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「で、森に来ている、と」

 褐色の髪に琥珀色の瞳の男爵子息はぼやくように確認した。
 彼の視線の先には、外套をはおった黒髪の王子と白銀の髪の美姫。そして美姫の肩の猫。アレクシア姫は相変わらず竪琴を携帯し、ジークフリートはふくらんだ革袋を持っている。
 周囲には木々と葉と土の匂いが充満して、遠くで鳥も鳴いている。夏の森は活き活きと輝き、枝葉に陽光をさえぎられていても虫や獣の気配をそこかしこに感じた。
 ジークフリートは友人に勧める。

「興味がないなら、帰ればいい。さすがに魚釣りが、ウィンの好きな金儲けにつながるとは思っていない」

「ジークが思わなくても、一儲けのほうが寄ってくる。基本的についていくことにしている」

 これが友人同士の会話だろうか。
 アレクシアが見てきた、父の若い部下達の会話とは趣が異なって見える。が、どちらも嫌がったり気にしたりしているそぶりはないので、これがこの二人の常態かもしれない。
 そもそも王子と平民(正確には男爵の息子)という大きな身分差がありながら愛称で呼び合い、ここまで気安い話し方を許されているのだ。仲が悪いはずもない。
 実際、この二人の関係は異色だった。
 身分差がありすぎる、というだけではない。この、トゥルペ城中の誰もが認めるお騒がせな王子に、なんだかんだで最後までついて行けるのは、ウィンフィールドくらいなものなのだ。
 それゆえ彼は平民の身分でありながら、ジークフリート王子を知る多くの王族貴族から感嘆と尊敬のまなざしを向けられ、王城への日常的な伺候も許されているのである。
 友人二人は迷う様子もなくずんずん進んで、川に出る。それなりに幅も水量もある川だ。

「よし。釣るか」

 外套を岩の上に置いて、王子は言った。

「そういえば、釣竿は…………」

 ジークフリートは釣竿を用意していなかった。
 代わりに腰にさげている青白い剣を抜いて、切っ先を水面に向ける。

(川を攻撃する気?)

 一昨日の夜の光景を思い出して、アレクシアは青ざめる。
 しかし彼女の想像に反して、今日のジークフリートの聖遺物の使い方は非常に穏当だった。
 すい、と水面に魚の背がよぎる。
 するとその一瞬を逃さず、聖遺物の切っ先から針のように細い青白い光が飛んで、魚影に命中した。ぷかり、と魚が水面に浮く。
「よし!」と、長靴を脱いでズボンの裾をまくりあげたウィンフィールドが、ざぶざぶ川に入って浮かんだ魚を素手でつかまえる。
 その間に、ジークフリートは二匹目の魚影を捕えていた。
 とんでもなく優れた魔力の制御技術である。繊細としか言いようがない。
 単に大火力を連発するだけではなく、ここまで細く凝縮して飛ばすことも可能とは。
 自分にここまでの制御は可能だろうか。
 アレクシアは自問し、いったんため息をついて竪琴を抱え直した。
「もう一匹」と身を乗り出したジークフリートの横に立ち、水面へと魔力を放つ。
 一本の弦が狙いたがわず魚影を捕まえ、ぐるぐる巻きにした。ひょい、と釣竿を引っぱるように弦を引くと、魚が放物線を描いて岸に落ち、びちびちと跳ねる。

「見事だ。昨日から思っていたが、貴女はその竪琴の歴代の持ち主の中でも、屈指の使い手なのではないか?」

「どうでしょう?」

 アレクシアは首をすくめたが、口もとに淡く笑みが浮かんでいる。
 聖職者や貴族達が見れば「家宝なのに…………!!」「貴重品なのに…………!!」と、さぞや苦悩したに違いない光景である。

「ねこさん。魚は焼いてあげますから、もう少し待ってください」

 跳ねる魚に灰色の前脚でちょっかいを出していた愛猫に、アレクシアは注意を投げた。ねこさんは「なんのこと?」というように脚を引っ込め、そっぽを向く。
 大小合わせて七匹の川魚を獲ると、三人で枯れ枝を集めて川岸で火を焚き、枝の一部をウィンフィールドが携帯していたナイフで削って、串にする。その串を魚に刺して火で炙った。
 ジークフリートが革袋からパンと葡萄酒の瓶をとり出し、昼食となる。
 仮にも伯爵令嬢、このような野性味あふれる食事はなじみがないのではないか。そう、ウィンフィールドは気遣い、訊ねてみたのだが。

「いえ。慣れておりますので」

 それが異国の美姫の返答だった。

「慣れている…………」

「聖遺物を下賜された十歳の頃から、父が率いる騎士団の野外訓練に定期的に同行しております。シュネーゼは森が多いので、このような形の食料調達はしょっちゅうでした」

「なんで伯爵令嬢が、騎士団の野外訓練に同行するんだ…………」

「やはり練習場での稽古だけでは、実戦とは勝手が違いますので。はじめは父に剣を習う程度でしたが、聖遺物を下賜されたおかげで攻撃と防御の威力が格段に向上したので、聖遺物の訓練も兼ねて、父の隊の訓練に参加しております」

「なんでまた、そんな勇ましいことを」

 呆れたようなウィンフィールドの声と表情。
 逆にアレクシアは冷ややかな無表情で淡々と説明する。

「世の中は、生きているだけで危険が存在しますので。女といえど、己が身を己で守る手段を体得するのは、最低限の生存戦略――――嗜みと判断しました。それに不埒者に襲われてなにかあれば、公子殿下との婚約を整えていただいたシュネーゼ公にも顔向けできません」

(ああ、なるほど)とウィンフィールドも得心する。

『佳人薄命の体現』

 その二つ名にたがわず、シュネーゼ公国一の美姫プファンクーヘン嬢には、誘拐だの狼藉だのの危険が絶えないと聞く。血のつながった叔父が幼い彼女を攫おうとしてプファンクーヘン将軍に誅された、という噂すらあるほどだ。
 普通は貴族の令嬢、それも公子の婚約者となれば深窓で守られるものだが、彼女にまつわる噂の数々を思い返すと、話半分としても護身術くらいは体得しておくのが賢明と思われた。

(噂を聞いた時には『尾ひれがついているんだろ』としか思わなかったが――――)

 実際に本人の美貌を目の当たりにした今では(たぶん真実だな)と納得してしまう。
 圧倒的な造形美というだけではない。魔王に目をつけられたことといい、ジークフリートが「恋した」と言い出したことといい、特に厄介な男に限って引きつけるなにかが、この美姫には備わっているのかもしれなかった。
 アレクシア本人も己の武力を語る時は過少報告も言い訳もせず、堂々と「必要だったから身につけた」と宣言する。少しでも相手を怯ませて、不埒な者を寄せつけないためだ。
 ただしジークフリート王子には通用しない。

「たしかに人生は、生きるだけで戦いだからな。身を守る術は、なんでも身につけておいたほうが、あとが楽になる。俺は賢明な判断だと思うぞ、姫は堅実で判断力のある方だな」

 にこにこと褒めるジークフリート。
 欲しいのはそういう反応ではない。
 アレクシアは何度目のことか肩透かしをくらうが、ジークフリートは気づかずに自論を展開していく。

「幼い子供相手にも己の気持ちを一方的に押し付けてくる大人というのは、残念ながら存在する。それを『情熱』とか『愛情』と表現することには、俺は抵抗を覚えるが。とりあえず、貴女がそういった者達との出会いでこの世に絶望しきらず、戦って生き延びる道を選んだ強さと誇り高さを尊敬するし、敬意を表したいと思う。貴女が戦いを選ぶ人で良かった。おかげで俺は貴女に会えて、今こうして話すこともできる」

 貴族の令嬢である自分が剣術を習い、聖遺物の使い手となったことを、ここまで単刀直入に称賛して認めてきた男性は、父をのぞけばこの王子が初めてだった。
 アレクシアはどう対応すればいいかわからず、つい膝のねこさんの毛並みを逆になでて、ねこさんに「うにゃあ…………」と嫌がられる。

「まあ、好みなら年齢は気にしない、という奴はいるからなぁ。というより、好みの年齢が子供、という奴もおるし」

 ウィンフィールドのため息混じりの言葉に、ジークフリートが焼き魚を食べつつ応じる。

「年齢どころか性別も気にしない人間もいる。むしろ少年が好み、という男女もいるくらいだ」

「そう、少年…………ん?」

「その手の類はいったん目をつけると、たとえ王子でも遠慮しない。こちらが子供でなにも理解できないと甘く見て、従者がちょっと目を離した隙に、人気のない庭の隅とか部屋に連れ込もうとする。性質が悪いのは、有力貴族の看板を悪用して強引に従者達を下がらせ、二人きりになろうとするパターンだ。相手が相手だけに、侍従長とかも強く出れなくてな」

「待て、ジーク」

「たしかに、身分や権力を盾に迫られるのは、私も経験ありますが。さすがに王子が相手では悪手では?」

「あの手の輩は、一度その気になったら、身分とかは考慮しない。絶対にうまくいくと、何故か確信している。それが俺の結論だ。なんなら身分が低くても、従者や家庭教師という立場を利用して二人きりになろうとする。とにかく、手を出さずにはいられないんだろう。病気だな、頭と下半身の」

「それは同意しますが」

 アレクシアの冷静な即答に反し、ウィンフィールドは動揺を見せる。

「え、待って。それはつまり、ジーク…………」

「誤解するな。全員、叩きのめした。俺は潔白だ、傷一つない。無垢のままだ」

 破格の美男子が食べ終えた串をあげて宣誓する。

「ああ、そうか。良かった、さすがに。潔白で…………ん? 無垢?」

「かわりに、父上に怒られた。魔術で対抗したんだが、家庭教師はともかく、有力貴族やその息子や甥を窓から放り出したり壁に叩きつけたのは『やりすぎだ』と。こちらは貞操の危機にさらされたし、幼いぶん強く抵抗せざるを得ないのに『過剰だ』と。いまだに納得いかない」

「まあ」と異国の美姫は気の毒そうな声を出す。

「失礼ながら、フリューリングフルス国王陛下も冷淡な。子供によこしまな悪事を働こうとする人間など、骨の一本や二本、いえ、いっそ悪さをする両手を切り落としても、慈悲深い天の神はお許しになるでしょうに」

 神の慈悲とは。
 さんさんと降り注ぐ陽光に銀の髪をきらきら光らせ、天の御使いにも見まごう美姫の言葉に、ウィンフィールドは遠くの空を見る。

「ありがたい。こう主張しても、反応が薄いことがほとんどなんだ。姫の賛同は心強いし、初めて賛同してくれたのが姫というのは、とても嬉しい」

「ジークが言うと、やりすぎる未来しか見えないからだと思うぞ…………」

 ぽそっ、と呟いたウィンフィールドだが、異国の美姫の意見は異なった。
 神秘的な二色の瞳が淡く輝き、なんだかうっとりした表情をしている。

「私…………殿下に親近感を覚えました」

「は!?」

「この話題で純粋に賛同を得られた男性は、殿下が初めてです。男性にこれを言うと『そこまですることはないだろう』という反応が大半なのです。数年前、公国内で『平凡な下級貴族の娘がプレイボーイの美形の上流貴族と出会ってすぐに唇を奪われ、運命の大恋愛がはじまった』あらすじの小説が大流行した時、突然、口付けてこようとする男が増えたのですが、片端から拳や肘鉄をくらわせて、顎や頬や鼻の骨を折ってやっていたら『やりすぎだ』と責められて。女性ですら『人気自慢?』などと言う方もいますし。殿下のように『容赦しなくていい』と断言した男性は初めてです。私、いま感激しています」

「そこ!?」

 ウィンフィールドは耳を疑ったが、ジークフリートは歓喜した。

「そうか、親近感を覚えていただけたか! 実害はなかったし、姫にそう思っていただけたなら、奴らを迎撃して父上に怒られたのも無駄ではなかった、俺も嬉しい!」

 絶世の美男美女は笑い合う。一気に距離がちぢまったようだ。
 ついていけん、とウィンフィールドはあきらめと共にパンにかじりついた。
 アレクシアの膝のねこさんも「うにゃ…………」と不安げに飼い主を見あげる。
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