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 正餐後、アレクシアはジークフリート王子直々にフリューリングフルス王妃の部屋へ案内され、畏れ多くも王妃殿下直々に選ばれた衣装を試着する光栄に浴した。袖を通すたび、着替えを手伝う侍女達から感嘆のため息がもれる。

「やはり、こちらの緑のドレスですわ。たくさんのレースの上品さや豪華さに、まったく負けておられません。あとは深緑色のリボンで御髪を結えば、銀髪も引き立ちますわ」

「こちらもすてきですわよ。深い赤が白いお肌とも銀の御髪とも引き立て合って、花の精のよう。これで赤い石の首飾りや髪飾りをつければ、完璧ですわ」

 きゃあきゃあはしゃぐ娘達の様子に実家の侍女達を思い出し、アレクシアの胸にさざ波が立つ。みな、アレクシアは魔王に連れていかれたと信じて、心配しているだろう。連絡をとりたいが、隣国に来ていることまで伝えてよいものか、判断に迷う。
 ちらりと見れば、ねこさんはサイドテーブルに置いたアレクシアの竪琴の前に陣取り、少女のような侍女二人に遊んでもらって、ご機嫌だ。

「まあ。なんと優美な」

 エルヴィーラ王妃が目を細める。
 最終的に選ばれたのは、深い紺の一着だった。日常用のドレスなのでレースや刺しゅうはひかえめだが、アレクシアの雪花石膏の肌と白銀の髪に映えて、まさしく冷艶精美、雪の降った湖の精霊、『白の湖の女神姫』と讃えられるにふさわしい。
 侍女達は一様に陶然とし、ねこさんも竪琴と一緒にアレクシアに抱っこされて機嫌よく鳴く。
 蛍石の髪飾りはそのままに、王妃と共に着替えのための小部屋を出ると、ジークフリート王子がウィンフィールドと待っていた。

「よくお似合いだ」

 王子は真っ先に告げ、隣の友人も口笛を吹きかけて「王宮では無礼になる」と思い直す。

「昨日の真紅のドレスも似合っていたが、今日の紺もすばらしい。『雪薔薇姫』という貴女の二つ名を聞いたことがあったが、ぴったりの表現だ」

「ありがとうございます」

 称賛の言葉に素っ気なく返すのは、アレクシアの日常だ。彼女にとって、男性から容姿を褒め讃えられるのは毎日の食事よりよくあることなので、今さら心動かされたりはしない。
 強さを褒められるなら別だが。

「三人共、いらっしゃい。お茶にしましょう」

 光栄にも王妃から誘われたが、ジークフリートは辞退する。

「ウィンと、これから山に行くことにしましたので」

「山? 相変わらず急なこと。どこの山に、何をしに行くのです?」

 義母の問いに、息子は意気揚々と答えた。

「鉱山に、アレクシア姫へ贈る宝石をさがしに行ってきます!」





 詳細は知らない。が、聞いた話をまとめると、
 アレクシアの着替えを待つ→友人との会話で「意中の女性を射止めるなら、贈り物が効果的」と聞く→「自分もなにか贈りたい!」(ジークフリート談)→「女人への贈り物なら宝石が定番ですよ」(友人談)…………となったらしい。

(いいように友人に転がされていない? 一国の王子なのに、大丈夫なの、この人…………)

 他人事ながら心配になったアレクシアだが、ウィンフィールドが聞けば「ふりまわされているのは、こっちだ」と断固主張したことだろう。
 実際、ウィンフィールドは「友人でもとれるだけとってやる」という商人魂のもと、

「フォーゲル商会にいらしてはいかがでしょう? 商会の名に賭けて、宝石でも絹でも菓子でも、選りすぐりの品を用意させていただきますよ」

 と、もみ手せんばかりの勢いで王子を誘ったのだが、当の王子は

「ぴんとこない。現物を見たほうが早そうだ。山に行って直接、良さそうな石を見繕ってくる!」

 と、期待のななめ上を行く返事をかえしてくれたのである。
 ウィンフィールドはぼやく。

「普通、宝石が欲しいからって、鉱山まで行くか?」

「別に無理についてこなくてもいいぞ。石の良し悪しはわかるつもりだし」

「馬鹿を言え。第四王子の行く所、ウィンフィールド・フォーゲルもついていくに決まっている。絶対、なにかあるからな」

 確信を込めた声と表情。

(それを確信されるって、どうなの?)

 アレクシアは密かに呆れる。
 着替えから、およそ半刻(約一時間)後。
 フリューリングフルス王国第四王子ジークフリートとライヒェ男爵子息ウィンフィールド、そしてアイスヴェルク伯爵令嬢アレクシアの三名は、服と荷物を整えてトゥルペ城の外に出ていた。小高い丘の下に、王都ゾンネナーハコメの美しい街並みが広がっている。
 荷物といっても、アレクシアは着のみ着のままで来たので、王妃から借りた着替えに外套を借りて、ねこさんと竪琴を抱えている程度だ。

「姫は城で待っていてくれて良かったんだが」

 ジークフリートに言われたが、アレクシアは

「いいえ。お供させてください」

 と、お願いした。
 知り合いが誰もいない、昨日訪れたばかりの城に一人残るなど、居心地悪いに決まっている。

「さて。鉱山まで何で行くか、だか」

 目的地は、ここから徒歩で五日ちかくかかるという鉱山。
 だが王子殿下は、馬車どころか騎馬の用意さえ従者に命じなかった。

「ラッヘは速いし大人数を運べるが、なにぶんでかい。昼間は人目につきすぎる。無用に騒ぎを起こすとアレだし、『グライ』にするか?」

 ジークフリートは上着の懐から、古ぼけた小さな手鏡をとり出した。彼も軽装で、上等だがシンプルな黒の外出着の上に外套をはおって、腰に例の聖遺物と小さな瓶を下げた以外は、これといった荷物は見当たらない。

「来てくれ、グライ」

 王子が鏡を草におおわれた地面へ無造作に向けると、鏡面が輝いた。光の線が伸びて、草の上に複雑な文様を描く。魔法陣が輝いたかと思うと、甲高い猛禽類の声が響いて、獅子の胴体に鷲の頭と翼を備えた生き物が立っていた。
 幻獣、グリフォングライフである。

「久しぶりだな、グライ。元気だったか?」

 ジークフリートが声をかけると、鷲に似た生き物は嬉しそうに鳴いて、王子に頭を寄せる。
 鏡は『幻獣召喚』の魔術を行使する、聖遺物だった。
 昨夜、魔王との戦いのあと、アレクシア達が一晩とかからずにフリューリングフルスまで移動できたのも、王子がこの鏡で召喚したラッヘという幻獣のおかげだ。
 フリューリングフルス王家の家宝ではなく偶然手に入れた品らしいが、ジークフリート王子くらいしか使える者がいないため、事実上、彼の私物となっているらしい。
 あまりに易々とした行使に、アレクシアは幻獣召喚の難易度を誤解しそうになった。

「グライも速いが…………三人だと重いか? ウィンが大荷物を抱えているしな…………」

 ジークフリートは友人をふりかえる。褐色の髪の若者は、大きくふくらんだ丈夫な革袋を背負っていた。

「なにをそんなに持って行くんだ」

「まあまあ。いずれ役に立つと約束する」

 生来の陽気な声質でにんまりと笑った友人に、ジークフリートは「まったく」とぼやく。人間の言語が理解できるのか、伝説の獣は「え? 却下なの? 帰らないと駄目なの?」と言わんばかりの潤んだ瞳を王子に向けてきた。
 ジークフリートはもう一度、鏡を地面に向ける。

「もう一体、空を飛べる幻獣やつを…………いや、姫ならいっそ『アイン』か」

 召喚の魔法陣がふたたび光を放つ。
 全身が白く輝く、流麗な体つきの馬が現れた。
 額にらせん状の長い角を持つ、一角獣アインホルンだ。

「久しぶりだな、アイン…………」

 馬は王子の顔を見た瞬間、鼻息を荒くして棹立ちになり、前脚で蹴る体勢をとった。
 どうやら王子の美貌や魔力も、清い処女以外は蹴り殺すという一角獣には通用しないらしい。
 馬のあまりの怒気にアレクシアも身構えたが、ジークフリートは難なく蹴りをかわしてアレクシアを指さした。

「まあ待て、アイン。そっちを見ろ」

「あ゛あ゛ん!?」と、ガンつけるようにふりかえった幻獣の目が、微妙な猫と竪琴を抱えた美しい姫君(未婚)の姿をとらえた。

「…………」

 劇的な変化だった。
 殺気走っていた一角獣の目に驚愕が満ち、しばし凝視すると、唐突に恍惚の表情となって淑やかにアレクシアの前に膝を折る。「どうぞ、乗ってください」と言わんばかりに。

「現金なヤツ…………」

 ウィンフィールドがぽつり、呟く。

「乗って大丈夫でしょうか? ねこさんもいますが…………」

「本馬が乗ってほしがっているのだから、大丈夫だ」

 ジークフリートの説明に背を押され、アレクシアは慎重に幻獣の背に座った。王妃から借りたドレス姿なので、今回は横のりだ。一角獣の背は絹を敷いたようになめらかで、ねこさんはアレクシアの膝の上に陣取る。
 アレクシアが体勢を整えるのを待って、一角獣は立ちあがった。一つ一つの動作がいちいち優雅だ。

「すごい。一角獣に騎乗したのは初めてです」

 たいていの人間はそうだろう。
 幻獣は普通の騎馬より一回り大きく、そのぶん視線も高くて新鮮だった。

「アインも速い。きっと貴女を丁重に運んでくれる。アイン、頼んだぞ。グライのあとを追って来てくれ」

 ジークフリートが言うと、一角獣はそっぽを向いて鼻を鳴らした。
 ウィンフィールドにはそれが「べっ、べつにアンタのためじゃないからねっ。この乙女が気に入っただけだからっ」という横顔に見えたが、口には出さないでおく。

「よし。じゃあ、行くか」

 王子は友人と共にグリフォンの背に乗る。グリフォンは普通のライオンより二回りは大きく、高らかに吠えると巨大な翼をひろげて羽ばたいた。ふわり、浮いたかと思うと、一気に上昇する。青い空の中、ぐるりと旋回するライオンの翼が見える。
 ライオンが一つの方向へはばたくと、アレクシアを乗せた一角獣も一声鳴いて走り出した。
 強い風が吹きつけ、危うく姿勢をくずしかける。アレクシアはぴたりと一角獣の背にはりつき、風をしのいだ。

「まあ」

 王都の外は完全に初夏の風景だった。
 緑の平地がひろがり、遠くにわずかに山の青い稜線がのぞき、あちらにもこちらにも青々と麦穂の伸びた畑が連なっている。
 その光景がどんどんと背中へ流れていく。

「すごい、速い――――!」

 アレクシアは思わず背を起こしていた。顔にも首にも風を浴び、長い豊かな銀髪が波打って、普段は冷たい無表情をはりつけた顔に爽快な笑顔が浮かぶ。
 上空を見あげると、ライオンの背から長い腕が振られていた。
 アレクシアも手を振りかえす。

「昨夜のラッヘ様もすごかったけれど、アイン様もすばらしいですね。ねえ、ねこさん?」

 アレクシアは膝の愛猫に声をかけたが、ねこさんは興味ないようだ。太いかぎ尻尾をちょっと振っただけで終わる。
 一般に、馬での移動は人間の徒歩とそれほど大きな差はない。
 その気になれば人間よりはるかに速く走れても、馬も生き物だ。最高速度を長時間、維持することはできない。そのため早馬などの例外をのぞいて、長距離ほど、人間でいうところの徒歩か早歩きで進むのが普通だ。
 しかしアレクシアを乗せた一角獣はぐんぐん速度をあげて、青空を駆けるライオンに遅れをとることもなく、気づけば高い岩山が目の前に迫っていた。
 人間の足で五日間の道程を走破した時、太陽は正午を少し過ぎた位置にあった。むろん、日付けは変わっていない。
 鉱山の少し手前、人目につかない場所へライオンが降下してくる。一角獣もそこで足を止めてアレクシアを下馬させ、ライオンもふわりと着地して若者二人をおろした。

「助かった。ありがとう、グライ、アイン」

 ジークフリートのねぎらいにグライは嬉しそうに一声鳴き、アインはそっぽを向く。
 ジークフリートが再度、鏡をとり出して石ころだらけの地面に魔法陣を出現させると、二頭はその中に飛び込むように消えた。

「よし、行くぞ。姫の贈り物用の鉱石探しだ」

 ジークフリート王子の「行くぞ」は、友達と裏山に「探検だ!!」と出発する村の子供と大差なかった。アレクシアはねこさんと竪琴を抱え直す。





 なお、この時、走破した道程沿いにあるいくつかの村では、その後『一角獣に乗って走る、白銀の髪の美しい風の精霊を見た村人の話』が語り継がれるようになる。
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