関わりたくない」

 私の心からの断言に「ああ…………」とラウラも納得の声をもらす。

「聖神官は確実、とか聖女候補と言われても、しょせんこっちは平民。むこうは大貴族の令嬢で、未来の大公妃殿下だもの。悪意だろうが好意だろうが、目をつけられること自体、リスクと苦労が大きすぎるし。相手にせず、隠れて生きるのが正解でしょう?」

 なんといっても、あちらは悪役令嬢。この世界の中心主人公だ。
 断罪と敗北が宿命づけられたゲームヒロインヒドインの私が関わるのは危険すぎる。
 まして、聖女みたいな良い地位設定をとりあうなんて。

(たぶん、デラクルス嬢が聖女になるのは、既定路線マンガの展開だろうし…………)

「たしかに」とラウラも同意した。

「でも、それだとアリシアの『有名になりたい』願望と矛盾していない?」

「そこが問題なのよね」

 首をかしげた私に、ラウラはかろやかな笑い声をあげた。

「まあ、気にすることはないわ。あれこれ言っても、騒いでいるのは上流の家格の子女ばかりだもの。たぶん公爵家が噂を流しているのよ。あちらとしては、自分の家から聖女が出た方が都合いいもの」

「そうなの?」

「現実問題、アリシアに癒してもらいに来る患者の数は、減ってないんでしょう?」

「全然。むしろ今回の噂を聞いて、励ましてくれる人ばかりで」

『私達は信じてるわ、アリシアさんこそ聖女よ。アリシアさんが何十人と癒してきたのを、この目で見てきたもの』

『金のない俺達を癒してくれたのは、アンタだけだよ。誰がなんと言おうと、アンタが俺達の聖女だ』

『噂なんて気にすんじゃないよ、アタシ達はアンタの味方だからね』

 そんな言葉を何度ももらった。

「でしょ? けっきょく噂より、自分の目で見た事実が一番強いってこと。癒しをつづけている限り、アリシアが偽物と本気で信じる人はいないし、百歩譲って本当に聖女でなかったとしても、優秀な聖神官には違いないもの。世間から非難されるいわれはないわ。実際、学院でも、家族や親戚を癒してもらった下流貴族の生徒達はあなたを疑ってないしね。今度の狩猟大会だって、あなたの世話になった男性貴族が大勢いるわけだし」

 ラウラは「ぱちん」とウィンクをよこした。数多の男子生徒を惑わしてきたウィンクだ。

「アリシアを怪しんでいるのは、あなたと接点のない高位貴族達ね。彼らは宮殿にいる聖神官や、名医に診てもらえる伝手とお金があるから。まあ、デラクルス公爵家といえども、今からあなたの評判を完全に潰すことは無理だろうし、下手すれば、あちらが世間から反発をくらうでしょうね。だから案ずべきは大公陛下かしら」

「どういうこと?」

「狩猟大会で、殿下を癒せなかったんでしょ? だからデラクルス嬢が癒したわけで」

「うん。なんで、あの時だけ聖魔力が発現できなかったか、いまだにわからないけど…………」

「で、そのあとは聖神官達や貴族達を普通に癒せた」

 私はうなずいた。
 ラウラはいつもの悪戯っぽい笑みを引っ込め、真面目な表情で私を見る。

「傍からは、あなたの聖魔力が抑えられていた、なんてわからないわ。人によっては、あなたが『大公陛下を癒したくないから手を抜いた』なんて考えるかもしれない。少なくともデラクルス公爵あたりは、その線からあなたの追い落としを謀るんじゃないかしら」

「…………っ。私に反逆の疑いをかけるってこと?」

「そこまでいかなくても『あの女は信用できないから、聖女にしないほうがいい』と大公陛下に吹き込むくらいのことはするんじゃない?」

「そういうこと」

 私はほっとした。

「なんだか安心しているみたいね。腹が立たないの?」

「うーん。好きか嫌いかでいえば、嫌いなやり方だけど。正直、聖女の肩書き自体はたいして興味ないの。癒しは続けたいから聖魔力は必要だけど、今みたいに毎日癒しつつ、公太子だの公爵令嬢だのに目をつけられない暮らしができれば、聖女の地位はデラクルス嬢に持って行かれてもかまわないかな。あ、でも有名になるには、聖女になったほうが都合いいのか…………」

 唸る私に、ラウラは肩をすくめる。

「本当に穏健というか、欲がないわね、アリシアは。お人よしもそこまでいくと可愛げないわよ。ま、あなたが納得しているなら、いいけど」

「欲はあるわよ。長生きしたい、って欲がね。だから公爵家にも大公家にも目をつけられたくないの。じゃあ、私はこっちだから」

 通りの先に石作りの古い建物が見える。
 私達は二手に別れて、ラウラは学院の友達との待ち合わせ場所へ、私はこぢんまりした古びた神殿へとむかった。
 ここは大神殿が現在の場所に建てられる以前、公都で最初の大神殿として奉られていた、旧神殿だ。ノベーラ大公国でもっとも古い神殿だが、大神殿の人材と機能が今の神殿に移って以降は訪れる信者も減り、時の流れにとり残されたような寂しさがただよっている。
 私は正面玄関から入って、居合わせた神官に旧神殿長への取次ぎを求めた。
 実は、今日はデラクルス公爵令嬢の聖女審査会の日だった。彼女の力が本物の聖魔力か否か、高位神官が集まって直に審査するのだ。会場はむろん、大神殿。
 そのため今日の私の癒しは休みで、私はソル大神殿長様に、大神殿の外へのお使いを命じられたのだ。たぶん大神殿長様の気遣いだと思う。

「たしかに受けとった」

 書類と手紙を受けとった壮年の旧神殿長の顔色は冴えない。

「あの。どこかお体の具合が悪いのでしょうか? よければ私がお役に立てるかも…………」

「ああ、いや。これは病や怪我ではなく、心労の…………いや、なんでもない」

 藍色の長衣に白の神官服を重ねた旧神殿長は力なく首をふる。

「それでは、私はこれで」と挨拶して別れると、礼拝所で祈りを捧げて帰ろうとした。

 が、気づく。

「なんだか空気が悪い…………?」

 閉めきっていて空気がよどんでいるとか埃っぽいとか、そういう次元ではない。
 なんというか、嫌な気配がただよっているのだ。
 それこそマンガだったら、黒い靄で表現されるような。

「なんの気配…………?」

 私は気になり、気配をたどっていくと、神殿奥の、神官以外は立ち入り禁止区域の中にある、こぢんまりした中庭に出ていた。
 青空の下、中庭は素朴な花壇に囲まれ、等身大の石像が立っている。
 額飾りラリエットをつけた古風な衣装の女性像。
 聖女の中でも特に高名な、伝説に語られる初代聖女アンブロシアアイシーリアの像だ。
 神殿だから、あって当然ではあるのだけれど。
 私は石像の額飾りに触れた。
 指先に、神殿内にただよう嫌な気配とは異なる、別の気配を感じる。

「なんだろう、この気配。かすかだけど、きれいな泉みたいに澄んだ――――」

「神話の残滓だよ。太古の遺物だ。人間にとってはね」

 こつ、と足音が響いて。
 ふりかえると、回廊に一人の青年が立っていた。
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