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新月には少し早い、細い月が東の空に浮かんでいる。
エーデの荒野。先の満月の夜に、アレクシアがねこさんと魔王を待っていた場所だった。
今夜はそのねこさんがいない。
愛猫を案じて空を見あげる外套姿のアレクシアの耳に、若者二人の声が届く。
「おい、まだ生なんじゃないか? もう少し焼いたほうが美味いだろ」
「ラッヘは生にちかいほうが好みだから、これでいい。お前の肉はそっちだ、ウィン」
じゅうじゅうと肉の焼ける音と食欲を刺激される匂いが、夜風にのってアレクシアのもとに届いて、彼女は物思いから覚まされる。
「おーい。肉が焼けたぞ、食べるか?」
「いただきます」
アレクシアは回れ右して、焚火を囲むジークフリートとウィンフィールドのもとに戻った。焚火は串刺しの肉をあぶり、鍋もかけられている。
悩んでも仕方ないことは、悩むだけ時間の無駄だ。それより腹ごしらえをしよう。空腹では戦えるものも戦えない。
「こっちが姫の肉だ」
ジークフリートが串刺しの肉を差し出してくれる。肉はほどよく焼けて汁がしたたっていた。ウィンフィールドが塩をふってくれる。
「ラッヘ」
と、ジークフリートはここまで三人を運んでくれた幻獣に声をかけ、一番大きな肉の塊を投げる。幻獣は豚の腿丸ごと肉を上手に口でうけとめ、ばりばりと骨ごと食べた。「うまいか?」と訊ねたジークフリートに、満足そうな一鳴きを返す。
「魔王が来るのは深夜だろうし、それまで暇だ。腹ごしらえしておこう」
そう言ってジークフリートは火の前に戻り、自分の分の串をとる。
しばし沈黙の時間が流れた。三人の若者達は真剣に串焼きを咀嚼している。
串は肉の間にニンジンや玉ネギも刺しており、それらもこんがり焼けて大変美味だった。
食べながら、アレクシアは不思議な気分だった。
前回ねこさんとこの荒野で魔王を待っていた時、灯りは一つもなく、暗くて肌寒くて、なんだかんだで未来への不安や緊張に苛まれていたと思う。空腹を感じる余裕も少ないほどに。
魔王にアレクシアを殺す意図はないにしても、人間である彼女にとっては、やはり愛した公子と引き裂かれて魔族に嫁ぐというのは、命がけの行為に等しかった。
ねこさんをなでていても聖遺物の竪琴を奏でていても、落ち着かないくらいに。
だが今夜は、あの夜に比べてずっと不安が薄らいでいる。
明るい未来を確信できるわけではないが、さりとて無抵抗で魔王の言いなりになるつもりもない。
あの夜、アレクシアは魔王と行きたくなかった。
自分とオリス公子を引き裂き、公子の命を盾にアレクシアに服従を迫ったあの男に、自分の人生をにぎられたくなかった。
それなのに、アレクシアが屈服しなければ公子の命はない。
オリス公子だけでなく、両親やシュネーゼ公国全体も人質にとられるかもしれない。
だからあの夜、この荒野に来た。
今夜も状況はあの時と大差ない。
けれどアレクシアの気持ちはずいぶん変わっていた。
たとえ、どうなるかわからぬ賭けだとしても。
待っているのが、悲惨な未来だとしても。
自分の本音に沿った行動ができる時、人はこんなにも心が軽く、後悔もわかないのだと、アレクシアは己が心身によって実感することができた。
アレクシアは串焼きの玉ネギにかぶりつく。つんとした刺激が鼻に抜け、噛めば噛むほどさらに食べたくなる。食欲がわく。
アレクシアは、ウィンフィールドと最後の串をとりあうジークフリートを見た。
今夜は無策で魔王に挑むわけではない。あの時にはなかった選択肢を、今は持っている。
(この人といると、どこまでも飛んで行けそうな気がする)
単純に「幻獣を召喚できるので、どこへでも簡単に移動できる」という意味ではない。
彼が破格に強くて「彼となら魔王も倒せる」と希望を持てた、というだけでもない。
ジークフリートの行動力は、アレクシアの世界をも広げる力を備えていた。
彼と一緒なら最後まで戦い抜けるし、その結果としての死であれば、納得して逝ける気がする。「やれるだけのことはやった、悔いはない」と。
「姫、最後の一本はいるか?」
ジークフリートが満面の笑みで訊ねてくる。
黙っていれば艶麗な美貌なのに、串を掲げる表情は少年のようだ。
「私はもう充分ですので、殿下が召しあがってください」
アレクシアが辞退すると、ウィンフィールドが横から手を伸ばしてくる。
彼女の珍しいほほ笑みに胸を突かれていたジークフリートは、簡単に串を奪われた。
「ほら見ろ、この一本は俺がもらう」
「待て、お前にやるくらいなら、俺が食べる」
我に返ったジークフリートもすかさず手を伸ばす。
若者二人はしばし肉を奪い合い、アレクシアは(子供だ)と声を出さずに笑った。
シュネーゼの美姫の貴重なほほ笑みを、食欲にとらわれたフリューリングフルスの若者達は見逃す。
明るくあたたかい焚火、熱々の美味しい肉と野菜、あたためた葡萄酒。そして軽口を叩きながら一緒に食べる相手。
これらがそろっているだけで気分はまったく違うのだと、アレクシアはつくづく実感した。
「ねこさんも早く帰ってくればいいのに…………」
思わず呟くと、ウィンフィールドが応じる。
「いや、相当かかるだろ。あの脚の短さじゃ」
「失礼な。ねこさんは、あの脚も愛らしさの一つです。それに本気を出せば、とても早く移動できます」
「姫、葡萄酒は飲むか?」
ジークフリートが焚火にかけた鍋をのぞく。鍋には水を張っており、そこにワインの瓶をつけて火にかけていた。ほどよくあたたまった瓶に布を巻いてとり出し、栓を開けて杯に注ぐ。
さらに蜂蜜を追加。アレクシアはスプーンにたっぷり、ジークフリートはスプーン半分、ウィンフィールドはほんの数滴。
甘い葡萄酒が若い体をほどよく温めていく。
ジークフリートが荷物をあさりながら、次々包みをとり出した。
「ベリーのケーキも食べてしまうか? 朝には帰るんだから、とっておくこともないだろう」
「そうですね。帰りもラッヘ様に乗せていただくなら、飲み水だけ少し残しておけば大丈夫だと思います」
「俺はアーモンドのクッキーがいい。焼きたてを厨房からもらって来たんだろ?」
好き勝手言いながら包みを開いていく。
「…………貴様ら、なにをしている」
苛立ちを内包した低い声が響いた。
「ん?」と若者三人が声のしたほうをふり向く。
アレクシアはケーキにかぶりつき、ウィンフィールドはクッキーをくわえ、ジークフリートは自分の分を切り分けようと、今まさにケーキの残りにナイフを入れたところだった。
「…………ずいぶん余裕ではないか」
燃えるような赤い髪の、典雅な衣装と豪華な金細工を身につけた青年の表情がひきつって見えたのは、錯覚か。
「む」とアレクシアは手をあげた。口の中のケーキを飲み込み、はちみつ入りのワインを二口飲んで一息つく。それから立ちあがって口を開いた。
「失礼しました。口の中に食べ物が入っている状態で人と話すのは行儀が悪い、と母から教わりましたので」
魔王の求める美姫は真面目に説明した。白銀の髪が焚火を反射して、赤味を帯びた金色に染まっている。
ジークフリートも自分の分のケーキを食べ終えて、魔王を誘った。
「なんなら、そっちも食べるか? クッキーなら、まだ残っているぞ」
「魔族はクッキーを食べるのか?」
「さあ?」
ウィンフィールドの疑問にジークフリートは首をひねった。
赤い光が飛んで鍋をはじく。焚火も崩され、もうもうと煙と灰が巻きあがった。
「短気な奴だな、鍋や火に罪はないだろうに」
「さっさと葡萄酒を飲んでおいて正解だったな」
ジークフリートは聖遺物の青白い剣を手に立ちあがり、ウィンフィールドは荷物(というより、食べたあとのゴミ)を手早く袋に詰め込んで肩に担ぐ。
アレクシアの手の中で、愛用の竪琴『月の音』が姿を変えた。楽器から武器へと。
魔王が赤い目を細める。
「抵抗するか? かまわぬが、その際の代償は理解しているのだろうな? ふたたびあの公子に呪いをかけることなど、造作もないぞ?」
ちり、とアレクシアの内側に火花のような憤怒が走る。
「まあ、待て」
踏み出した彼女をジークフリートが制した。
「一応、確認しておく。このまま退く予定はないか?」
『このあと時間あるか?』程度の訊き方だった。
「姫は本心では、お前の嫁になりたくない。破談になったとはいえ、公子を忘れられないそうだ。で、俺は姫の希望を最大限に叶えたい。つまり姫が望まない以上、お前との結婚を邪魔するほうに全力を注ぐ。もともと魔王と戦いたくもあったしな。だが万一、そちらがおとなしく帰って二度と姫に関わらない、公子やシュネーゼ公国にも手出ししない、と誓うなら、こちらもなにもしない。お互い穏便に済まそう。どうだ?」
魔王を包む空気が変わった。冷えていたはずの夜風が赤く輝き、怒気が熱風となって不遜な人間に吹きつける。魔王の口から呪いのごとき低い声がしぼり出された。
「呆れてものも言えんとは、このことか。たかが人間風情が、我が配下を滅した程度で図に乗るとは。大軍を引き連れて来るならまだしも、たかだか三人程度で、この赤の魔王ルビンロートに物申す身分になったつもりか」
「あ、俺は数に入れないでくれ。魔力はからきしなんでな」
ウィンフィールドが手をあげて指摘する。彼だけ離れた位置にさがっていた。
「やっぱり無理か。そういえばやっと聞いたな、名前。ルビンロートか」
「貴様などが我が名を呼ぶでないわ。ただ一度きりの幸運を実力と過信した愚か者めが。我が婚礼を邪魔した己の低能と思いあがりを、煉獄の底で後悔するがいい」
赤い瞳が輝く。文字どおり赤い光を放っているのだ。
その状態のまま人間の美姫を見る。
「我が妃よ。娶ると決めたからには、一つ二つの我が儘は許そう。しかし寛容にも限度はある。そなたがこのまま、この愚者と共に夫たる我が身に刃を向けるなら、その手足の二、三本を切り落として我が城に運ぶ程度の用意はあるぞ? 我が求めるのは、そなたの魂。肉体の多少の傷はかまわぬ。むろん、あの公子も今度こそ死ぬ」
怒りに燃える赤い瞳に酷薄な光がちらつく。
「ここで早々に己が浅慮を詫びて、五体満足で我が城に来るか。それとも、この愚者の口車に乗って、手足を失うか。望む道を選ぶがいい」
エーデの荒野。先の満月の夜に、アレクシアがねこさんと魔王を待っていた場所だった。
今夜はそのねこさんがいない。
愛猫を案じて空を見あげる外套姿のアレクシアの耳に、若者二人の声が届く。
「おい、まだ生なんじゃないか? もう少し焼いたほうが美味いだろ」
「ラッヘは生にちかいほうが好みだから、これでいい。お前の肉はそっちだ、ウィン」
じゅうじゅうと肉の焼ける音と食欲を刺激される匂いが、夜風にのってアレクシアのもとに届いて、彼女は物思いから覚まされる。
「おーい。肉が焼けたぞ、食べるか?」
「いただきます」
アレクシアは回れ右して、焚火を囲むジークフリートとウィンフィールドのもとに戻った。焚火は串刺しの肉をあぶり、鍋もかけられている。
悩んでも仕方ないことは、悩むだけ時間の無駄だ。それより腹ごしらえをしよう。空腹では戦えるものも戦えない。
「こっちが姫の肉だ」
ジークフリートが串刺しの肉を差し出してくれる。肉はほどよく焼けて汁がしたたっていた。ウィンフィールドが塩をふってくれる。
「ラッヘ」
と、ジークフリートはここまで三人を運んでくれた幻獣に声をかけ、一番大きな肉の塊を投げる。幻獣は豚の腿丸ごと肉を上手に口でうけとめ、ばりばりと骨ごと食べた。「うまいか?」と訊ねたジークフリートに、満足そうな一鳴きを返す。
「魔王が来るのは深夜だろうし、それまで暇だ。腹ごしらえしておこう」
そう言ってジークフリートは火の前に戻り、自分の分の串をとる。
しばし沈黙の時間が流れた。三人の若者達は真剣に串焼きを咀嚼している。
串は肉の間にニンジンや玉ネギも刺しており、それらもこんがり焼けて大変美味だった。
食べながら、アレクシアは不思議な気分だった。
前回ねこさんとこの荒野で魔王を待っていた時、灯りは一つもなく、暗くて肌寒くて、なんだかんだで未来への不安や緊張に苛まれていたと思う。空腹を感じる余裕も少ないほどに。
魔王にアレクシアを殺す意図はないにしても、人間である彼女にとっては、やはり愛した公子と引き裂かれて魔族に嫁ぐというのは、命がけの行為に等しかった。
ねこさんをなでていても聖遺物の竪琴を奏でていても、落ち着かないくらいに。
だが今夜は、あの夜に比べてずっと不安が薄らいでいる。
明るい未来を確信できるわけではないが、さりとて無抵抗で魔王の言いなりになるつもりもない。
あの夜、アレクシアは魔王と行きたくなかった。
自分とオリス公子を引き裂き、公子の命を盾にアレクシアに服従を迫ったあの男に、自分の人生をにぎられたくなかった。
それなのに、アレクシアが屈服しなければ公子の命はない。
オリス公子だけでなく、両親やシュネーゼ公国全体も人質にとられるかもしれない。
だからあの夜、この荒野に来た。
今夜も状況はあの時と大差ない。
けれどアレクシアの気持ちはずいぶん変わっていた。
たとえ、どうなるかわからぬ賭けだとしても。
待っているのが、悲惨な未来だとしても。
自分の本音に沿った行動ができる時、人はこんなにも心が軽く、後悔もわかないのだと、アレクシアは己が心身によって実感することができた。
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アレクシアは、ウィンフィールドと最後の串をとりあうジークフリートを見た。
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(この人といると、どこまでも飛んで行けそうな気がする)
単純に「幻獣を召喚できるので、どこへでも簡単に移動できる」という意味ではない。
彼が破格に強くて「彼となら魔王も倒せる」と希望を持てた、というだけでもない。
ジークフリートの行動力は、アレクシアの世界をも広げる力を備えていた。
彼と一緒なら最後まで戦い抜けるし、その結果としての死であれば、納得して逝ける気がする。「やれるだけのことはやった、悔いはない」と。
「姫、最後の一本はいるか?」
ジークフリートが満面の笑みで訊ねてくる。
黙っていれば艶麗な美貌なのに、串を掲げる表情は少年のようだ。
「私はもう充分ですので、殿下が召しあがってください」
アレクシアが辞退すると、ウィンフィールドが横から手を伸ばしてくる。
彼女の珍しいほほ笑みに胸を突かれていたジークフリートは、簡単に串を奪われた。
「ほら見ろ、この一本は俺がもらう」
「待て、お前にやるくらいなら、俺が食べる」
我に返ったジークフリートもすかさず手を伸ばす。
若者二人はしばし肉を奪い合い、アレクシアは(子供だ)と声を出さずに笑った。
シュネーゼの美姫の貴重なほほ笑みを、食欲にとらわれたフリューリングフルスの若者達は見逃す。
明るくあたたかい焚火、熱々の美味しい肉と野菜、あたためた葡萄酒。そして軽口を叩きながら一緒に食べる相手。
これらがそろっているだけで気分はまったく違うのだと、アレクシアはつくづく実感した。
「ねこさんも早く帰ってくればいいのに…………」
思わず呟くと、ウィンフィールドが応じる。
「いや、相当かかるだろ。あの脚の短さじゃ」
「失礼な。ねこさんは、あの脚も愛らしさの一つです。それに本気を出せば、とても早く移動できます」
「姫、葡萄酒は飲むか?」
ジークフリートが焚火にかけた鍋をのぞく。鍋には水を張っており、そこにワインの瓶をつけて火にかけていた。ほどよくあたたまった瓶に布を巻いてとり出し、栓を開けて杯に注ぐ。
さらに蜂蜜を追加。アレクシアはスプーンにたっぷり、ジークフリートはスプーン半分、ウィンフィールドはほんの数滴。
甘い葡萄酒が若い体をほどよく温めていく。
ジークフリートが荷物をあさりながら、次々包みをとり出した。
「ベリーのケーキも食べてしまうか? 朝には帰るんだから、とっておくこともないだろう」
「そうですね。帰りもラッヘ様に乗せていただくなら、飲み水だけ少し残しておけば大丈夫だと思います」
「俺はアーモンドのクッキーがいい。焼きたてを厨房からもらって来たんだろ?」
好き勝手言いながら包みを開いていく。
「…………貴様ら、なにをしている」
苛立ちを内包した低い声が響いた。
「ん?」と若者三人が声のしたほうをふり向く。
アレクシアはケーキにかぶりつき、ウィンフィールドはクッキーをくわえ、ジークフリートは自分の分を切り分けようと、今まさにケーキの残りにナイフを入れたところだった。
「…………ずいぶん余裕ではないか」
燃えるような赤い髪の、典雅な衣装と豪華な金細工を身につけた青年の表情がひきつって見えたのは、錯覚か。
「む」とアレクシアは手をあげた。口の中のケーキを飲み込み、はちみつ入りのワインを二口飲んで一息つく。それから立ちあがって口を開いた。
「失礼しました。口の中に食べ物が入っている状態で人と話すのは行儀が悪い、と母から教わりましたので」
魔王の求める美姫は真面目に説明した。白銀の髪が焚火を反射して、赤味を帯びた金色に染まっている。
ジークフリートも自分の分のケーキを食べ終えて、魔王を誘った。
「なんなら、そっちも食べるか? クッキーなら、まだ残っているぞ」
「魔族はクッキーを食べるのか?」
「さあ?」
ウィンフィールドの疑問にジークフリートは首をひねった。
赤い光が飛んで鍋をはじく。焚火も崩され、もうもうと煙と灰が巻きあがった。
「短気な奴だな、鍋や火に罪はないだろうに」
「さっさと葡萄酒を飲んでおいて正解だったな」
ジークフリートは聖遺物の青白い剣を手に立ちあがり、ウィンフィールドは荷物(というより、食べたあとのゴミ)を手早く袋に詰め込んで肩に担ぐ。
アレクシアの手の中で、愛用の竪琴『月の音』が姿を変えた。楽器から武器へと。
魔王が赤い目を細める。
「抵抗するか? かまわぬが、その際の代償は理解しているのだろうな? ふたたびあの公子に呪いをかけることなど、造作もないぞ?」
ちり、とアレクシアの内側に火花のような憤怒が走る。
「まあ、待て」
踏み出した彼女をジークフリートが制した。
「一応、確認しておく。このまま退く予定はないか?」
『このあと時間あるか?』程度の訊き方だった。
「姫は本心では、お前の嫁になりたくない。破談になったとはいえ、公子を忘れられないそうだ。で、俺は姫の希望を最大限に叶えたい。つまり姫が望まない以上、お前との結婚を邪魔するほうに全力を注ぐ。もともと魔王と戦いたくもあったしな。だが万一、そちらがおとなしく帰って二度と姫に関わらない、公子やシュネーゼ公国にも手出ししない、と誓うなら、こちらもなにもしない。お互い穏便に済まそう。どうだ?」
魔王を包む空気が変わった。冷えていたはずの夜風が赤く輝き、怒気が熱風となって不遜な人間に吹きつける。魔王の口から呪いのごとき低い声がしぼり出された。
「呆れてものも言えんとは、このことか。たかが人間風情が、我が配下を滅した程度で図に乗るとは。大軍を引き連れて来るならまだしも、たかだか三人程度で、この赤の魔王ルビンロートに物申す身分になったつもりか」
「あ、俺は数に入れないでくれ。魔力はからきしなんでな」
ウィンフィールドが手をあげて指摘する。彼だけ離れた位置にさがっていた。
「やっぱり無理か。そういえばやっと聞いたな、名前。ルビンロートか」
「貴様などが我が名を呼ぶでないわ。ただ一度きりの幸運を実力と過信した愚か者めが。我が婚礼を邪魔した己の低能と思いあがりを、煉獄の底で後悔するがいい」
赤い瞳が輝く。文字どおり赤い光を放っているのだ。
その状態のまま人間の美姫を見る。
「我が妃よ。娶ると決めたからには、一つ二つの我が儘は許そう。しかし寛容にも限度はある。そなたがこのまま、この愚者と共に夫たる我が身に刃を向けるなら、その手足の二、三本を切り落として我が城に運ぶ程度の用意はあるぞ? 我が求めるのは、そなたの魂。肉体の多少の傷はかまわぬ。むろん、あの公子も今度こそ死ぬ」
怒りに燃える赤い瞳に酷薄な光がちらつく。
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